出会ったのは、狐の神様でした
『…本当に、それで良いのか?』
そんな知らない誰かの声に、私は閉じていた目をゆっくり開きます
すると、いつの間にか目の前には隻眼のとても大きな黒い狼がいて、じっと私の事を見ています
神聖で雄大な気配を放つ、強大な神性
それはちっぽけな幽霊である自分にも一目で分かる程の隔絶した存在でしたが、不思議とその時の私には怖くはありませんでした
後で考えれば、それはきっと目の前の狼に特に敵意がなかったからだと思いますが、ともかくその時の狼はしばらく静かに私を見つめると、ようやくその口を開きました
『…冥界の扉の封印の直前、闘いの余波で外に放り出された冥獣達の残党狩りをしていれば…
こんなにも幼く、純粋で穢れの無い魂が、自らの意思で消滅しようとしているなど憐れな…』
そう呟く狼の表情はどこか悲しげです
そしてその目の奥には何か痛ましいものを見るような、あるいはかつて失った何かを見るような色があり、私は状況を忘れ思わずその目に見入ってしまいます
そして互いに見つめ合う事しばし、その言葉尻に深い苦悩を滲ませながら狼はため息を付きました
『…冥界から迷い出た魂をあるべき場所へ帰す事もまた、磐ノ戸の地の神の務め…
だが、果たしてそれはこの者にとって幸せな事だろうか?
生きる事の意味も、またその価値さえも知らないままに輪廻の輪へと送り戻す事
それはあまりにも悲しい事ではないか…?』
暫しの沈黙
ですが、次に目を開けた狼の瞳には確かな覚悟が宿っている事を私は感じました
『…妾は神失格じゃ
きっとこの選択は間違っている
この世の摂理に反する
しかし妾は…もう目の前で幼子が死ぬところなど見たくはない
もう…誰かを見送る事などこりごりなのじゃ…』
そう言って狼は、私をひょいと咥えて自身の背中に乗せると身を翻します
そして、私が何か言う間もなく歩きながら私に語りかけます
『…故に小狐よ、お主に家族を、友を、生きる喜びを教えてやろう
新しい人生をくれてやろう』
そう語る狼の背中は大きくて暖かくて...何より、そうしているとお母さんと一緒に寝ていた時のように心が落ち着きます
だから私は知らず知らずのうちに目を閉じていき…次第に遠くなる意識の外で、ふと思い出したかのように呟く狼の声が聞こえます
『ふむ…そうなるとお主にも名前が必要じゃの
何か良い名は………
そうじゃな、こう言うのはどうじゃろう?』
そう言って笑う狼の言葉は、だけど不思議とよく響いて…眠りかけていた私の耳にもハッキリと聞こえました
すなわち
『フブキ
吹きすさぶ吹雪のように力強く、どんな困難にも負けずに歩んで行って欲しいという願いを込めてみた
ちょうどお主自身も白いしの
何より、これよりお主が暮らす事になる場所の名前は白上神社じゃ
ちょうど良いじゃろう?』
・・・・・・
それからの事を語ろう
結論から言うと黒上フブキは行方を眩ました
僕の力で完全に白上さんから分離された彼女は、けれど僕らが現実世界へと帰還すると共に姿を消した
でもこれは実際に力を使い、白上さんを黒上さんから分離した僕と、当事者の白上さんだけが知っている事であって、他のみんなは彼女が完全に消滅したと思っている
だけど、僕らは別にそれでも良いと思っている
それは、黒上さんが分離の際に力と存在の大半を白上さんに持っていかれ、恐らく二度と悪い事が出来なくなる程に弱体化しているのと、他ならぬ白上さんが放っておいても大丈夫だと言ったからだ
「…あの子に体を乗っ取られている時に、私もまたあの子の記憶を少しだけ垣間見ました」
あの後、白上さんは僕にだけその事を語ってくれた
「私が禁術を使った影響で現世に現れるまでの約70年…あの子はたった一人であの冥界をさ迷い続けていました
そしてそんな境遇だからこそ、あの子は現世を憎み、その中でも特に、本質的には同じ存在である私が現世で幸せに暮らしている事が許せず、凶行に走った
…これが一連の騒動の真相です」
ですから、私には彼女を心の底から憎む事は出来ないんです
そう白上さんは困ったように笑う
「…もし少しでも何かが違えば、あそこにいたのは私の方だったかもしれないですからね…」
「白上さん…」
「だから、我ながら勝手な願いだとは自分でも思うんですが、私はあの子には生きて欲しいんです
生きて幸せになって欲しいんです…」
そう白上さんは語り、だから僕もまた黒上さんについてはそれから特に何もしていない
勿論それは彼女が力の大半を失っているからという大前提があるが、加えてなんとなく、僕も白上さんも黒上さんはもうこんなことを企まないのではないかという漠然とした予感を抱いていたからだ
そして実際あれからそれなりの時が流れたが、以降黒上さんが冥界の扉の封印解除の為に襲撃をかけて来た事は一度もない
今、彼女がどこで何をしているのかは分からない
だが、せめて彼女なりの幸せの形を見つけられていると良いなと僕は思う
それから、冥界の扉の事だが、あの後白上さんと一緒にもう一度、以前よりも更に厳重な封印を施した際、僕らは冥界の扉の存在強度が少し弱まっている事、磐ノ斗の地の現世と冥界の境界が徐々に元に戻り始めているという事に気が付いた
慌ててみこさんや博衣さんの協力を仰いで詳しく調べた結果、これは短期間に冥界の扉を開けたり閉じたりする事を何度も繰り返した事が原因のようで、これにより逆に現世と冥界の境界がはっきりとし始めたらしい
そして今日明日…とまでは行かなくても10年から20年後
磐ノ斗の地が他の場所と変わらない平和な土地になるかもしれないと分かった瞬間、大神さんがその場で泣き崩れた
「母さん…みんな…!
うちらやったよ…やったよ...!!」
先代白上神社の祭神の実の娘にして、80年前の最後の戦いも見届けた古い神である彼女にとって、この事実がどれだけの意味を持つものなのか
それは僕には想像する事しか出来ない
そしてそれは全てが終わった後に祭神になった白上さんも同じことであり、そんな僕らには実際にこの磐ノ戸の地での戦いの日々を駆け抜け、沢山の悲劇を見てきたのであろう大神さんの想いを真の意味で理解する事はきっと出来ない
でも、よく頑張りましたねと彼女を抱き締める白上さんの腕の中で流した彼女のその涙は、きっと今までこの磐ノ戸の地で生きてきた人達全ての願いと祈りの果てにあるものには違いなくて
長きに渡り続いてきた戦いが今、真の意味で終わろうとしている
それだけで、きっと彼女の全ては報われたのだ
そしてその他にも、あの後しばらくして『神秘と清流の町』というキャッチコピーを得た磐ノ戸の地が徐々に昔の活気を取り戻しつつあるとか
その立役者はかつて白神祭りで舞いを奉納した夏色さんだとか
星街さんが大手アイドル事務所にスカウトされて、ついに一人前のアイドルとして地元から飛び立っていったとか
磐ノ戸の地での任を解かれたみこさんは、けれど相変わらず白上神社に入り浸っているとか
結局黒上さんの事が終わっても磐ノ戸の地に住み着いているホロックスは、相変わらず騒がしい毎日を送っているとか
最近少しだけ大神さんが明るくなったような気がするとか…
本当に…本当に色々な事があったけど、それでもあの後の僕にとって一番重要な事は、正式に白上さんとお付き合いを始めた事だろう
かたや、これまで女性経験など皆無な一般男子高校生
かたや、これまで白神神社の祭神としてずっと人々を見守り続けてきた磐ノ戸の守り神
お互いに恋愛に慣れていない上に奥手な僕らの交際はそれはそれはもどかしい程に進まず、見守ってくれていた周囲のみんなにはかなりの苦労をかけてしまった
だけど、そんな皆のお陰で僕らは少しずつ、それでも確かにお互いの距離を縮める事が出来た
ゆっくりと、僕らのペースで、互いを愛しいと想う気持ちを育む事が出来たのだ
本当にいくら感謝してもし足りない
みんなには一生頭が上がらないだろう
だから…
「何ですか?話したい事があるって」
いつもの神社の境内
あの後村による改築工事が行われ、綺麗になったそこで、白神さんは不思議そうに首を傾げる
そんな彼女に僕は一つ質問をする
「…フブキさんはさ、黒上さんに取り込まれた時の事を覚えてる?」
「えぇ、覚えてますよ
もう何年前の話ですかね…懐かしいな…」
そう言って目を細める白上さん…改めフブキさん
その容姿は以前から全くと言って良いほどに変わっていない
白い髪に、白い服
耳と尻尾に青緑の瞳
だけど、その前髪には小さな金木犀の髪留めが輝いていて
「…それじゃあ、あの時僕が言った事も覚えてる?」
「当然ですよ!
えっと、確か…」
ーー君と同じ苦しみと悲しみを共に背負い、君と同じ喜びと幸せを分け合いたい
あなたと、同じ時を過ごしたいんだ
「こうでしたよね?」
そう言って微笑む彼女の笑顔は、いつも通り世界で一番かわいらしいもので...
「正解です
…と言うか、自分で言っといてなんですけど、よく覚えてましたね?」
「ふふん!
海斗くんの言った事なら大抵の事は覚えてますよ!!」
フブキさんは得意げに胸を張り、場所も確かこのあたりでしたよね、と付け加える
「まぁ、厳密には違うんですが、それでも海斗くんが告白してくれたのも、白上がそれに応えたのもこの場所のこのあたりで………ってえ?まさか!?」
目を見開くフブキさん
そんな彼女に僕は遅いですよ、と笑いながら背中に隠していたものを取り出した
「うん、そう
――結婚してください、白上フブキさん」
――さて、これ以上を語るのは野暮というものだろう
と言う訳で、そろそろこの物語の幕を引くことにしよう
であれば、さしずめその最後はこんな感じで終わるのが良いんじゃないだろうか
すなわち
狐の神様は、人間と一緒に幸せに暮らしましたとさ
めでたしめでたし
と言う訳でなんとか完結しました!
いかがだったでしょうか?
実は1話を投稿したタイミングでは第1章しか完成しておらず、執筆に投稿スピードが追いついたらゆっくり書くことにしようと考えていたのですが、結局追いつかれる事無くそのまま書き切りました
作者としては珍しく、めちゃくちゃ詳細なキャラクターシートと設定資料集、プロットを最初に用意していたので完結については心配していなかったのですが…人間やればできるもんですね
それから本作は最初に述べた通り、とある動画に出ていた白上フブキさんの最初のお題に至るまでのストーリーの妄想です
ですから実はあの動画に出ていた第二、第三のお題に関しても構想自体はあるのですが…残念ながら今色々と忙しいので、恐らくしばらくは書けないと思います
まぁそもそも書くかどうか自体が怪しいのですが…もしそれでも読みたいという方がいらっしゃるなら、後日談と言う形で書くことがあるかもしれません
そして最後にこの小説を最後まで読んでくださった方に感謝を
実はこの話、ちょうど『おかゆにゅ~~む!』が発売された時に例の動画をたまたま見て、そのシチュエーションを元にした白上さんverの暫定『ふぶにゅ~~む!』を作れないかと考えた話でして
最初は漫画で描いてpixivに上げようと思ってプロット作ってたんですが、親友に見せた時に止めとけって言われて一度封印してたんですよね
ですから、あまり評価されなくても仕方がないかと思いながら書いていたのですが、それでもちゃんと誰かが読んでくれているという事は心の支えになりましたし、お気に入り登録してくださった方などに関しましては正直足向けて寝れません
本当にここまで読んでくださってありがとうございました
それでは、長々とお付き合いいただきありがとうございました
またいつか、機会があればお会いしましょう
さようなら!