【完結】転がり落ちた雛鳥は、   作:扇架

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※六話に入れるのを忘れていた箇所があったので(つまりピクシブでいうところの10話部分をまるっと忘れてた)五話として投稿。


五話

 ざざ、ざざ。ざざ、ざざ。

 寄せては引いて、引いては寄せて。奏でられるのは潮騒の音。

 終わりなく、果てもなく。

 波は監獄を洗う。

 

 その一報を受け、シスネは早退した。魔法省の暖炉からホグズミード村へと向かう。今日の護衛はウィリアムソンで、彼は文句も言わずついてきた。

 『三本の箒』から転がるように出て、用意されていたセストラルに飛び乗る。軽く手綱を打てば、セストラルはなめらかに、音もなく飛翔した。生ぬるい風を切る。もどかしいが、ホグワーツへ直接姿あらわしはできない。そして境界線の中に入ったところで、敷地を突っ切らなければならない。ならば最初から馬か箒を使って正面玄関に乗り付けたほうが早かった。

 シスネは隣――セストラルを駆るウィリアムソンを見る。今日の、大臣の元息女の護衛――監視を。事情も明かさず好き勝手に振り回していい人間ではなかった。彼は闇祓いで、こんな監視に割いていいはずがないのだ。他の闇祓いも同様に。

「三校対抗試合の勝者が決まった」

 その「勝者」の名を言わず、シスネは続けた。シスネ自身もまだ混乱していた。あまりにもありえないことだった。

「勝者を勝者にしたかったのは」

 ゴブレットを騙し、四人目の代表選手をつくりだしたのは。

「バーテミウス・クラウチ・ジュニアだった」

 彼は生きていた、とシスネは囁いた。

 

 正面玄関から構内に飛び込み、銀色の守護霊に導かれるまま、ひたすらに走った。どこからともなく獣のような声が聞こえる。息子の名を呼ぶ父の声――エイモス・ディゴリーの叫びだった。ああ、彼は代表選手の父であった。息子を自慢に思っていた。だというのに奪われた……。

 常ならば、足を止め、エイモスがいるであろう場所を探していただろう。少しでもなにかを……残念だったとか、惨いことだとか言うために。だが、シスネは急いていた。常にないほどの、焦燥の炎に焦がされて、一角獣のように敏捷に駆けていた。向かったところでなにをすべきかもわからないままに。

 ふっと守護霊が消える。その扉の前に従姉のクロードが立っていた。まるで番人――看守のように。彼女は淡い青の眼を、ひたとシスネに向ける。

「急いで」

 会うか。それともこのまま背を向けるか。大臣がやってきたら、なにも選べなくなるから。

 それはクロードの、従妹への温情だった。大臣への一報をほんの少し遅らせたのだろうと察するだけの思考力は残っていた。猶予をつくってくれたのだ。バグノールド家に引き取られてもなお、亡霊に、父の影に翻弄されてきたシスネのために。

「ありがとう」

 ただ一言クロードに告げる。シスネはウィリアムソンに待っているように手振りで伝え、扉に手をかけた。そうして踏み込んだ。ちらちらと輝く敵鏡、開いたままのトランク、椅子に縛り付けられている兄が、にぃっと笑った。マッド・アイになりすましていた詐欺師、バーテミウス・クラウチ・ジュニア……いいや、父亡き今、彼こそが唯一無二の「バーテミウス・クラウチ」だった。誰の影でもない、誰の似姿でもない真の者であった。

 まるで、幼い日に戻ったかのようだった。兄の室。兄はにこにことしていて「あの方」を讃えていた。あの偉大なお方が俺の父ならば、と夢想していた。魔法省のお堅い役人の息子なんてつまらない……敷かれた路を、父と同じ路を歩まねばならないのか。ああ、俺は父の複製だ、虚像だ。ただの人形だ。世界を変革するあの方こそ、俺の父であれば。なあ。

「シスネ」

 兄が満面の笑みを浮かべる。まったくなにも変わっていないように。時の隔てなど感じさせず。

「来てくれたのか」

 僕の妹。

 本当に、本当に、兄は嬉しそうだった。この世で一番尊い仕事を成し遂げた顔をしていた。父にほめてもらいたい息子の顔をしていた。

「俺はやったんだ」

 あの方は復活なされたのだ!

 兄は叫ぶ。シスネはなにも言えないでいた。あまりに言いたいことが多すぎた。あまりに……あまりに、兄が壊れていたことに、己が怪物の妹であることに、シスネが家族の誰とも似ていないことを言えば「そんなことを気にしなくてもいい」と言ったのも、僕の妹だ、俺の妹だと言ったのも、全部全部……。

「共にお仕えしよう」

 妹。我が同志。俺の同胞。

 シスネは耳をふさぎたかった。なにもかもしらないふりをしたかった。こんな男の妹ではないと言いたかった。だが、否定できなかった。

「約束の印はまだあるだろう?」

 幼い妹の片腕に、消えぬ痕をつけた男は言った。永遠の証を刻んだ男は笑った。心底から、よいことをしたと眼を輝かせていた。

 シスネは何度も息を吸い、吐いた。絡まり合った糸の中からただの一本を引き抜いた。

「あなたはずっと」

 ジュニアよ。

 一緒には行かない、お前なんて兄ではないと言う代わりに、見えざる剣を「ジュニア」の最も柔い部分へ突き刺した。時にペンは杖より強い。言葉もまた魔法である。

 耳をつんざくような叫びとともにジュニアが椅子ごと立ち上がる。どす黒い炎の燃える眼が、シスネを貫いた。ぷつり、と戒めが解ける。怪物が放たれた。ジュニアのあまりの怒りが――魂を壊さんばかりの怒りが、戒めを解いたのか。他の理由か。シスネにはわかりようがない。ジュニアは杖なしで、シスネは杖を持つ者で。本当ならばどうとでもなるはずだった。だというのに視線という魔力がシスネを凍り付かせた。ジュニアの眼が、シスネをからめ取った。

 ほんの数歩の距離をジュニアは縮め、年の離れた妹を、己が支配し所有し、傷を刻んだかわいい妹を押し倒し、首を絞めた。魔法を忘れたただの獣のように。

 片手でぐっと妹のほっそりした首を絞めた。男の力であれば、それは容易なことだった。そしてもう片方の手で、妹の杖を奪い取り、妹の片袖を引き裂く。片手に首を。片手に杖を。二つのことを同時にこなすことなど、ジュニアにとっては簡単すぎることだった。彼は能吏の息子であり、偉大なるあの方の息子となりたかった男であり、ロングボトム夫妻襲撃に加わり、あまりに凄惨な拷問を楽しんだ獣であった。極めて優れ、飛び抜けて残酷で、悪魔のように裏をかき、ダンブルドアを約一年もの間騙した役者であった。

 暴れようとする妹を封じ込め、どうせかわいい妹はこの手で殺すというのにと思いつつ、衝動のままに杖を押し当てる。妹の、白い肌に刻まれた痕に。どうしてそうするのかもわからないままに、不合理に。

 昔々に刻んだ蛇に、髑髏が加わる。「約束の印」は「闇の印」にそっくりな、彼があの方から賜ったそれの似姿となった。

 誰が刻んだのかはもはや関係がないのだ。それがどういう図案をしているのかが肝要なのだ、とジュニアは喉を鳴らした。もがく妹の首を優しく、たしなめるように絞める。今度は両手を使って。確実に、完璧に。

 満足とともに仕事の続きをする。自分があの方のために監獄に入っていたというのに、約束を刻んだ妹は、外でぬくぬくとしていた。赦せない。

――俺と同じにしなければ

 赦してやれない。同じ栄誉を与えねばならない。

「約束しただろう!」

 ジュニアは吼える。世界に向かって。宣言するように。

 扉の開く音にも気づかず。

 忍び寄る冷気にも気づかず。

「お前は俺とともに! あの方にお仕えすると!」

 己が一方的に「約束」を刻んだのだということも忘れて。

 そうして、彼は冷たい手に包まれ。

 無機質な闇に呑み込まれた。

 

 ぜ、とせき込むシスネは、涙で滲む視界に背の高い影をみた。

 ふらふらと身を起こす。何度も瞬けば、世界が晴れていった。くっきりと、なにもかもをシスネは捉えた。冷たい闇と、緑の閃光と。

 眼を見開いて転がる兄の姿。ごろごろと音を立てる吸魂鬼。杖を構えた従姉。駆け寄ってくるウィリアムソン。

 口を開け、眼を見開き、シスネを――その片腕を見る、大臣の姿を。

 

 この日、バーテミウス・クラウチ・ジュニアは死亡した。

 最初に魂を抜かれ、そうされてなお妹の首を絞め――従姉の手によって命を摘み取られた。

 十数年前に社会的な死を迎え、二度目に魂を失い、三度目に生命活動そのものを停止させた。

 彼は、今度こそ完璧に死んだ。

 

 

――人は

 死ねば終わりではないのだ、とシスネは思った。

 あの忌まわしい日から数日――一週間ほどか。

 兄に殺されかけたことも偽の「闇の印」が刻まれてしまったことも、兄に殺された父の、あまりにやつれ果てた亡骸と対面したことも、なかったように振る舞った。

 魔法大臣に見られたけれど、クロードもウィリアムソンも「彼女は被害者だ」と言ってくれた。だから、なにも考えたくないシスネは、なにもなかったのだと思うことにした。兄も父も死んだ。なにもかも終わった。

――終わった

 はずだ、と。

 定時間際の時だった。ざわざわとしていた局が、不意に静かになった。仕事に没頭していたシスネはふと顔を上げた。誰もが――局の誰もが、入口にほうをみていた。鮮やかなピンク色が見え、踵を打ち付けるようにドローレス・ジェーン・アンブリッジがやってきた。シスネに向かって。シスネを目指して。胸に「上」――高官を示すバッジを誇らしげに付けて。魔法警察を従え、この世の摂理の支配者だと言わんばかりの顔をしていた。

 背後から肩を掴まれる。「時間を稼ぐ」と囁かれた。きっと変装して入り込んだルキフェルだろう、と見当がついた。姿を変えても、声を変えても、その抑揚からわかってしまった。

 いつもなら局の中まで護衛しないのに。それともシスネが気づいていないだけだったのか。

「……いいの」

 囁いた。ルキフェルならば時間を稼げるだろう。局に混乱を引き起こしシスネを逃がすくらいできるだろう。だがどうなるというのか。ドローレス・ジェーン・アンブリッジは異例の昇格をした。きっと大臣直々に引き上げた。そして彼女は魔法警察を引き連れている。独立性の強い闇祓い局――闇祓いたちではなく、ある程度大臣が好きに動かせる駒たちを。

 世界一賢いとはいえないが、不幸なことに事態の察しがつくくらいの頭脳をシスネは持っていた。彼女は能吏の子で、怪物の妹で、女傑の子であったので。

 さらに不幸なことに、長い年月かけて心を弱らせていた。とどめのように、数日前の出来事でさらに弱り――気力を失っていた。

「シスネ・バグノールド」

 甘い声が言う。くすくすと笑いながら、巻物の紐を解く。

「いいえ、シスネ・クラウチ」

 するり、と巻物が――その命令書が広がった。末尾に、魔法大臣の署名が。そして禍々しいまでに鮮やかな、魔法大臣印があった。

『逃げられないぞ』

 どこかで兄が囁く。逃げられないぞ一生。ずっと、永遠に。

 ああ、とシスネは吐息をこぼす。

 人は死んで終わりではない。その悪意は――怨念ともいえるそれは、生者へ呪いを歌い、災厄をもたらすのだ。

 つ、と魔女の手が伸びる。するりとシスネの片袖を上げ、それを露わにした。

「死喰い人として連行します」

 闇の印がその証。

 シスネは、魔女の輝く眼を見つめた。そこに見えたのは、シスネをなにがなんでも監獄行きにするという意志であった。きっとなにを言っても無駄であろう。これは闇の印ではないと言ったところで意味はない。彼らにとって誰が刻んだかは考慮に値しない。蛇と髑髏はすなわち闇の印。きっと本物と比べれば差異があろう。そんなこともどうでもいいのだ。

――これは

 兄の悪意で、ファッジの狂気で、アンブリッジの憎しみだ。

 怒りはわいてこなかった。ただ、しんと冷えた悲しみだけがあった。シスネは結局、怪物の妹として見られる運命なのだ。

 ミリセント・バグノールドに、なんの恩も返せないままなのだ。

 シスネは唇を開いた。なんの意味もなくとも、せめて言いたかった。

「私は兄の玩具でした」

 これは兄が刻んだ、兄の所有の印なのです、と。

 あくまでもクラウチの問題だと。兄のせいであると。

 バグノールドに。育ててくれた恩人に。大事なきょうだいたちに。

 せめて累が及ばないように、と。

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