◇
……。
…………。
………………あれ。
ここ、どこだろう。
ぽかぽかと、暖かい温もりに包まれているみたいで。
すごく、心地いい。
……でも、不思議だ。
さっきまで、全身を激痛が走っていたはずなのに。もう、どこも痛まないなんて。
どうしてそんなに痛かったのかと、記憶を遡って。
………………そうだ。
思い出した。
怪物に襲われてたんだ、私たち。
二人を庇おうとして、私……。
手を伸ばす。二人を探す。
みんな、どこだろう。
私は、どうなったんだろう。
◇
目が覚めると同時、視界に空が映った。
ほんのりと、オレンジが差した夕空。いつの間にそんな時間になっていたんだろう。
時間が飛んだような感覚に、少しだけ戸惑うけど。
空は色を変えながら、変わらずそこにあって。それだけで、少し安心できた。
「……起きたか」
どこかぼんやり、夢心地のままの意識に、聞き覚えのある声が響く。聞こえた先へと振り向けば……というより、見下ろせば、これまた見覚えのあるぬいぐるみが腕組みをして立っていた。
「キ、リュウさん……。えっ、それじゃあ桃原さんはっ……!?」
ぞくり、と不安が背筋を走る。
怪物が、すぐ近くにいるはずなんだ。私もキリュウさんも何故か無事だけど、だからこそ桃原さんが側にいない事実が不安を掻き立てた。
視線を右へ、左へと彷徨わせていた、その時。
声が聞こえた。
「ーーわたしは、レイプリンセス!」
凛とした、勇ましい声。
力強く、自らを示すように上げられた名乗り。
自然とその声を、目で追って。
遠くに見えたのは、風に靡く金の髪とふわりとしたドレス。それを纏う、少女の姿。
「…………プリンセス……?」
見えたのはそのプリンセス姿の女の子と、もう一人。
軍服姿の、危険な雰囲気を纏った青年。
……ラキさん。その名前と同時に、彼と怪物が行った暴力の数々を思い出して。
ぞくり、と嫌な汗が滲んだ。
睨み合うように佇む両者。背の高いラキさんの方が見下すように眼光を光らせている。
私にはその視線すらも少し恐いけど、プリンセス姿の女の子は怯むことなくラキさんを見上げていた。
「……チッ、仕方ねェ。最低限の『恐怖』は集めたんだ、今日のところは引き上げるとするか」
やがて、ラキさんの殺気がふっ、と薄れた気がして。
同時にその言葉が合図だったかのように、ラキさんの背後の空間が裂けるように割れた。
何が、起こってるんだろう。
あれだけ暴れ回っててたラキさんが、引き上げる?
そもそも、ずっと姿が見えないベンチの怪物はどこに?
私が抱いたその疑問に、誰かが答えてくれる訳もなく。
裂け目に足を踏み入れかけたラキさんだったけれど、直前に一度立ち止まり、振り返って。
「レイプリンセス……てめェの名前、覚えといてやるよ」
忌々しげに呟いた言葉を残して、今度こそラキさんは裂け目の中へと姿を消した。
逃げ惑っていた、公園に居合わせた人たちの姿はとっくに見えないけど。みんな無事に、逃げられたのだと信じたい。
夕空の下、公園にいつぶりかの静寂が帰ってきた。
プリンセス姿の女の子は、ラキさんと共に消えた裂け目のあった空間を無言で見つめている。
私も、目が離せなかった。まるで童話の中から飛び出てきたみたいに、現実離れした出で立ちの少女がそこに立っていて。
同時に何故か、髪色も服装も全く異なっていたはずの人物と、彼女が重なって見えて。
もしかして、と思う気持ちが無意識に足を動かしながら。
思わず、その名を呟いていた。
「…………桃原、さん?」
金髪が、揺れた。
ドレスのスカートをふわり、と靡かせながらこちらを振り返ったプリンセス姿の女の子は、大きく丸い、きらきらとした瞳に私を映して。
「わっ」
次の瞬間、私は彼女に抱き締められていた。
覚えのある、私よりほんの少し高い身長。ヒールを履いてさらに少しの差が生まれているけど、間違いない。
「
「…………やっぱり、桃原さんなんですね」
今にも泣き出しそうな声と表情で、私の体をぎゅっと、でも優しく抱き寄せる。
どうして桃原さんがプリンセスの姿に、という疑問は当然湧いたし。
せっかく本物のプリンセスみたいに綺麗なお化粧してるのに、崩れちゃいますよ。なんて、心配してしまうけど。
とにかく桃原さんも無事でいてくれた、それだけで心にじんわりと安堵が広がって。
同時にこんなにも私を想ってくれているのが、やっぱり嬉しくて。
きゅっと控えめに手を回し、プリンセス姿の桃原さんに触れる。柔らかな髪の、ドレスの感触が指に伝わってきた。
「あっ、ごめんねいきなり……体、もう大丈夫?」
「ふふっ、大丈夫ですよ。痛みももうありません。でも……一体何が起きてるのかさっぱりで……」
どうにも、記憶がおぼろ気だ。
桃原さんを、キリュウさんを助けようとしたあたりからの記憶が、ぼんやりとしか思い出せていない。吹き飛ばされたときに、頭でも打ってたのかな……。
「あの怪物はどこに行ったんですか……? それにラキさんも……」
「大丈夫、怪物ーーデスキャッターはもういないよ。……わたしが、元のベンチに戻したから。だからラキさんも諦めてくれたんじゃないかな」
「えっ、桃原さんが……!? どうやって……!?」
「どうやって、かぁ。わたしも必死だったから、よく分かんないんだけどね」
あの巨大な怪物を、桃原さんが元に戻した。
信じがたい一言に言葉を失う私に小さく笑いかけてから、桃原さんは小さな鍵のようなものを取り出した。
透明な鍵、水晶のようなそれは夕陽の橙色を反射して、きらりと瞬いた。
「守りたい、って願ったの。その望みを光が、キースタルが叶えてくれて……この姿を、みんなを守る力をわたしに与えてくれたんだ」
「じゃあ私も……私の傷も、その力に助けられたんですね」
怪物が消えたのも、私が受けた傷が嘘のように治っているのも、桃原さんが不思議な姿に変わってるのも。
この小さな鍵、キースタルの力らしい。
……すぐに信じられるかと言われたら、突拍子が無さすぎて正直難しいけど。桃原さんは嘘をつくような人じゃないし、全てが実際に起きたことな訳で。
それになんとなく、桃原さんが助けてくれた気はしていた。
気がついたとき、曖昧な意識の中で私が包まれていた温もり。何故だかそれは、桃原さんに重ねた手から感じた温かさに似ている気がして。
そして今、桃原さんに抱き締められて、桃原さんの温かさを直接感じて。
やっぱりあれは、桃原さんの温もりだったんだと確信できた。
「……なれたんですね、プリンセスに」
「なれた……のかな、わたし。まだちょっと実感が湧かないや」
桃原さんが、レースの手袋を纏った指先を見つめている。
実感が湧かない、その気持ちは分かる気がする。私だって、正直まだ夢を見ているような気持ちだ。今日だけで、非日常が一気に起こりすぎたから。
だけどそんな非日常の衣装を、プリンセスの姿を身に纏って。桃原さんは変わらない、彼女らしい笑顔で。
「でも二人のことは、今度こそちゃんと守れた。……わたしは、それが一番嬉しいよ」
優しく表情を、綻ばせていた。
私が気を失っていた間、何が起きていたのかは未だに分からない。
だけど桃原さんは、きっと戦っていたはずだ。
デスキャッターが、ラキさんが暴れる恐怖と。
味わったことの無い非日常と。
それでも、私たちを守ってくれたんだ。
「本当に、ありがとうございました。桃原さ……」
「?」
ずっと伝えたかった感謝を、口にしようとして。
不意に言葉が止まる。
会話を重ねる内に、私の中で気絶する前の記憶が少しずつ蘇ってきていた。
そうして忘れかけていたことを、まさに今思い出して。
同時に頬が、耳が熱くなる。
「あの、私……さっき桃原さんのこと、『
「? うんっ、呼んでくれてたよ!」
「あぅ……すみません、つい熱くなっちゃって……」
そうだった。ラキさんが桃原さんを嘲笑ったあの時。
思わず下の名前を、「結月」と叫んでしまっていた。
素敵な名前だなとは思っていたし、いつか下の名前を呼ばせてもらいたい、なんて思いも正直に言えばあったけど。
いきなり、あんなタイミングで呼んだら桃原さんもびっくりしたに決まってる……申し訳なさと恥ずかしさで、顔から火が出てしまいそうだ。
思わず頬に手を当て、へたり込んでしまう。
そんな私に視線を合わせるように、桃原さんも膝を折ってしゃがんできて。
「謝ることないよ、むしろ『結月』って呼んでほしいな」
気にするどころか、そんな言葉と共にわらいかけて。
「こちらこそ、背中を押してくれてーーありがとね、『
笑顔と同時に、ぱっと光が弾けたみたいに。
プリンセスのドレスはワンピースに。
ヒールはスニーカーに。
ティアラを載せたブロンドヘアは栗色の髪に、それぞれ戻って。
『レイプリンセス』は一瞬で姿を消し、後には親しげに私の名前を呼ぶ、普通の女の子の姿があった。
飛鳥ちゃん。
下の名前を友達に呼んでもらえたの、いつぶりだっけ。
……こんなに、嬉しいものだったっけ。
「私の方こそ、ありがとうございました……結月」
柄にもなく緊張ぎみに。
途切れていた感謝を改めて言葉にしたら。
またぎゅっ、と抱き締められた。
ふにゃっ、と笑うように零れた「……えへへ」という声が耳元で聞こえて。
私が感じた嬉しさを彼女も……結月も感じてくれているのかな。
そうだったら、幸せだな。
「ほい、没収」
「え」
聞き覚えのある声が耳元を通り過ぎて、私も結月も釣られるように顔を見上げる。
キリュウさん。しばらく見えなかったその姿は、私たちの頭上にあった。背中に生えた小さな羽根を、ぱたぱたと羽ばたかせ浮遊している。
キリュウさん、飛べたんですね。なんて小さな驚きが一瞬胸を掠めて。けれどその直後に目についたものが、もっと大きな驚きを連れてきた。
キリュウさんの口に、何かが咥えられている。
オレンジの空を反射して輝くそれが、結月の手にあったはずのキースタルだと、私たちは同時に気付いた。
「じゃあな」
それ以上の言葉も、説明も、必要ないと言うかのように。
短すぎる別れの言葉を残して、キリュウさんが飛び去って。
呆気にとられたままの私は、私たちは。
夕空へと消えていく小さなシルエットを、ぽかんとしたまましばらく見送って。
「…………えぇぇっ!?」
ようやく状況を飲み込んだ、数秒後。
息ぴったりに、私たちは叫んでいた。
私たちは、まだ知らない。
この先に待つたくさんの出会いも、たくさんの戦いも。
時に傷つき支え合いながら、皆で羽ばたいて行く長い長い道のりは。
この時、既に始まっていたんだ。