まぁ、後ろめたいものが一つもない人間なんて存在しませんし、仕方がないですよね?
「見てください、海斗くん!
これ大きいですよ!!」
「…」
「それにこっちは…凄い!
こんな大物滅多にいませんよ!!」
「…ねぇ、白上さん」
「それにこの子なんて…
えっと、どうかしましたか?」
「…楽しい?」
「はい!楽しいですよ!!」
「そっか…」
思わず僕は遠くを見つめる
だが白上さんはそんな僕に構うことなく、改めて自分が片手に持っている物を僕の手にも握らせてくる
「海斗くんも一緒にやりましょうよ!きっと楽しいですよ!!」
そう言って微笑む
そんな彼女が手渡してきたそれ…長い棒の先にネットがついたそれは、どこからどう見ても虫取りアミにしか見えなくて…
(…いや、まぁこんなド田舎で出来る遊びなんて、確かにこれくらいしかないけどさ…)
想像の斜め上を行く遊びに流石に僕はため息をつく
とは言え白上さんの「一緒に遊びに行きませんか」という言葉に同意して付いていく事にしたのは僕自身だ
そう考えると一方的に白上さんを責めるわけにも行かない
(認識の共有って大事なんだな…)
そんな事を考えながら佇む僕と楽しげな白上さんが今いる場所は、僕の家から大体20分程歩いたところにあるちょっとした林だ
森と言う程に深くはないが、それでも鬱蒼と生い茂る木々に日差しが遮られ昼間だと言うのに少し薄暗い
そのお陰で少しだけ涼しいのが救いだが、代わりにそこら中に張り付いた蝉達の合唱が体感温度を上昇させるので結果的に差し引きはゼロだろう
そんな林の入り口で僕はこっそりため息をついた
さて、こんなところで僕らが何をしているのかというと、お察しの通り虫取りである
そしてなぜそんな事をしているのかというと、白上さんに誘われたからである
とは言え、流石に高校生にもなって今更そんなものに夢中になれという方が無理がある
だから最初ははしゃぐ白上さんをぼんやりと眺めていたのだが…いつまでもそうやって呆けていられるかというと大分厳しい
(…退屈だな)
有り体にいって暇である
しかし、だからと言って早々に引き返すのはわざわざ誘ってくれた白上さんに失礼というものだろう
だから僕は暇潰しもかねて近くの木の幹を覗いてみたのだが、そこで大いに驚く事になった
「おぉっ!?」
思わず声が出てしまったが、それも仕方がないだろう
何故なら、そこには今まで見たことが無い程に巨大なカブトムシやクワガタの姿があったからだ
(カブトムシってこんなに大きかったっけ?…)
僕は思わず自分の常識を疑うが…そもそも都会育ちだから本物を見るのは初めてだ
だから思えば僕の中の常識なんて、はなからあてになるようなものではないが…それを加味したとしても目の前にいる虫達のサイズは10cmにも届こうとしている
そのあまりの迫力に生唾を飲み込む
だからついでに隣の木の幹を見てみた僕は、今度はそこにいたオオクワガタの姿に驚嘆することになった
「す、凄い…こんなの初めてみた」
一瞬呆然とするも、慌てて捕まえて白上さんから持たされていた虫かごに入れて観察する
それは黒いダイヤモンドだった
美しく艶のある光沢が刻まれた平たく大きな体
磨き上げられた革靴のように滑らかなそれには、しかし同時に雄々しく力強い光に溢れており、それを象徴するかのように強靭な大顎の先端が鈍く光る
あまりにも見事な造形美に暫し見惚れている内に、僕はふと気が付いた
すなわち
(…これ、この辺りこんなのばっかりなんじゃ…?)
そう思うと、今までただの林にしか見えてなかった周囲の木々が、まるで宝の山のように見えてくる
と言うのも、なんだかんだ言っても僕も男だ
これほどまでに見事な昆虫たちを見せられて、思うところが何もないとは流石に言えない
結局男というのはいつまでたってもかっこいいカブトムシやクワガタに心惹かれるものであり、それを自覚すると共に僕の心の中に眠っていた何かに火が着いた
だから、気が付くと僕は先に虫取りをしていた白上さんの隣で同じ様に虫取アミを振り回していた
「捕まえた!ノコギリクワガタです!!」
「やりますね海斗さん!でもほら、白上はこれです!!」
「ミヤマクワガタ?いや、ただのミヤマクワガタじゃない!
これは…!」
「ふっふっふ!よく気が付きましたね
お気づきの通りこの子はアルビノ種です!目が白いでしょう?」
「噓ですよね!?ここの林どうなってるんですか!!」
この場所のあまりの魔境っぷりに僕は驚愕する
だけどそんなやり取りをしながらも僕は手を止めないし、白上さんもまた同じく虫取りアミを振るい続ける
だから、僕もまたそれに対抗するようにアミを振り続け…そして気が付けば僕らは一緒に夢中になって虫取りを楽しんでいた
(最初は高校生にもなって虫取りだなんて…と思ってたけど)
これが意外と楽しくて止められない
それもこれも白上さんが連れてきてくれた林があまりにも豊作で、それこそ探せば探しただけ大物が出てくるのだから堪らない
「次はあっちに行きましょう!」
「分かりました!」
そう言って二人で夢中になって走り回る
夏の暑い日差しなどなんのその
僕らはまるで幼い子供の時に戻ったかのように、ひたすらに虫取りに打ち込む
だが、熱中しているうちに、気が付くと僕らは段々と深いところまで入り込んでしまう
そして僕らはそれに気が付かなかった
「海斗くん!
こ、これヘラクレスオオカブトなんじゃ…!!」
「えぇ!そんなバカな!?」
聞こえてきた言葉に驚愕する
いくらなんでもありえない
だが、はっきり言ってこの林の豊作ぶりは異常だ
だからこそ、もしかしたら万が一があるかもしれないという考えが一瞬頭をよぎる
(まさか…本当に!?)
流石に看過する訳にもいかず、慌てて白上さんの方の向く
だが生憎と僕の目には白上さんも彼女の見ているものも映らない
なぜなら僕の目の前にあったのは、同じくこちらを見つめる熊の顔だったからで…ーー
………え?熊の顔?
気が付いた瞬間ぶわっと全身の毛穴が開くような感覚と共に体が硬直する
昨日まさに死を覚悟するような出来事に会ったばっかりだが、残念な事にその機会は思ったよりもすぐにまた回ってきた
(ど、どうする?)
思わず生唾を飲み込むが、それ以外何もできない
と言うのも熊との距離が近すぎる
戦うにしろ逃げるにしろ、こちらが動いた瞬間にこちらの首が物理的に飛ぶだろう
熊とはそれくらいの事が出来る動物であり、今僕はその間合いの中に完全に入っている
だから今僕ができる事は、この目の前の危険生物から目をそらさない事だけであり…しかしこのままでは何も解決しない
(考えろ…考えろ...)
必死に頭を回すも打開策は浮かばない
そして無情にも時間ばかりが過ぎていく
10秒立ったのか10分たったのか
あるいは10日かもしれないし10年かもしれない
無限に等しい一瞬の中で、僕の心が狂気に呑まれかけたまさにその時だった
「大丈夫ですよ」
ふとそんな声が聞こえ、思わず目をそらし…
(…ーーしまった!!)
直後に自分の犯した失態に気が付いた僕は目の前の熊に視線を戻す
だが当の熊はさっきとは違い、まるでこちらの事など見ていない
「私達は敵じゃないですよ」
そう言いながらスッと僕の隣に来た白上さんが熊にニッコリと微笑む
するとしばらくして熊は踵を返してその場から立ち去っていった
「………た、助かった?」
「そうですね
あの子はお家に帰ることにしたみたいです」
その言葉に僕はそのままその場に崩れ落ちる
それを見て白上さんが慌てて大丈夫ですかと聞いてくるが、正直生きた心地がしなかった
野生の熊に息が触れる程の至近距離で遭遇して無傷で生還
言葉に直すと中々の偉業だが、冗談じゃない
二度とやりたくない
だがそれよりも
「し、白上さん
今のは…?」
「え?
あぁ、あの子は突然人間に会ってびっくりしただけですよ」
事も無げにいう白上さん
だが先の諸行は到底ただの人間ができる事ではなく
(別に疑ってたわけじゃないけど…)
――本当に、この子は神様なんだな
立てますか?とこちらに手を伸ばしてくる白い狐の耳と尻尾を生やした少女に手を伸ばしながら、僕は改めてそう認識した
ーーさて、途中でそんなトラブルはありつつも、結局夕方になるまで僕らは全力で森を駆け回り、目につく限りのカブトムシやクワガタを片っ端から捕まえまくった
おかげですっかり体力切れ
僕も白上さんも完全に力尽きて動けないものだから、今はそのまま適当な木陰に二人して仰向けで倒れ込み、そんな僕らの事をからかうように、あたりからカラスの鳴き声が聞こえる
でもそれも当然のことかもしれない
何故なら今の僕らは全身汗だく泥まみれ
まるで遊び疲れた幼い子供のような有り様だからだ
だけど不思議と嫌じゃない
むしろこの全身に感じる疲労が心地よい
思えばこんなに遊んだのはいつ以来だろうか
徐々に沈んでいく夕日を浴びながらそんな事を考えていると、隣で僕と同様に泥だけでその辺に寝転んでいた白上さんが話しかけてきた
「いやぁ、大漁でしたなぁ海斗くん!」
「そうですね白上さん!」
まるで悪巧みが成功した子供のように微笑む白上さんに、僕も同じ笑みを返す
そこには共に何かをやり遂げた者達の間にのみ存在する、成し遂げたという達成感と確かな絆があって…
「まぁ、途中で熊が出てきた時には本気で死ぬかと思いましたが…」
「あはは、まぁ何事も無かったんですから良いじゃないですか!」
「それもそうですね!」
白上さんの言葉に僕は笑う
そうだ、こんなに楽しかったのなんて、本当にいつ以来のことで…ーー
「ーー良かった
ちゃんと笑えるじゃないですか、海斗くん」
その言葉と共に僕はようやく今の状況に気が付く
そうだ、自分は今笑っている
幸せな気持ちを感じている
ーー父さんと母さんの命を犠牲にして生き延びた男が、幸福を感じてるんだ
慌てて僕は自分の表情を元に戻そうとする
だがその時スッと僕の頬に白上さんの指が触れた
「笑ってください」
「っ!でも僕は…!」
「良いんです、笑っても
だって私がそうして欲しいってお願いしてるんですから」
いつの間にか体を起こしてそこに座っていた白上さんは気が付くと悲しそうな表情をしていて
「…確かに白上は海斗くんの事情を何一つ知りません
だからきっと何を言っても白上は本当の意味できみの悲しみを癒してあげる事はできません」
だがそこで彼女はふと表情を緩める
「でも白上はきみの笑顔の理由になることはできます
君に笑って欲しいと頼むことはできます
海斗くん自身で望んだことではなく白上に強制されたのであれば、笑ってしまっても仕方がないですよね?」
だから
「…笑ってください、海斗くん
私は君の笑顔が見たいんです」
そう言って自分の頬を指で引っ張りながら微笑む白上さん
そんな彼女の姿を見ていると、僕の中にずっと溜まっていた何かがあふれ出してきて…
「………敵わないな、流石は神様だ」
思わずそんな言葉が口からこぼれる
一体いつからとか
一体どうやってとか
聞きたい事は山程ある
それでも、もう溜め込んでいたものを抑える事は僕には出来そうにない
だから…
「ふふん、それ程でもないですね」
「…ねぇ、白上さん
僕は笑っても良いですか?」
「はい、勿論です」
「……幸せになっても、良いですか?」
「考えるまでもないですね」
「………父さんも母さんも死んで………それなのに、一人だけ生き残った僕でもですか?」
「無論です」
「………二人と…一緒に死ねなかった、厄介者…でもですか?
二人のお葬式でも…涙を流せなかった…気持ちの悪い子供でも…ですか?」
その段階で僕は気が付くと白上さんに抱き締められていて…
「ーーこの地を守護する白上神社の祭神、白上フブキの名の下に許します
風守海斗くん、きみは幸せになっても…ううん、幸せになりなさい」
そう堂々と宣言する白上さんの腕の中は暖かくて
抱き締められているとあれ程までに不安と罪悪感に蝕まれていた心が何故か安らいでいくような気がしてくる
「…ははっ、神様からの直接のお墨付きか…それなら仕方がないよね…?」
「はい、仕方がないんです
そしてもう一つだけきみに許しましょう」
「?」
戸惑う僕の耳元でそっと彼女は告げる
「…泣いても良いですよ?」
「!」
「今なら、誰も見てませんから
…ね?」
今までよく頑張りましたね、と白上さんの小さな手が僕の頭を撫でた瞬間、僕の中にあった何かが決壊したような気がして…
…そこから先は特に語るべき事はないだろう
ただ、一つだけ付け加えるとするならば、白上さんは最後までずっと側にいてくれた
僕の言葉に特に口を挟むでもなく、慰めるでもなく、ただ黙って
そして、僕はその翌日白上神社を訪れ先日の修行の話を受ける事にした
元々必要な事だとは思っていたのだ
そこに更にやりたいという理由が一つ新しく加わったというだけのこと
だが手を抜くつもりは一切ない
むしろ全力で取り組む所存だ
何故なら強くなりたいと思ったから
誰かの悲しみや苦しみに寄り添えるように
僕もあの優しい神様のような人になりたいと、心の底から思ってしまったから
こうして、僕はこの日から神様がいる不思議な日常へと足を踏み入れる事になったのだった
救済って結局自分が自分を認められるかって事だと思うんですよね
どんな理由であっても、それを成しうるのであればそれは救いなんじゃないかなって