「どうかなーっ? 届きそうーっ?」
「ボールまでは難しいですが、枝には捕まれそうですね。あとは樹を登って行ってみます」
「えっ、木登り!? ……分かった、気をつけてね……っと!」
ふっと肩が軽くなり見上げると、確かに
大人しそうな印象だったけど、意外とアクティブな子だなあ、なんてぼんやりと思ってしまう。
……でも。
見ず知らず誰かのためにここまで頑張ってくれる彼女は、間違いなく優しい人だ。
なんて思っている間に、天知さんは枝から枝へ。あっという間にボールの場所まで辿り着いていた。
「ボール……!」
さっきまで泣きじゃくっていた、ボールの持ち主である女の子の声が、初めて弾んだ。
相変わらず涙でぐしゃぐしゃだけど、その奥に確かな喜びの感情が見える。
ふっとわたしの心も軽くなり、思わず表情が綻ぶのが自分でも分かった。
天知さんの居る高さからも、それは見えたんだろう。ボールを手に、彼女からも微笑みがこぼれる。
そのせいで、気が緩んでしまったのかもしれない。
「ぅわっ……!」
天知さんが、足を滑らせてしまうのが見えた。
咄嗟のことに息を飲む。わたしの隣で直前まで瞳を輝かせてた女の子が目を覆い、小さな悲鳴が刺すように耳に響く。
「天知さんっ……!」
間に合わないとか。
大ケガをするほどの高さじゃないとか。
そもそも抱き止められるほどの力が無いとか。
ぜんぶ分かっていても、何もしないなんて出来なくて。
伸ばしかけた手の先に、わたしは目を疑うものを見た。
例えるなら、コマ送りのように。
まるで世界の全てが、スローモーションになったみたいに。
天知さんが着地するまでの、不思議なまでに長い体感時間の全てが、衝撃を伴ってわたしの瞳に映し出される。
そのコマ送りの一瞬の中の、さらにほんの一コマ。きっと瞬きよりも早い時間の間。
……彼女の背に、白く大きな翼が見えた。
天使を思わせるその翼が、ふわっと天知さんを一瞬浮かせて、落下の衝撃を全てゼロに変えてその体を地上に運んだーーように、見えた。
天知さんのスニーカー、その爪先が地面を踏んだ瞬間、世界の時間がまた動き出した。
……一瞬見えた、あまりにも荒唐無稽な光景。
夢を見た。そう言ってしまった方が、わたし自身あの光景を飲み込める気がしたけど。
だけどあれだけの高さから無事、現に彼女は降り立ってみせた訳で……
「よっ……と。……と、ととと……うわっ!」
「……あ」
幻想的な白昼夢は終わりを告げて、待っていたのはあまりにも現実的すぎる光景。
着地の直後にバランスを崩してひっくり返ってしまった、天知さん姿だった。
幸か不幸か、転んだ先は砂場だったからそこまで痛くない、のかもしれないけど。
現実離れしすぎた翼の光景は、幻か何かだったんだろうと勝手に結論付けて。そんなことより、と女の子と二人で慌てて砂場へ駆け寄る。
「……だ、大丈夫……?」
恐る恐る声を掛ける。
と、返事ではなくガバッ、と両腕が突き上げられた。
その手の先には……
「ボール!!」
女の子が抱きつくように受け取って、ボールは無事に持ち主の元へ帰ってきた。
後からむくり、と天知さんが起き上がる。……その眼鏡は斜めにずれて、パーカーは砂まみれだけど。
「……良かったぁ」
汚れも、眼鏡のズレもまるで気にせず。
ただただ満面の笑顔で、彼女は笑っていた。
その姿を、その笑顔を見ていたら。
とくん、と。
わたしの内側で、何かが熱くなるような感じがした。
あぁ、この子はすごい。
自分が転んだって汚れたって、お構い無しに。
誰かの幸せに、こんなに心からの笑顔を向けられるんだって。
なんて美しい心の持ち主なんだろうって。
これがどんな感情なのか上手く表現できないけど、ただ心が暖かくなって、嬉しくなって。
その心のままにわたしは、彼女の前に手をさしのべた。
「手、掴まって? ……ありがとね、力になってくれて」
眼鏡がずれて、レンズを隔てない天知さんの瞳と初めて目が合う。
澄んだ瞳の奥に青空を映しながら、少しきょとんとしていたけれど。やがて柔らかな笑顔を浮かべてわたしの手を取ってくれた。
「こちらこそ、ありがとうございます」
「体、痛くない?」
「ええ、なんとか。……転んだとこ見られちゃったの、ちょっと恥ずかしいですね」
照れ笑いを浮かべる天知さん。
近くに並んで気づく、ちょっとだけの身長差。僅かに上から見下ろす笑顔。
彼女の新しい一面がまた見えた気がした。
「おねちゃん、ありがとうっ!」
「ふふっ、どういたしまして」
女の子に目線を合わせるようにしゃがんでから笑いかける。
笑顔だった女の子は、屈んだ天知さんを見て何かに気づいたようにぽかん、と口を開けていた。
「おねえちゃん……眼鏡、ずれてるよ?」
「えっ!? わっ……ほんとだ、気付きませんでした!」
一転、あわあわと眼鏡を整えだす天知さん。
……ほんとに、気付いてなかったんだ。
「……ふふっ、あははっ!」
「もーっ、
冗談交じりに拗ねてみせる天知さんが、なんだか可愛くて。
ごめんごめんと言いながら、また笑みが溢れてくる。
可笑しくて、楽しくて。
ついさっきまで、わたしの心は沈んでいたはずなのに。ため息ばかり吐いていたはずなのに。
天知さんに会ってから、そんなこと忘れちゃってたなぁなんて、ぼんやり思っていた。