【完結】転がり落ちた雛鳥は、   作:扇架

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本編後、ネタバレあり。


アモンテルシアを還すもの

 給仕から差し出されたグラスを受け取る。くるり、と手首を返せば淡い色のそれが揺らめいた。見たところ異常はない。匂いも同じく。

――マッド・アイならば

 彼の闇祓いであれば、グラスなど受け取らないだろう。口癖のように油断大敵と言っていた。常に飲み物を持ち歩いていた。それが正しいのだろう。毒殺の危険は常にある。いいや、殺害を目的とはせず……魅了するという手もある。偽りの愛を芽生えさせる薬というものが、この世界にはあるのだ。正確には対象者への執着を刷り込むのだ。けして離れたくない、と。

――偽り、とも

 断定し難い。そもそも愛とは執着も孕んでいるだろう。それに、愛といっても様々な形がある。親が子へ向ける愛……慈しみ。あいにくルキフェルは優しい母親には縁がなかったが。父に甘やかされた記憶もほぼない。ただ、必要なものは受け取った、と思っている。頑健な肉体。知識と教養。戦う術。逃げる術。一人の人間として生きていけるだけのものは受け取った。それで十分であろう。

 よって、と手に持ったグラスを見返す。頭の中でマッド・アイがうるさいが、無視してひとくち飲んだ。豊かな香りが広がる――味に問題もない。ルキフェルの勘は毒や愛の妙薬は入っていないと告げていた。

 入っていても問題はない。散々毒に慣らされた身体である。よほど希少な即死毒でない限り、どうにかなるだろう。

 それに、と、ルキフェルは会場を見回す。大領地ゴドリックの谷――リアイス一族第三分家シージャントの城、大広間にて今宵宴が催されていた。内々のものである。闇の陣営が逆転を狙って毒を盛るには適しない。標的とするならば一族の英雄――ウィスタ・リアイスにするべきである。もっとも、彼は現在聖マンゴで療養中。側近くには従者エリュテイア・リエーフが侍っている。彼女を出し抜いてウィスタに毒を盛るのは相当に難しく、万が一成功したとしても聖マンゴには腕利きの癒者が多数いる。患者をひっぱたいて冥府から引きずり戻しかねない連中である。

 ついでに言えば、その腕利きの癒者のなかにはリアイスの者たちが含まれている。一族の本家当主に毒を盛られて黙っている連中でないのは確かだ。

 かわいそうなことだ。ヴォルデモートを倒した立役者の一人はおいしいものも食べられず、聖マンゴに半ば監禁されているのだから。そのほうがいいのだろうが。彼はまだ毒への耐性を獲得していないはずだ。魔法族の常識と貴族の教養を詰め込むので忙しく、リアイスとしての教育も突貫で一通り……なのだから。およそ十年の空白は大きい。毒への慣らしや服従の呪文、その他への耐性どうこうの段階に進んでいたとしても、まだ「一段目」くらいであろう……。服従の呪文にしたって、ほかの呪文にしたって耐性獲得とはいっても個体差がある。相手の実力がずば抜けていれば、耐性なんて紙のように引き裂かれるであろう。それでもないよりはあったほうがいいわけだが。

 あまり受けさせたくないものだ。ルキフェルは苦い記憶を封じ込める。たった一滴で燃えるような喉の痛みをもたらす毒もあれば、掠っただけでひどく腫れ上がる毒もあった。香りを嗅いだだけでくらりと心地がよくなる妙薬もあった。

 お前は将来の《パッサント》、その婿となるのだと言われ、厳しく育てられた。これは不正確であった。ルキフェルは《パッサント》ことクロードの婿になる可能性が極めて高かったが絶対ではなかった。候補には第七分家のヘカテもいたであろうし、筆頭分家の筋から婿を迎えることもありえた。だが、父はあらゆる可能性を検討する必要があり、次男、動かしやすい予備であるルキフェルの教育に手を抜かなかったのだ。子どもの時は辛くて泣いたはずであるし、血も吐けば胃液も吐いたが、耐え抜いた。父がルキフェル憎しで苦行を課しているわけではないと知っていた。誰かを憎む眼をルキフェルは知っていた。それは冬の空の色をしていた……。

 ふ、と笑みをこぼす。ゆっくりと大広間を見回した。めかしこんだ一族たちの衣が、とりどりの色を咲かせていた。

 その中のひとつに眼が吸い寄せられる。深い青のドレスを着たその花は、グラスを片手に談笑に興じている。灰――ブラックの末裔の証たる、星の眼がルキフェルを見た。その珊瑚色の唇が動く。こちらに来たら、と。ルキフェルは小さく首を振った。今宵の宴は「戦勝を祝うもの」が主である。「ルキフェルの婚約者の披露目」は従であった。それは実質済んだようなものだ。婚約者こと将来の妻、シスネ・バグノールドは父や兄と穏やかに語らっている。彼らの側にいれば安心だ。それに「内々」だと言ったのにのこのことナイアードが顔を出している。ますます安心である。第三分家所属の女性陣とも当たり障りなく話せているようである。なので、ルキフェルは大広間全体を見渡せるように、壁際に控えているのだ。なにせナイアードが来ている。彼が出てきているのに暗殺騒ぎが起きては拙い。殺しても死なないような男だが、あれでも一応第二分家当主だ。死なれればもっと拙い。もちろん、父と兄にも死なれては困る。シスネのことも案じてはいるが、彼女には婚約指輪を贈っている。いざというとき起動して、彼女を筆頭分家の城へ――ルキフェルの又従姉であり、シスネの従姉でもあるクロードのもとへ逃がすように。

 心配しすぎかもな、とルキフェルは己の神経の細さを笑う。悪いほうにばかり考えるものではない。ヴォルデモートが倒されて早数週間。闇の陣営、その残党は未だに跳梁しているが、いわゆる腹心の部下――死喰い人はホグワーツでの戦いの際、そして決着がついたあとに叩き潰してある、とルキフェルは胸を張って言おう。なにせ決戦直後、ニュート・スキャマンダーとその子どもたち、孫たちとともに狩りをしたのだから……。

 ニュートはルキフェルの婚約者を芯の強いお嬢さんだと褒めたたえ、月色の髪と星の眼だと天馬の……とか、ドラゴン……とか、雷鳥の白変種……とかなにやら一生懸命に言っていた。シスネ・アポロニアだと不死鳥だねえ、大変縁起がよいし、生命力に満ちた名だとも言った。

『僕も兄さんと一緒にかなり拙いところに放り込まれて』

 兄さんは踊りがド下手だったから苦労したもんだよ。もー、ほんと、怖かった!

 雷鳥がはしゃぎまくり、雷を雨あられとばかりに落としまくる中でぺらぺらおしゃべりできるニュート・スキャマンダーはなるほど剛の者であった。あの境地にたどり着きたいものだ。

 ルキフェルにとっては楽しい思い出、死喰い人にとっては悪夢、一般人にとっては微笑ましいどころか顔が引きつりそうな話を思い返し、ルキフェルはくすくすと笑う。誰だ婚約者を残して戦場に行けばそれは死亡フラグとか言った愚か者は。死喰い人であった。もちろん捕縛した。死亡フラグはへし折った。折って折って折りまくって、挙げ句に残党狩りをしたものだから、キングズリーは「君には心臓が二つか三つあるのか?」と呆れていた。ルキフェルは「心臓が何個あろうが我が婚約者に捧げているよ」と返した。キングズリーは「この現代の『私の魔法騎士』め」と言い、ディーダラス・ディグルは「ルキフェル、君が帰宅する頃だって、私は星を降らしますよ」と素敵な演出を請け負ってくれた。ちなみに、彼は虹も出せる。美しく素晴らしい魔法の使い手が彼であった。

 長かった。ここまでとても長かった、と噛みしめた時、耳障りな声が聞こえた。

「あのアズカバン帰りめ」

 と。

 ◆

「――これで」

 お前は何度死んだことになるだろうか。

 へたり込む痴れ者の、その喉仏に切っ先を当てる。細い細い紅色の筋が垂れ落ちて、男の衣――白い襟を汚した。

 はあ、と荒い呼吸。むっとした汗の匂い。見開かれた眼。生殺与奪の権を奪われた、哀れな鼠に向かって鼻を鳴らす。

「仮にもゴドリックの血を引きながら」

 親切にも魔法ではなく剣での決闘にしてやったのに。

「情けなく、愚かなことだ」

 息を吐く。鼠の喉に添えた切っ先は、寸毫も揺らがない。魔法での決闘に長けるのはリアイスならば当たり前。そして、魔法ができても剣はできぬ、劣ると言われるのはリアイスにとって我慢がならないことであった。中でもルキフェルたちは――獅子公アシュタルテの曾孫たちは、殊に剣に長けていた。場も弁えず、礼儀を知らぬ鼠を躾るくらいは朝飯前なほどには。

「さてどうしてくれようか。お前がアズカバン帰りと侮辱したのは我が婚約者」

 この、ルキフェル・リアイスの妻となる人だ。

「そして婚約者を侮辱することは」

 この僕を侮辱することに等しい。

「僕は」

 侮辱を笑って受け流すほど慈悲深くはない。

 さあどうしてくれようか。

「左腕を」

 斬り落としてやろうか?

 鼠を――黄金のグリフィンの血筋とは思えぬ者を蹴り倒す。仰向けになった身体、その左腕を踏みつけた。

 やめろ、ともがく鼠の言など聞かず、切っ先を落とす。銀の輝きは左腕をかすめ、絨毯を切り裂き、その下の床に食い込んだ。

 ルキフェルは白目を剥いて気絶した鼠に言い放った。

「お前は永遠に顔を伏せているといい」

「背を丸め、足をひきずり、惨めに生きるといい」

「こそこそと隠れるがいい」

 このルキフェルの顔を見ようなどと、ましてや再び挑戦しようなどと思うな。

「……その時は」

 鼠、お前のちっぽけな首は、刈り取られることになるだろう。

 

 

 

「やりすぎたかな」

 少し前の決闘騒ぎ、いいや鼠をいたぶって遊んだだけ……を思い返し、ルキフェルは顔をしかめた。

 バグノールド邸の庭園。古びたベンチに腰掛け、ぽつぽつとひとりごとを漏らす。

「でも、」

 あれくらいしなくちゃいけなかった。僕のではない、君の名誉の問題であったから。僕はあくまでも代理人だった……。

 語りかけても、婚約者――実質の妻――は沈黙したまま。ルキフェルの隣に座った彼女は、眠り込んでいる。さっきまで泣いて泣いて大変だった。

 実の父によって傷つけられ、遠ざけられ、いらない子だった、女の子だから、兄よりも劣っているから……と呪いをかけられ、婚約者は生きてきた。切り裂かれ、焼けただれたその痕から上手に眼を逸らしながら。だが、傷は依然としてそこにあったし、監獄の闇に沈んだことによってより深くなった。挙げ句に「両親が本当は自分を愛していたし捨てきれなかった」ことを突きつけられ、どうすればよいかわからなくなったのだ。

――無理もない

 ルキフェルは己の肩に乗る婚約者の頭をそっと撫でた。銀糸はどこまでも細く滑らかな絹の触り心地であった。監獄から救出した時の、無理に引き抜かれ、まばらに生えた髪、赤いものをにじませる頭皮の参状はない。見た目はすっかり元通りだ。色を喪い、左腕を欠いたことを除けば、だが。

「九歳の君は……あらゆる君は、一度死んだんだ」

 少し考え、婚約者を抱き寄せる。起こさないように細心の注意を払い――もしかしなくとも仕事よりも真剣に――婚約者を寝かせる。幸いベンチは広く長い。頭を己の膝にのせた。六月とはいえ外。しかも陽が暮れかけているので外套を脱いでかけてやる。その上からそっと彼女の胎をなでた。二人の子が宿っている場所を。

 火が爆ぜる。黄金の炎が躍っている。シスネ・クラウチの室から運び出したあらゆるものを呑み込んで、咀嚼して、浄めている。

 これは九歳のシスネ・クラウチの、あの室に封じられた子どもから大人になるまでのシスネ・クラウチの葬儀なのだろう。

「何が捨てられなかっただ」

 吐き捨てる。クロードが視たところによると、ルキフェルの婚約者はクラウチ邸を出なければ命を落としていた、あるいは闇に堕ちていた可能性が非常に高かった。原因なんて決まっている。ジュニアである。だいたいがジュニアのせいであり、亡骸すら残っていないヴォルデモートとかいう馬鹿のせいでもある。

 それはただの前提条件だ。ヴォルデモートが存在しなければジュニアはああならなかった。しかし、しかしだ。生きていればルキフェルの義父母になったはずのバーテミウス・クラウチ・シニアとレディ・クラウチの罪も重い。正直、シニアこと親愛なる義父の亡骸もアズカバンの墓地に放り込みたいくらいなのだルキフェルは。ああそうとも。一家三人仲良く朽ちるがいい。

「あなたたちに親の資格なんてない」

 結局のところ「娘を手放さざるを得なかった」自分たちを憐れんでいただけだ。あんな室を残し、成長に合わせてものを揃え、服を増やしていたのは誤魔化しだ。

 こんなにも娘を愛していた。本位ではなかった。捨てたくなかった。だから悪くない。けして悪意からではない、と。

「僕はあなたたちをけして許すまい」

 ちいさな女の子の心を踏みにじり、砕いて砕いて、すりつぶした。二度と巣に戻らぬように。慕わぬように、と。あまりに惨いやり方で。

 唇から、獅子の唸りがもれる。ルキフェルの脳裏に過ぎるのは、実の父親に路を譲る娘の――あまりに寂しげな背中だった。

 けして国際魔法協力部に近寄らないようにする姿だった。

 クラウチの名が出るだけで怯えていた……。上手に隠しているつもりだったろう。それでも、怒りや憎しみや悲しみのなかに、怯えがあった。

 不義の子だからクラウチから放り出されたのではと密かに囁かれていた……。

 大臣の息女ゆえに狙われ、クラウチの出自ゆえに監獄に堕とされた。

 そして、ルキフェルの婚約者になったばかりにいらない苦労をしている。第三分家内部の反発はある程度予想していたが、あからさまに言う愚か者が現れようとは。アズカバンのアが出た瞬間に鼠の舌を切るべきであった。なんたる失態か。

 もはや愛の妙薬(アモンテルシア)を盛られようがルキフェルは小揺るぎもしないだろう。シスネ・バグノールドという女が、魔法の薬をただの水に還してしまうのだ……。

「バーテミウス・クラウチ・シニア、レディ・クラウチ」

 燃え盛る炎を睨み、ルキフェルは告げた。

「あなたがたの娘ではない娘は、僕がもらい受ける」

 この(ひと)に降りかかるいかなる火の粉も払ってみせよう。

「この女は僕の妻で」

 僕のご息女なのだから。

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