空想乙女レイ・ドリーマーズ!   作:海月 水母

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その5 衝突と襲来

「これ、ぬいぐるみ……だよね? っていうか天知(あまち)さん、ケガしてない!?」

 

「うぅ……。はい……なんとか」

 

 私が手にしているのは、今しがた自分の顔に激突してきた奇妙な物体。幸い感触は柔らかく、おかげで大した痛みも無かったけど。

 桃原さんの言う通り、手触りは完全にぬいぐるみだ。

 特徴的な頭部に、突き出た角。全体的にデフォルメされた姿で手足は短く、背中には小さな羽も付いている。

 なんなんだろう、これ。

 訝しむ私の隣から、桃原(ももはら)さんもひょこっと顔を覗かせる。

 

「なんか、竜みたいだね」

 

「何かのキャラクターでしょうか? 見たことありませんけど……」

 

 全体を見回してもタグのようなものは付いていない。

 そもそもデザイン自体、あまり見かけたことのないキャラクターだ。

 何か、おかしい。

 ……いや、分かってる。それよりも何よりもおかしいのはーー

 

「誰かが投げてきた……わけ無いよね。周りにわたしたち以外誰もいないし」

 

 そう、このぬいぐるみがどこから来たのか、だ。

 私もさっきは咄嗟に、桃原さんと同じ考えを抱いた。近くで遊んでいた子どものイタズラじゃないかって。

 だけどそんな子たちが遊んでいるのは、私たちの現在地からだいぶ遠くだ。さすがに投げても届く距離じゃない。

 ……まさか、と思う。

 見間違い、勘違い。そんな類いだろうと思ってた。だけど。

 ぬいぐるみが落ちてくる直前、私は空を見上げていた。いつものように。

 だから、分かる。このぬいぐるみはーー

 

「……空から、降ってきた」

 

「……うん、わたしにもそう見えたよ」

 

 信じられない、といった表情が桃原さんの顔にも浮かんでいる。

 当然と言えば当然だ。今、空には飛行機すら飛んでいない。どこからも、落ちてくるはずがない。

 

「一体、何がーー」

 

「ったく、どーこに落っこったんだかなァ」

 

 喋り終えるよりも早く、びくっ、と体が跳ねる感覚がした。

 桃原さんでも、もちろん私でもない、男性の声。

 振り返り、頬が引き攣る。

 直前まで私たちが座っていたベンチの上に、人が居たからだ。

 いつから……?

 気配なんてまるで無かったのに。

 

「なァ、ガキども。『鍵』見なかったか?」

 

「か、カギ……?」

 

 困惑の滲んだ声色で、桃原さんが聞き返す。

 ベンチ……ではなく背もたれの方に行儀悪く腰掛ける相手は、おそらく男性。外見で判断するなら歳は私達より少し上くらい。ギラギラとした銀髪と、同じくらいギラギラ光る鋭い眼で、射抜くようにこちらを見ている。

 長身に軍服のような服を纏い、銀髪の上には軍帽まで被っている。平和な町の公園には、およそ似つかわしくない格好。

 だけど服装よりも、ギラギラとした視線よりも、初対面の私たちをいきなり「ガキ」呼ばわりしてきたことよりも。

 この人の放つ言い様のない異質な雰囲気に、私は恐怖に似た感情を覚えていた。

 ばくばくと、心臓がうるさい。呼吸が、苦しい。

 隣で桃原さんも、青ざめた表情を浮かべている。

 理由は分からない。ただ全身が、本能が警鐘を鳴らしている。

 なんだ、なんなんだ、この人。

 

「その様子じゃ、見てなさそうだな。……っと」

 

 だるそうなため息を吐き、男がベンチから跳ねるように立ち上がる。弾みで男が腰から提げていたものが揺れ、私はその存在に気づく。

 あれは……刀の鞘……?

 よく見れば、何故か肝心の刀は納まっていない。だけど明確に『凶器』を連想させるそれは、こちらの警戒心を高めるのには十分だった。

 男が一歩、こちらに近づく。私も桃原さんも、思わず後退る。

 

「ま、いいか。お嬢には『鍵』が最優先って言われたが、ぶっ壊してりゃその内出てくるだろ」

 

 サメのようにギザギザの歯を覗かせて、男が自信に溢れた笑みを見せる。

 まるでこれから得意分野を始めるかのように。

 お嬢。鍵。まだ意味の分からない言葉の数々が引っ掛かる。

 でも、それよりも心をざわつかせた言葉があった。

 

「壊す……? って、何を……?」

 

「ハッ! この街を、に決まってんだろ」

 

 桃原さんの口にした疑問に対してあまりにも残酷に、あまりにも楽しげに、男は笑っていた。

 壊す。壊すって。

 その言葉の意味を問うよりも早く。

 男はベンチに手のひらを翳し、異様な言葉を叫んだ。

 

「沈めるほどの恐怖を、覆い尽くすほどの絶望を! 世界にバラ蒔け『デスキャッター』!!」

 

 びりびりと、空気が揺れる。

 嫌な雰囲気が一気に広がる。

 晴れているはずなのに、まるで辺りが暗くなったような錯覚を覚える。異様さに目眩がし立っているのが精一杯なほど、空気が、風が、変質していくのを肌が感じる。

 重苦しい空気と、あの男を中心に放たれる感じたことのないプレッシャー。生暖かい風が渦を作り、男とベンチを包む。

 遠巻きに、あちこちから悲鳴が上がる。無数の悲鳴を風の渦が取り込んでいく。

 強風が、足を掬う。

 ぬいぐるみを抱えていたのを忘れていた。手をつくことも出来ないまま、ふらふらとバランスが崩れるーー

 

「天知さんっ!」

 

 倒れかけた体をぐっと抱き留められ、目に映ったのはこちらを心配そうに見下ろす桃原さんだった。

 なんでだろう、ずっと隣にいたはずなのに。

 桃原さんの目、久しぶりに見た気がする。

 桃原さんがいる。それを再認識しただけで、それだけでちょっと、心が軽くなった気がして。

 

「早く、逃げないと。……天知さん、走れる?」

 

「っ、はい!」

 

 誰だって我先に逃げ出したいはずの状況で、私の心配をしてくれる。その優しさに、応えたくて。

 力を取り戻した足で、私たちが走りだそうとした、その時だった。

 風の渦がぱっ、と晴れる。

 その奥から巨大なベンチを象った、四足歩行の怪物が姿を表した。

 脚に当たる部分が異様に伸び、先にはベンチに付いているはずのない、禍々しい爪が生えている。

 背もたれにはギロリ、と睨みを利かせる一対の眼のようなものが付いていて、妖しい光を放っている。

 

「なに……あれ……!?」

 

「くくっ、ハハハ! この世界の『器』も悪くねェな! さあ暴れろ、デスキャッター!」

 

 ベンチの怪物のてっぺんに立ち、軍服の男が笑う。公園のあちこちから悲鳴が聞こえる中で。

 ……なにが、おかしいんですか。

 そう問いたかった。噛みつきたかった。

 だけど私がもたもたしていたら、桃原さんまで危険に晒してしまう。そんなことは、したくなくて。

 私も桃原さんも、怪物に背を向けて走り出す。

 私たちだけじゃない。公園にいた皆が一目散に逃げている。さっきまでの平穏は、笑顔は、誰の表情からも失われていた。

 どうして、こんなことに。誰が答えられる訳もない疑問が、脳を過る。

 その時だった。

 

「ーーーーい、おいっ!」

 

 声がした。低い、男の人の声。

 同じように逃げている誰かの声かと思った。だけど周囲を見回しても、誰かが話しかけてきた様子はない。

 

「天知さんっ! いま……何か聞こえなかった!?」

 

 隣を走る桃原さんにも聞こえたらしい。気のせいじゃなかったみたいだけど、じゃあ声の主はいったいどこにーー。

 

「そっちじゃねえ、ここだ! ここ!」

 

 二度目の声で、思ったより低い場所から呼び掛けられていることに気づく。

 すぐ近く。それでいて低い位置……そこまで考えて、思い至るものがあった。

 さっき落ちてきた、ぬいぐるみ。まさかと思う気持ちはあったけど、同時に何故だか確信もあって。

 落とさないよう胸にぎゅっと抱いたままだった竜のぬいぐるみを、前に掲げてみる。

 

「ーーーーぶはっ、やっと気づいたかよっ……!」

 

 喋った、ぬいぐるみが。

 さっきの男の人の声で。

 

「う、そ……」

 

 桃原さんが短く声を上げる。私に至っては、呟く言葉すら出てこなかった。

 空から落ちてきたぬいぐるみが喋って、怪しすぎる軍服の男がベンチの怪物と一緒に暴れてて。

 非日常が、信じられないことが多すぎて。私も、たぶん桃原さんも完全に許容量を越えていた。

 その証拠に、怪物から逃げていたことも忘れ二人で立ち尽くしてしまっていたから。

 そんな私たちもお構い無しに、ぬいぐるみはきょろきょろと忙しく首を動かしている。

 動くんだ、体も。そんな重要じゃないことを頭が勝手に考えながら呆然としていた私に、ぬいぐるみの声が浴びせられる。

 

「おい、ここどこだっ!? レイルは、トゥルーカームはどうなった!?」

 

「はっ……えっ……!?」

 

 ぬいぐるみが問う、聞き馴染みのない単語。

 もちろん私が答えを持っているはずがない。ただその声に強い焦りが込もっているのは、痛いほど伝わってきて。

 視線を彷徨わせる私に、私たちに、嘲笑うような声が怪物の頭上から飛んできた。

 

「ハハッ、なんだよ! 聞き覚えがあると思ったらその声、キリュウじゃねェか!」

 

 キリュウ。その名を呼ぶ声が届いた途端、ぬいぐるみの纏う雰囲気が明らかに変わった。

 

「ラキ……! てめぇ…………!!」

 

 ラキ、と呼ばれた軍服の男に噛みつくように、ぬいぐるみーーキリュウさんから怒りの声が漏れる。ぬいぐるみだから表情の変化は殆んど分からないけど。

 ラキさんと、キリュウさん。二人はお互いを知っているらしい。ただそれが親しい間柄じゃないことは、二人の口ぶりからして明らかだった。

 

「ケッサクだなァ、んだよその姿! マレにやられたのか?」

 

「っ……るせぇ……!」

 

「わっ……ちょっと!」

 

 繰り返されるラキさんからの挑発に、キリュウさんは身を乗り出すように私の手からすり抜け、ぬいぐるみの足で地面に立つ。

 激しい怒りが、刺すように伝わってくる。

 

「まさか生きてたとはなァ……ってことはよ、『鍵』を持ってるのもお前か?」

 

「『鍵』……!? まさか、狙いはキースタルか……!」

 

「ーーへェ、やっぱ知ってそうだな」

 

 短い問答を切り上げた、次の瞬間。

 ラキさんの姿は怪物の頭上から、私と桃原さんの間へと一瞬で移動していた。

 桃原さんが、息を飲む。それよりも早く。

 ラキさんが提げていた刀の鞘を振るい、キリュウさんを地面に叩きつけていた。

 

「ぐっ……はっ……!」

 

 キリュウさんの口から苦痛が漏れる。

 恐怖、という感情にすら辿り着けず、目の前の出来事に心が追い付かない。

 鞘を振るったラキさんはそんな私にも、桃原さんにも目をくれず、吹っ飛ばされたキリュウさんを嘲笑う。

 

「騎士団長サマも、そのナリじゃ手も足もだせねェだろ。諦めて出せよ、『鍵』。持ってんだろ?」

 

「ハッ……どうだろうな、俺に勝てたら教えてやるよ」

 

「そのザマでか? ったく、いちいちムカつく野郎だ」

 

 忌々しげに歪む、ラキさんの横顔。

 すぐ隣に立ち竦む私には、直後にその顔が冷たい笑みを浮かべるのが見えた。

 

「いいこと教えてやろうか? お前の愛した故郷は、トゥルーカームは……もうねェよ。もちろん、お姫サマもな」

 

「…………っ!!」

 

「あの世界は閉じられた。オレたち『グレイディア』によってな。だからよ、その『鍵』を守る理由ももうねェだろ? 生き残ったお前独りじゃ、オレたちに勝てる訳がねェ。ましてそのナリじゃあなァ!」

 

 キリュウさんは倒れたまま、言い返さない。言い返せない、のかもしれない。

 部外者の私には、二人の話なんてまるで分からない。

 トゥルーカーム、キースタル、グレイディア。何一つ、聞いたこともない。二人にどんな事情があるのかも、想像すらつかないけど。

 こんな一方的に、甚振るように。キリュウさんの心も体も傷つけるラキさんが、正しいとはとても思えない。

 そう思った時には、体が動いていた。

 同時に、桃原さんも駆け出してキリュウさんを抱き上げる。……やっぱり、優しい人だ。

 

「お前ら……何を……」

 

「おいおい、騎士団長サマともあろうお方がガキに助けてもらうのかァ?」

 

 桃原さんを、キリュウさんを庇うように二人の前に立ち、嘲るラキさんをじっと見据える。

 

「もう……止めてください」

 

「ククッ、命知らずなガキどもだ! だが逃げる前に『鍵』は置いてけよ、今日のところはそれさえ手に入りゃお嬢も文句は言わねェだろうからな」

 

「ざっ……けんな……!」

 

 また身を乗り出そうとするキリュウさんを、桃原さんが必死に抱き止める。

 それでも、キリュウさんは叫んでいた。

 

「これは……キースタルは! 俺を信じてアイツが託してくれた宝だ! てめぇらに渡す気はさらさらねぇ!」

 

「だがそのお姫サマも、とっくに覚めない眠りの中だ! お前らトゥルーカームの望みは、もう潰えてんだよ!」

 

「潰えちゃいない……俺はアイツを、レイルを信じてる……!」

 

「……ったく、暑苦しい台詞はウンザリだぜ。やっちまえ、デスキャッター!」

 

 ラキさんの言葉に呼応するように、怪物が吼える。

 地鳴りのように足元が揺れ、立っているのがやっとの中。4本足で地面を抉りながら怪物が迫ってきた。

 また怪物が襲ってくる、その恐怖が体を硬直させる。

 それでも、逃げなきゃ。そう思って踵を返した、その時。

 桃原さんが体を屈め、目線を合わせるようにキリュウさんに話しかけている姿が目に映った。

 

「あなたの名前……キリュウさん、でいいのかな?」

 

「あぁ……!? なんだよこんな時に!」

 

 確かめるように、ゆっくりと。

 危機が目の前に迫る状況にそぐわない声で、桃原さんが言葉を紡ぐ。

 

「今なにが起きてるのか……正直よく分かってないけど、キリュウさんは大事なものを守ろうとしてる……そうだよね」

 

「! ……ああ」

 

 キリュウさんの返答を真っ直ぐ見据えて、桃原さんが小さく頷く。

 何かの覚悟を決めた。

 そんな風に、見えた気がした。

 

「それなら……わたしが、キリュウさんを守るよ」

 

 静かに告げられた、桃原さんの言葉に。

 言葉を失っていた。……私も、キリュウさんすらも。

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