セヅキが退出したのち、凩はたった一人で、広大極まりない演習場を掃除していた。
もっとも、凩はこういう雑事を自分の手で終わらせないと、気が済まないタイプである。
むしろリンあたりが物を投げっぱなしにして、
「拝借したものを整理できぬなら、始めから借りるな。」
などと説教することもよくあるのだ。
自分たちの勝手で傷めた以上、その整備を怠るなど愚の骨頂。
借りたものはちゃんと元通りにして返す、などというのは、彼の中に当然の道理として有った。
「ふむ、あと四区画ほどか……」
一つ一つ壊れた壁に凩の手が触れ、魔力が流し込まれる。
すると、壁内に仕込まれた、修復の術式が起動。
まるで砂が流し込まれるように、壁が埋められていき、ぴかぴかの傷ひとつない状態へと様変わりした。
これは、あらかじめ仕込んだプログラムに従い、領域内での分子補完を行なってくれる術式。
元々は、地震や魔獣の氾濫が多い地域で、破壊された建造物の復旧をサポートするために、作られたものである。
そんな魔境に住む、人々の血と涙の結晶に感謝しつつ、凩は独りごちた。
「なぜあやつはこうも……剣ではなく、棍棒か拳の方が良かろうに。」
頭が痛そうに、額に手をやる凩。
無論それは、さっき自身の超絶技巧で、地べたに転がしてやった剣士のことである。
凩の、あの辛口評価は嘘ではない。
本当に、剣士としての才能が、セヅキに無いのは紛れも無い事実だった。
努力は認める。
実直さだってある。
素振りの型だって悪くない。
単純に彼の気質、彼の魂の形そのものが、人斬りに向いて無さすぎるのである。
殺人刀としては、文句しかない出来損ないであった。
―――そして、それ以上にだ。
ああ、確かに認めよう。
凩は、翡雨セヅキが気に入らない。
本当に、ほんっとうに気に入らない。
その存在を受け入れることができないと思うほどに、嫌悪していた。
彼に辛く当たり、過度に鍛えるのは、決して彼のためだけではない。
自分の、寒気がするほど、醜悪で浅ましい衝動故だ。
ムカつくから当たる。
自分の論理は、嫌いな奴を苛める子供と、何も変わらない。
無様なのは承知の上だ。
それでも見ていて、血管がはちきれそうなほど苛々する。
本質が無力な赤子のまま、ただ我武者羅に突き進む姿は、あまりにもこの場に相応しくない。
そう、あやつは赤子だ。
戦うことと、産声を上げることを、同じと思う赤子。
ただ破壊にしか、自分の生きる意味を知らない。
兵器と一体何が違うというのか。
「争い事になど……向いておらぬであろうに。さっさと刀など置いて、市井に戻ればよいものを。」
凩は、知っている。
かつて『■■』と呼ばれた男は、知っている。
人とは、飯だけでは生きてゆけぬ。
ただ息をするだけの獣には成れぬ。
寄って立つ何か。
正義、愛。
己が生きる、希望。
それがあって、初めて「獣」ではなく「人」となれるのだと。
故に、それを亡くしてしまえば――
――我らはただ息をするだけの、死屍と成り果てるのだということを。
■■は全てを失った。
神秘災害。
かの世界の敵が、三文芝居に振りまいた悲劇によって。
後から聞いたことではあるが。
その神秘災害は、【塵風】と呼ぶらしかった。
黒き塵が全てを切り刻み、永遠に拡大する暴風が、大地の血潮を貪欲に吞み込む。
暴食の風は何も残さず、地上に残るは、ただ刻まれた更地のみ。
終わることなき、暴風の災禍。
風光明媚な故郷は死んだ。
幼きより親しんだ、父より継いだ道場は姿を消した。
誇り高き弟子たちは人を救いに山を出て、帰らなかった。
そして――生涯で唯一、愛そうと想えた者。
彼女はただ凩の脳裏にに、薄らの影だけを残し、消えた。
それらが■■を形成する全てなのだと思い知ったのは、無に帰した故郷という名の瓦礫の山を見上げた時だというのだから、皮肉な話だ。
人は失って初めて思い知る。
その摂理(ルール)の残酷さを、彼は初めて知ったのだ。
狂気に冒され、前すらもまともに見えない精神の中で。
それでも彼の理性は、突きつけられた残酷な現実を。
理解できてしまった。
「―――――――!!!!」
声は出ない。
枯れていた。
涙すらも枯れ果てた。
身につけた力の意味すら見失った。
自分の一生を捧げ、皆伝の先へと至った剣の道は。
世界を喰い殺す理不尽の権化を前にして、何の役にも立たなかった。
鍛え上げた守護の剣。
だが、その意義すら見失った剣士に、何の価値がある?
死んでしまおう。
その結論に至らないわけがない。
己の鍛えた人斬りの技。
それを以てすれば、この首ひとつを刎ねてしまうことなど造作もなかった。
それでもこうして生き恥を晒し、みっともなく足掻いているのは。
『ひどいカオ。ぼろぼろだ。なのに目はまだギラギラしてるんだね。
生きる意思は無くても、前に進む意思はあるのね。
ねえ、そこの剣士さん――どうせなら、世界を救ってから死んでみない?』
ふとかけられた、その柔らかな声のせいだった。
口にするのも恥じるべき、紆余曲折があって――彼女に刃向かった挙句、半殺しにされたともいう――連れ去られた先は、シュテレーラの保護施設だった。
神秘災害という仇敵に全てを奪われた、いわば同じ傷を抱く同族たち。
監視付きながらも、男は彼らに暖かく受け入れられた。
薄っぺらい同情ではなかった。
真実同じ地獄を味わった者達がくれる共感と庇護は、全てを失った男に、少しづつだが前を向く気力をくれたのだ。
(俺は……ここに居て、良いのか。)
少しだけでも、そう思わせてくれた彼らに。
今でも凩は、望外の感謝を抱えている。
『おお……辛かったな、しんどかったな。ここにはもう、奴らは来んべ。もう、安心していいんでさ。』
『そっか、故郷が……じゃあ、私達といっしょだね。気持ちは凄く、よくわかるよ。何であの日、死ねなかったって思うよね。気持ちはとても、わかっちゃうよ。』
『奥さんが、か。……俺も同じさ。女房も、5歳になったばっかの一人息子まで殺されたんだ!!――だから、俺は牙を磨いてる。少しでも、神秘災害を削ぐために。何時か、奴らに復讐してから、死ぬためにな。』
彼らの目は、死んでいない。
神秘災害に全てを奪われてなお、先に進む意思に満ち溢れていた。
不可思議なほどの、活力に溢れていた。
それは、生存のため。
殺された家族の分まで。
あるいは――復讐のため。
シュテレーラという組織は。
その大本を辿ると、神秘災害や犯罪者、その被害者たちの、寄り合い所帯にこそある。
だから、己を襲った理不尽を、彼らは恨んでいる。
憎悪している。
気まぐれに星を滅ぼす、神秘災害も。
私欲の限りを尽くす、犯罪者共も。
許せるわけがない。
殺し尽くしてやりたい。
この恨みの千分の一であっても、味合わせてやりたい。
そして、もう誰にも。
己と、同じ痛みを、絶望を味わってほしくない。
皆。
その執念に、妄念に、身を焦がすような憎しみに囚われていた。
だから、彼らは前を向いていたのだ。
決して、未来への希望、綺麗な想いのためではなく。
地獄のような思いを薪に、必死に生き延びていただけなのだ。
それを知って。
■■は、自分の命に、ようやく価値を見出した。
「俺はあの日、死ねなかった。生き延びてしまった。父の遺してくれた、母が褒めてくれたこの剣はなんの役にも立たなかった。」
ならば。
ならば、復讐だ。
弔い合戦だ。
奴らに、故郷も家族も、愛するものを奪った災害達に。
この剣を以て、報いを与えよう。
もう、奴らに奪われないように。
奪われる者が、出ないように。
「この剣を、神秘災害にも通じさせる。通じさせるほどに、鍛え上げてやる。
俺の命が続く限り、あの極限の魔を、狩りつくしてやる。」
■■は、その時を以て。
凩という、災害達への、復讐者に成り果てた。
そんなある日のことだった。
もうその頃には、その字を凩と改め、恩返しと復讐の為に鍛錬に邁進する男の目に、彼が留まったのは。
自分とそう変わらぬ頃に、保護されたと聞いていた少年だった。
小さい、幼い、紅い少年だった。
女の子のようにか細くて、あどけない子だった。
剣を振っていた。
「はっ……とりゃ!……」
それは、まっすぐ、余りにも愚直な剣筋。
子供の棒振りのように、術理の無い剣。
才能の無い凡人が、それでも敵を倒すため、それだけに懸けた運剣。
「また、ブレる……集中しろ、もう一回……!」
見るべきところなどないと、捨て置いただろう。
なのに、目が離せなかった。
「そうだ、だから貴様が気に食わん。戦火へ嬉々として身を投げる貴様が、この愚かしい男の腹を煮やす。」
だって、見覚えがあるのだ。
『えへへ……また失敗しちゃった! ■■、もう一回型を教えてくれない?』
自分の剣を、見様見真似に真似る、無様な剣筋。
なのにどこまでも真っ直ぐだった、『彼女』の剣に、よく似ていた。
『ふっふっふー、きょうのご飯はふもとのおばちゃんがくれた黒毛豚よっ! ほら
自分と一緒に生きると約してくれた、たった一人の女。
弟子たちも、彼女を慕っていた。
この無愛想な男の、たった一つの誇りだった。
『ああ、あ……!?』
お前にだけは、生きて欲しかった。
何にも巻き込まれず、ただ幸せでいて欲しかった。
それが叶わぬなら、一緒に死なせて欲しかった。
あの日、お前を護れなかったのなら。
お前に降りかかる不幸を、払えないのなら。
この愚鈍な刃に、何の価値があったのだろう。
『こ、まらせて……ごめんね……ごめんね、■■……
ああ……つめたい、なぁ……』
寂しげな、笑顔だった。
抱えた身体から、温度が消えていく。
ゾッとするようなあの冷たさは、今も夢に見る。
『あ……ああ、やめろ、やめろやめろ!
いくな……いかないでくれっっ!!
何故だ……何故おまえが、こんな目に合うんだっ!!』
世界を恨んだ。
神を憎んだ。
この世に救いはないのか。
ただ、懸命に生きていただけの俺達から、何故奪う?
何処まで俺達を弄び、侮辱すれば気が済む?
その、力の抜けた、掌が。
俺の頬に、優しく触れて。
『……ねえ……あなたは、生きてね?』
そうして、するりと。
力が、抜けた。
「――貴様の死を、俺は許容せん。もはや二度たりとも許せぬのだ。お前とあやつに、何の関係がないことも、わかっているというのに。」
無論、少年とあの女は違う存在だ。
何の因縁もない赤の他人。
それでも。
これがどれほど浅ましい代替行為なのだとしても。
二人を、重ねて見てしまうのだ。
一度そう見てしまえば、あとはもう駄目だった。
見逃せるわけがなかった。
『彼女の面影』が、二度死ぬなど。
決して有り得ては、いけなかったのだから。
だというのに、奴は戦場を駆ける。
理由もなく、意味もなく。
どれだけ辛く当たっても、奴は刃を手放さない。
心が強いのではなく。
それしか、生きる理由を知らぬから。
だから凩は、何時までも、何時まで経っても。
翡雨セヅキが、気に入らないのだ。