【完結】転がり落ちた雛鳥は、   作:扇架

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三話

 行方不明だったバーサ・ジョーキンズが見つかったらしい。どうやら生きてはいなかったらしい。そんな噂が流れてきた。しかし、たいした騒ぎにはならなかった。魔法省――特に国際魔法協力部と魔法ゲームスポーツ部、そして魔法生物規制管理部こと生管は目の回るような忙しさだったこと、噂は噂でしかなく、詳細がわからなかったこと、なによりもバーサ・ジョーキンズはただの魔法省の職員で、特筆すべき技能もなく、名のある名家の出でもなかった。おまけに悪意のある言い方をすれば愚鈍で、いらないことばかり覚えていて、口を閉じるべき時を知らない魔女だった。いらない災いを呼び寄せる類の者だった、とも言える。

――残酷だ

 真の公平なんてありえない。そんなことはわかっていても惨い……とシスネはどこかで思ってしまう。たとえばシスネが行方不明になったとしよう。仮にも前大臣、あるいは元大臣ミリセント・バグノールドの養女だ。バグノールド家そのものは名のある家とはいえない。少なくとも「純血」ではない。ミリセント・バグノールドが大臣の座にまで登り詰めたその上で、辣腕を振るい、女傑と呼ばれた故に、バグノールドの家に、姓に価値が生まれたのだ。名家の興りとはそういうものだ。そしてミリセント・バグノールドの子には価値がある。あの女傑が養い子としたのだから、その庇護を受けているのだから、と。行方不明にでもなろうものなら、魔法省のしかるべき筋が探すだろう。そんなことをしなくてもバグノールドの「子どもたち」が動くだろうが。シスネはきょうだいたちを信じている。血はつながっていなくても、同じ屋根の下に身を寄せる者同士であり、同志なのだ。

 シスネはきっと探してもらえる。バーサは探してもらえなかった。その差になにかを感じてしまうシスネは甘いのか、ただの薄っぺらい綺麗事を思っているだけなのか。現実を知らないわけではない。実兄のせいで家から放り出された時、ぬくぬくとした巣が壊れた時、外の風の冷たさを知ったのだ……。

「……ハンガリー・ホーンテイルって」

 そんなにヤバいんですか、と訊いてきたのは新人――後輩だった。彼女はシスネと、シスネが手に持っている書類をじっと見ている。三校対抗試合における、追加手配したドラゴンに関する書類だった。ハンガリー・ホーンテイルの雌だ。

「これに当たった選手はお気の毒」

 そう返す。三校対抗試合も公平じゃない。世界は残酷だ。同種のドラゴンを四頭用意したほうがマシだったのではと思う。ウェールズ・グリーン普通種とか。しかし、気が立っている卵を抱えた雌のドラゴンを、同種で四頭手配するのも難しかった。リアイスに協力を願い、あちらこちらから三種を揃えた。リアイスがルーマニアに声をかけ、中国に声をかけ、とあれこれしたのだ。ルーマニアといえばルーマニア・ロングホーンが有名で、ドラゴンの保留地として重要な位置を占めている。純血種から交雑種まで有しているものの、それでも骨が折れたらしい。大事な大事なルーマニア・ロングホーンを「お遊びのために」ルーマニアが貸し出すわけもなく、どの種にするか揉めた。ノルウェー・リッジバックも候補にあがったが、これもルーマニアが拒否した。極めて希少なのである。

 結果、スウェーデン・ショートスナウトをルーマニアから借り、中国からどうにか中国火の玉種を借り、ウェールズ・グリーン普通種は英国もといウェールズから引っ張り出し……とすったもんだだったようだ。挙げ句に追加が必要になり、リアイスが捕獲――そう捕獲だ――したのがハンガリー・ホーンテイルの「気が立った」「極めて気性の荒い雌」「卵付き」だった。魔法ゲームスポーツ部と国際魔法協力部はもはや、リアイスに足を向けて眠れないだろう。

 シスネは手配に噛んではいないが、情報は流れてくる。野伏は四頭のドラゴンの輸送に協力せよとお達しが出ているからだ。ドラゴン使いたちを護送せよ、なにかあれば……ドラゴンが逃げ出すなんてことがないように……対処せよと。なので手配されたドラゴンの詳細も知っているし、どのような経緯があったのかも知っている。魔法省も、リアイスに丸投げしていたわけではないらしい。ヘブリデス・ブラックを貸してはもらえないか、とヘブリデス諸島の主、マクファスティー一族に交渉したがけんもほろろだった。どうせ上から目線で「三校対抗試合のために協力せよ」と言ったに違いない。誇り高いドラゴン使い一族が、そう易々とドラゴンを提供するわけがないのだ。リアイスとて、そのあたりがわかっていたからヘブリデス・ブラックを候補から外していただろうに。

 そもそも論で、ヘブリデス・ブラックの縄張りは広すぎて競技なんかに使えないのだ。ヘブリデス諸島はスコットランド西部にあたるので、移送距離だけならば短くて早くて楽なのだが。

 なにせ候補にできる種が少なかった。素直に交雑種を使えよと、三校対抗試合に関わる面々の一部は思っていたに違いない。純血種にこだわる意味はあるのか?

 ウクライナ・アイアンベリーは巨大すぎて不可。ペルー・バイパースーツは猛毒持ちなので不可。日本に話を持ちかけようかという動きもあったようだが、あちらのドラゴンはそれこそ「お遊び」なんかに使えるわけがない。持ちかけた段階で都合が悪いだのなんだの言われて断られるに決まっているし、こちらと違って「大きな蜥蜴」ではない。ドラゴンであってドラゴンではないのだ。神の使いであり、神そのものであり、極めて重要な存在で、貸し借りなんて言葉も適切ではない――とは日本から出向中の土御門の言葉である。下手に日本をつついて怒らせたくないのか、英国魔法省は日本に声をかけなかった。かけていたら真正の愚か者が魔法省の中にいるということだ。

 

 ドラゴンの輸送もとい、護衛として中国に飛び、あれこれと気をすり減らしながらも中国火の玉種を丁重に、姫君でも扱うかのように恭しくホグワーツまで送り届け――もはやドラゴン使いの護衛なのか、ドラゴンの護衛なのかわからない――疲労困憊しながらバグノールド邸へ帰還した。そしたら、居間のソファで長兄がだらけていた。

「やあ」

「お久しぶり。兄様」

 片手をあげる義兄にそう返し、シスネは椅子に腰かける。義兄は長い足を投げ出して「アルバニアへの大冒険」とか歌っていた。義兄はいわゆる吟遊詩人、歌手……女ならば甘い歌声で破滅をもたらすセイレーンと呼ばれていただろう男である。魔を歌い奏でる者であり、祝福を歌う者であった。バグノールド家の長男でありながら、酔狂にも『妖女シスターズ』なんてバンドを結成し、あっちこっちふらふらしている放蕩貴族であった。今日は『妖女シスターズ』のリーダーの姿ではなく、素の、バグノールド家長男の姿をしている。ちゃんとすれば容姿端麗な貴族に見えるのだが、こんなにだらけていては台無しである。変装の達人なのでどうとでもなるのだけど。まさか『妖女シスターズ』のリーダーが、ミリセント・バグノールドの養子だとは誰も思うまい。

「……で、今度はアルバニア公演だったの?」

 放っておけば延々と歌いそうだったので、仕方なく話を振る。なんでもかんでも弦楽器をかき鳴らしながら歌いまくる迷惑男なのだ。今日はギターもリュートも持っていないからいいけど。シスネの誕生日にだって「お誕生日おめでとうの歌」を歌いまくっていた。

――誕生日に思い入れはないけれど

 義兄のおかげで少しはマシな気分で受け止められるようにはなった、と思う。絶対に言わないが。調子に乗るから。

「そうなんだ、大変だったんだよ」

 義兄はどこからともなくリュートを取り出して、かき鳴らし始める。これがバグノールドの長男だと誰が思うか。思わない。たぶんみんな信じたくない。

 シスネはあきらめて、即席のコンサートの観客になった。どうせ現地の観光スポットの話とか、伝説がどうこうとかの呑気な話が歌われると思っていたらだ。

「ああ、哀れ」

 魔女が一人、息絶えた。

 彼の地の朽ち屋にて……。

 ぴぃん、と弦が震える。

 シスネはびくりとした。アルバニア、魔女……。確かバーサはアルバニアに旅行に行ったとか行っていないとか。

「兄様」

 彼は、妹――義理の妹が水を差しても怒らなかった。歌を止め、じっとシスネを見る。静かな眼だった。彼はバグノールドの長男で、眼で耳だ。彼が『妖女シスターズ』として各国を巡り掴んだ情報は、養母――女傑ミリセント・バグノールドの元へ送られる。

「魔法省の職員が行方不明で、この前発見されて……」

 言葉が巧く出てこなくなる。なんだか答えを訊くのが怖かった。義兄がアルバニアで公演をしたのは偶然なのか? 探しに行ったのではないか? 彼女を……バーサを。

「バーサ・ジョーキンズだね」

 義兄の指が哀悼の曲を奏でる。

「ルキフェルに頼まれてね。アルバニアの魔法警察に通報したのさ」

 公演先の村で、遺体を発見ってね。

「かわいそうなものだ」

 拷問され、四肢を磔刑にされ、喉を掻き切られ。

 一滴残らず血を抜かれていたのさ。

 

「では」

 こちらをお納めください。シスネは片手を振って巨大な檻を示す。びっしりと古代語が彫り込まれた格子の内には、黒い巨体がうずくまっている。灰色の卵をしっかと抱き、うつむいている。長い尾を銅に巻き付けるようにしていた。呼吸するたびに鼻から火の粉が散る。規則正しい呼吸は、ハンガリー・ホーンテイルが深い眠りに落ちている証だ。ドラゴン使いたちの魔法は凶暴なドラゴンを穏やかな闇の中に誘っている。

「ハンガリー・ホーンテイル。雌で、おそらく■歳。捕獲地は■■」

 詳しくはこちらの書類を、と丸めた羊皮紙を差し出す。巻かれた紐は英国魔法省を示すもの。そして紐の結び目を封じた蝋に捺されているのも魔法省の紋だ。

 大陸――中国某所、ドラゴンの保留地の一角で、シスネはなんとか中国語を操る。乾いた、砂混じりの風がシスネにまとわりつき、汗と混じり合う。

 息が詰まる。相手方が差し出した書類を受け取るかどうかわからなかった。建物の中にも通されず、吹きさらしの中に立たされているのは、含むところがあるからだ。中国側が、英国に。間違っても英国側が中国にではない。そもそもマグル側の話だが、中国と英国は「色々」あった。その影響も多少はあるわけで、複雑なのだ。

 せめてドラゴン使いたちは通してあげてくれないかな、とシスネは逃避する。ルーマニア保留地のドラゴン使いたちと英国のドラゴン使いたちに罪はない。保留地同士で人を出したり受け入れたりがあるので、厳密にルーマニア、英国と区切るのは難しいが。英国にルーマニアのドラゴン使いが出向いていたり、その逆もあったりするのだ。

 ルーマニアのドラゴン使いたちなんて、ハンガリー・ホーンテイルの輸送に協力してくれているのだ。面子のなかに英国出身のチャーリー・ウィーズリーがいたからだろうし、単にハンガリー・ホーンテイルを間近で見たかったし、いつまでも観察したかったし、卵を抱いた雌はどのようなものか実際に知りたかったのだろうが。そのあたりを差し引いても、厚意は厚意だ。もちろん英国保留地のドラゴン使いだって、こんな損な役回りを押しつけられたシスネに同情しているだろう。なぜなら――。

「……受け取ってあげなさいよ」

 背後から声が聞こえた。英国側のドラゴン使いだった。なめらかに中国語を操り、声は続ける。

「こちらのレディ・バグノールドはただの使いなのだから」

 ねえ、マクファスシーもそう思うでしょう? 声は笑う。

 シスネは振り返るのをこらえた。ここで出さなくてもいいじゃないの。バグノールド姓を、これみよがしに。ああ、リアイスのドラゴン使いを止めようとしたって止められない。頼りになるのはドラゴン使い一族のマクファスシー家の魔法使いだが――。

「リアイスが捕まえたのは元気な女の子だ。鱗も綺麗だし、牙もそろってる。棘も完璧だ」

 自慢の我が娘のことを言うように、マクファスシーの魔法使いは言う。シスネは眼を瞑った。これだからドラゴン使いは。「頑張って捕まえたんだから当然」とリアイスのドラゴン使いの声がした。これもまた自慢の我が娘を……な口調であった。これだから。

「そちらのお嬢さんに対して無体を働いたが」

「ほんとにな」

 つらつらと語るマクファスシーの男の言を、中国のドラゴン使いが断ち切った。

「うちのかわいい子になにをしてくれている」

「いやほんと、お宅のお嬢さんは素晴らしいが」

 あの火炎なんてもう、とドラゴン使い同士で盛り上がり始めた。ルーマニアと英国からドラゴン使いがぞろぞろとひっついてきたのは嬉しい。というか頼りになる。その中に名のある家の者――マクファスシーとかリアイスがいたのもよかった。

 シスネは三校対抗試合の話に花を咲かせる輪のなかに、どうやって割って入ろうか思案しつつ、胃がきりきりと痛む心地だった。

――護衛のはずだ

 シスネの本来の仕事は、ドラゴン使いたちとドラゴンの護衛だ。なぜただの護衛が現地と交渉役、使いになっているのか。国際魔法協力部から誰かを引きずって来たらよかったが、あの部署は手が回らなくなっているらしい。バーテミウス・クラウチは病気がちになって、長を欠いた部署は少人数でなんとか凌いでいる……。

 魔法ゲーム・スポーツ部は立案、提案は得意なのだが交渉は下手である。そしてなぜか多少は噛んでいるが主でない部署、その一局の役職付きでもないシスネにお鉢が回ってきたのだ。第一の課題が終わってほっとしていたら「中国火の玉種の卵が多く割れてもめているので現地に行ってどうにかしてこい」と。詳細は不明であるが、中国火の玉種を英国――英国保留地がもらい受け、英国側からはハンガリー・ホーンテイルを贈るということで決着はついた。事前に話はまとまっているものの、さあ契約書を渡す段になって中国側が拒否しようとしたらどうしようかと思っていた。しくじれば失点である。中国側からすればシスネは魔法省の代理人であり、シスネの失態は魔法省の失態になる。シスネがバグノールドもとい大臣の元息女だからなのか、仮に馘首か降格かしても食べるに困らないから抜擢したのか、言語が堪能だからなのかは不明だ。

 ただ一つ、魔法省は信用に値せず、現大臣コーネリウス・ファッジもまた同じということだ。

 かわいい「中国火の玉種のお嬢さん」の卵がビクトール・クラムが遠因となって潰れた件に関して、中国側は機嫌を直した。宿舎に案内され、食事も振る舞われた。たまたまチャーリーが隣の席になってセーミャがどうこうと訊かれた。クィディッチワールドカップの時に会ったけどいつも通りよ、と返せばほっとしていた。

「……あなたも来ていたんじゃなかった?」

「貴賓席といっても広いじゃないか?」

 そりゃセーミャのことは見かけたけど遠目に見ただけで……とチャーリーぼそぼそ言った。これが伝説のシーカーだと誰が思うか。そして広い貴賓席でセーミャのことをちゃんと見つけたと。見つけたのに話しかけにいかなかったと。広いから。確かに赤毛の没落貴族、血を裏切る者のウィーズリー、その次男坊が貴賓席を徘徊できるかは……。隣にこわーい獅子もいただろうし。

 それとなく聞き出せば、チャーリーがセーミャを「見かけた」時、隣には誰もいなかったらしい。あからさまには言っていないが空いているのなら「友達として」「隣に」座りたかったようだ。それは本当にただの友達としてなのチャーリー、と訊きたかったがこらえた。伝説のシーカーはただの男に成り下がっていた。お試しだろうがなんだろうがセーミャとつき合えばセットで怖い獅子もついてくるのだが。知らないほうがいいだろう。

 セーミャが変な男に引っかかるくらいなら、バグノールド家から誰かをスクリムジョール家に放り込むけれど。たぶん長兄は獅子のお眼鏡には適わないだろうが。大事な娘にバンドマンの婿をひっつけたい父親はいないだろう。ちゃらちゃらしているしうるさいが、悪くはないのだが。なにせリアイス家のルキフェルからの依頼とはいえ、わざわざアルバニアまで行って、バーサの亡骸を見つけて通報したのだから。

『きな臭いだろ』

 義兄の声が蘇る。あの日の居間。もの悲しい旋律。

『ルキフェルも大事にはしたくなかったらしい。無辜の一般人に偶然通報してほしかった』

 なにせ彼は非番で、私用であの地に行っていた――という体だ、と義兄は断言した。

『スクリムジョールからそれとなく言われて行ったんだろうけど』

 ファッジは面白く思わないでしょうね、とシスネは返した。バーサ・ジョーキンズを探そうともしなかったのはルード・バグマンの怠慢である。ファッジは魔法大臣で、仕事が多く、眼を向けるべきものも多い。一介の職員を気にかけるのは難しい。が、バーサが見つかってからの一連の「黙殺」はあまりにも不自然だった。職員の病死事故死その他ならば、省内報にお悔やみくらいは載せるものだ。それが決まりきった文言だろうと多少の言及はある。残念だった、よく勤めてくれたと。最後に魔法大臣の署名をつけて……。

 バーサに関してはなにもない。噂だけだ。ファッジはなんの言及もしていない。ただ放置している。まるで忘れ去られるのを待っているかのように。

『ビビっているのさ』

 アルバニアで、血を抜き取られた遺体なんて、いかにも不吉じゃないか。だから夜中に一人で手洗いに行けないファッジは見ざる聞かざるだ。

 闇の魔術だと思う? そう訊けば、義兄は肩をすくめた。

『そうじゃないなんて言うやつは、頭に消失呪文をかけられたに違いない』

 なにせワールドカップで打ち上がったのが……と言い掛け、義兄は眼を逸らした。シスネの元の姓を思い出したのだろう。クラウチ。闇の僕を輩出した家、そしてクィディッチワールドカップの不祥事で発見されたのはクラウチ家の妖精だった、と。

「闇の印」

 チャーリーが漏らした言葉に、シスネは声をあげそうになった。ちら、と彼の青い眼を見る。彼はシスネがクラウチ家の娘だったことを知らないはず……。だというのになぜ印の話なんて持ち出すのか。チャーリーはシスネの緊張を知らないように続けた。

「クラウチの妖精が打ち上げたとも思えないんだよな」

 クィディッチワールドカップから、自然と連想しただけらしい。シスネはほっと息を吐く。

「妖精は発見されただけで」

 言を切る。チャーリーの父は魔法省勤めだ。なにをどこまで把握しているかはわからないが、省に流れている噂を耳に入れるくらいはいいだろう。

「バーテミウス・クラウチは病気がち。自分の妖精が疑われたってだけで寝込むくらいだから……」

 彼がやった、それか妖精にやらせたというのはないと思う、と結ぶ。それでは足りない気がして、付け加えた。

「息子を裁判なしでアズカバンに送った男だもの」

 まったくの他人のように、あまりにも情のない男を非難しているように……そう聞こえるように注意を払う。

 じんじんと片腕、その内側が痛んだ。肘の少し下あたり。無意識のうちにぐっと握っていたらしい。隠すように、すがるように。

「結局、誰が闇の印を打ち上げたのか、わからずじまい」

 軽く言う。困ったものだというように。

 手で隠したそこがずくりと痛む。存在を主張するように。

 シスネ、と声がした。過去の声、亡霊の声。

 年の離れた兄に、それを付けられたのはいつだったろう。眼を輝かせ、お前もいつかあの方にお仕えするのだよと言われ。

――こんな風に

 印を付けられるんだと杖を当てられた。悲鳴をあげようにも、沈黙呪文をかけられた。父も母も留守だった。こぼれた涙はそっとぬぐわれた。

 これは約束の印だ。共にあの方に仕えるのだという、印だ。

『そのときになれば』

 上から印を付けてもらおう。

 誰にも言ってはいけないよ。煙を上げるその傷跡、禍々しい闇色の蛇――髑髏のない、仮初めの印に兄は優しい手つきで軟膏を塗り、包帯を巻いた……。

『約束だ』

 囁いた。繰り返し、繰り返し、幼い妹のなにもかもを塗り替えるように。

 肘から手を離す。なにもないふりで、その場をやり過ごす。

 兄は死んだ。葬られた。すべては終わった。不安に思うのはシスネが臆病だからだ。

――約束の蛇が

 その色を褪せさせないのも。

 色が濃くなっている気がするのも。

「……気のせいよ」

 小さくつぶやいた時、なにかが聞こえた。それは己の内側から響いてきたようだった。

 ぐしゃり、と。

 ドラゴンの卵が潰れるような、胸の悪くなるような音だった。




マクファスティー一族
『幻の動物とその生息地』より。
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