その1 空を想う乙女
忘れられない、景色がある。
幼い頃にたった一度、夢みたいな経験の中で見た、夢みたいな景色。
一面に広がる、薄く茜色に染まった空。
ゆっくりと流れる雲。
私のすぐ側を、小鳥たちが飛んでいく。
見下ろした先には、私が住んでいる街が広がっている。
見知った学校や公園は、おもちゃのように小さく見えて。
そのさらに先には、まだ見たことのない街並みが、どこまでも続いている。
そう。私はあの日ーー確かに、空を飛んでいた。
自分自身が、空の一部になったみたいだった。
空から見渡す景色は、幼い私にとって世界の全てだった風景の、そのずっとずっと先まで世界は続いているんだって教えてくれた。
……知らなかった。
世界って、こんなに広いんだ。
ずっと窓の外に見ていた景色が、今は手が届きそうなほど近く感じられて。
息を飲み、目を輝かせる私を抱き抱えて。
"その人"は、優しく微笑んでいた、気がする。
◇
『もうこっちに着いてる頃か?
アタシは仕事上がれるの夕方になりそうだ
色々案内してやりたかったのに、ごめんな
m(_ _)m
鍵は玄関の消火器の下に入れといたから、飛鳥が先に着いたら中で待っててくれていいぞ。
『分かりました!
せっかくなので、少し町を歩いてみようと思います。
燕さんも、お仕事頑張ってくださいね!
入力し終えたメッセージを送信し、スマホから顔を上げると、
「わぷっ……」
ちょうど春風が周りの草花を揺らしながら吹き抜けていった。
苦笑しながら、乱れた前髪とずれた眼鏡を整える。少しびっくりしたけど、気持ちの良い風だ。
3月の後半。この間までの身が縮まるような冷たい風に、今は少し春の優しさが感じられるようになってきた。
見渡す景色にも、ところどころで桜が色づき始めているのが分かる。優しい色合いに彩られた景色が綺麗で、少し目を細める。
朝は上着が必要かと思ってたけど、お昼になればしばらく歩いていたのもあって、パーカーを羽織っただけの今の服装でもちょうどいい気候だ。
……それにしても
「良く見えるなぁ、空」
緑が坂道を作る、土手の上。
見渡す先に広がる町は高い建物が少なく、空を遮るものがない。
『
澄空町ーー今日から私、
町の名前と、この景色。二つを知っただけで私は、迷わずこの町に来たいと思った。……あの日から、空は私にとって特別な存在だから。
ずっと狭い世界に閉じ籠っていた私を、どこまでも続く空が変えてくれた。
私もこの空の下、広い世界の中にいるんだと、気づかせてくれた。
あれから私は、眼鏡のレンズ越しに何度空を仰いだだろう。
何度も見上げて、何度も勇気を貰い、何度も憧れて。
もう一度、そこへ行きたいと願ってきたほどに。
「さてと、休憩終わりっ」
ベンチから勢い良く立ち上がり、リュックを背負い直してまた歩き出せば、春風がそっと、背中を押してくれて。
歩みはだんだん小走りになって、気付けば私は土手の上を駆け抜けていた。
まだ学校の場所も分からない、知り合いもいない、初めての町。
不安が無い、訳じゃないけれど。
それよりも楽しみだと思う。何もかもが初めてのこれからが。
青空の下、ドキドキとワクワクを抱えたままで、息を切らせて私は走る。
意味は無い。だけど気持ちが良くて、笑みが零れる。
何より、いつだって私には空がついてくれている。
見上げれば、いつだってまた勇気を貰える。だから、大丈夫。
そういう訳で、澄空町。
今日から、よろしくお願いします!