異世界の歌姫(ディーヴァ)    作:弾暴

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2章:性差の顕在化と修学旅行での葛藤

小学校高学年になると、僕の抱える違和感は、より鮮明な苦痛となって顕在化し始めた。それは、内側から体を蝕むような、じりじりとした痛みに似ていた。周囲の女の子たちは、まるで当然のように身体の変化を受け入れ、成長していく。丸みを帯び始める胸、少しずつなだらかになる腰のライン。思春期特有の、むず痒いような変化は、僕にとってただひたすらに不快なものだった。それは、まるで自分の体が、自分ではない「何か」に変貌していくような、おぞましい感覚だった。

特に、月に一度訪れる「あれ」は、僕の心を深く苛んだ。生理。女性の体でしか経験しない現象。それは、僕の性自認に泥を塗るように、僕がこの体で「未来」として生きることを嫌が応にも意識させる、最も残酷な事実だった。毎月、周期的に訪れる体の痛みと、精神的な不安定さ。それは、僕がどれだけ「男」としての自我を保とうとしても、この体が紛れもない「女」であるという事実を突きつける、残酷な現実だった。ナプキンを交換するたびに、鏡を見るたびに、僕は自分の体から目を背けたくなった。そこに映るのは、僕の知る「彼」の姿ではなく、見慣れない「未来」という少女の姿だからだ。

 

「未来、今日の体育、跳び箱だよ!」

 

休み時間に、朱莉がはしゃいだ声で僕の隣に駆け寄ってきた。彼女の体は、僕と同じように少しずつ成長している。胸は小さくても、確かに膨らみ始めていた。朱莉は、自分の体の変化を当たり前のこととして受け入れているようだった。それが、僕にはどうしようもなく羨ましく、そして理解できなかった。

体育の時間、男子と女子は着替える場所も、練習内容も分かれることが増えた。男子はサッカーやドッジボールに熱中し、汗を飛ばしながら声を上げている。女子は、マット運動や跳び箱、ダンスなど、比較的室内で行う種目が多い。そんな性差が明確になるたびに、僕は自分が「間違った場所にいる」という感覚に苛まれた。

 

「未来って足速いよね! 男子に負けないくらい!」

 

朱莉が、僕の足の速さを褒めてくれた。運動神経は、男だった頃の感覚が残っているのか、比較的良いほうだった。けれど、その言葉は僕にとって、褒め言葉であると同時に、僕が「男」として生きられないことへの痛みを伴うものだった。朱莉は悪気なく言っているのだろう。だが、僕は心の中で「僕は男だよ」と叫びたくなった。喉の奥で、その言葉が詰まって、息苦しかった。

男子からの視線も、高学年になるにつれて意識せざるを得なくなった。廊下を歩いていると、何人かの男子が僕を見て、ひそひそと話しているのが聞こえる。「おい、鳴海未来、可愛いよな」「クラスで一番美人だろ」。そんな言葉が耳に届くたび、僕はぞっとした。この「可愛い」とか「美人」とかいう評価は、僕自身に向けられたものではない。この「未来」という、僕ではない存在に向けられたものだ。

鏡を見るたびに、その思いは強くなった。成長するにつれて、僕の容姿は周りから「美しい」「可愛い」と評価されるようになった。漆黒の髪は艶やかで、大きな瞳はどこか憂いを帯びて見えるらしい。白い肌は、まるで陶器のようだと言われたこともある。だが、その度に鏡の中に映る「未来」という見知らぬ少女と、僕自身との間に存在する、埋めようのない深い溝を感じ、自分を飾り立てるこの「女の体」に対する深い嫌悪感が募った。

誰にも真実を打ち明けられない孤独は、僕の心を深く閉ざしていった。親しい朱莉や優斗に対しても、心の奥底にある本当の気持ちを話すことはできなかった。特に、朱莉とは女の子同士の話題、例えば可愛い文房具の話や、好きなアイドルの話、男子の噂話など、僕にとっては興味のない、あるいは居心地の悪い話題が増えていった。彼女が楽しそうに話すたびに、僕の心の中には、埋められない溝を感じる。

 

「未来、どうしたの? なんか元気ないね」

 

朱莉が心配そうに僕の顔を覗き込む。その優しい瞳を見るたびに、僕は罪悪感に苛まれた。僕は彼女に嘘をついている。本当の僕を隠している。彼女の純粋な優しさが、僕の心をさらに締め付けるようだった。

優斗との関係も、以前とは少し変わっていった。彼は相変わらず僕を気遣い、気にかけてくれたが、どこか距離を感じるようになった。男の子同士の結束が強まる中、彼はその輪の中心にいることが多かった。彼が僕を気遣って男子の輪から離れてくれると、僕は嬉しい半面、彼を僕の「性自認」の問題に巻き込んでしまっているようで、もどかしさを覚えた。

 

「大丈夫だよ」。

 

それが、僕が彼らに言える精一杯の言葉だった。感情を表に出さず、無表情でいることで、僕は自分自身を守った。

この頃から、僕はこの世界の「成り立ち」に対する漠然とした疑念と不気味さを募らせていった。テレビから流れるヒット曲。かつて僕が親しんだ曲とそっくりなのに、歌詞が微妙に違う。人気ゲームのキャラクター名やストーリー設定が、どこか改変されている。それはまるで、元の世界の著作物に配慮し、意図的に「似て非なるもの」として作られているかのようだった。

 

「これ、本当に偶然なのかな……」

 

一人部屋で、僕は図書館で借りてきた元の世界には存在しない「ヒット曲集」の歌詞カードを眺め、つぶやいた。メロディは耳に馴染んでいる。だが、歌詞のたった一節が違うだけで、全く別の曲に聞こえる。この違和感は、僕がこの世界を「作り物」だと感じる具体的なきっかけとなった。僕がいた世界は、明確に「ここ」とは違う。そして、その世界には、僕の愛しい妻と娘が生きている。

元の世界への渇望は、日を追うごとに募っていった。

そんなある日、小学校生活最大のイベント、修学旅行がやってきた。目的地は、歴史的な建造物が立ち並ぶ古都。色づき始めた紅葉が、山々を鮮やかに彩る季節だった。男女別の部屋割りも、僕にとっては気が重かった。夜、枕投げで盛り上がる女子たちの嬌声が、障子一枚隔てた向こう側から聞こえてくる。僕は壁際に身を寄せ、布団にくるまっていた。

 

「未来、寝ちゃったのー?」

 

朱莉の声が聞こえた。どうやら、僕が寝たふりをしていることに気づいているらしい。僕は返事をせず、目だけを閉じていた。

しばらくすると、布団がわずかに沈む気配がした。そっと目を開けると、朱莉が僕の隣に座っていた。彼女の顔は、浴衣の襟元から覗く白い肌に、月明かりが当たって、どこか幻想的に見えた。

「ねぇ、未来。どうして、いつもそんなに遠い目をしているの?」

朱莉の問いかけは、僕の心の最も深い場所に触れるものだった。僕は一瞬、息を呑んだ。彼女が、僕の違和感に気づいているとでもいうのだろうか?

 

「……別に、そんなこと……ないよ」

 

か細い声で答えるのが精一杯だった。

朱莉は、何も言わず僕の隣に寄り添った。部屋の奥からは、まだ女子たちの楽しそうな話し声が聞こえる。けれど、僕たちの周りだけ、静寂が降りていた。

 

「未来、私ね……ずっと、未来が何を考えてるのか、分からなかったの」

 

朱莉は、僕の目をじっと見つめて言った。

 

「でもね、何か辛いことがあるなら、私には話してほしいな。私と優斗は、未来の親友だから」

 

その言葉は、僕の凍りついた心に、わずかな温かさをもたらした。朱莉の純粋な友情が、僕の罪悪感を刺激する。僕はこの子に、これほどまでに心配をかけていたのか。僕が抱える秘密は、彼女たちにはあまりにも重すぎる。

 

「ありがとう、朱莉……」

 

僕はそれ以上、何も言えなかった。本当のことを話すことなど、できるはずがない。僕が男で、妻子がいて、ここは偽物の世界だなんて、誰が信じるだろう。僕自身、まだ信じきれていないのだから。

翌日、僕たちはグループ行動で古都の町並みを散策した。優斗が先頭に立って地図を広げ、はしゃぎながら僕たちを引っ張っていく。彼の笑顔は、いつも周囲を明るくする。朱莉はそんな優斗の隣で、時折僕を振り返って「大丈夫?」と目で問いかけてくる。

木造の古いお寺の前に差し掛かった時、優斗が急に立ち止まった。

 

「なあ、未来、朱莉。これ、昔の忍者が使ってたやつらしいぞ!」

 

彼が指差す先には、解説板が立っている。そこには、忍者が用いたとされる奇妙な仕掛けや武器の絵が描かれていた。優斗は目を輝かせながら、一つ一つの説明を読み上げていく。

 

「すげー! これで、敵を罠にはめてたんだって!」

 

彼の無邪気な興奮が、少しだけ僕の心を和ませた。優斗は、いつだって真っ直ぐで、純粋だ。彼の持つ「主人公」のような輝きは、この偽りの世界では異質にさえ感じられた。

その日の夜、宿に戻ってから、優斗が僕にこっそり話しかけてきた。

 

「未来さ、もしかして、怖いの苦手なのか?」

 

彼は僕が歴史資料館で展示されていた古い武具の前で、少し顔を強張らせていたことに気づいていたらしい。確かに、血生臭い歴史の残滓は、僕の心の奥底に眠る「男」としての本能を刺激したのかもしれない。

 

「……う、うん。まあ、ちょっとね」

 

僕は曖昧に頷いた。優斗は、意外そうな顔をした後、困ったように頭を掻いた。

 

「そっか。なんか、未来ってさ、いつも落ち着いてて、あんまり驚かないから、そういうの苦手なのかって思わなかったんだ」

 

彼の言葉は、僕が築き上げてきた「感情を表に出さない」という自己防衛が、彼らにどう映っているのかを教えてくれた。感情の起伏を押し殺し、無表情を装うことで、僕はかろうじて自分自身を守っていた。けれど、それは同時に、彼らとの間に壁を作っていることでもあったのだ。

修学旅行は、僕の心に新たな波紋を投げかけた。朱莉と優斗。この世界で初めてできた大切な存在。彼らといると、偽りのない安らぎを感じる。けれど、その安らぎは、僕が隠し持つ秘密の重さを、より一層際立たせるものだった。そして、この世界と僕自身の「ズレ」は、日に日に大きくなっていくばかりだった。

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