ならば本物にすらなりたくない、自分自身でありたいと願ったとき、そいつはどのような存在になるのだろう。
本物が偽物になるのだろうか。
偽物が本物を超えるのだろうか。
それとも……?
「やった…わしゃやっちゃったぞオラぁあ!!!」
コンクリートと石材でできた、広大な地下の墓所──キヴォトスの地下深くに広がるカタコンベ。その薄暗い迷宮の中を、一台のボロボロのハッチバックが猛スピードで突っ走る。
ひび割れたヘッドライトが闇を切り裂くたびに、車内を満たすのは、エンジンが唸りを上げる爆音と、甲高い歓喜の叫びだけだった。
「やったぞ! ついにやり遂げたんじゃ! わしゃ自由になったんじゃああ!!」
荒々しい手つきでハンドルを片手で握り、もう片方の手で札束を掴み上げて空中にばら撒く。札束が雪のように舞い散り、再び足元に降り積もる。その感触、その匂い、その全てが、アリウスで永遠に繰り返されるはずだった地獄の日常から逃れた証だった。
「総額やく一千万はくだらねぇ! これだけありゃ、当分は余裕で暮らせるじゃろうか?ガハハハ!!!今頃、あのベアのババアは顔真っ赤にして怒り狂っとるんじゃろうか…あ! そうじゃった! 最初から真っ赤っかじゃったわい! ガハハハハハハ!!」
嘲笑を撒き散らしながら、彼女はさらにアクセルを踏み込む。カタコンベの壁が、彼女の叫びをエコーさせ、自由を手にした歓びを何倍にも増幅させた。
「ハハハハハ!! ガハハハハハハハ………はぁ……」
しかし、狂騒は長くは続かない。突然、エンジン音だけの空間に戻されると、その静寂が彼女の胸に冷たい不安の影を落とした。
偽ミサキはハンドルから手を放し、後部座席の札束を虚ろな目で見つめる。
「これからどないしょ……」
自由だ。金もある。しかし、彼女は知っている。このキヴォトスという学園都市で、身分証なしで生きることの難しさを。
「この金は…使えねぇ。大っぴらに使おうとしたら、速攻で連邦生徒会の奴らに見つかって、弄られるのがオチじゃ…」
歓喜は一転して、焦燥に変わる。いくら大金があろうと、それはただの紙切れと同じだ。
絶望が胸を締め付ける中、一筋の閃きがヘイローの下で光った。
「そうじゃ……良い事思いついた!」
その瞳に再び力が宿る。彼女が向かうべき場所は一つしかなかった。
カタコンベを抜け出し、地上へと出た車は、キヴォトスを縦断する大通りを避け、裏路地へと滑り込んでいった。陽の光が届かない、都市の血管のような暗い道を進むにつれて、空気は澱み、鉄と埃と、何とも言えない背徳の匂いが強くなっていく。
ブラックマーケット。連邦生徒会の目が届かないことをいいことに、ここでは違法な物品の取引や、非認可の違法クラブ、そして禁断の取引が日常的に行われている。
彼女が車を停めたのは、古びたビルの一階にある、看板すらない怪しげな店。鉄格子で閉ざされた窓の奥から、くぐもった音楽と、酒の匂いが漏れ出していた。
店内に入ると、カウンターの奥には、全身を黒いジャケットに包み、常に不機嫌そうな顔をした男が座っていた。
偽ミサキは、バッグから札束を掴み出し、カウンターに**ドカッ!**と音を立てて積み上げた。その厚みに、ブローカーの細められた目が微かに見開かれる。
「…んで? 学生証と戸籍の偽造をして欲しい、と?」 「あぁ。頼めるか? 金ならいくらでもあるぞ。これでも足りねぇってんなら、追加で持ってくることもできる」
札束の存在は、交渉を円滑に進める何よりの免罪符だった。ブローカーは、周囲を警戒するように一瞥すると、ため息と共に頷いた。
「…どこがいい? どの学園の名前が欲しい?」
山積みにされた札束を前に、ブローカーは面倒くさそうに紙とペンを取り出す。
偽ミサキは一瞬、顔を上げた。どこの学園にするか、など、実はブラックマーケットに向かう車中で決めていた。
「百鬼夜行…どうも親近感がわく。あの自由奔放さ、わしと似とる気がするんじゃ」
「……そうか。まあ、こっちも商売だからな。承ろう」
ブローカーは、ペンを構えて尋ねる。
「名前は?」
その一言に、偽ミサキの動きが止まった。
本名。
ふと一瞬本名を書こうとしたが…
そんなことをしたらアリウスからの解放後オリジナルが生きづらくなる。
彼女は、少しだけ考え、そして決意したように口を開いた。
「ミサ……戒野ミサだ」
あたらしい名前を名乗ることにした