「よし、できた」
海北星夜は精神的な疲労感と、深い満足感とともに頷いた。
フランス菓子のペーシェだ。
卵黄と牛乳を溶いて温めたアングレースソースにイタリアンメレンゲを加えて、ムースを作り冷蔵庫で固めたお菓子だ。
ムースの中には桃のシロップ漬けが入っていて、土台にはスポンジケーキを施している。
今回は大量生産に成功して、3つのホールケーキを完成できた。
海北提督は休日の際は、いつもお菓子作りに励んでいる。
もはや彼の休日のルーティンと言っても良かった。
「じゃあ、持っていくか。グロワールが喜んでくれるといいんだけど」
彼はケーキをカットし、人数分を小型の使い捨て紙ケースに入れると、フランス寮に足を向けた。
「ようこそおいでくださいました、提督」
海北提督がフランス寮の玄関に取り付けられた呼び鈴を鳴らすと、時を待たずにグロワールが対応してくれて、寮の中に入れてくれた。
グロワールは海北星夜をラウンジのテーブルに案内すると、共有スペースの台所に行ってお湯を沸かし始めた。
やがて、グロワールが帰って来る。
「はい、提督。アールグレイです。ごめんなさい、提督が好きなアップルティーは今ここには無いの」
「いや、アールグレイの方が今はちょうどいいよ。ありがとう、グロワール」
海北提督は持ってきたエコバッグの中から、ペーシェの入った箱を1つテーブルの上に出す。
箱の留め具を外して中身を取り出した。
「今日はこれを作って来たんだ。グロワールにぜひ感想を聞きたくてね」
「まあ、ペーシェですか!これはアールグレイで正解でしたね」
グロワールはさっそく海北提督が合わせて持って来たフォークを手に取って、ケーキを味見する。
ケーキを口に入れた瞬間、彼女は表情をほころばせた。
「ムースがなめらかに仕上がっていますね。桃の風味もよく味わえる……。今の季節にぴったりですね」
「ありがとう、喜んでくれたみたいで嬉しいよ。他のフランス艦の分もあるよ。」
グロワールの反応に、海北提督は心の内だけでは抑えきれない、大きな喜びを覚えた。
フランス寮からの帰り際には、グロワールが玄関まで見送りに来てくれた。
「じゃあ、また新しいのが出来たら味見と感想を頼むよ」
「ええ、新作を楽しみに待っていますよ。うふふ」
海北提督を見送るグロワールは、不敵な笑みを浮かべていた。
今日は本当に素晴らしい日だったと、フランス寮から執務室に帰るまでの道のりで、海北提督は舞い上がっていた。
やはり、自分の作ったケーキを誰かに喜んでもらえるのはいいものだ。
彼がそのように深い満足感を覚えながら歩いていて、イギリス連邦寮にさしかかった時だった。
ブロンドの美女が、杖をつきながら向こうから歩いて来るのが見える。
ウォースパイトだ。
彼女は、艦装を外した状態だと足が痛むらしく、非戦闘時は杖をついて歩いている。
海北提督は作戦会議の場において、彼女にだけは座って参加することを許していた。
「あら、
「……こんにちは。麗しき武勲艦、ウォースパイト」
海北提督は、実はウォースパイトの事が苦手だった。
彼女から発せられる高貴さに、思わず委縮してしまうのだ。
実際、16歳の少年に貴人の相手をつつがなくしろ、というのも酷ではあった。
「提督はまたフランス寮に?グロワールさんの事をとてもお気に召しているのね。……でも、私たちの事も気にかけて欲しいわ」
「……」
それは、いと高き所から下る”勅命”だった。
彼女の穏やかな声には、聞く者を従わせる響きが伴っていた。
「
「わかった。後でシェフィールドに持って行かせよう。……あまりフランス寮に肩入れし過ぎるのは控えることにする。諌言に感謝する」
形だけは上官の体裁を整えながらウォースパイトに返答すると、海北提督はメッキが剥がれてはかなわないとばかりに、足早に執務室への帰路についてしまう。
その後ろ姿を、ウォースパイトは寂しそうな表情で眺めていた。
執務室に帰ると、シェフィールドが頼まれもしないのに窓拭きをしていた。
窓をピカピカに磨きながら、シェフィールドが振り返る。
「お帰りなさい。……待ってて、今君の好きなアップルティーを入れる」
「いや、今日は俺がアールグレイを淹れよう。シェフィールドはソファに座れ」
「いや、でも」
「いいから!これは上官命令だ」
しぶしぶとソファに座るシェフィールドを横目で確認すると、海北提督は少しまごつきながらも、教本に書かれたような手順で紅茶を淹れていく。
アールグレイとともに、先ほど作ったペーシェもシェフィールドに出す。
少し驚いた様子のシェフィールドに、海北提督は咳ばらいをした後、感謝の言葉を紡いだ。
「いつも執務室を綺麗に保ってくれてありがとう。それはそのささやかな礼だ」
「ありがとう。……これ、君が作ったの?」
「そうだ。後でホールケーキを一つ渡すから、イギリス連邦寮に持って帰るように」
そう言うや否や、海北提督は執務室の椅子に座り、書類仕事を始めてしまう。
シェフィールドは紅茶を一口含むと、ペーシェにフォークを入れた。
口に運ぶ。シロップ漬けされた桃の甘みと酸味が、口全体に広がった。
ちなみに次の日の作戦会議で、日本寮、イタリア寮、及び中央ヨーロッパ寮の代表から、自分たちにケーキが配られないのはおかしい、という抗議があがった。
海北星夜は、次の休日もペーシェを作る羽目になった。
諸事情により、この二次創作は更新停止になります。
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