ブラックマーケットの一角にある、違法なカジノ。
壁際に設けられた薄暗いバーカウンターで、二人の男がグラスを傾けていた。どちらも薄汚れたスーツを纏い、顔には粗暴な笑みを張り付けている。
「おい、聞いたか? 最近、ここを荒らしまわっとる撫で切り武士の話」
男の一人が、低い声で囁いた。彼の指先には、使い古された葉巻の煙が揺れている。
「ハッ、またデマかよ。武士だかなんだか知らねえが、ここで大っぴらに首を狩って回れる奴がいるわけねえだろ。マーケットガードが黙っちゃいねえ」
「それがよ、ガチらしいんだ。この一週間で、あの組織もヤツらと、裏通りの売人どもも、跡形もなく消え去った。金目のもんは綺麗さっぱり、ぺんぺん草一本残ってねえってよ」
男はグラスの酒を一気に煽り、さらに声を潜めた。
「しかも、全員首が切り落とされてたそうだ。まるで、一撃でスパッとな。それが、一人でやってるっていう噂なんだ」
「単独犯? バカ言ってんじゃねえよ。この辺じゃ、うちみてぇな組織相手に一人で喧嘩売れる奴なんか、ゲヘナにいる風紀委員長くらいなもんだ」
もう一人の男は、鼻で笑って信用しない。キヴォトスには強力な生徒が多いが、単独で組織を壊滅させるには、それこそ常識外れの能力が必要だ。
「まあ、デマだろうな。大方俺たちにビビッて変な噂を流してるんじゃねえの」
彼は葉巻を口に運び、煙を大きく吐き出した。
「武士だのなんだの、くだらねえ。どうせ、どこぞの不良生徒がちょっかい出して、うちみてぇな大組織に返り討ちに遭って終わりだろ」
男が豪快に笑い飛ばした、その瞬間だった。
ヒュン。
まるで、絹を裂くような、静かで速すぎる風切り音。
男の、首が。
ブワッと音を立てて、宙を舞った。
彼の大きな体は、座ったまま何の違和感もなく、ただ首だけが消え去った。オイルの血飛沫がバーカウンターの奥の鏡に飛び散り、鮮血がグラスの中の琥珀色の液体を朱に染める。
「な、なんだ…!?」
残された男が、何が起こったのか理解しようと、目を見開く。
彼の視線の先に、一人の少女が立っていた。
白鞘の太刀を、逆手に構えた少女。
百鬼夜行の生徒服の上に、派手なパーカーを羽織り、黒い太いリストバンドを巻いている。
口元には、三日月のように弧を描く獰猛な笑み。
「きひ❤︎クズは好きじゃヨォ?
なんぼフルボッコにしてもだーーーーーれも文句たれる奴おらんけぇのぉ!!!!!」
声が場違いな静寂を破る。
「だ…誰だお前ェ!?」
男が反射的に背中の銃に手を伸ばすが、間に合わなかった。
腰を低く落とした姿勢から、地面を蹴った。
白鞘の太刀が唸りを上げて振り下ろされる。
その動作には、一切の躊躇がない。
普通の剣術ではない。それは、当たるまで打ち込まねばならぬという、異常なまでの一撃必殺に特化した、狂気の剣術だった。
男は、自分の意識が消える前に、頭の中でかすかに理解した。
速い。速すぎる。
ミサは、一振りで男の首を刎ねた後、まるで何もなかったかのように、その勢いのまま、バーカウンターにいた他の構成員たちへと突っ込んだ。
「なんじゃあ、こらあ! 誰じゃ、この女!」
店内にいた他の構成員たちが、慌てて銃を構え、彼女に向かって一斉に発砲する。
閃光、轟音。
しかし、ミサの動きは、その銃弾の雨を嘲笑うかのようだった。
彼女は、元来ロケットランチャーの反動を抑え込むために訓練された制御技術を、この長ドス一本のために転用していた。
ドスッ。
太刀がぶつかる音ではない。獣人の肉が裂ける、鈍い音。
ミサの太刀は、薙ぎ払うのではなく、一点に全質量を集中させて叩き込むような、異様な挙動を示す。それは、薩摩示現流の『初太刀を命と心に当てる』という思想を、彼女の超人的な肉体と戦闘知識で再現したものだった。
転生者としての知識と、アリウススクワッドとしての戦闘データが、狂気の演算を行っていた。
理論上は可能だが、実行できるのは、頭がどこかおかしいヤバい奴か、常軌を逸したアホだけだ。
ミサは、後者だった。あるいは、両方だった。
「一々、動きが大振りじゃけぇ!お前ら、訓練不足じゃろ!?
死ぬなら、せめてもっと華を見せんかや!」
ミサは、飛来する銃弾を紙一重で避けながら、次々と構成員たちの間を駆け抜ける。
一の太刀。二の太刀。
太刀は、常に最高速度で、首という一点のみを狙う。
まるで、撫で切りだ。スパスパと。
撫で切り武士の真髄は、その圧倒的なスピードと、容赦のない一撃必殺にある。
ミサの口角は、さらに吊り上がった。
最後に残ったのは、店の奥で震えていた、カジノの胴元らしき男だった。
男は、震える手で無線を取り、必死に助けを求めようとする。
「た、助け…く、来るな!バケモノめッ!」
「お! やっとまともなセリフが出たのう!」
ミサは太刀を下げ、男の目の前で、ニッコリと笑った。その笑顔は、普通の女子高生のものではなく、捕食者のそれだった。
「わしゃ、バケモノで正解じゃ!アリウスとかいうクソッタレた地獄から這い出てきたもののけじゃけぇ!転生したんじゃからは、これくらい楽しまんともったいないじゃろ!」
ミサは、白鞘の太刀を、まるで愛しいペットでも撫でるかのように、そっと鞘に戻した。
カチッ。
その音は、『終わり』の合図だった。
男は、自分の意識が消える寸前、絶望と共に理解した。この少女は、噂の『撫で切り武士』などという大層なものではない。
ただ、楽しんでいるだけなのだ。獲物を追いかけて、追いかけて、追いかけて狩り殺すのが、この上なく楽しいのだ。
ミサは、カジノの出口へと歩き出す。彼女の通った後には、首なしの死体だけが残されていた。床には夥しい量のオイルが溜まり、生臭い匂いが漂っている。
彼女は、鼻歌を歌っていた。この地獄のような現場に、まったく似つかわしくないほど、明るく軽やかな鼻歌を。
「さーて、次の獲物はどこにおるんじゃろうな〜?」
ミサは、次の獲物を求めて、夜の街へと消えていった。
その背中には、白鞘の太刀が鈍い光を放ち、まるで彼女の凶行を祝福するかのように、静かに揺れていた。