料亭・観山は、東京・神楽坂の裏通りにひっそりと構える数寄屋造りの老舗である。創業は明治初年、すでに百年以上の歴史を誇り、今や「和食界の重鎮」と評される名門であった。
その観山の四代目当主の次男として生まれたのが、私──外山蓮(とやま・れん)である。
だが、観山を継ぐのは兄・真一と決まっていた。兄は幼少から型を重んじる料理を叩き込まれ、祖父や父からも絶えず「お前こそ観山の器だ」と言われてきた。一方の私は、幼い頃からその型にはまることを拒み、時に刺身を「もっと違う温度で食わせろ」と言って親の逆鱗に触れた。
「料理人は、血ではなく舌で決まる」
それが、私の信条だった。
十八の春、家を出て、独学で全国を放浪しながら料理を学び歩いた。漁村でイカの干し方を覚え、山村で天然の山菜を摘んで炊き込みご飯を作り、フランス人のシェフと共にジビエのソースを煮詰めたこともある。
その姿勢が──ある日、美食倶楽部を主宰する男、海原雄山先生の目に留まった。
「くだらん自己満足の料理人は掃いて捨てるほどいる。しかし、お前の料理には舌の誠実さがある。……来い。お前に本物の“場”を見せてやる」
その言葉と共に、私は美食倶楽部の厨房に立つことになった。
すべてが異次元だった。素材、包丁、火加減、水ひと滴に至るまでが、観山では味わえなかった緊張感と理に包まれていた。
そして今日──
私は尾形乾山の染付皿に、薄く引いたイサキの刺身を並べていた。
白く透ける身を、梅酢と若布のジュレでわずかにあしらい、皿の意匠と共鳴させるように盛りつける。その瞬間、背筋に電流が走るような快感が走った。
「ああ──これが、自由な料理の悦びだ」
血筋でも、家系でもない。ただ、純粋な料理の美しさと対峙する時間。
その皿を受け取った雄山先生は、一瞥したのち、箸をとった。
「……観山の名は捨てたのか?」
唐突な問いだった。私は正面から答えた。
「観山は兄のものです。私は、舌の導くままに行く料理人です」
雄山先生は一口、イサキを含み、咀嚼した。
その目がわずかに細められた気がした。
美食倶楽部・厨房
朝の美食倶楽部の厨房には、まるで神前のような静謐が漂っている。
包丁の音すら、音楽の一部のようだった。
その中心に立つのは、美食倶楽部の厨房主任──中川得夫である。
彼が扱うのは一尾の天然鯛。細身の柳刃包丁が、まるで風を裂く羽衣のように流れる。骨に沿って刃を滑らせる様は、もはや解体ではなく舞いだった。
スッ……シュル……トン──
音は控えめで、無駄が一切ない。滑らかに流れる手元から、美しい刺身が一片また一片と皿に並べられていく。
「……っ」
私は息を呑んだまま、その背中に見入っていた。
中川さんの手元を焼きつけるように見た。刃の入れ方、指の角度、力の抜き方──記憶に刻む。包丁を握り直すと、自分のまな板の上に置いた鯛に刃を入れた。
うまくいった。背骨の感触が手の中で震える。皮を剥ぎ、身を引く。視線の隅に、中川さんがふとこちらを見たのがわかった。
そして、そのすぐ後ろから重く、静かな声が響いた。
「……真似をするな」
雄山先生だった。
背筋に冷たい刃物をあてられたような緊張が走る。
「蓮、貴様の包丁は器用だ。技術はある。しかし、それでは“中川の模倣”に過ぎぬ」
雄山先生の視線は、私の包丁ではなく、その先に並ぶ刺身に注がれていた。
「料理人の真価は、舌と感性で決まる。己の創造を見せてみろ。中川の後をなぞるな。そこから“発展”させてみせよ」
私はすぐに返事ができなかった。
中川さんが黙って私の傍に寄り、静かに口を開く。
「蓮くん。私の仕事を見て真似るのは悪いことじゃない。だが……」
そこで言葉を切り、彼は自らが仕上げた刺身の皿を指差した。
「これは“私の鯛”だ。君が盛りつけた皿には“君の鯛”が必要だ」
“君の鯛”──それはつまり、技術の上に立つ、個性と信念。
観山にいた頃、私は父や兄の料理に反発していた。型にはまることを拒み、自由を求めて厨房を飛び出した。
だが今、私はまた誰かの背中をなぞっていたのだ。
私は目の前の鯛を見つめた。もう一尾、捌いてみよう。中川さんのようには切らない。雄山先生の言葉を、胸に刻みながら──
背から皮を引く角度を少しだけ変え、昆布締めを挟む構成を頭に浮かべる。甘みを引き出すために低温でしめたジュレを添え、乾山の皿の余白に季節の風景を投影するように盛りつけた。
それは、私にとっての“鯛”だった。
中川さんは静かにうなずいた。
雄山先生は、なにも言わず一切れを箸で取り口に含んだ。
そして、微かに、唇の端を持ち上げた──ように見えた。