【完結】転がり落ちた雛鳥は、   作:扇架

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二話

 最初から思っていたのか。それとも後から思いこんでしまったのか。クラウチ家に、シスネの席はなかったように思う。誰も彼も「ジュニア」を構うのに忙しかった。シスネは兄のおまけのようなものだった……そんな印象が、朧な記憶がこびりついている。今となっては詮無いことだ。幼い時の記憶など簡単に書き換えられてしまうもの。

 確かなのは、細波一つ立っていなかったクラウチ家を激流が飲み込んでしまったこと。滑らかに、退屈とも思えるほど平坦な道のりを進んでいたというのに、突如として段差が現れたこと。こちらとあちらを隔てる――罪のある者とない者を隔てるものが。

 母は息子を思って泣くばかり。うっとうしいまでにすすり泣き、優しい息子がはめられたのだと呻いていた。

 闇祓いに連れて行かれ「事実」を突きつけられても首を振っていた。そんな恐ろしいことをしでかすはずがないじゃないの。どうやったらあんな……惨い……。

 彼女はぶつぶつと呟き、泣くことに忙しく、己を襲った悲劇に耽るのに夢中で、己が産んだ娘のことなど視界に入っていなかった。シスネはただ息を殺し、透明人間になったかのように、ただクラウチの邸の中に存在していた。兄が見せてくれた透明マントを思い出し、ロングボトム邸へ行った時に使ったのだろうか……と考えては暗い気持ちになった。シスネは母とは違って兄がなにか悪いことを――とてつもなく悪いことをしたのだと確信していた。

 父はどうだったか。兄が本当に罪を犯していてもそうでなくても、どちらでも同じだったのだろう、と思う。どちらにせよ兄がクラウチの名に傷を付けたのだし、バーテミウス・クラウチの名誉もなにもかも踏みにじり、泥をかけ、あざ笑った。彼の関心もまた兄に向いて、シスネは打ち捨てられた。

 そしてある日、青ざめ、頬のそげた父親に「出かけるぞ」と言われた。弾むような気持ちだった。ウィンキーに言って、お気に入りの服を出してもらって、大急ぎで階段を降りて、転びそうになって。父は、そんな娘をどんな気持ちで見ていたのだろう? 眼を輝かせた――星のように輝かせた愚かな娘と思っていたのか。哀れんでいたのか。自分とも妻とも息子とも似ていない娘の容姿に、どこかで嫌悪を感じていたのか?

 なんにせよ、父は娘の勘違いを訂正しなかった。ただの外出だという顔をして、娘に手を差し出した。重ねられる小さくて柔らかい手と大きくて乾いた手。

 行ってきますウィンキー。「坊ちゃま」がどこかへ行ってしまってから、しぼんでしまったかのような小さな妖精に手を振って。

 二度と戻ってこられなかった。

 雛は巣から落とされた。

 ほかならぬ、父の手によって。

 ◆

 クラウチめ、と。

 夜の森に、囁きが渡る。

 クラウチめ、どこまでも不運な男

 なにせ息子が――挙げ句にしもべまで

 

 しかし、だ。息子とてクラウチの身から出た錆だろう

 厳しくしすぎたのか……育て方が悪かったのか、胤か胎が悪かったのか。

 くすくすと、実に楽しげな声。一度は大臣の椅子に手を伸ばし、掴みかけた男の転落をあざ笑っている。

 シスネは歩調を乱すことなく、森を行く。隣にはセーミャがいる。背後からついてくるのは護衛の闇祓いだ。今夜はルキフェル・リアイスの番らしい。誰も彼もが無言だった。空に浮かんで散った闇の印が、不用意に口を開くことを躊躇わせているようだった。

 背ににじんだ汗が冷え、ひどく気持ちが悪かった。いいや、どこもかしこも不具合を起こしているようだった。いっそ脳に障害でも負っていて、ばかげた夢を見ていればいいのに――とまで考えて、胃が痙攣した。手で口を覆う。こみあげてくる何かを必死に飲み下す。

『ロングボトム夫妻は』

 静かな声が響く。過去から、逃れようもなく。

 養母、庇護者――ミリセント・バグノールドの声。彼女は机の向こうからシスネを見て、淡々と告げた。これは君がしでかしたことではない。だが、詳細を知っておくべきだと思う。酷い親だとなじるならなじればいいさ。そうして、少し息を吸った。

 ロングボトム夫妻は生きている。けれど、生きているだけだ。壊されてしまった。何時間も拷問されて――夫妻は限界を迎えた。

 ぷつ、と「母」は言葉を切った。かすかに震える声で続けた。

 いいや、限界を越えたその先まで踏み込んでしまった。フランクとアリスが柔ならよかったのだ……なまじ耐えて、耐えて……しまったために……。

 生きているのに死んでいる、自分たちの息子のこともわからない。

 シスネ。

 お前は兄がどんなことをしたのか、どれほど残虐か知らねばならない。

 あれは。

 私に言わせれば怪物だ。

 ああ、ヴォルデモートの居場所を吐かせるため? いくらベラトリックスが狂っていようが、何度か試せばわかったはずだ。あれが求める「我が君」が消えてしまったことなど。夫妻が知るはずもないことを。うち止めて殺すなり、さっさと邸から出て次を当たれば済んだのだ。

 しかしベラトリックスは……一味は拷問を続けた。どのようなものだったか詳しいことは言うまいよ。お前はもう少し大きくなって、惨かろうがなんだろうが知りたくなれば、書類を取り寄せてやる。

 あれは暴力に酔いしれて、いつしか「我が君」の居場所を吐かせるという目的すら失って、暴力こそが目的となったのだ。

 死よりもなお悪い運命を、夫妻にもたらしたのだ。

 

 ちゃん、と硬いものがふれ合う音に、シスネは飛び上がりそうになった。

――父がまた

 私を売り渡そうとしているのか。ガリオンの詰まった袋を置いて、それはちゃりんと音を立てて――グリンゴッツの鍵もいくつも渡して――バグノールドの邸に置き去りに……。

「飲んで」

 混乱という名の霧が晴れる。シスネはふっと息を吐いた。広々としたテントの居間は綺麗に整えられている。卓の上には茶器があった。ガリオンのふれ合う音だと勘違いしたのは、茶器の音だ。

「ありがとう」

 向かいに座るセーミャに弱々しく言って、少しぬるめのハーブティーを口にする。ちゃんと飲み干さないといけないだろう。セーミャには散々世話をかけた。森で嘔吐した哀れな友人を、テントに連れて帰ってくれたのだし。闇祓い長官のテントを襲う愚か者がいたら見物だわと言って。

 あらゆる守りが仕掛けられ、敵鏡や隠れん防止機もある。壁には剣が何振りか。いざとなれば、父子で剣も使うのだろう。杖がないときの防衛手段はいくつあってもいい。

 ちら、と居間の隅、小さな卓のほうを見る。セーミャがこのテントは安全だと言った理由の一つがそこにいる。静かに茶を飲んでいた男が、ちらりとシスネを見た。ルキフェル・リアイス。闇祓い長官息女の護衛――ではなく、シスネの護衛だ。名目上は「元大臣の息女」の護衛。実態は「バーテミウス・クラウチ・ジュニアの妹」の監視。兄からいかなる影響を受けているかわかったものではない、ということだろう。

――バグノールド家の養女となっても

 兄の影はついて回る。

 震える拳を握りしめた時、テントの「扉」が開き、黒衣の影がやってきた。背の高いその影は、獅子の眼でテントを見回し、少しだけ長くシスネに眼を留めた。

「闇の印を打ち上げた者はわからなかった」

 クラウチの妖精だけが現場に倒れていた。彼は事実だけを述べていく。セーミャが咎めるように彼を――ルーファス・スクリムジョールを見る。だが、スクリムジョールは「この娘はバグノールドだ」と言い切った。

――ミリセント・バグノールドに共有しておけ

 そういうことだろう。シスネは軽く頷いた。

 

「……表向きは酔客による騒ぎ」

 実際は死喰い人が混ざっていた。

 簡単な第一報を養母に飛ばし、スクリムジョール家のテントで夜を明かし、シスネは護衛のルキフェルに引きずられるようにしてバグノールド家へ戻った。

「闇の印を見て逃げ出すような腰抜けだったようですが」

 シスネは付け加える。ソファでだらけながら、養母はふんと鼻を鳴らした。

「そりゃあそうだろうよ。なにせマルフォ……どこぞの竜をはじめとして、巧くくぐり抜けた側だからな。偉大なる闇の帝王がお隠れ遊ばしても、忠義よりも利をとったわけだ」

 闇の印を打ち上げた誰ぞは、腹に据えかねたのだろう。あるいは。

「『例のあの人』などもういない、クィディッチワールドカップを開催できるほどに安全だ、という神話を壊したかったか」

 椅子に腰掛けたシスネは、ぽつりと返す。あれこれあってくたびれ果てて、卓にだらりと伸びている有様だ。とてもではないが元大臣息女には見えないだろう。

「私は衝動的な犯行だと思うがね」

 安全神話を壊したいなら、試合の最中にでも打ち上げればよかった。あの時ならば各国の貴賓や名のある貴族たちが確実にその場にいたろうからね。

「もっと手っ取り早いのなら」

 養母の言を引き取る。

「襲撃を仕掛け、のろまな貴賓を一人か二人しとめるか怪我をさせるか」

「ああ、ファッジとか?」

「……一応あの人、元は魔法警察でしたよね?」

「あいつ、大臣になったのをいいことにちょっと調子に乗っていいもの食べて腹が出てきたらしいから」

「あなたの後任でしょう」

「お前の「のろま」リストにファッジが入ってたろう。血も涙もない娘だよ」

 私なら、貴賓の子女たちを狙うがね。効果的だ。養母はさらりと言う。シスネが血も涙もないのなら、それは養母のせいもあるだろう。

「どこかに隠れ死喰い人がいるのだろうね」

 養母の声が一段低くなる。切れ長の眼を細め、煙管――土御門からの贈り物――に口をつける。ややあって、紫煙が室に満ちる。それは蛇を形づくり、ゆらゆらと宙を泳いだ。

「腰抜けどもにとっては恐ろしかろう」

 その「隠れ」がどれほどの怒りを憎しみをため込んでいることかわかったものじゃない。

 捨てたと思った過去、忘れようと思ったはずの影。

「……どこにいるのかもわからない、誰なのかもわからない」

 亡霊だ。

 養母の皮肉げな声が、煙色の蛇をかき乱し、砕いて消した。

 

 

 雨が、降っていた。

 細い細い糸のような、銀色の滴が。

 息子が死んだと知らされた時もこんな雨だった……と思う。妻は悲嘆のあまり死んでしまったとされている。彼は月に一度墓を詣でる。土の下になにがあるのか――いいや、なにがないのかを知っているのは彼だけだ。詣でるたびに、妻の名の刻まれた墓標が彼に訴えかける。犯した罪を。最期の願い、最大の間違いを。

 しとしと、しとしとと、雨が。

 妻の嘆きを思わせる……静かに耳につく……。

 魔がやってくるのは冬の夜だ。太陽が隠れ、威光を陰らせる季節にこそ、魔は跋扈する。

 ありえないことだ、と彼は思う。ありえてはならないことだ。招かれざる客に抱えられた何かが、にぃと笑う。ちかり、と紅色が光った。禍つ星の色彩が。

 雨が降る。雨が降る。嘆きは終わらない。静かなその音が彼を浸食していく。からめ取る。ああ、十数年前ならば撥ね除けられたかもしれない。しかし彼は弱っていた。罪を犯したという事実が、彼を夜毎に苛んだ……。

「お前はいつもと変わらぬ日々を過ごすのだ」

 なにもなかったのだ。

 魔が囁く。見えざる呪縛を振り払おうとする。ここで屈してしまえば、あれを野に放ってしまう。

「バーティ」

 我が息子よ! 迎えに来たぞ!

 魔は高らかに笑う。

 お前の息子ではない。そう言おうとする。しかし、口がきけなかった。ぼうやりと「それ」を見るだけ。なり損ないのなにか。この世でもっとも醜い生き物。

 ジュニアは、と灼けつくような思惟、砕けそうな思考の切れ端が漂う。ジュニアは、私たちがこの世に生み出した息子だ。そして怪物だ。本当ならば責務を果たし……するべきだった……。

 呪縛が食い込んでいく。そうして頭の中を覗かれる。力を振り絞る。もはや屈服するのは確定している。ならば――せめて……。

 娘を。

 彼が巣から出した娘を、せめて守らねばならない。

 あれは娘ではない。切り捨てた。いらないと言った。邪魔だった。だから外へ出した。

 娘ではない。娘ではない。女などいらない。利用価値などない。今やあれはバグノールドの子。ジュニア、お前と妹は永遠に隔てられた。

――お前の側にはけして渡さない

 覗く「眼」に、見せたいものを映し出す。息子も娘も切り捨てた、父親の姿を。

 泣き叫ぶ娘を引きずっていく姿を。

 ガリオンと鍵をこれみよがしに見せつけて。

 

 帰りに、ぬかるんだ道に転がった、小さな靴を見つけた。彼はかがみ込み、汚れるのも構わずそれを拾い――。

 意識は闇に沈んだ。呪縛に満ちた海の底に。

 

 

 

 

 日刊予言者はここぞとばかりに魔法省の失態をあげつらった。昨年のシリウス・ブラック逃亡からこっち、魔法省の信頼度は低下の一途を辿っている。ブラック脱獄、ホグワーツへの侵入、捕らえたと思えばまた逃がした、と失態に次ぐ失態。挙げ句にクィディッチワールドカップでもへまをした。

――辛口にもなるだろう

 シスネは森を歩きながら杖を振る。散らばった花火、紙屑、焚き火の跡、テントの残骸、空っぽの薬瓶、食べ残し等を綺麗に片づける。祭りの後始末だ。クィディッチワールドカップは国際魔法協力部と魔法ゲームスポーツ部が主として動いていた催しだ。本来、シスネたち野伏が駆り出される道理はない。会場に森林が含まれてさえいなければ、だが。

 どうせよからぬ輩が外から魔法動植物を持ち込んでいないかどうか確認しなければならないし、ほかにも仕掛けがないか見ないといけない。「ついでに」体よく使われているのだ。

 これも仕事だ。野伏の職掌は、密猟者の捕縛と魔法生物の救出と保護。所属は魔法生物規制管理部。一年三百六十五日二十四時間密猟者が湧いて出てくるわけでもないので、実態はなんでも屋に近い。海に賊が出たと聞けば海へ行き、山でトロールが暴れていると聞けば山へ行き、うちの可愛い一角獣が逃げたのと訴えがあれば一角獣を追いかける。魔法警察の手が足りないならそっちへ行く。腕に覚えがある者は、闇祓いの補佐のようなこともする。だから、森とキャンプ場の掃除、落とし物の拾得、クィディッチスタジアムの解体、マグル避けの解除が振られようが……本当に体よく使われるのだ野伏は……仕方ない。なにせ魔法省が力を入れて取り組んだ催しなのだ、クィディッチワールドカップは。

 最後にとんだケチがついたが。

 ファッジは闇の印出現を「ちょっとした事故」と言い張った。シスネが観測した範囲では、ファッジは脳天気な馬鹿野郎という評価に落ち着いた。魔法法執行部の長、アメリア・ボーンズはファッジの尻を叩いたとかなんとか噂が流れてきた。闇の印が現れて一番ぴりぴりしそうな男こと、闇祓いの長ルーファス・スクリムジョールは沈黙していた。ファッジを突き上げるのはアメリアに任せ、スクリムジョールはシリウス・ブラックの捜索に力を入れるのでは……という意見が大半だった。

「……闇祓いは暇なの」

 ルキフェルに嫌味を言う。森からの帰り道。さあ姿くらまししよう、と杖を構えたら背後にいたのだ。シスネだって気配には聡い。野伏とはそういうものだ。だが、ルキフェルの気配は掴みきれなかった。この男がリアイスだからか、それともルキフェルがこうなのかは謎だ。とにかく、かなり驚いた。

「親愛なる大臣閣下が」

 護衛を離したがらなくてね。ルキフェルは遠い眼をしていた。間違っても魔法省方面は見ていないだろう眼だ。

「ブランケットかくまちゃんでも与えておけば」

 闇の印なんて事故だ冗談だ嘘だどうこうと言っておきながら、コーネリウス・ファッジ英国魔法大臣閣下は、俗に言い表すならば、ビビっているらしい。彼が大臣に就任したときは、養母ことミリセント・バグノールドによってある程度の整地が成されていた。養母は『例のあの人』による暗黒時代にあって、魔法省の舵取りを見事にこなし、『例のあの人』が消え失せた後の約十年も引き続いて大臣の座にあった。養母はさっさと大臣の座から退きたかったようだが、周りが許さなかったのだ。そして「もういい加減辞める」と節目となる十年目に宣言し、女傑ミリセント・バグノールドはあっさりと大臣の座から降りた。そして幾人かの候補の中から選挙によって選ばれたのがコーネリウス・ファッジである。

――候補の中に

 バーテミウス・クラウチ・シニアの名はなかった。彼は出世の道を閉ざされたのだ……ほかならぬ息子のせいで。仮にジュニアが罪を犯さなくても、大臣になれたか怪しいものだ。闇の時代が去り、ミリセント・バグノールドによりあらかたの粛正は済んだ。時代が求めていたのは傑物ではなく凡俗であった。毒にも薬にもならないような、無難な人間が。ファッジは、毒にも薬にもならないはずが、最近少し雲行きが怪しいようだ……。

「そんなもので安心すればいいんだが」

 は、とルキフェルが鼻で笑う。魔法大臣への敬意は皆無だ。

「なので君の護衛へ立候補する者が多数。熾烈な争いだったよ」

 シスネの護衛は息抜きらしい。めそめそしている大臣とべったりはごめんだと。誰だって嫌だろう。大臣に取り入ろうとする馬鹿者なら別だけれど。

――妙に弱っているときに

 つけ込まれたりしないだろうな大臣。ホグワーツへの『例のあの人』侵入と教師の不審死、伝説の『秘密の部屋』が開かれて生徒が襲われた事件は魔法省の失点というより、ホグワーツ側の問題だ。しかし、シリウス・ブラック脱獄と捕縛の失敗は明らかに魔法省のやらかしだ。そして追い打ちをかけるようにクィディッチワールドカップで騒ぎが起こり、闇の印が打ち上げられた。ファッジがぴりぴりめそめそするのも仕方がない。起こってしまったことは仕方ないとして、その後の対処がよろしくない。闇の印を事故だなんだと言って誤魔化そうとするのは最悪だ。アメリア・ボーンズあたりがちくちく言うだろうが、ファッジが素直に聞き入れるだろうか。養母によれば「調子に乗っている」そうだし、甘くて優しいことを言う誰かに転がされそうではある。

「私を野放しにしていていいわけ?」

 過ぎった考えを押し込めて、隣を見る。さっさとバグノールド邸近くに姿くらましするはずが、だらだらと立ち話に興じてしまうなんて。どうせこの金髪の闇祓いはひっついてくるのだから、ここで話そうがあちらで話そうが大差ないけれど。

「なんのことかな」

 僕は元大臣息女の護衛ですが。丁寧にルキフェルは言う。じろりと睨んでもにっこりされるばかりだ。あくまでも建前で押し通すようだ。

「大臣が事故だと言うなら事故なのさ」

 シスネが闇の印を打ち上げたわけではないのだ、とルキフェルは暗に言う。ミリセント・バグノールドの養女となり、その庇護下に入ったというのにシスネに微妙な態度をとるファッジとは大違いだ。クィディッチワールドカップの時、ファッジと握手を交わしたが、彼がすぐにでも手を離したいと思っているのは嫌でもわかっていた。シスネはまるで自分が重篤な病――人狼病の患者にでもなったような気分が味わえた。人狼も、シスネも己のせいで厄介事を抱えたわけではないのだ。人狼は怪物に咬まれ、シスネは怪物の妹なだけだ。

 そんなことは世間には関係がないわけだ。人狼もシスネも避けるべき危険因子なのだ。仕方のないことだ。責められることでもない。

「事故だという割には」

 ルキフェルが喉を鳴らす。獰猛な獣の唸り。

「国際魔法協力部、魔法ゲームスポーツ部、そして闇祓い局の長を呼びつけて、文句を言ったようだがね」

「癇癪持ちの子どもでもあるまいし」

 よく殺されなかったわねと言う代わりに、どうにか言葉を捻り出す。後先考えずに長たちを呼びつけて叱責したって? そろそろファッジの政治生命は風前の灯火なのではないか? 闇祓い長官殿あたりがやってしまいそうだ。さすがに始末どうこうは面倒だろうし、失点がある程度積み重なったら、すっぱりと首を切って椅子から蹴り落とすだろう。

「局ではなんて素敵な大臣だろうって評判だよ」

「我が儘なお嬢様のお世話は大変ね」

 ぽんと返せば、ルキフェルが噴き出した。そして、震える手を差し出してくる。どうやら付き添い姿くらましをしてくれるらしい。紳士である。

 くるり、と回転する。転移の渦に飲まれる刹那、ルキフェルは物憂げに呟いた。

「お嬢様に叱責されても」

 バーテミウス・クラウチ・シニアはだんまりだったようだよ。

 闇の印が上がった時、あれほど怒り狂ったのにね。

 

 

 来る日も雨が続き、うっとうしい日が続いていた。闇の印事件は有耶無耶のまま幕が引かれた。よって誰も左遷や降格の憂き目にあうこともなく、魔法省は落ち着きを取り戻したかに見えた。強いて、無理に闇の印から別のことに意識を向けた、というほうが正しいだろうか。『例のあの人』が再び現れるなんて悪夢は見たくない。世界は正常であると信じたがっているように思えた。漏れ聞こえる噂によると、ひたすらに自己暗示をかけている筆頭は魔法大臣だ。彼はクィディッチワールドカップでの失態なんてなかったような顔をして、大臣の座を温め続けていた。

「……と、いうわけで」

 竜が追加で必要になった、と軽い口調で言ったのはルード・バグマンだった。魔法ゲームスポーツ部の長が御自ら魔法生物規制管理部に乗り込んできて派手にぶちかますとは思っておらず、魔法生物規制管理部略して生管の面々は、新人から部長までそろってぽかんとし、いち早く驚きからさめた生管部長はルードバグマンに駆け寄って、会議室に連行した。なにを部長自ら乗り込んでいるのか、そもそも先に話を投げるなら国際魔法協力部……とまで考え、シスネは書類を書き損ねた。親愛なる実の父上は、闇の印事件で激高したのが嘘のように穏和しくなったようだ。そのやり場のない怒りを妖精のウィンキーにぶつけて解消したともいえる。幸い、ウィンキーはクロード・リアイスに引き取られたようだ。シスネの従姉にあたる。

「やっぱりハリー・ポッターが……?」

 隣の席の新人が、くりくりした眼でシスネを見てきた。彼女の面倒をシスネがみているのだ。いわゆる指導係だ。魔法生物規制管理部野伏局の久々の新人だ。一度本局――ここのことだ――で鍛えられ、後に支局を回ることになる。支局巡りこと修行の前に、なるべく野伏のABCを仕込むのがシスネの仕事だった。

「予期せぬ、四番目の代表選手だからね」

 シスネは新人のおしゃべりにつき合った。国際魔法協力部のことは考えたくなかった。まかり間違っても顔を合わせたくない。合わせたところで他人でしかなく、ただの野伏は、国際魔法協力部の長に道を譲るだけだ。目に見えない壁がある。シスネの元の姓がクラウチだということは、上流および高官、闇祓い関係者の一部しか知らない。なにせまったく似ていない父子なので露見することもない。シスネは祖先のブラック家の血がひょんなことから出てきた、隔世遺伝だ。「バーテミウス・クラウチ・シニアは息子を喪った怒りと悲しみのあまり、不義の子の疑いがある娘を捨てた」というのが通説だった。笑えることに間違ってはいない。シスネは切り捨てられた……。まだスクイブだから、無能だからという理由があればよかった。父は女の子なんていらないと言った。元から息子のことばかり誇っている節はあったが、あれには愕然とした。

「……ハリー・ポッターがゴブレットに名前を入れたんでしょうか」

 疑問の形をとっているが、妙に確信に満ちた言にうんざりした。会ったこともない、しかも十四歳の子どもへの決めつけはどうなのか。能吏と名高い生物学上の父親が「不測の事態」とやらを許すはずもない、代表選手の選出に関しても隙なく動いただろう。バーテミウス・クラウチ・シニアという男は人格と反比例して能力は高い。だからこそ、愛息子があまりにおぞましい事件を起こしても、左遷されるだけで済んだのだ。時代が時代なら連座もありえたし、少なくとも省を辞めるように迫られたろう。

――悪意のある解釈をすれば

 左遷され、屈辱にまみれ、その能力を省のために役立てろ……と誰かが考えたか。名門に生まれ、日向ばかり歩いてきた男にとって、この上ない罰ともいえる。

「私たちには想像もつかないなにかが起こったんでしょう」

 すっぱりと会話を打ち切る。選ばれないはずの代表選手が選ばれたということは、誰の予想も越えた事態だ。万全の体制のその上をいったということ。十四歳の子どもにどうこうできる問題ではないだろう。

――誰かがなにかを仕掛けたのだ

 結果から考えてみよう。四人目の代表選手が選ばれた。それはハリー・ポッターだった。彼は十四歳で、本来ならば選ばれるはずがない。選手の選定は炎のゴブレットが行う。選別の杯の周りには年齢線が引かれていた。これはダンブルドアが自ら引いたものだ。

 ダンブルドアが年齢線を引き間違えた? ありえないだろう。ダンブルドアは再三の魔法大臣就任要請も辞退している。彼は野心家ではない。そして名誉は手のひらからこぼれ落ちそうなほどに持っている。ゲラート・グリンデルバルドを倒した英雄の一人、というだけでも十分だ。偉大なる大魔法使いが「わざわざ」年齢線を引き間違えるなどという愚を犯さないだろう。なんの利益もないのだから。

 仮にダンブルドアが間違えたとしよう。それか、ハリー・ポッターが十七歳以上の誰かに頼んで名前を入れてもらったとしよう。多数の十七歳以上の者が名前を入れている中で、ハリー・ポッターが選ばれるとは思えない。言い換えれば、エイモス・ディゴリーが散々自慢している「よくできた」息子、セドリック・ディゴリーを退けるとは思えない。

 仮定に仮定を重ねると、代表選手の枠は三人のはずだった。もしハリー・ポッターが正規の選手として選ばれたのだとすれば、セドリック・ディゴリーは選ばれなかった。だが、蓋を開ければ「四人目」の選手が選ばれた。これが作意ではなくてなんだというのか。ホグワーツを勝たせるための試み? いくらなんでもお粗末だ。

――もっと別の何かがあるのでは

 三校対抗試合に乗じて、ハリー・ポッターを代表選手にしてまで、なにかをしたい誰かがいる……。

「……なもんですよね」

 尖った声に我に返る。新人が羽根ペンを動かしながら、ルード・バグマンが消えた会議室を軽く睨んでいた。

 なに、と訊く間もなく、彼女は続ける。

「三校対抗試合で浮かれている場合じゃあなくないですか? 彼の部下が失踪したって噂ですけど」

「ああ、おしゃべりバーサね」

 声に苦いものが混じる。噂好きの明るい魔女。ひねくれた気性というわけではないが、迷惑していた。シスネと護衛のルキフェルが一緒に歩いていただけで、つき合ってるどうこうとか……。たまに「護衛付き」を前面に押し出すのだ闇祓いは。バグノールド家の娘に手を出したらわかっているな、の牽制だろう。そもそもだ、一緒に歩いていただけでつき合っている判定になるなら、シスネはだいたいの闇祓いとつき合っているどうしようもないふしだらな女になってしまう。笑えない。バーサに、あれは護衛です。私はバグノールドなので、と言えば眼をきらきらさせていたが。軽く十は離れているだろうに、どこか浮き世離れした魔女だった……。

――迷惑だけれど

 悪いことが起こってしまえと思うほど、性根は曲がっていない。ルード・バグマンが言うように、本当に気の向くままに旅行をしているだけだったらいい。

「ああ、失敗しちゃった」

 新人の声に眼をやる。彼女の羽根ペンの先から、赤いインクが滴っていた。

 まるで血のようだ、と思って眼を逸らした。

 

 

 そして三校対抗試合、第一の課題が近づいてきたある日。

 バーサ・ジョーキンズがアルバニアで発見された。

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