Stella Break   作:無間ノ海

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師の贈り物

 

 

 

「それじゃ、あたしは街に出てくるからっ!」

 

「ああ、端末の電源はちゃんと入れておいてね。」

 

 ラウンジに戻り、街へ繰り出すリンを見送って、セヅキは待機中何をしようかと考えを巡らせる。

 そこに、お腹に走るピリッとした感触。

 

「あー……そういえばお腹の貫通痕がそのままだったな。一回診て貰わないと。」

 

 ぶち抜かれた腹を見やる。真っ白だった包帯は、血でどす黒く染まっていた。

 応急処置しているとはいえ、雑菌が入っても困るし臓器も傷ついている。あいにく自分は癒者(ヒーラー)ではないし、医療に関しての知識は最低限だ。一応は本職の医者に診てもらうべきだろう。

 

 そろそろ医療部門の手も空いている筈。一回足を寄せようかと考える。

 

「セヅキ様。こちら、代えの包帯と賦活剤でございます。宜しければお手伝いいたしましょう。」

 

「あ、ベックさん。助かります。」

 

 そこへベックが替えの包帯を持ってきてくれた。

 礼を言いながら受け取る。

 

「そちらの疵痕が、例の傭兵につけられたものでございますか。なんと惨い……痛かったでございましょう。」

 

「あはは。ご安心を、大丈夫ですとも。しかし確実に止めを刺すために誘ったとはいえ、まさか一撃で防御を抜かれるとは思いませんでした。してやられましたよ。流石は一大犯罪傭兵組織のトップってことでしょうね。」

 

 包帯を替えるのを手伝いながら、道化師はつぶやく。

 

「なんと。しかし貴方様が不覚を取るほどの相手とは、驚きですな。」

 

「ふふ、買い被り過ぎですよ。あくまで私の力は外付けのもの、ギアを入れ間違えればこうもなります。お師匠にバレればなんと言われることやら………」

 

「ふむ……であれば、少しだけ時分が不都合でしたやもしれませんな。」

 

「?」

 

 ほんの少しだけその微笑みに苦味が混じるのを見て、セヅキが首をかしげる。

 

「いやなに、今医療室へ向かわれると少々難しいことになると思いまして。」

 

「あぁ……なるほどぉ……」

 

 その一言だけで全てを察してしまった青年は、苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

 

 

「――はい、これでおしまい。よく頑張りましたね。」

 

「うんっ!せんせーありがとっ!」

 

「急なことですみません、本当にありがとうございました。」

 

「いいえ、これが私の仕事ですから、気にすることはありませんよ。こちらが処方のお薬です。ちゃんと飲ませてあげてくださいね。」

 

 

 

 白衣を着た女医が、母親が連れてきた子供を診ていた。

 よくある小児科の風景だが、しかし女医の様子は少し、いやとてもおかしい。

 

 水色がかった銀色のロングヘアを靡かせ、その白衣を纏う少女。どう考えても医者にしては若すぎる少女が当たり前のように患者を診断し、カルテに書き込み、薬を調合して処方している。確かにこの国の癒者免許に年齢制限はないが、それにしたって若すぎであった。高く見積もっても高校生くらいではなかろうか。

 

 加えて、普通人種(ノーマル)ではあり得ない身体的特徴が、幾つも存在していた。

 亜人であろう。

 

 殊更に異彩を放つのが、頭部から後ろ向きに生えている真っ黒な角だ。きちんと手入れがされているのか、黒曜石のように艶やかである。

 時折ふりっと揺れ動く、身の丈ほどの大きな尻尾。氷のように透き通った青色の鱗が、白一色の病院の照明にきらきらと光っている。患者の子供は、まるで猫じゃらしに惹かれる子猫のようにそれに触ろうとしては母親に手をつかまれていた。

 

 そう、言うなればその姿は――まるで、(ドラゴン)のような。

 

 そして首輪のようにその細い首を締め上げている真っ赤なチョーカーが、その清潔そうな風貌と相まって妙に倒錯的な印象を与えていた。

 いそいそと診察室を出る準備をしていた患者の子供が聞いた。

 

「あれ、せんせーなんで首輪してるの?首輪ってワンちゃんがつけるものなんでしょ?」

 

「こら、やめなさい!」

 

 母親が咎めるが、医師を務める少女は気分を害した様子もなく、むしろ少しだけ嬉しそうにチョーカーに触れた。わずかに鱗のような模様が浮いた白い手が、首筋をさする。

 

「…大事なものなんです。私の息子に等しい子に大切なものをあげた、その証。」

 

「んー、どーいうこと? わかんないっ! せんせーけっこんしてないんでしょ? だって指輪ないじゃん!」

 

「ふふ、今は分からなくてもいいのですよ。きっと大人になれば分かる日が来ます。さあ、今日はもう帰って、早くお休みなさい?」

 

「はーいっ、せんせーおやすみなさい!」

 

「すみませんでした先生。失礼します。」

 

 ひらひらと手を振って見送る医師の少女。

 これで今日の彼女の業務は終わりだ。うんと大きく伸びをする。

 

「さて、あとは医療部に戻って…ん?」

 

 腕の端末がメッセージを表示する。差出人は全機構情報自動統括管理システム。

 

 それをスクロールして、思わず微笑みが漏れた。

 可憐で、美しく……そして、ちょっとだけ恐ろしい微笑みだった。

 

「おやおや、これはすぐに戻らないといけませんね。」

 

 

 

 エレベーターを降りて医療部門に入ったセヅキを出迎えたのは、最上部の機関長室とは真逆に真っ白に染まった部屋である。

 

 ここは医療用ベッド、処置室、検査室、手術室、薬品保管庫などなど、病院として必要な機能をあらかた揃えた医療施設である。

 

 秘密機関という関係上、気軽に医療を外部に頼ることが難しい(ついでに言えば任務の度に負傷者が山のように出る)シュテレーラにとって、組織内部に医療システムを作っておくことは非常に重要なのだ。

 

「……はあ。」

 

 そんな重要エリアに踏み込んだセヅキは、入った瞬間にため息を漏らす。

 

 それは目的とする人物がそこにいて、かつ診療する気満々でカルテを準備していたからでもあった。

 

「あら、お帰りなさいセヅキ。――それで? 久々に会ったわたしに対して溜息とはどういう了見でしょう?」

 

「これは失礼しました、ですがどうせ出待ちしていたのでしょう? ……お師匠様。」

 

 その人物こそは、報告を受けて即座に医療部門に先回りし診察準備を整えた、あの銀髪銀眼の少女だった。

 

「ええ、ええ。なんでも不肖の弟子がまたもや不覚にも大怪我を負った挙句呑気にお茶会を楽しんでいると聞きまして。師匠に真っ先に顔を見せに来ないことも含めてこれは話をしなくてはならないと考えましてね。」

 

 意地の悪そうな笑みを浮かべて、息つく間もなくぺらぺらと少女の口が回る。

 あなた普段クール系キャラですよね?というツッコミを毎度セヅキは頑張って堪えている。この人に逆らうとボコられるからだ。ちなみに逆らわなくてもボコられる。

 

「長への報告を優先しただけですよ……決して悪意があったわけではありませんから。」

 

「まあ構いません。用件は察していますので、とりあえずは傷を見せなさい。」

 

 有無を言わせず青年を椅子に座らせ、服を無遠慮に捲り上げる女医。

 同時にその角が、薄らと青い燐光を放つ。

 

「ふむふむ、貫通痕に回転の傷跡…この魔力からして回転する岩の弾丸でも喰らいましたか。焼灼止血処理は戦闘中だった故に仕方ないにしても賦活剤の使い方が雑すぎます。加えて消化器系にも傷が入っている。脚部・体幹と臓器への直撃は致命の追撃に繋がりうる故に回避しろと教えましたね?」

 

 視覚のみとは思えないほどのスピードで診察し、怪我の元になった攻撃すらも見通した少女は、そのついでとばかりに戦闘行為や治療行為の粗をいちいちダメ出ししてくる。

 

(相変わらず鬼だなこの人。いや竜なんだけども。)

 

 そんなことをぼんやりとセヅキが考えるのも仕方あるまい。

 

「――全く、まだまだ修練が足りませんね。もっとしっかりなさい?あなたはこのサフィア・マオレの直弟子なのですから。」

 

そういってサフィアと名乗った、その竜人の少女は指を突きつけた。

 

 

 

「……ええ、まだまだ私も未熟です。不出来な弟子をどうぞお許しください、お師匠。」

 

 苦笑してセヅキが返す。

 

 そう。

 お師匠の呼び名通り、セヅキを現在に至るまで鍛え上げ、戦人としての気前を叩き込んできたのは、何を隠そう彼女である。

 竜の娘、サフィア・マオレは幼少期より、ただの男の子にほとんど虐待に等しいほどの苛烈な修行を課し、一端の戦士にまで肉体と精神を研ぎ澄ませさせたのだ。

 

 弟子の殊勝な態度にうむ、と満足げに頷いたサフィアは、隣に置かれていた医療用のベッドを起動させた。

 

「あなたの肉体強度であればあまり心配はしていませんが、修復は早い方がいいでしょう。そこに横になりなさい。」

 

 言われた通り横になると、幾つもの魔法陣や回路状の模様、あるいは文字を為した光が寝台の周囲に浮かび上がる。

 

「先日『ラドニスの研究棟』のほうで開発された、治癒魔術を組み込んだ術式型の内包ベッドです。ほら早く横になって気を楽になさい。心配しなくてもすぐに終わります。」

 

 そういうや否やそばにあった糸巻きをとり、手刀の先に魔力が集中し、両腕がブレた。

 

 

 無手でありながらまるでメスで切ったように、一瞬で焼灼処理された部分が剥がされる。

 その奥にある臓器の穴が塞がれる。

 神経が繋がれ、筋繊維が埋められ、皮下組織が接着する。

 最後に皮膚が縫合されて閉じられる。

 

 合計9.4秒。恐ろしいほどの早業であった。

 

 

「縫合にはわたしの鱗を糸状に整形したものを使っています。無菌で拒絶反応なし、修復後はちゃんと同化する便利な縫合糸ですので安心しなさい。」

 

「はぁー……流石ですね、全く痛みもない。」

 

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう? もっと褒めても良いのですよ。」

 

 シュテレーラが誇る最高の癒者は、笑って得意げに胸を張った。

 

 彼女は世界的に見ても非常に珍しい、竜種と人間のハーフ、いわゆる竜人(ドラゴニュート)だ。竜種は人間とは遺伝情報が全く異なるので子供は作れないはずなのだが、そこは母親である竜が持っていた魔法が関係していると聞く。

 

 竜種の角は魔力の流れを非常に精細に読み取る感覚器であり、彼らは神秘の感知力も制御能力も群を抜いている。サフィアも例外ではなく、魔力の流れから体の異常を読み取り、非常に細かい魔力操作技術を応用してオペを行えるのだ。

 彼女が優れた名医として、名を馳せているのもそれゆえだった。

 

 そんな名医ドラゴンは、医療器具を片付けつつ忠告する。

 

「あなたの身体はアーティファクトのせいで、痛覚が危険信号として機能していない。痛くなくても危険を覚えたらすぐに見せること、いいですね?」

 

「ええ。ありがとうございました、お師匠。」

 

 元通り綺麗に修復された傷跡を興味深そうに触る弟子に、サフィアは問うた。

 

「しかし、姿を消していた大物の犯罪者ですか。なぜそのような者が無人島に?」

 

「どうもドリク博士が旧友の遺したドラゴンを娘のように気にかけていたようで、そのドラゴンを人為的な因子の注入で強化していたようです。あの無人島は、その因子を抽出するための魔獣を培養する、ケージのようなものでしょう。そして私の腹をぶち抜いてくれた元ジネドーゴのヨハン・フォルゲは、その護衛兼共犯者ですね。」

 

 ヨハンとの因縁については伏せる。

 知る必要のないことだ。師匠に余計な気を使わせる趣味はない。

 

「実験素体を生み出すための牧場、といったところですか。正直いい気はしませんが……幼い同胞を保護していたことだけは評価できるかもしれませんね。もしも神秘災害との関わりがあれば殺すべきでしょうが、そうではなかったのでしょう?」

 

「ええ、ですから情報のためにも捕縛措置をとりました。フォルゲに関しては手加減出来なかったのでやむを得ず排除しましたが。」

 

 苦い顔で呟く弟子に、サフィアは少しその小さな顔を捻った。

 

「……ふむ、そんなに強かったのですか?先ほどはああ言いましたが、ソルヴェリアによる強化込みで、今のあなたが苦戦するほどの相手とは、少々驚きですね。」

 

「スペックだけならそこまででしたが、単純に技巧が優れた戦士でした。加えて、戦闘中急にギアが入ったようで攻めきれなくなったのです。私自身コアリンク状態では長期戦に向きませんし、やむを得ずダメージ覚悟で敵の攻撃を誘った形ですね。」

 

 セヅキは戦闘時の記憶を、ざっと映像形式で思い返した。

 

 戦闘の記憶、それも類稀なる強者との戦験は、変えの効かない強力な武器である。

 故に何があったか、どのように判断したか、敵の手は何か、自分の応手は何か、環境情報は、能力情報は……と脳内のデータベースからいつでも引き出せるようにしていた。

 

 そして――ヨハン・フォルゲ。懸賞金20億の名に恥じぬ、誇り高き強敵であった。

 

「結局大技を撃たせる形で隙を晒させ、出力を跳ね上げてカウンターで焼き殺す形を取りましたね。ただ相手も頭が回るので、最初にわざとソルヴェリアの出力を抑えて魔力強化を緩め、攻撃を通させました。急所は避けましたし呼吸の維持も問題なく…」

 

 つらつらと記憶の箱をひっくり返していると、少しだけサフィアの表情が翳った。

 

「………その。」

 

「どちらかといえば深化状態への…はい、なんでしょう?」

 

「……そのように真顔で詳細に戦跡を語るのはやめなさい。普通の人から見れば不気味ですし、怪我している時点で誇れるものではないでしょう。非常時の訓練も兼ねて、端的な説明を普段から心掛けるように。」

 

「はあ……? 良く分かりませんが、お師匠が仰るなら、そうします。」

 

「よろしい。素直なのは良いことですよ。」

 

 言われた通りに口を閉じると、サフィアが満足げになった。

 語り口が気に入らなかったのだろうか。

 

 

「――そういえば、わたしが贈った耳輪はちゃんと着けていますか?あれはあなた専用に調整したもの。他の者には意味がありません。本部の外に出るときは忘れないでくださいね。」

 

「ああこれですね。ご心配なく、常備しています。」

 

 そういって懐から取り出したのは、透明な水色の鱗型をベースに装飾を施した耳飾り。

 片耳用の小さな耳輪は、サフィアがセヅキにちょっとした神秘を込めてあげたもの。厳しくも尊敬する師匠から貰ったプレゼントに、当時は柄にもなく大喜びしたものだ。

 

 せっかくなので、左耳にチャリンと垂らす。

 澄んだ蒼白色が輝いた。

 

 それを見て、うむ、と満足そうに頷く師匠である。

 

「わたしなりのお守りでもあります。大切にしてください。」

 

「言われずとも、無くしたりしませんよ。」

 

 相変わらず師匠は意外と態度に出るなあと、嬉しそうに揺れる尻尾を見て思う弟子であった。

 

 

 

 

 誰もいなくなった診療室で、サフィアは椅子にもたれこむ。

 

(……また、酷な言い方をしてしまいましたね。)

 

 胸に残るのはほんの少しの後悔。

 優しい言葉をかけてあげたいはずなのに、口をついて出るのはいつもいつも叱責と痛罵だ。

 

 本当は、よく頑張りましたねって褒めてあげたい。

 抱きしめて、眠れるまで一緒にいてあげたい。

 もう戦わなくていいんですよって言ってあげたい。

 

 でも駄目だ。

 それは駄目だ。甘い言葉を、許してはいけない。

 だって、自分は彼の"師匠"なのだから。

 ただ、たったそれだけの理由で、サフィアはそれ以上踏み込めなくなってしまう。

 

 だって、あの子は止まらない。

 あの子は、他人を護り敵を排除する時にしか、自分に価値を見出さないから。あの子が戦いを止めるのは、きっとその鼓動が止まり、その魂すらも地獄の火に炙べ終えた時だけなのだろう。

 

 今日だってそうだ。一流の戦士でも泣き叫ぶような重傷を負って、それでも痛みなんて何一つ感じていないように振る舞っていた。

 いや、きっと事実、感じていないのだ。

 痛覚がほぼ死んでいるあの子の体は、何一つとしてそれを知覚しない。真顔で淡々と自分の疵の経緯を話す姿は、いつ見ても痛々しくて、見ているこちらが辛くて。どうせこの程度なら戦闘能力に支障はないから、とか言ってリンをこっそり泣かせていたのだろう。

 

 ――そうして、いつかは手遅れになる。

 

 次に顔を合わせることすら、出来なくなる。

 

 二度と、瞳を見ることが出来なくなる。

 

「それは、嫌、ですからね。私は、許しませんからね。」

 

 このサフィア・マオレは竜である。

 竜であるがゆえに、完成した種の一角であるがゆえに。

 私は究極である。超常の化身にして、生まれながらの絶対的強者である。

 

 そして竜だからこそ――財宝(むすこ)の死に、耐えられるわけがない。

 

 己の命より『欲しい』と思えたそれが去ってしまえば、私は最早生きている意味すらも喪失するであろう。

 己にとっては、山ほどの金銀財宝よりも、舌を蕩かすほどの美酒美食よりも、たった一人家族と認めてしまった彼だけが、護るべき『頸の珠』、竜の財宝なのである。

 

 もしも、それを取りこぼしてしまえば。

 そんなことになれば。

 こんな世界など要らぬと、知らぬと。私は殺意のブレスにて、大地を煉獄へと染め変えるであろう。赤子のように癇癪を起こし、災厄の化身へと成り果てるであろう。

 

 

 嫌だ。嫌だ。

 看取るなど許さない。見送るなんて許せない。逆縁など、どうして受け入れることができようか。

 

 ――だったら、叩き込んでやるしかない。

 誰にも負けないように、強くするしかない。

 

 誇り高き竜が笑わせる。

 厳しくしすぎて嫌われてしまう恐怖はあるのに、今の関係を崩してしまう方がさらに怖い。

 "母"としての自分がもうやめようと思うたび、その甘さが弟子を失うのではないかと"師匠"としての自分が囁く。

 

 

 思わず自嘲が漏れるほど、くだらないジレンマだった。

 

 

 ……ならばせめて、せめてだ。

 その傍に置いておきたい。一欠けらでもいい、己の心を置いておきたい。

 己の一部を置いておきたい。

 

 だって――寂しい。

 あの子に忘れられたくない。死んでほしくない。ずっとそばにいて欲しい。

 

 自分がその傍らにいられないことが。寂しくて、冷たくて、不安で、恐ろしくてしょうがない。

 その傍らに、他の者がいる度に、胸が張り裂けそうな痛みを訴える。

 

 ああ。あの子は知るまい。知らなくていい。

 

 あなたが任務に出ている間、私がどれほどに孤独を感じているか。

 その寂しさを埋めるために、どれほどこの身体の冷たさを慰めているか。

 あなたが他の人に笑いかける度、どれほど暗い泥が私の心に沈み込むか。

 

 そんなこと、口走ることさえ許されないけれど。

 

 それでもやっぱり、私に暖かさをくれるのは、生きようという熱をくれるのは。

 息子と認めた、唯一傍にいて欲しいと願った、あなただけなのだ。

 

 

 だから。愛しい弟子よ。

 この不肖の師匠の罪悪を、呪いを、どうか許してほしい。

 

「……耳輪。大事にしてくれていましたね。まったくもう…そういうところですよ? 我が弟子ながら、女を誑かしすぎなのです。私が言えたことでは、ありませんがね。」

 

 サフィアは徐に、パチンとその赤いチョーカーを外した。

 

 白く細い首にいくつも浮かぶ鱗。この世の何物も拒絶するそれは、誇り高き竜の証。

 しかし敏い者であれば気づいただろう。そこには、本来存在すべきものがなかった。

 

 

 ――どのような竜であっても一枚だけ、共通して持つ鱗がある。

 『逆鱗』と呼ばれるそれは、文字通り他の鱗とは逆向きに生えた大きめの鱗であり、顎の下、首筋に生えている。

 

 そしてこの逆鱗、実は竜種共通の弱点でもあり、万が一ここに触れられた竜はどれほど穏やかな気性であっても激昂して暴れ出すことで知られている。

 「竜の逆鱗に触れる」。その恐ろしさは古語にも語られているのだ。

 セヅキがヒルダの顎を撃ち抜くとき、あえて翼を奪ってから攻撃したのもそれだ。機動力を奪わず攻撃し、もしも逆鱗に触れてしまえば、高位の竜種が死ぬまで暴れ回る最悪の事態になっていた。

 

 現在では竜種の肉体構造が少しずつ解明され、この下に竜種の身体全体の魔力を巡らせる臓器があることがわかっている。つまり竜たちにとっては第二の心臓なのだ。

 だからこそ、唯一そこを守る逆鱗に触れられれば強制的に生存本能が刺激され、見境なく暴れ出す。

 

 当然、竜人にもそれはあるはずで。

 

 しかしサフィアの喉元には逆鱗はなく、代わりに()()()()()()()()()()()()()白い跡が残るだけ。

 

 

「……ふふ、あははは、あはははっはははは………! あははははははっはははは……!!」

 

 

 思わず、笑いが溢れてしまう。その造形品のように整った顔が歪んだ。

 ぐちゃぐちゃとした昏い愉悦と、満たされてしまう独占欲。何も知らない無垢な弟子への申し訳なさが、それもまた背徳感のスパイスとしてサフィアの心をもっとチリチリと焼いていく。

 

 逆鱗は、竜にとって急所にして心臓。

 

 彼らの生態を考えればまずありえないことではあるが。

 絶対的にありえない、己の心臓を抉り、加工し、捧げるに等しい行為であるが。

 

 もしも、もしもだ。

 竜がそれを、誰かにあげるということは。

 

 それはつまり。

 

「ふふ、ふふふっ…わたしの愛し子よ。知っていましたか?

 

 

 ――竜とは、執着深い生き物なのですよ?」

 

 

 弟子の左耳の耳飾りが、キラリと輝いた。

 

 

 





翡雨セヅキ

師匠のことが好き。尊敬している。もう一人のお母さん。
でも小さいころからボッコボコにされてばかりでちょっと怖い。いつか認めさせる。
イヤリングを貰った時は本当に喜んだ。


ベック・ゼイン

一通りの医療技術は修めている。万能超人。
痛そうな傷を見て、こっそり顔をしかめた。


サフィア・マオレ

激重ヤンデレシルバードラゴンガールお母さん系お師匠様。
医者を務める。医療部門のトップ。
とっても珍しいドラゴニュート。多分同族はこの世にいない。種族として孤独。
色んな意味でセヅキが好き。
師弟と伴侶を勘違いしている節がある。
とっても強い。
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