話は数十分前に遡る。
励起された二つの魔力を感じ取った翡雨セヅキは、現在出せる最高のスピードで草原を駆け抜け、魔力の発信元と思われる岩山の麓まで来ていた。
岩山を中心に左右に分かれる形で草原と森に分かれているこの島は、最奥部に近づくほどより強力で屈強な生物たちが暮らしている。
さっきのライオンがいい例だろう。
その森側部分に向けて、岩山を超える形で、彼は疾走を続けていた。
山の麓を回り込むより、山を上り下りする形で直線距離で抜けた方が速いだろうという判断である。
実際猛獣たちに絡まれるリスクを考えるならば、これが一番早かった。
「よし、あと2キロ……」
既にぶつかり合う二つの魔力がかなりの速度で移動しているのを感じ取っている。
それでもこのペースならば、あと数十秒で追いつけるはず……
不意に。
「!?」
ざりっと斜面を抜ける足を止め、下を見た。
其処には、相変わらず無骨な岩山だけがある。
それでも今の視線には、確かな『威』があった。
それも、この島に来てから一番強大な存在感。
感覚が正しければ、リンですら少々てこずる相手だ。
場所はちょうどこの真下。間違いなくこちらの存在を把握されている。
(無視するべきか?……いや)
一番面倒なのは、奇襲を食らうことだ。
リンが戦っているのが誰かは知らないが、このレベルの相手を連れて行って混乱させるわけにはいかない。
「仕方ないな………いいよ、付き合ってあげる。」
溜息をつきつつ、スーツに覆われた右腕を横へと伸ばした。
彼の右腕に半透明な魔力が纏い、キャルルルッと鋭い音を立てて回り出す。
さながらそれは、まさしく男のロマンたる。
「姉さんの真似事だけどね、試し打ちにはちょうどいいだろう――『集束ロケットドリルパンチ(純粋魔力ver)』!!」
リンがいれば、ネーミングセンスについて1時間は講釈を垂れたであろう感性小学生男子の技名である。
しかしそんな印象に反して、地面に向けて放たれた魔力のドリルはその回転力を貫通力と推進力にしっかりと変換した。
そして豆腐のように硬い岩山の地面に軽々と穴をこじ開け、そのままその奥へと、セヅキを引きずり込んだ。
「ぐぬぉっ、おぉ………何故だ、何故仕留めきれん!?」
その灰色の髪の白衣の男は、彼の研究所、その最奥部分にて苛立ちを隠せないようにがさがさと髪を掻き立てていた。
「傭兵っ!何をやっているっ! 高い金を払ってお前を雇ったというのに、小娘一人仕留めきれんとはっ!」
端末に映る映像に怒鳴りつける男。
そんなことをしても届くわけもないが、それでも叫ばざるを得なかった。
或いはその苛立ちは、彼への信頼の裏返しだったのかもしれない。
なんせあの男は様々なブラックオプスを裏社会で担い、そしてそのほぼ全てを成功させてきたのだ。
当然依頼金だって法外そのものだが、奴はそれを差っ引いて余りあるほどの有能である。
彼の古巣である傭兵団はもう解散したが、彼個人はフリーランスとして今でも活躍していた。
そこに己の野望と、過去の栄光の残滓たる大金をもって説得し、専属として雇ったのだ。
白衣の男――傭兵からは「ドクター」と呼ばれるその男は、紛れも無き天才である。
その頭脳を遺憾なく発揮するために、かの傭兵には様々な面で世話になったのだ。
ビジネスパートナーにして戦友ともいえる間柄故、なんだかんだで彼への信頼は大きなものであった。
……だからこそ、そんな傭兵が。
今こうしてよくわからない小娘一人に追い詰められている、その光景が信じがたい。
「くそっ、な、ならば…もはやこやつを起こしてやるほかあるまい…………くくっ!」
歪んだ笑みを浮かべ、ドクターは背後を見やる。
――黒く輝く、巨大な影。
空間が暗すぎてその全容は全く見えないが、間違いなく無機物ではないと理解できる、圧倒的な生命の息吹。
それをうっとりと見上げ、ドクターはピンチでありながらも、何処か待ちわびたように白衣の懐に手を入れた。
と、そんな時。
どごおぉん!
天井が吹っ飛んだ。
「どうも、失礼する。」
「ほわああぁぁっ!!な、なんじゃあっ!?」
岩山ごと天井をぶち抜くという、前代未聞のダイナミックエントリーをかましたその侵入者は、その不遜さに見合わぬ紳士的な挨拶をした。
完全に腰が抜けたドクターに向け、魔工品の紫紺のスリーピーススーツを纏うその男は目を向けた。
「凄まじい威圧を感じたのでこちらへ寄せて頂いたが……察するに、貴方が動物たちを改造した張本人ということでよろしいのかな?」
セヅキのきょろりとした赤眼が、白衣のその男を射抜く。
漂う様々な獣臭と血の匂い。
おそらく彼が施術を行った人間だ。
ならば勧告が必要である。
こういった魔道犯罪者への、法に縛られない独断での対応もセヅキ達の仕事の一つだ。
「きっ、貴様!侵入者のもう一人か!?途中からカメラに映らんと思ったら……傭兵は何をしている!?」
「なるほど、道中から何やら視線を感じていたが、貴方が監視していたのか。……ん?」
アレ、とセヅキは思った。
よくよく見れば、見覚えのある顔だった。
以前、自分たちのさらに上の組織から、裏ルートで回ってきた手配書データにその貌の覚えがある。
「貴方は――元『フェメリス院』のドリク博士?」
『フェメリス院』。
現人類最大国家と名高き、『ゼスカ帝国』が誇る、皇帝直属の天才集団。
人類種の技術発展に大きく貢献してきた、分野を問わない生え抜きの天才学者たちの集まりであり、多大なる文明進化を推し進めてきた人類の叡智の大本営。
そして其処に名を連ねることを許されながら、国際法を二ケタ単位で破るというシャレにならないしでかしを経て指名手配されたのが、目の前の御仁である。
セヅキの目がにわかに険しくなった。
(私の覚えが正しければ、彼は無許可での魔獣の拉致・生体改造をするという外道を働いたことが決定打となり、生死不問で手配されていたはず。……取り逃がすわけにはいかないな、これは。)
「ぐっ、まさか貴様ら帝国の狗か……ええい、か、構うものか!既に調整は済んでいる!どうせ起こすつ、つもりだったのだ!」
そう叫び、ドクター・ドリクは、既に触れていた指で端末についたボタンを押す。
させまい。そう思った時には既に遅かった。
(ッ!?)
彼の背後にある暗闇の空間。なにも無かったはずの其処に、煌々と輝く二つの光。
その光から、先ほどと同じ――否、さらに凄まじい『威』を感じた。
反射でその場から飛んで後退する。
「くっ、くく、くかっ、くかかかっ……刮目せよ。これがワシの研究成果の集大成じゃ。魔獣共に淘汰圧の強い環境下で進化を促し、得られた因子の結晶。」
ずんっ、と影が足を踏み出す。
一対の光は、否、その『目』は完全に見開かれる。
天井の孔から差す光が、その姿を照らしあげた。
その硬度は想像もつかない、金属質な輝きを纏う漆黒の鱗。
その体躯を覆う、絶対的剛力を齎すであろう屈強な筋肉。
ただでさえ巨大な肉体をさらに上回り、上空での支配権を与える翼。
生態系の頂点故の、傲慢と誇りに満ちた輝く瞳。
そう、そこにいたのは間違いなく……
――巨大なドラゴンであった。
「『竜種』!?博士、貴方はまさか…」
「くかっ、その通りよ。この島をあの傭兵に作らせたのも、魔獣共を改造しより生体強度を上げたのも、この島の生態系でその進化を促し続けたのも全てこのため。」
そういってドリクは愛おし気に竜の目を見上げる。
まだ目覚めたばかりであまり状況が分かっていないのか、ボーっとした眠たげな瞳でドラゴンはこちらを見ていた。
セヅキは歯嚙みする。
とんでもないのが出てきた、まさかこんな辺鄙な無人島に竜種がいるとは想定外にも程がある。
『竜種』。
伝承においてドラゴンとも呼ばれるそれは、人類が生まれる遥か昔より存在する、古の魔獣が一。
その起源は恐竜にあるとも、はたまた爬虫類や鳥類の最終進化系とも言われる謎の多い種族。
だが、共通しているのは、その全てが下手な魔獣や魔法使いなど歯牙にもかけない戦闘力を持つ頂点捕食者だということ。
その力は神性にも匹敵する。
そして――
「さあ、ヒルダ。目覚めよ。」
その一言と共に、竜――ヒルダは完全に目を覚ます。
その蒼眼が見開かれ、大咢が開かれて。
轟音。
激甚。
形容すること自体が困難と思える大咆哮が放たれる。
「くかかかっ、かっかっかっか!」
そんな中でも、ドリクは笑っていた。
自らの野望の成就に祝杯をあげるように。
……あるいは、
「息吹けよヒルダ、己の足跡を世界へ刻め、貴様の思うままに飛翔するがいい!!」
その言葉が火蓋を切り。
暴風と共に、途方もない魔力が開かれたヒルダの顎へと集束していく。
竜種は神秘と共に生きる種族。あらゆる理不尽を体現する至高の怪物。
その50メートルに及ぶ肉体が擁するエネルギーは、もはや災害のそれに近い。
そしてその災禍の代名詞――竜の息吹。
雲を裂き地を炙る、聖なる咆哮。
その瞳は、セヅキをまっすぐ捉えていた。
さっきの未覚醒時の時に睨まれたことといい、脅威になる存在だと把握しているのか。
だが、分かる。理解できてしまう。
(無理だ。私じゃ勝てない。)
目の前にただ立っている。
それだけで伝わる実力差。
技術どうこうではなく、単純な生体としての圧倒的な性能差が、そのまま壁となって立ちはだかる。
それは、今の彼には手をかけることすら不可能な絶壁だった。
――あと三秒。
それだけで、このあたり一体は解放された息吹の余波で崩壊する。
翼が畳まれた。
――あと二秒。
ドリクはまだ笑っている。
このまま己の育てた竜になら殺されても本望、そういうことなのだろうか。
――あと一秒。
巻き込まれればリンにまで余波が及ぶ。
万が一魔力強化なしでこんな神秘の波動を受ければ、細胞一つ残らず蒸発するだろう。
「『――黎明よ。』」
故に、セヅキは。
躊躇なく、封じていた切り札を切った。
胸に左手を当てる。
ネクタイの真下。
ちょうど体の中心点に存在する、硬い感触。
「封印術式、限定解除。拘束機構ロック解放。――接続開始。」
ガコンッとスイッチが入る。
カラカラ、キリキリと機構が動き出す。
じわりじわりと、侵蝕したセヅキの精神を糧として、
そっと、その銘を唱える。
「『ソルヴェリア・コア』―――覚醒、第一深度。」
翡雨セヅキの肉体を炉心として、その星の炉は開かれた。
――『ソルヴェリア・コア』。
それはかつての幼少期、何の因果かただ死んでいくはずだった少年に根を下ろした、一つの
出所不明、原理不明、制作者不明の不明尽くしな代物だが、目の前の理不尽に噛み付く牙も、切り裂く刃も持たないその凡才の少年は、そのアーティファクトから得られる恩恵を拒むことはなかった。
その効果は、使用者の肉体と精神を燃料として駆動し、対価として絶大な魔力を供給するジェネレーター。
大小数々のリスクと代償を引き換えとして得られるその輝きと熱を孕んだ魔力を、かつて青年の師はこう称したという。
――――『恒星』と。
久々に解放した切り札からは、相も変わらず人類には認識不可能な次元のエネルギーが送られてくる。
強化された知覚は、残り1秒と立たずに解放されようとしている暴虐的な破壊の前兆をしっかりと認識していた。
引き伸ばされた時間の中で、ゆっくりと拳を後ろに引き、構える。
規格外のエンジンを無理やり体に直結しているが故に、普段と比べてガタ落ちするコントロールをなんとか整え、拳へと魔力を収斂させた。
この状態であれば、青年は一時的に、この世界の頂点に立つ異常者たちと渡り合えるだけのレベルに至っていた。
――零秒。
破壊の暴威と、灼熱の流星が激突し。
その場で解放された衝撃波が、山を吹き飛ばした。