聖闘士星矢異伝 〜聖域なき聖域改革、時代遅れの場所には住みたくない〜 作:斉宮 柴野
その名は――北欧の最高神オーディーン!
愛する人魚姫の願いを聞き入れ、海皇ポセイドンとの対話を約束する大神!
だが、その直後!
地中海から、海皇ジュリアン・ソロが電撃来訪!?
極北の地で、いま神々の運命が交錯する!
君は、小宇宙を感じたことがあるか!
私の名はマーメイドのテティス! 海皇ポセイドン様にお仕えする、誇り高き海闘士よ!!
聞いてちょうだい! ついにヒルダ様と、お話をする機会を勝ち取ったわ! バイトに追われ、兵士に追われ、洞窟で挟まり……長かった! 本当に長かったのよ!!
昨日は鱗衣が天井を突き破ってきたせいで、正体がばれちゃったけれど。ええ、殺されかけもしたわよ。思い出させないで! 無事に朝を迎えられたんだから、そこは喜んでちょうだい!
さあ、今日こそ任務よ! 朝一番で奥へ来るようにと呼ばれて、髪も整えて、張り切って来たんだから!
……え? 昨日の夜は何をしていたんだって?
なっ……何を聞くのよ! 今、その話は関係ないでしょう!?
グリムと……その、熱い夜を過ごしたわよ!! 悪い!? 好きな男と同じお部屋に泊まったの! あとは察しなさいよバカぁっ!!
……こほん。
そうじゃなくて! 私が話したいのは、今朝のこと!!
大理石の柱がずらっと並んだ、立派なお部屋へ通されたわ。奥にはヒルダの玉座。そのさらに上に、蒼銀の大きな玉座。
そこへグリムが、当然みたいな顔で腰を下ろしたのよ。
ちょっと待ちなさい、そこはアンタが座っていい椅子なの!? そう聞こうとしたら、ひょいっと抱き上げられて――はい、私も膝の上!
何でよーーーーっ!!
腰を支える腕が頼もしい? そうね! 好きな男のお膝は居心地がいい? 否定しないわ!
場所を考えなさいって言ってるの!! ヒルダが下にいるじゃない! この国の代行者を見下ろしながら、何をどうご挨拶すればいいのよぉっ!?
「ねえ……グリム?? なんで私は貴方の膝の上に座らされてるの??っていうか、なんで貴方がヒルダ様より高い特等席にふんぞり返ってるのよ!?」
「グビグビ……ぷはぁっ!ああ……もうここまで来て一から説明すんのは、めんどくせえなあ……。とにかく、だ。お前はこれで、誰にも邪魔されずに自分の言いたい話を堂々とできる立場に立ったってことだよ」
その一から説明しなさいよ!!
何よ、堂々と話せる立場って! アンタが勝手に座ったせいで、私も一緒に怒られる立場になったんじゃないでしょうね!?
それに、その服! 昨日のくたびれた白衣はどうしたのよ。こんな服、どこから出したの!? 袖を掴むのもためらうくらい立派じゃない!
顔はいつものグリムよ。黒髪も、片方の眼も、朝から遠慮なく酒を飲んでいるところも。なのに、玉座にふんぞり返っている姿が妙に堂々としている。
いやいや、見惚れている場合じゃないわ! 事情があるなら、自分の口で言ってちょうだい。私に想像させて、あとで笑うつもりなら怒るわよ!
「……テティス。お前はこのアスガルドに、何を言いに来た?ポセイドンの使いとしてではなく、お前自身の言葉で、俺に教えてくれ」
私自身の言葉?
何をしに来たのかは決まっている。命令を受けて来たのよ。海皇様のために、ヒルダを説得しようとした。そのことは昨日も話したでしょう。
そう答えようとしたら、下から声がした。
「ええ、テティス殿。ポセイドンは何をもって、我がアスガルドと結びたいとお考えなのですか?対等なる同盟か、それとも武力をもっての隷属か……あるいは、戦いを望まれるのか」
「――言葉を慎め、ヒルダ様よ。今は俺が、テティスに問うているのだ」
「はっ……! 滅相もございません、出過ぎた真似をいたしました……!」
ひっ。私に怒ったわけじゃない。それはわかる。わかるけれど。
ヒルダが額を床につけている。
咎められて、すぐに謝った。さっきから一度も、そこを退きなさいとは言わない。この玉座へ座ることを、当たり前に認めている。
恋しているから言いなりになる、という話ではなかったのね。
隻眼。グリムという名。自分の意思で差し出したという左目。昨日、アンドレアスが口にした、主神という言葉。
全部、聞いていたじゃない。
聞いたくせに、こんな酔っ払いのはずがないって、自分で否定したのよ。
「………貴方…………オーディーン? ……なの……??」
「ああ。俺はこの極北アスガルドの主神たる、オーディーンその人だ。神の魂を宿した人間の器(依り代)とか、そんな半端なもんじゃねえぞ?魂も肉体も全部揃った、正真正銘の『ご本人様』だ。神々の黄昏(ラグナロク)以来の、完全なる現世復活ってやつだな」
腰をぽんと叩かれた。
この手も、この膝も、この顔も。全部、北欧の主神オーディーン。
……殴ったわ。
私、この顔を思い切り殴った。変態って怒鳴った。海へ沈めるって言った。お説教もした。
ちなんでいたんじゃなくて、本人だった。
どうしよう。どれから謝ればいいのか、順番がわからない。
「ついでに補足いたしますと、私はロキと申します。私はグリムと違って現代の人間の肉体を借りた依り代ですがね。神話の時代に殺されても、こうしてしぶとく現代に蘇るあたり……神とは実に業が深いものです」
「ロ、ロキまで……!?」
ついでに言うこと!?
では、昨日の問いかけも、邪神ロキの言葉だったわけね。
逃げようとしていた私、どこへ逃げるつもりだったのかしら。
グリムの袖を握っていた指に気づいて、そっと緩める。これも、ご無礼になるの? 膝から降りなければいけない? 勝手に降りるのも失礼?
「だがな、テティス。俺がお前に惚れたのは、俺が神だからじゃねえぞ?俺はずっと一人の人間として、この地上の移ろいと人々の生き様を見てきたんだ。だが……お前は格別だった。焚き火の前でお前に見つめられた時……俺はな、お前のためなら、わざわざ窮屈なオーディーンの座に戻ってやってもいいと本気で思ったくらいには……惚れ込んでるんだよ」
……ずるい。
何を言えばいいか、ただでさえわからなくなっているのに。
私のために戻ったの? そんな服を着て、ここへ座って、ヒルダに頭を下げさせているのも。好きなように酒を飲んで歩いていたアンタが?
嬉しい。
それは誤魔化せないわ。こんな場所で、そんなふうに言ってもらえるなんて、思っていなかったもの。
膝から降りる。足が床に着いてから振り向き、両膝をついた。
この人を好きになったことを、謝るつもりはない。好きになってくれたことも、嬉しい。その上で、言っておかなければいけないことはある。
「主神なるオーディーン様とは露知らず……数々のご無礼を働きましたこと、心よりお詫び申し上げます。どうか、お許しください」
「うむ。頭を下げることはない。貴様は今、他の神の使者としてここに立っているのだからな。――さあ、ポセイドンの望むところを言うが良い。……まあ、昔から俺の知る限り、ポセイドンって野郎は、救いようのない傲慢なクズ野郎だがな」
「…………合ってる。合ってるわ」
女官の列から、小さな声が聞こえた。
セラフィナ? 今、何か言った?
……いえ、今はよそを向いている場合じゃないわ。私に話せと言ってくださったのだから、ちゃんと答えなきゃ。
「……はい。私は先日、こちらのヒルダ様が『ニーベルンゲン・リング』を質に入れたと聞き及びまして。ポセイドン様より、アスガルドに対する説得と同盟の打診に参った次第でございます」
指輪の名を出した途端、ヒルダの表情が変わった。
嫌な話を聞かせたのかしら。質屋へ入れたことを咎めたいわけではないのだけれど。
「では聞こう。我々アスガルドが貴様ら海界と結ぶことで、一体どのような利益を得られるというのだ?我が代行者ヒルダは、すでにアテナと不可侵同盟を結んでいる。ポセイドンのクソ野郎は、地上の覇権を巡ってアテナと戦いたいのだろう?」
「……はい」
「それに、俺たち北欧の神闘士や民を捨て駒(チェスの駒)として使う気なのだろう?
我がアスガルドに、海の神のための代理戦争をしろと……お前はそう言うのか?」
「はい。ポセイドン様は、そのように申しております」
言い方を変えても、望んでいることは変わらない。ここで綺麗な言葉にして誤魔化したら、きっと見抜かれる。
それに、嘘をつきたくない。
「……ならば、それで我々が何を得るというのだ?我が民を戦火に晒すに見合うだけの対価が、貴様らの側に用意できるのか?」
声を荒らげているわけではない。膝の上で聞いた時より、距離もある。それなのに、身体が縮こまりそうになる。
これが主神の小宇宙。
対価よ。お金なんて持っていない。土地を差し上げる権限もない。兵を送る約束だって、私が勝手に決めていいことじゃない。
では、私が差し出せるものは?
……あるじゃない。
「――貴方様は、すでに手に入れられているでしょう?」
「……ほう?」
恥ずかしい。頬が熱い。周りに誰がいるのか、考えたくない。
口に出すのよ。ここで黙ったら、何のために顔を上げたの。
「私の体も…………心も、すでに全て貴方様に差し上げましたわ」
「……………………」
「……………………」
グリムも、ロキも、黙っている。
二度は言えない。今だって、自分で何てことを言ったのか、少し怖くなっているんだから。
私一人で、国の代わりになるなんて思っていない。
けれど、私にはほかに何もないの。アンタが好きで、任務も果たしたくて、どちらも投げ出したくない。そんな私を、格別だと言ってくれたでしょう。
お願い。私の手の届かない話を、ここで終わりにしないで。
「……くくっ……! あっはっはっはっはっ!!そうさなあ! 違いない!人魚姫の心も体も奪っておいて、神ともあろう男が『何もなし』じゃあ……男がすたるってぇもんだよな!」
……もう。そんなに笑わなくてもいいでしょう。
こっちは必死だったのよ。
「…………ふう。やれやれ。主神が女一人に骨抜きにされてこのザマとは。神々が草葉の陰で泣いていますよ」
「良いだろう! テティス、お前のその覚悟と色気に免じて、ポセイドンと直接話をしてやろうじゃねえか!」
「はっ!! ありがたき幸せにございます!!」
やった。
お話をしてくださる。私が条件を説明できなくても、ポセイドン様から直接、お望みを伝えていただける。
何もできずに帰ることにはならなかった。
「…………はあ……。もう無理だぜ、これ以上威厳を保つのは。テティスにそこまで真っ直ぐ頼まれちゃあ、嫌だとは口が裂けても言えねえしな!……だがな、あくまで話を聞くだけだぞ? ポセイドンの言い分次第じゃ叩き出すし、アスガルドをどう動かすかは話を聞いてからだ。そこは保証しねえぞ?」
「グリム…………」
頭を掻く手つきも、座り直した時の姿勢も、知っているものに戻った。
そうよね。私に頼まれたからといって、国の人たちを戦いへ送り出せるはずがない。そこを曖昧にしないのも、この人なのね。
「だがよ……!少なくともこの俺だけは、何があっても絶対にお前の味方をしてやるよ!!」
「グリム……っっっ!!」
立ち上がると、もう足が動いていた。
好きになった人が、神様だった。
味方でいてくれるのね。無茶なお願いを、正面から突きつけた後も。
「お、おおっ! よしよし、可愛い奴め!」
抱き留めてくれる腕が温かい。
昨日と同じだわ。
少し落ち着いたら、ちゃんと顔を上げるから。今はもう少し、こうしていさせて。
◇◇
……羨ましい。
あんなふうに駆け寄って、ためらいなく胸へ飛び込んでくるなんて。撫でながら、よしよしと迎えてあげられるなんて。
どうして男なのかしら。女同士なら、どれほど麗しい光景になったことか。
いえ、主神様のお選びになった相手に、私が何かを申し上げるつもりはありません。テティスも、あれほど幸せそうなのですから。
ただ、私にもああいうことがあってよいと思うのです。
セラフィナも、私のところへ駆け寄ってくれないかしら。いつもお仕事の話ばかり。信頼してお任せしているのは確かなのだけれど、たまには書類を持たずに来てほしいわ。
……その前に、海界の件ね。
ニーベルンゲン・リング。その名を聞くのも不愉快だわ。あんなものを送ってきた相手が、今度は同盟の申し込みだなんて。
沙織が呪いを消してくれなかったら、私はどうなっていたのか。国を戦争へ向かわせていたかもしれない。
私はアスガルドの代行者。ここに暮らす人たちを、他国の神のために死なせるつもりはない。
主神様が対話をお許しになった以上、席は設ける。結論はその後。そこを取り違えなければよいのね。
それはそれとして、あの抱擁は羨ましい。
「ヒ、ヒルダ様ーーーーーッッッ!!!!」
何?場所を考えなさい。
「何事ですか、無礼者!! 主神オーディーン様の御前であるぞ!!」
「も、申し訳ございません!! しかし緊急事態でございます!!先ほど、アスガルド公営飛行場に地中海よりプライベートジェットが着陸いたしまして!そこから、地中海の海商王ソロ家の若き跡取り――ジュリアン・ソロ様が、直々にワルハラ宮殿へ向けてお越しになられました!!」
「ソロ家の跡取り……? なぜそのような実業家が、アポもなしにいきなり……。客間に待たせておきなさい!! 繰り返しますが、今は神の――」
「そ、それが……恐れながら!! 恐れながら申し上げますッ!!そのジュリアン・ソロ様は……自らを『海皇ポセイドン』と堂々名乗り、宮殿正門でまっておりますッッッ!!!!」
「なっ…………何ですってぇぇぇぇぇっ!?」
今、この宮殿の正門にいるというの?
対話をすると決まったばかりよ。使者を帰すどころか、連絡さえ入れていないはずなのに。
「……おい、テティス」
「は、はい……! 間違いありません!そのジュリアン・ソロ様こそが、現代におけるポセイドン様の魂を宿した、真なる海皇ポセイドン様ご本人です!!」
「神自らが……軍勢も率いず、北欧へ乗り込んできたというの……!?」
テティスも驚いている。では、彼女が呼んだわけではないのね。
「ヒック……! よい。ヒルダ様よ、通してやれ。自らがわざわざ海を越えて挨拶に来たってんなら、門前払いするわけにもいかねえだろうよ」
角杯の酒を飲み干す音が聞こえた。
◇◇
……来た?海皇がここへ。
口を閉じるのに苦労した。声を出すな。今のお前はセラフィナだ。ただ驚いていればいい。
驚いてはいる。演技など要らん。
何なのだ、このタイミングは。
テティスが自分の身体と心を持ち出した時は、頭を抱えそうになった。主神に対して、ほかに差し出すものはないのかと。
だが、通った。
同盟の承諾は得ていない。しかし、海皇と直接話すと、オーディーンが口にした。そこへ話を持っていったのだ。
対話の約束が取れて驚いていたら、その直後に本人が到着するとは。
……覚醒したのか。
神としての記憶も判断力も完全に取り戻した? 昨夜の妙な返答は、その直前の不安定な状態だったということか?
それなら、朝の指示が急に変わった理由は説明できる。
だが、この到着時刻はどうだ。
まるで、この場の会話を聞いていたかのようではないか。
拒む理由を与えず、対話の約束をそのまま実行させる。
偶然なのか?
偶然にしては、出来すぎている。
テティスが惚れられたことさえ、把握していたのだろうか。
いや、そこはわからん。勝手に話を膨らませるな。本人が来れば、確かめられる。
【アッシュの用語集】
■オーディーン
北欧神話の最高神。
知恵、詩、戦争、死などを司る存在だ。
自ら片目を差し出して知恵を得たという伝承も有名だな。
アスガルドの主神だから、当然ながら代行者ヒルダより上位の存在だ。
まあ、実際に会ったことはないんだが。
伝承どおりの人格なのかどうかまでは知らん。
■神々の黄昏(ラグナロク)
北欧神話における、神々と巨人たちの最終戦争。
多くの神々が命を落とし、世界そのものが大きく変わる。
単なる戦争ではなく、世界の終焉と再生に関わる事件だ。
神話の話としては知っている。
ただ、この世界の神々が実際に何を経験したのかは、また別の問題だろうな。
■ニーベルンゲン・リング
代行者ヒルダに関わる、極めて危険な指輪。
ヒルダの意思を歪め、アスガルドを戦乱へ導きかねなかった代物だ。
沙織ちゃんが呪いを退けたことで、危機は回避された。
また同じようなことが起きないようにしたいところだな。
■神の使者
神から命令を受け、外交や交渉を行う者。
使者を受け入れることと、その要求を承諾することは別だ。
ここは非常に重要だぞ。
相手の話を聞くからといって、国の利益や民の命まで差し出してよいわけではない。
国家間の外交とは、そういうものだ。
■ジュリアン・ソロ
世界的な海運王ソロ家の若き跡取り。
十六歳の誕生日を迎えたばかりだ。
俺の知る原作では、この年齢が海皇ポセイドンの覚醒に関わる重要な節目となる。
だからこそ、身辺には十分な警戒が必要だ。
……頼むから、何も起きないでくれよ。