初めてその姿を目にした時、わたしは一瞬で心を奪われた。
優雅に靡く金の髪。
純白のドレス。
それらをはためかせながら魅せる所作の一つ一つが、見惚れてしまうくらいに美しい。
気品に溢れた佇まいからは、自分自身を信じる心の強さが感じられた。
花や鳥を慈しみ、身分の違う民の言葉にも真摯に耳を傾け向き合う。民の流す涙には、たとえそれがどんなに小さくとも胸を痛め、その苦しみを取り除くために自ら手を差し伸べる。
美しく、そして強くありながら、同時にとても優しくて。
その生き様は、その在り方は。
とっても、きらきらして見えた。
わたしも。
わたしも、なりたい。あの人みたいに。
「プリンセスに、なりたい!」
……幼いわたしが抱いたのはとても単純で、だけどあまりにも強い憧れだった。
◆
わたしーー
プリンセスが登場するおとぎ話の絵本を、毎日のようにお母さんに読み聞かせてもらったり。
誕生日プレゼントには、ねだってねだっておもちゃのティアラを買って貰ったっけ。そんなに高価なものじゃない子ども用のものだけど、わたしには本物のように輝いて見えた。見た目からでも一歩、憧れの姿に近づけたことが嬉しくてたまらなかった。
気づけば、同じ夢を持つ友達もたくさん出来ていた。
あの頃のわたしは、プリンセスという夢をまっすぐに追いかけていたんだ。
高校生になった今も、それは変わらない。
プリンセスになりたいと、小さい頃と同じように夢見ている。
幼い頃に心奪われたあのきらきらした姿が、今もわたしの中で色褪せずに輝いている。
……だけど。
今は、その憧れを誰かに口にすることは少なくなった。特に、高校に進学してからは友達にも言っていない。
もちろん、プリンセスへの想いは変わっていないけど。……皆が皆、それを肯定してくれる訳じゃないから。
『まだ好きなんだ、そんな子どもっぽいの』
『お姫様なんてさ、なれる訳ないじゃん』
心ない言葉で大好きなものを笑われ、何度も傷ついて。
『結月も、そろそろそういうの卒業したら?』
それでも、思い出してしまう。
思い出す度に、泣きそうになってしまう。
そのうち、正直な気持ちに蓋をするようになった。自分が傷つくのも、自分の想いを傷つけられるのも、恐かったから。
成長していくにつれ、純粋な夢や憧れを心のままに口にする人は少なくなる。周りの目を気にして、なんとなく憚ってしまうようになる。
そしていつしか、夢すらも忘れてしまう。
みんな、そうなのかな。
わたしも、その一人なのかな。
心に蓋をし続けるくらいならこの夢を、憧れを、捨ててしまうべきなのかな。
もう、子どもじゃないから。
「わっ……」
風が吹いた。
春を感じる暖かな風に、意識が現実へと引き戻される。
弄ばれた栗色の髪を整えながら、はあ、とため息が漏れた。
辛いこと、思い出しちゃったな……。
辺りを見回して気づく。いつの間にか、わたしは土手の上の一本道を歩いていたらしい。
わたしの住む
気分を変えたくて散歩に出たはずなのに、景色にも気づかず上の空で歩いてしまった。
何やってるんだろう、わたし。そんな呆れが胸に浮かんで、ため息がまた漏れる。
目的もなく歩いても、思考が勝手に辛い記憶をなぞってしまう。
「……帰ろう、かな」
そう、諦めるように呟いた時だった。
また、風が吹いた。……一瞬そう勘違いしてしまったのは、わたしが俯き前を見ていなかったからかもしれない。
風のようだったけど、風じゃなく。わたしの隣を駆け抜けて行ったのは。
眼鏡をかけた、パーカー姿の女の子だった。
「あのーっ! 大丈夫ですかーっ!?」
そう、彼女が叫ぶのが聞こえて。
風に乱れた髪を直すのも忘れて、わたしも彼女が呼び掛けた方へと振り返った。
土手を下った先、平らに広がる部分は公園になっていて。
そこに生えた樹の下に、小さな女の子が顔を覆うようにしてうずくまっていた。……距離があるから声は聞こえないけど、明らかに泣いている。
……気づけなかった。
さっきまで、わたしも近くを歩いてたはずなのに。自分のことに、いっぱいいっぱいになってたせいで。
気がつけばぎゅっ、と胸の辺りを握りしめていた。
さっきの子が、女の子の側で必死に慰めているのが見える。よく見ればわたしと同年代の子だ。
「……ほんとに、何やってるんだろう、わたし」
こんな時。
プリンセスなら、どうしてただろう。
たとえ、自分が落ち込んでいたとしても。
たとえ、自分の中に辛い気持ちがあったとしても。
目の前の涙に、きっと手を差し伸べる。
「そう、だよね」
小さく呟き、顔を上げて走り出す。今しがた隣を駆け抜けていった、彼女の後を追いかけるように。
今でも、わたしはプリンセスに憧れている。
叶わない夢だと言われたこともある。
なれる訳ないと笑われたこともある。
……そう、かもしれない。
だけど。
目の前の小さな涙を放っておくことも、見て見ぬふりも、わたしには出来ない。
みんなに笑顔でいてほしい。そのために、困っている人がいるなら助けたい。
たとえ、プリンセスになれなくっても。
それが、プリンセスがわたしに教えてくれた、生き方だから。
「あの……どうしたの?」
追いついた先で、二人に声を掛ける。
小さい女の子は変わらずうずくまっていたけれど、近くに来たことで今はその嗚咽も聞こえてくる。
先ほどの眼鏡の子も顔を上げ、困ったように眉を下げた。
「この子のボール、木の上に引っ掛かってしまったらしいんです……」
視線の先、わたしたちの倍以上はある木の枝と枝に挟まるように、確かにピンクのボールが見えた。
「うぅっ…ぇぐっ……あたしのボールっ…」
涙の止まらない女の子。その頭に優しく手をのせ、長い黒髪に沿ってそっと撫でる。
少しでも、心を落ち着けてあげたくて。
それから、眼鏡の子へと向き直る。
「わたしも手伝うよ! 二人なら、届きそうじゃない?」
「えっ……いいんですか……?」
「もちろん! ……この子にも、笑ってほしいから」
「! ……はい!」
わたしの言葉に、眼鏡の奥で彼女の瞳が驚いたように見開かれ、それから嬉しそうに細められた。
裏表のない、素敵な笑顔だった。
……優しい子なんだな、この子も。
「あっ、わたしは桃原 結月。よろしくねっ!」
「桃原、さん……。私、
自分の名前と一緒に手も差し出してきた眼鏡の子、もとい天知さん。
握手に応えつつ、丁寧な子なんだなと思う。
そういえば、ずっと敬語で話してるし。……同い年かと思ってたけど、もしかして年下なのかな?
まあ、その辺は後で聞けばいいか。今は先に、あの子の笑顔を取り戻さないと。
揃って頭上を見上げていた私たちに、泣き続けていた女の子も気づいたらしい。ぐすぐすと未だ溢れる涙をなんとか拭いながら、
「おねえちゃんたち……ボール、とってくれる……?」
……縋るような声で、そう聞いてきた。
その言葉に。その涙に。
私たちは顔を見合わせるまでもなく、笑顔で声を揃える。
「ええ、もちろんです!」
「お姉ちゃんたちに任せて!」