空想乙女レイ・ドリーマーズ!   作:海月 水母

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その4 つばさ

 大事そうにボールを抱えながら手を振る女の子を、桃原(ももはら)さんと二人で見送った。

 一件落着。そして。

 

「えっ、天知(あまち)さんって今日引っ越してきたばっかりだったの!?」

 

「はいっ! 本当につい先ほど」

 

「そっか~。ようこそ澄空町(すみそらちょう)へ、だね!」

 

 私と桃原さんは今、ベンチに並んで座っている。

 まだ出会ったばかりの、お互い素性もよく知らない同士。だけど先程あの女の子のために協力できたこともあってか、私は早くも彼女に心を許していた。

 桃原さんも、同じ気持ちでいてくれたらしい。栗色のロングヘアとふわっとしたワンピースを靡かせながら、人懐っこく身を乗り出して熱心に私の話を聞いてくれる姿が、なんだか愛おしい。

 

「それにしても、天知さんも同い年だったのは意外だったな~。ずっと敬語だから年下なのかと思っちゃった」

 

「癖なんですよね、敬語で話すの。距離があるように聞こえてしまってたらすみません……」

 

「ううん、全然平気だよっ! そういえばさっきの女の子にも敬語だったもんねーーってあれ、わたしと同い年で今日引っ越してきたってことは……もしかして、四月から学校は?」

 

「はい、転入する予定です。晴上(はるかみ)高校というところに」

 

 晴上高校。その名前を聞いた途端、隣の桃原さんがぱあっ、と表情を輝かせたように見えた。

 

「晴上高校!? わたしも通ってるとこだよそれ!」

 

「そうなんですか!? ふふっ、なんだかすごい偶然ですね」

 

「そうだね~! せっかく友達になれたんだし、ここまできたら同じクラスにもなれるといいね!」

 

 未来に思いを馳せ、桃原さんの声が弾む。

 友達。桃原さんの口からあまりにも自然にこぼれた、その言葉に。

 少し驚いて。

 それから、心が解れるようにじわじわと温かくなる。

 特別な何かをした訳じゃない。された訳でもない。それでもなんてことのないように、桃原さんは私を”友達”の輪の中へと手を引いてくれて。

 ……確かに、桃原さんと過ごせる時間が増えたら楽しいだろうな。なんて、私まで未来を想ってしまう。

 

「でも、高校の途中で転校するって寂しくなかった? 友達とか、みんな離れ離れになっちゃったんだよね?」

 

「……そう、ですね」

 

 心の中で、少しだけ後ろを振り返る。

 ここに来る前の気持ち。

 思考はポジティブな方だけど。不安は、ゼロじゃなかった。

 日常の形が大きく変わる。その先に見えるようになる景色は、想像したくても出来なかったから。

 ……だけど。

 

「信じられたんです。ここでなら、澄空町でならきっと大丈夫だって。」

 

 空を見上げる私を、桃原さんが不思議そうに覗き込む。

 眼鏡のレンズ越しに、今日も一面の青が映り込む。それだけで、文字通り心が晴れる気がして。

 

「あの空が私を変えてくれたんです。俯いてばかりだった私に、勇気をくれた。……それ以来、辛いことがあったら空を見上げるんです。また俯いてしまわないように、元気を貰えるから」

 

 私が変わることができた、あの日。

 空の広さを初めて実感した時。

 私の世界が、空のように広がった瞬間。

 忘れられないあの感覚は、いつだって私の傍にあった。

 

「だからいつでも空のよく見えるこの町でなら、何があっても大丈夫。そう信じて、私は澄空町に来ました」

 

 視線を下ろし、桃原さんに向き直る。

 きょとんとしたままの澄んだ瞳が、微笑む私を映していた。 

 

「この町に来たから、桃原さんとも出会えた。……やっぱり私、来てよかったですっ!」

 

「! ……ありがとう」

 

 桃原さんの瞳が、揺れる。

 私を『友達』と言ってくれた桃原さんに、私なりの感謝を伝えたつもりだった。それは、おそらく桃原さんに届いたんだと思う。

 だけど。

 

「好きなんだね、この空が」

 

 先ほどまでと打って変わって、静かにそう呟いた桃原さんの表情は、少しだけ寂しそうだった。

 

「? どうかしましたか?」

 

「ううん……天知さん、きらきらしてるなぁって。ちょっと羨ましかったの」

 

 きらきら。

 桃原さんがその言葉に、好意的な感情を込めてくれているのはなんとなく感じ取れた。

 それは、素直に嬉しいけど。

 どこか、引っ掛かる。

 

「桃原さんは、きらきら……出来ていないんですか?」

 

 思わずそう、尋ねてしまった。

 私が出会ってからの桃原さんはずっと明るくて、誰かのために一生懸命になれる人。そう、見えていたから。

 そんな彼女が寂しげな顔をするのは、まるで晴天を雲が覆ってしまったみたいに、苦しくて。

 手を伸ばすように、差し伸べるように、聞いてしまったけれど。

 本当に聞いていいことだったのだろうか、と一瞬後悔が脳を過る。

 ……ほんの少しの間、沈黙が流れて。

 それからゆっくりと、桃原さんは答えてくれた。

 

「うん……できてない、かも」

 

 返ってきたのは、短い返答。

 ただその声に、先ほどまでの元気がないことは明らかだった。

 それだけで分かる。桃原さんにとって、辛い話をしているんだって。

 話すことで楽になる、なんてよく言うけれど。だからといって話していて辛くなるのなら、無理に続けさせるべきじゃないのかもしれない。

 

 正解なんて、分からない。

 正解なんて、無いのかもしれない。

 だからそっと、桃原さんの手に自分の手を重ねた。

 話を止めてもいい。続けてもいい。どちらを選んでも、私は隣にいるから。そう、伝えたくて。

 一瞬驚いたような桃原さんと目が合って。その目が、少しだけ柔らかく細められて。

 何かを決心したように。

 静かな声が、また隣から聞こえ始めた。

 

「……最近、思うんだ。小さい頃はもっと真っ直ぐに、好きなものを好きって言えてたなぁ、ってさ」

 

 桃原さんの視線は、遠くを見ていた。

 鬼ごっこ、ボール遊び。思い思いに公園を駆け回る、子どもたちが見える。

 

「わたしね、小さい頃からプリンセスに憧れてた……ううん、今も憧れてるんだ。あんな風にきらきらしたいって、ずっと思ってた。プリンセスが、わたしの道標だった。……でも」

 

 桃原さんが迷うように、言葉を切る。

 いつの間にか、彼女の眼は伏せられていた。

 プリンセス。お姫様。勝手なイメージだけど、優しさや美しさの象徴のような気がして。

 それはなんとなく、桃原さんらしい憧れのように思えたけれど。

 ーーやがてまた、ぽつぽつと言葉が紡がれる。

 

「成長したら、その憧れにも色んなことを言われちゃって……子どもっぽいとか、叶う訳ないだとか。わたしの顔を見て、笑ってきた子もいたんだ」

 

 俯き静かに綴られる言葉に、少しずつか細くなる声に、ただ耳を傾ける。

 

「悔しくて、辛くて……その内、この気持ちにも蓋をするようになってさ。気がついたら、真っ直ぐに憧れられなくなっちゃってた」

 

 桃原さんの頬を、雫が伝う。

 手の平が、静かな震えを感じ取る。

 

「子どもじゃなくなったら、きらきらしちゃ……だめなのかなぁ……」

 

 ぼろぼろと溢れた想いが、桃原さんのワンピースを濡らしていた。

 どちらから握ったのだろう。重ねるように触れていたはずの私たちの手の平は、いつしか固く繋がれていた。

 

 

 

 

 暫くの間、桃原さんは声も出せないくらいに泣きじゃくっていた。

 ……それだけ、独りで抱えていたんだろう。

 

「ごめんね……急に、こんな話しちゃって……いきなり泣いちゃって……」

 

 無理に笑おうとするような上ずった声の間に、抑えきれない嗚咽が混じる。

 涙を拭くためか、桃原さんの手のひらは私から離れてしまったけれど。私は変わらず、彼女の隣に寄り添っている。

 

「大丈夫、ですよ。桃原さんがプリンセスに憧れる気持ち、よく分かりました」 

 

 涙が物語る思いの丈は、痛いほどに私にも伝わってきた。

 桃原さんの苦しみは簡単に解決できることでも、慰められることでもないと思う。

 それでも、どうしても言いたくて、届けたくて、言葉を紡ぐ。

 

 

「ーーそれが、桃原さんの翼なんですね」

 

 

 

「つばさ……?」

 

 ぽかん、という言葉が似合いそうなほど、桃原さんは口を開けたまま不思議そうな表情を浮かべていた。

 慰められた、というよりは呆気にとられた、と言った方が良さそうな顔だ。

 無理もない、と思わず苦笑する。少し突飛すぎる言葉だったのは間違いない。

 それでも、その意味まで知ってほしくて、もう少し言葉を続ける。

 

「昔、ある人が教えてくれたんです。

『なりたい自分、目指したい場所、叶えたい願い。何があっても諦めない、強い想いがあれば、それが自分を羽ばたかせる翼になる』って。

……私の、大好きな言葉です」

 

 その言葉を貰った、『あの日』を思い出すように。

 ベンチから腰を上げ、青空にほんの少し近づく。

 

「私にとって空への想いが翼になったように、きっとプリンセスへの憧れは桃原さんの翼になって、桃原さんを羽ばたかせてくれていると思います。だからこそ、私たちも出会えたはずですから」

 

 私が空に勇気を貰って、この町に来たように。

 桃原さんがプリンセスを目標にして、優しい人であったから、泣いている女の子に手を差し伸べて、私たちが出会うことができた。

 それぞれの翼が、私たちをこの場所に運んでくれた。私にはそう思えたから。

 

「だから憧れ続けても、いいと思います。

忘れなければ、翼はいつだって私たちを羽ばたかせてくれるから。

子どもじゃなくなっても、いつまででも、持ち続けていいものだって。私はそう思います!」

 

 大きく見開かれた桃原さんの瞳が、はにかむ私を映し出す。

 涙の粒は、いつしか止まっていて。

 僅かに裾の濡れたワンピースも、お日様が乾かしてくれていた。

 

「つばさ、かぁ」

 

 呟きが、青空へと吸い込まれる。

 私に続くようにベンチから立ち上がった桃原さん。並ぶと、やっぱり桃原さんの方が少し背が高い。

 ちょっとだけ、見上げるように伺えたその表情はーー

 

「すごいなぁ、天知さん。……わたしの心も、空みたいに晴れちゃった」

 

 ふにゃっと。

 花が開くように優しく、月が照るように柔らかく、笑っていた。

 

 

 

 雨が上がれば、虹がかかる。

 雲が覆っても、その向こうに青空はある。

 当たり前だけど、当たり前だからこそ忘れたくない。

 たとえ、今は黒い雲に覆われていても。周りに希望が見えなくても。

 『翼』を信じる心は前を向くことを思い出させてくれる。

 そうやって、羽ばたけば。

 いつかは虹に、青空に、届くことだってできるはずだから。

 

 

 

 

 そうして、私と桃原さんは歩き出した。

 ……その、直後だった。

 

 

 

 

「ふにゃっ!?」

 

「わーっ! 天知さんっ!?」

 

 青天の霹靂、とはこういうことを言うのかもしれない。

 空は好きだ。これまで何度も見上げてきた。……だけど。

 いきなり空からぬいぐるみが顔に目掛けて降ってきたのは、これが初めてだ。

 

 ずんぐりとデフォルメされた、ドラゴンのようなシルエット。

 それを顔から剥がした後、私と桃原さんはまったく同じ、怪訝な表情でお互いを見合わせていた。

 

 確かに空から降ってきたけど。

 誰かがイタズラで放り投げたんじゃないかとか、常識しか知らない私の脳はそんな発想しかしていなかった。

 

 

 常識の外側にも、世界は広がっている。 

 それをあと少しで、私たちは教えられることになる。

 

 

 ……他でもない、このぬいぐるみから。

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