優斗視点です
冬の終わりを感じさせる、冷たくも柔らかな風が頬を撫でていく。休日の午後、俺は目的もなく繁華街を歩いていた。街の喧騒は、俺の頭の中に響く自責の念をかき消すことはできなかった。
先日の音楽室での出来事が、頭から離れない。響先輩が未来にひどい言葉を浴びせ、未来はただ怯えるばかりだった。あの時、俺は未来を守ろうと前に出た。だが、結局は言葉を投げかけることしかできず、響先輩を止めたのは玲奈先輩の華麗な回し蹴りだった。俺はただ、彼女たちの後ろで呆然と立ち尽くしていただけだ。今だに脳裏にちらつく紫色を頭を振って頭から追い出す。
「たくっ俺はどうしょうもないな、何もできなかっただけじゃ飽き足らず……悩んだふりして頭ん中ピンク色かよ」
肝心な時に、いつも一歩踏み出せない。そんなふがいない自分に、情けなさが募るばかりだ。人波に紛れ、ただひたすらに歩いていたその時、路地裏から聞こえてくる騒がしい声に、俺の足が止まった。
「そんな格好して誘われんの待ってんだろ?いいから来いよ」
「やだっていってんじゃん、いい加減にしてよ!」
聞き覚えのある声だ。視線を向けると、2人の男に囲まれて困っている玲奈先輩の姿があった。ギャルファッションに身を包んだ彼女は、確かに目を引く。派手なメイクと短いスカートは、一見すると隙があるように見えてしまうのだろう。だが、しつこく絡んでくる男たちを、彼女は必死に振り払おうともがいていた。
「んだよいい加減、こっち来いって!」
「やめてって言ってるでしょ!」
玲奈先輩は言葉で抵抗を試みるが、男たちは全く聞く耳を持たない。このままでは危ない。そう直感した俺は、考えるよりも先に体が動いていた。
「おい、ちょっとしつこいだろ」
俺は男たちに声をかけ、玲奈先輩の隣に立った。男たちは俺を一瞥し、すぐに馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「あ?なんだてめぇガキが、ヒーロー気取りならあっち行け」
「関係ないだろ引っ込んでろよ、兄ちゃん」
嘲笑を浴びせられ、俺は内心で苛立ちを覚えたが、ぐっと堪えた。ここで乱闘でも起こしたら、玲奈先輩に迷惑をかけてしまう。それに俺は野球部の部員だ。相手に非があっても暴力沙汰はご法度だ。俺はただ、毅然とした態度で男たちを睨みつけた。
「俺は、玲奈先輩の友達だ。これ以上、しつこくするなら警察に通報するぞ」
男たちは一瞬怯んだものの、すぐにニヤニヤと笑い始めた。
「ハッ、警察だってよ。女守るのに警察ってビビってんじゃん、ダサいなお前?」
「いいじゃねぇか、ちょっと遊んでやろうぜ!」
男たちが俺に向かって一歩踏み出した。一番大柄な男が、俺の胸ぐらを掴む。
「おい、脅しは口だけかよ?女の前で棒立ちってなめてんのか、この野郎!」
男の拳が、俺の頬を捉えた。鋭い痛みが走り、口の中に鉄の味が広がる。だが、俺はぐっと堪え、一歩も引かなかった。ひたすら野球で鍛え上げた体が、俺を支えてくれた。後ろから玲奈先輩の悲鳴と息を呑む音が聞こえた。男たちは俺の抵抗に苛立ち、さらに殴りかかってくる。
「何だよ、殴られても抵抗しねぇのかよ!」
「雑魚がいきがってんじゃねぇよ!」
男たちの拳が、俺の顔や腹に叩きつけられる。しかし俺は、玲奈先輩を守るために、ただそこに立ち続けていた。
「やめなさいよ!やめて!」
玲奈先輩が叫んだ。しかし男たちは止まらない。俺は歯を食いしばり、必死に耐えた。
「誰か、誰か助けて!」
玲奈先輩の悲痛な叫びが、路地裏に響き渡った。通りを歩いていた人たちが立ち止まり遠巻きに視線を投げかけてくる。玲奈先輩の声と周りの視線に、男たちは一瞬怯んだ。
「チッ、うるせぇな!んだよ見せもんじゃねえぞ」
「もういい、行くぞ!」
男たちは、俺に最後の蹴りを入れると、一目散に逃げ出した。玲奈先輩は、その場にへたり込み、震えていた。俺は、身体の痛みを堪え、彼女に駆け寄った。
「大丈夫ですか、玲奈先輩」
玲奈先輩は、俺の顔を見て、目を見開いた。
「優斗くん…血が」
俺は、自分の口から流れる血を、袖で拭った。
「大丈夫です。それより、玲奈先輩に怪我はないですか?」
玲奈先輩は、涙を浮かべながら、俺を抱きしめた。俺の顔がその豊満な胸に埋まり、彼女の温かさと香りにドギマギする。頭上からは、彼女の震える声が聞こえてきた。
「馬鹿…なんで、殴られっぱなしなのよ!どうして抵抗しないのよ…!」
俺はゆっくりと口を開いた。
「俺、野球部だから。暴力沙汰はみんなに迷惑かけちゃうんで。でも…玲奈先輩を守りたかったから、そしたらこうするしかないかなって」
玲奈先輩は、俺の言葉に、嗚咽を漏らした。そして、俺の顔を両手で挟み、じっと見つめた。
「優斗くん…マジ、かっこよすぎ」
その言葉に、自身の顔が火照るのを感じた。俺は咄嗟に誤魔化すように言った。
「あ、あの、もしよかったら、この前のお礼させてください」
俺がそう言うと、玲奈先輩は目を丸くし、「この前のお礼?」と首を傾げた。
「ほら、あの音楽室で未来を助けてくれた…」
俺がそう言うと、玲奈先輩は声を挙げて笑った。
「ふふっ、何それ。なんでミクたんが助けられたのに優斗くんがお礼言うの?それに今日助けてもらったのは私の方なんだから、私にお礼させてよ」
玲奈先輩はそう言って、嬉しそうに俺の手を引いた。彼女の笑顔は、街の賑やかさに負けないくらい、眩しかった。
「ほらっ、行くよ!」
近くのカフェに入り、窓際の席に座る。温かいココアを飲みながら、先輩は改めて感謝の気持ちを口にした。
「優斗くん、さっきはホントありがとね。その……すごくカッコよかった」
「いえ、俺は殴られてただけで何も…」
「そんなことない!あの時の優斗くんはホント誰よりもかっこよかった……思い出すだけで今だにドキドキするくらい」
そう言って先輩は目を閉じて自分の胸に手を当てた。彼女の言葉は、俺がずっと抱えていた自責の念を、温かく包み込んでくれた。自分が無力だったという挫折感。それがゆっくり溶けていくのを感じた。
「それに、咄嗟に人を助けに行けるって、すごいことだよ。音楽室の時だって、今回のナンパもそう。優斗くんは、ちゃんと周りを見て、困っている人がいたら、すぐ行動できる人なんだよ」
玲奈先輩は、俺のココアを指差してにっこりと笑った。その笑顔は、ギャルという派手な見た目からは想像もできないほど、優しくて、温かかった。
「私、優斗くんのそういうところ、本当に素敵だと思う」
そう言って微笑んでくれた玲奈先輩の笑顔に、自身の胸が大きく高鳴るのを感じた。その瞬間、俺の心の中に、新しい感情が芽生えた。それは、あの日に吹っ切った未来への特別な感情とも、朱莉への幼馴染としての愛情とも違う、純粋な「恋」だった。
俺は、窓の外を眺めた。あの日の初雪に染まった暗い空は、もうそこにはなかった。窓の外には茜色の光が眼前に広がる。俺の心に温かい光を灯してくれた玲奈先輩は俺の心を救ってくれた「ヒーロー」だった。今日の俺は先輩の「ヒーロー」になれただろうか。それは分からないがいつか彼女が困った時に助けられるそんな「ヒーロー」になりたい、そんな気持ちが俺の心を満たしていた。
「それじゃ優斗くんどんなお礼がいい?……体で払ッちゃう?」
「ふぁっ!?」
そう言ってあざとく身体を前かがみにして机に胸を乗せた姿に思わず喉がゴクリとなった。玲奈先輩は口元に手を当ててコソコソと話した。
「私初めてだから……優しくしてね」
「なぁっ!!なっなっ……何言ってるんですか!?」
いたずらが成功したと言わんばかりに「あはは」と笑いながら冗談だよと俺をからかった。玲奈先輩はそう言ってひとしきり俺の反応を楽しむと伝票を持って立ち上がった。そして俺の横を通り過ぎた。通り過ぎる間際に耳元で
「初めてっていうのはホントだよ」
とさらに俺の脳を破壊していくのだった。