【完結】転がり落ちた雛鳥は、   作:扇架

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時間軸は七巻。ネタバレあり。


うつくしごと

――闇祓いは

 家庭を持たない者が多い。

 自分だけならまだしも、伴侶や子どもを危険にさらしたい者はいない。だから家庭を持たない。独り身を貫く。

 それはそうだろう、とルキフェルはわかったつもりでいた。だが、それはただの「つもり」でしかなかった。

 バグノールド邸の正門前。ルキフェルは右手を掴まれている。小さくて、柔らかい手に。硬質で、美しい手に。簡単に振りほどけるはずだし、優しく引き剥がしてもいいのだ。ルキフェルにはそれができる。なにせ相手は女で、ルキフェルは男で。力の差があるのだ。魔法族であろうとも、肉体の差異はある。

「……シスネ」

 掠れた声がこぼれ落ちた。もっと毅然と言わないといけないのに。もう行かないと、と。務めがあるからと。

――なるほど

 他人事のように思う。思おうとする。闇祓いが家庭を持たない理由。できることならば恋人も持たない理由。職務を遂行するにあたり、障りになるから。簡単にまとめればそういうことになる。

 そんな生易しいものではない。

 溺れそうだ。

 情けないことに、いけないとわかっていても、一人の女に溺れそうになっている。職務など放り出したいという欲求に膝を折りそうになっている。

 余裕なんて消し飛びそうだ。きっと、ルーファスの亡骸を回収したせいだ。首無しの身体をどうにか連れ帰った。血みどろの執務室はひどい有様だった。二日経った今も、鼻腔に鉄錆の香がこびりついている。シスネの顔をみたら、少しマシになったけれど。

 魂のない身体の重みが、未だにルキフェルに襲いかかっているようだった。亡骸というものは、酷く重い。死んでいるからこその重さ。

「……そろそろ、」

 言おうとして、口を閉じる。どうしてもこの時を引き伸ばしたいと心が訴えている。十代の少年じゃああるまいし。公私の切り分けはすべきだと心の半分はたしなめているが、まったくどうにもならなかった。そのくせ、闇祓い試験を突破した優秀な頭脳は忙しなく回転し、口実を捻り出そうとする。側にいられる口実を。

 ふと思いついて、片手をポケットに入れた。乾いた感触を探り出す。

「もうすこし、あらたまった場で渡したかったんだけど」

 取り出したのは封筒だ。手を、と言えばシスネはルキフェルから手を離した。ぬくもりが去っていく。それを惜しく思い――ちりちりとした痛みを感じた。シスネの片腕を斬り落としたのはルキフェルだ。それは永遠に変わらない事実だ。銀の左腕が大層美しくとも、生来の肉体の代わりにはなり得ない。

 シスネは片手を伸べる。右手だ。ルキフェルは封筒から取り出した輝きを、そっと彼女の手のひらにのせる。

「指輪でなくてすまないけれど」

 ずっと持ち歩いていた。どこかで渡せればいいと思っていた。何かのついでのように渡すつもりはなかったのだ。本当は。

「高祖母の耳飾りだ」

 君が持っているほうがいいだろう。

「強い守りだ」

「よいものなんでしょう?」

 この輝きは、小鬼の品でしょう。シスネはまじまじと耳飾りを見ていた。ルキフェルは頷いた。高祖母――先視の魔女の品は、数代を経て筆頭分家のクロードに受け継がれた。当代一の先視。シスネの母方の従姉にあたる。

『高祖母は月の名を持っていた』

 だからレディ・シルヴァーに渡しなさいな。きっとそれがふさわしいから。

 そう言って、クロードは気軽に渡してきたのだ。装飾品を。

――婚約者だし

 変ではないはずだ。男女間で装飾品を贈ることには多少、特別な意味がある。貴族の古臭い慣習。あるいは伝統的な習わし。

「……いいの?」

 義手だってつくってもらったし、とシスネは眼を伏せる。

「ナイアードは楽しそうに作ってたからいいんだよ」

 あいつはちゃらちゃらしてるが、誰かのために働くのがけっこう好きなんだ。だから構わない。対価はファッジの懐に手を突っ込んで「償って」もらったわけだし。お母君は容赦ない。さすがドラゴンだ。茶化すように言う。それでもシスネの顔は少し曇っている。なんだか初めて会った時のことを思い出してしまった。護衛がいてもどこか寂しげだったあの姿。

 確かシスネが十三歳、ルキフェルが二十歳。ざっと十二年前だ。闇祓いの採用教育の仕組みは変則的だ。通常ならば試験に合格し、三年の研修を経て実戦に投入される。いわゆる「正式な」闇祓いである。ルキフェルはこの正式な闇祓いであるが、研修は約二年で終了した。第二次紫薇戦争、ヴォルデモートの台頭による傷痕が癒えていない頃だった。研修生だというのに実戦に放り込まれたし、その研修も短縮されて約二年であった。

 その逆、臨時の闇祓いとはなにか。例としてクロードやナイアードを挙げる。彼らは正式な闇祓いではない。闇祓い試験に合格はしている、有資格者というやつだ。助っ人である。多少の研修は受けているが、みっちりきっちりは受けていないし、彼らは臨時ならいいが正式は……である。

 これは一例であって、闇祓いが実力者をひっぱってきて臨時で使うなどもある。穴埋めで助っ人だから。

 穴埋め要員なくせにナイアードは闇祓い試験の試験官もしたが。

 変則的な過程を経て研修を終え、晴れて新人闇祓いとなったルキフェルは、ご息女の護衛となった。ミリセント・バグノールドの息女。当時は大臣の息女……シスネと出会ったのだ。

 笑ってくれればいいな、と当時は思った。ルキフェルは彼女の護衛であった。別に彼女の精神まで案じてやる必要はなかった。畢竟、護衛対象の肉体を守れればいいのである。割り切ればそういうことになる。しかし、そう簡単に割り切れないのが人間だ。護衛対象の身の安全はもちろんのこと、できるだけ憂いなく過ごしてほしいとも思ってしまうものだ。

 今もそうだ。護衛対象ではなく、婚約者となった彼女に、あまり悲しい顔はしてほしくなかった。言いはしないが。悲しい顔をするな、明るくしていろと言うのも押し付けだろう。誰だって心の自由はあるのだ。ルキフェルは、常に笑顔の都合の良いお人形を婚約者にしたつもりはない。闇の中から掬い上げるための、名ばかりの婚約であった。形だけのはずだった。仮初を本当にしたいと思ってしまった……。

――執着か

「付けて差し上げよう」

 僕の婚約者殿。ついつい「僕の」を強調してしまう。笑ってしまうくらい餓鬼である。

 返事を聞かず、彼女の手から耳飾りを掬い取る。

「意匠が気に入らないのなら、製作者に頼みに行くこともできるよ」

 まだご存命でね。高祖父母の友人で、ロドゴクというんだ。

「作り変えるなんて」

 シスネが小さい声で言う。ルキフェルはにっこりした。よし言質はとった。申し訳ないから返します、なんて言わせるものか。

「失礼」

 断ってシスネに身を寄せる。そっと耳に触れた。幸い、穴は空いている。あの暗闇で、シスネが耳までどうにかしなくてよかった。狂気に耐えるために爪まで剥がしてのけたのだ。やりかねなかったし、迎えに行くのが少し遅ければどうなっていたことか。

 思わず、彼女の耳朶をなでる。指先で、いたわるように。あるいは愛でるように。静かに、銀色を付ける。右が終わって、左も終わって。

 身を離す。白銀の髪、眉も睫毛も同じ色。そして耳には澄んだ輝きがある。

 ルキフェルは身勝手な、我儘な思いを自覚する。執着を認識する。

 もはや溺れ、戻れないこともわかってしまった。

 闇を祓う者は伴侶を得るべきではないのだろう。安全を考えるのならばそうするべきだ。正解なのはその路だ。

 だけれど、感情はそんな理屈を蹴り飛ばす。

 きっとリーンがシリウスを選んだように。その手をとったように。

 きっとアリスとフランクが手を取り合ったように。

 ルキフェルも不正解を選びたい。

 勝手に決めた婚約で、それでも彼女はいいと言ってくれた。巡り合いは偶然ではなく必然になった。

 なにもこんな物騒な職の男を選ばなくてもいいのに。もっと穏やかで堅実な男もいたろうに。

「似合っているよ」

 そっと(うつく)(ごと)を口にした。

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