【完結】転がり落ちた雛鳥は、   作:扇架

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番外編。7巻軸。ネタバレあり。


その兆しを祓う

 ぱらぱらと散るそれに、足を止めた。花と、破片。撒かれた水が、土を濃く染めている。花びらは淡い薄青。空の色だ。夏の空ではない。冬の、澄んだ空。

 それが打ち捨てられている。彼はただただ、花と花瓶の残骸を見つめた。小さく、息を吐いた。上を――邸を見ることもしなかった。ここはとある姫君のために献じられた奥津城であった。双眸に冬の空を宿した姫君。彼の母親。彼女はなにもかもを拒絶する。夫も、自身が産んだ子どもたちも。

――特に

 かたん、と音がして、ふと上を見てしまった。そうしなければよかったのに。

 開かれた窓。高みから彼を見下ろす空の色――残酷までに透き通った、冷たい眼。ひょう、と風に遊ぶ髪は絹糸のよう。唇は鮮やかに紅い。

 女王のようだ。冬を司る、無慈悲な女。それが、彼を見る。いいや、貫いた。

 その唇が動く……。

 

――もがくようにして現世へ転がり出た。

 小さく呻き、何度も瞬き、やっとのことで状況を認識する。時刻は夜明け頃。バグノールド邸の客間。寝台の上……。

 無意識のうちに握りしめていた杖を枕元に置き、ルキフェルは静かに息を吐く。そっと、身体から力を抜く。

――あれは遠い昔のことだ

 冬の姫君。ルキフェルを産んだ女……。彼女は殊にルキフェルを嫌った。ルキフェルが父に似ているから。

 色彩も顔立ちも父親似なのだという。よく似ていると言われる。生き写しとまではいかないが、姫君の嫌悪を掻き立てるくらいには似ている。対して兄は髪の色こそ父親譲りだが、眼は冬空の青、顔立ちはどちらかといえば姫君――母親似である。よって、黒髪に冬空の眼を持つ姫君は、ルキフェルを嫌う。いいや、憎む。忌まわしきその紫眼と言って。彼女の父親――つまり第二分家の先々代当主の婿、ルキフェルたちの祖父も紫眼だったはずだ。リアイスは血族婚が多い。よって似通ってくるのだ。第二分家と第三分家にどうしたわけか紫眼の者が生まれたように。

 そんなことも都合よく忘れるのだ、姫君は。

もしかして理由はなんだっていいのかもしれない。ただ、政略婚なんてものをさせられたその怒りと不満を向ける先が、たまたま「夫に似ている」ルキフェルだっただけのことで。

 仕方のないことだ。切り捨てればよい、と今のルキフェルなら言ってしまえるが、子どもには難しい。なぜ母親に憎まれるかもわからずに、不用意に近づいて、姫君に傷つけられる。その身を鎧った茨の、鋭い棘で。

 ざわつく心を鎮めたいがために、ルキフェルは隣に手を伸ばす。金の雄獅子と銀の雌獅子をそっと除けた。ルキフェルは己のことを信用していなかったので、せめてもの防波堤として、婚約者との間に獅子の番を置いていた。不埒な行いに及ばないように。まぁ、添い寝くらいならよいだろうと己に許した。今やルキフェルは完全に覚醒し、腹の子に障るようなあんなことやこんなことをする心配もない。

 婚約者の元へ身を寄せ、細い身体を引き寄せる。息をしていなかったらどうしよう、と馬鹿げたことを考える。言うことを聞かなかったら、人狼が来るよとか吸魂鬼がくるよ、という「おはなし」を怖がる子どものように。もっとも、ルキフェルは母親にそんな言われた、あるいは脅しをされたことはないが。彼女は子どもを産むという義務を果たしただけ。子を育てようという意志は欠片もなかった。むしろ、産んだことを後悔しているように見えた。二人目の息子が、母親の眼を思わせる花を摘んでいって、花瓶に生けても窓から放り投げるような女だ。何も思うまい。どうしようもないことだ。

 どうやら婚約者はきちんと息をしていたし、身体には熱があった。安堵しつつ抱き寄せる。そうして考える。ほとんど可能性がないと思っていた可能性を。自分のやらかしを。

「……選択肢の一つとして」

 君のとこに婿入りするのもありだな。婚約者が眠っているのをいいことに、耳元で囁く。ルキフェルの子を宿した女に。三月に営んでから、ルキフェルはしばらくバグノールド邸に顔を出していなかった。スクリムジョール邸にて大臣の息女を護衛するという任務があった。私事にかまけてばかりもいられない。少し開いて、四月の後半――つまり今日だ――に顔を出したら告げられたのだ。できたの、と。寸の間、唖然としたのは認めよう。ちょくちょく通っては営んでいたわけで、四月に発覚ということは三月か二月あたりのそれだろう。

 九月から……いちいち数えるほどルキフェルはまめでもないので、いつだって授かる可能性はあったものの、まさかできるとは、という思いが強かった。

 歓迎するしないの問題ではなく、やってしまったという気持ちであった。結婚前に致してできてしまったわけだ。もちろん避妊はしていたし、そもそもきちんと訊いたことはないが婚約者はできにくい体質だと踏んでいたし――監獄での数ヶ月が影響している、または遺伝――できるまいと思っていた。なんだって絶対はないのに。愚かなことに。

 これが婚約もなにもしていない段階で起こったことなら、ルキフェルは曽祖父に半殺しにされていただろう。よそのお嬢さんに不用意に手を出してどうこう。やはり半殺しだ。ルキフェルにはわかる。だいたい曽祖父は又従姉のクロードに「いいか仮にお前に不埒な真似をする獣が現れたら殺して構わん」と言っていた。ナイアードとルキフェル、それにヘカテもその場にいた。年の近い「又いとこ」たちへの曽祖父のありがたいお言葉であった。

 ヘカテは正確には又いとこではないし、いとこでもないのだが、なんとなくいとこ枠であった。そんなものである。親戚なんて。リアイスが大ざっぱなのかもしれない。

『いいか』

 リアイスの名誉どうこうより、これは人間としての道の話であり、お前たちが獣のおこないをしようものなら、私が股の間のものを切り落とす。

 交際中に予期せずできた場合? お前たち男の責任とみなす。結婚しろ。

 それはビシバシ言われた。クロードは気まずそうな顔をしていた。ルキフェルたちは己の股の間を心配した。

「……こうなれば結婚だけどね」

 曽祖父には説教を食らうだろうがこれは仕方がない。自制できなかったわけだ。頼むから半殺しは勘弁してほしい。

 眠る婚約者を抱きしめつつ、こそこそと囁いている様は、端からみれば不審者であろう。だが、ルキフェルだってこそこそひそひそしたい時はある。

「……僕でよかったのか?」

 あまり結婚向きではないのだ。リアイスで闇祓いで、とても健全とはいえない家庭で育った。愛だけではどうにもならないことも多い。義務だけでもだめだろう。結婚したとして「死喰い人の妹」を妻になど、と言われる可能性は高い。特にルキフェルはリアイスとリアイスの子なので、無駄にこだわりが強い連中がなにやら言うかもしれない。ある意味での純血主義がリアイスにもあるのだ。

 くだらない。そうしてひそりと笑う。あまり血が濃いと病みやすいのは、ゴーントが証明している。頭の悪い愚か者どもは、忌むべきスリザリンの血筋と同じ轍を踏みたいらしい。

「……利益なんてなくていい」

 感謝されたいために助けたわけではない。ましてや恩を盾にして婚姻を迫るつもりもなかった。リアイスには長い歴史があり、功もあれば罪もある。降り積もる闇もまた深い。

「……君にとって、」

 僕との結びつきが正解なのか分からない。バーテミウス・クラウチ・ジュニアの妹という汚名は一生ついて回るだろうし、頭の悪い一族がなにやら言ってくるだろう。うるさいようならシャンデリアを落としてやろう。リーン・リアイスという先達に倣うのだ。彼女は「ブラック家の男なんぞ」という小うるさい輩をそうやって黙らせた。父曰く「絶妙な間で落ちたからおそらくランパントがなさったのだ」らしい。

 リアイスとブラックが結びついたのだし、その息子が本家当主だ。死喰い人の妹との婚姻も、そこまで言われまい……と踏んではいる。おそらく、筆頭分家当主で、又従姉のクロードも援護してくれるだろうし。彼女もまた、ジュニアせいで風当たりが強くなったことがあった。呪われしクラウチの血筋、ジュニアのいとこ、と。ロングボトム夫妻が壊れた一件の後、酷く塞いでいた。先視など役に立たない、と荒れていた。

――苦しい

 あまりに苦しい時期だった。ヴォルデモートが消えて平和になっても、クロードも……ルキフェルたちも苦しかった。外の連中が平和を謳歌すればするほど、強烈な後悔の念と焦燥が掻き立てられた。

 ルキフェルは大人と呼ばれる年齢になり、至らないことは多いが、できることは確実に増えた。あの時ほどの苦しさはもうないはずだった。

 婚約者の背を撫でる。どうか無事に子を産んでほしいと願い、勝手に婚約して、婚姻前にやらかすなんて自分は最低な男だと呪い、母親にすら疎まれた己が「ちゃんとした父親」になれるのかと疑って。空白の十年――黄金のグリフィンの子が消え去った年月にも勝るとも劣らない苦しみが去来する。

 父親になりたい欲望のようなものは薄かった。両親の政略婚の破綻をまざまざと見て育ったせいもある。義務から結びついて愛を育む場合もあるだろうが。少なくとも兄という「本命」、ルキフェルという「予備」は義務から生み出されたことは間違いない。そしてルキフェルは次男であり予備なので、前向きに結婚を検討するつもりもなかった。闇祓いになったのは、なれるだけの能力があったことと、そのうちヴォルデモートが戻ってくるだろうから、魔法省における対ヴォルデモート最前線に立つ者がいるだろうと思ったことと、ついでに結婚問題から逃れられたら……があった。絶対結婚したくないわけではなかった。クロードあたりから打診があれば頷いていた。元々当主の補佐として育てられていたので、筆頭分家の婿にぴったりであろう、と。悪くない組み合わせであるし、ルキフェルは恋愛婚が分からない男であった。

 要するに、なるようになるさであまり深く考えてこなかったのだ。人生設計というものを。そして今、そのツケを払っている。お前はなにも考えずに婚約者と肌を重ねたのかと言われれば反論できない。ルキフェルは溺れてしまったのだから。古の歌のように。

 喉を鳴らす。婚約者の背を撫でながら、小さく口ずさむ。

 

 横たわれ、横たわれ、不実の騎士よ

 横たわって、わたしを見るがいい

 あなたは七人の乙女を溺死させた

 でも八人目はあなたを溺死させる

 

 残忍な恋人と、可憐な乙女の歌である。

 ルキフェルもまた、いつの間にか深みにはまってしまった。白銀の魔女という湖に、沈められたのだ……。勝手に溺れただけだが。

 二度寝する気にもならず、ぽつぽつと歌を口ずさむ。夜が明ければ、名残惜しいがスクリムジョール邸に戻らなければならない。ただでさえ婚約者の義兄――ルキフェルにとっても義兄になる予定――に通い婚野郎とか言われているのだ。婚約者の家に入り浸りはまずい。義兄はからかっているだけだろうが。

「お優しい母上は」

 どうかわからないが。くすくすと笑ってしまう。ルキフェルの母。冬空の眼を持つ姫君。貴女の孫は、金の髪に紫の眼を持つ女の子ですよと言えば、どんな反応をするだろうか。あるいはしないだろうか……。ルキフェルは、生まれてくる子が女の子だと確信しているし、髪も眼も己の色を継ぐであろうことも確信している。リアイスは勘がよい、と言われているのだ。

――ちゃんとした父親どうこうは後回しだ

 まずはヴォルデモートを片付けなければならない。一族の仇敵を倒すなんて規模の大きい話ではない。単純に、あれがいるとルキフェルと婚約者――シスネはおちおち結婚式も挙げられない。駆け落ち婚でもあるまいし、立会人と新郎新婦のみの、人目をはばかるような婚姻成立はやりたくない。と、いうかそんなことをしたら義母に締め上げられる。

 くだらない理由だろうが、ヴォルデモートを片付けるのには十分な動機である。世界平和よりもまずは家庭の問題。そのためにヴォルデモートは排除する。

 ルキフェルは、子どもが周囲の死や怪我に慣れるような世界なんてまっぴらである。闇の帝王や死喰い人なんて名称も、かびの生えそうな書物の、破れかけた頁の片隅にあればよい。そこにはこう記されるのだ。

 こうして闇の帝王、ヴォルデモートと名乗る男は倒されました、と。

 ルキフェルは、婚約者の耳を吐息で侵した。

「……君が安心して生きられるようにしよう」

 金色の獅子の子と一緒にね。

 

 

 

 時は過ぎ、初夏のとある日。

 決戦の場に赴く前にバグノールド邸に立ち寄り、婚約者をそっと抱きしめた。長々とはいられないので、ただ一言告げた。

 必ず帰る、と。

 できない約束はしない主義であった。必ずなんて言葉はあてにならない。誠実さに欠ける。それでも口にした。そうしたかったからだ。戦いの結果がどうであれ、生きてようが死んでいようが、心は彼女の許に在った。

 ルキフェルは名残を振り払うように踵を返し、歴史の転換点となる戦いに飛び込んだ。

 

 そうして死兆の(はた)を斬り払い、婚約者の許へ戻った。

 あいしてるを受け取って、抱擁を交わし、思いを告げた。ずっと隣を歩いて生きたいと。ほかにもたくさん。恋を知らなかった少年のように、夢中で告げた。

 拙く、回りくどい告白に彼女は泣き笑いの顔をする。その頬に手を添えて、愛し言をささやいた。

 生まれてくる子の名は、アラディアがよいだろう、と。

 この子は僕らにとって、福音なのだから、と。

 幸せになろうと言えば、婚約者は涙を零し、唇を震わせた。

 喜んで、と。

 

 

 

 

 

 

※詩は『サークル・オブ・マジック 魔法の学校』より引用

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