異世界の歌姫(ディーヴァ)    作:弾暴

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6章:希望の挫折

僕が顔を隠して動画投稿サイトにアップロードし続けていた歌は、高校に入って初めての夏休みを迎える頃から、少しずつ、しかし確実に注目を集め始めていた。うだるような暑さが続き、空気が揺らめくような季節だった。容赦なく降り注ぐ日差しの中、蝉の声が降り注ぐ。その熱気と喧騒は、僕の心を覆う不安を一層募らせるかのようだった。最初は、ごく一部の音楽好きの間で「謎の歌姫」として話題になっていた程度だった。しかし、その歌声が持つ独特の透明感と、どこか胸を締め付けるような切なさが、瞬く間に人々の心を掴んでいった。

「ディーヴァ」――いつの間にか、僕の覆面歌手としての活動は、そう呼ばれるようになっていた。

再生回数は爆発的に伸び、コメント欄は世界中の言語で溢れかえった。「この歌声は天使だ」「魂が震える」「こんなに美しい歌を聴いたことがない」。称賛の言葉が、洪水のように押し寄せた。僕が歌う元の世界のヒット曲は、この世界では全く新しいものとして受け入れられ、熱狂的なファンを生み出していった。

テレビやラジオでも「謎の歌姫ディーヴァ」として特集が組まれ、街を歩けば、どこからともなく僕の歌が聞こえてくるようになった。それはまるで、僕の秘密が、否応なく世界中に広がっていくようで、喜びよりも、得体のしれない不安の方が大きかった。

夏休みのある日、僕は朱莉と優斗と共に、涼しいカフェにいた。キンキンに冷えたアイスティーのグラスには、汗をかいたような水滴がついている。外のうだるような暑さとは裏腹に、僕の心は氷のように冷え切っていた。

 

「ねぇ、未来。ディーヴァの新しい曲、もう聴いた? すごくいいよ!」

 

朱莉が目を輝かせながら僕に話しかけてきた。優斗も隣で頷いている。

 

「うん。聴いたよ」

 

僕は平静を装って答えた。心臓は、内側で激しく警鐘を鳴らしている。彼らが、僕の歌を聴いて、純粋に感動している。その事実が、僕の胸を締め付けた。彼らに嘘をついている罪悪感と、僕の真実が彼らには届かないという虚しさが、僕の心を蝕んでいった。

 

「透明感のある声の中に、何かこう、すごく切ない感情が込められている感じがするんだよね。聴いてると、泣けてくるっていうか……」

 

朱莉は、グラスに手を添えながら、うっとりとした表情で語る。彼女の瞳は、まるでその歌声が持つ光を映し出しているかのように輝いていた。

 

「俺も思った。なんか、すげぇ心に響くんだよな。誰だか知らないけど、すごい力を持ってるよ、あの人」

 

優斗も真剣な面持ちで同意する。彼らの言葉が、まるで研ぎ澄まされた刃のように僕の心臓を突き刺した。彼らが感じている「切なさ」や「心に響く力」は、僕が失った世界への郷愁であり、この体への嫌悪であり、そして誰にも理解されない孤独の叫びだった。だが、彼らにとっては、それは「いい歌」でしかないのだ。

世界中の人々が僕の歌を聴き、称賛の言葉を惜しまない。けれど、僕の心は、その熱狂とは裏腹に、ますます冷え込んでいった。まるで、砂漠に水が与えられても、乾きが癒えないように。

どれほど多くの人が僕の歌を聴き、称賛しても、僕が動画に添えたたった一言のメッセージの真意を理解する者は、誰一人として現れなかった。

 

『私の世界を知ってる人へ』

 

この言葉は、僕の魂の叫びだった。元の世界に生きる妻と娘への、切実な呼びかけだった。この世界の「ズレ」に気づき、僕の孤独を共有してくれる、たった一人の「真の理解者」を求める声だった。

「この歌詞、深い意味がありそう」「何か隠されたメッセージがあるのかな?」

コメント欄には、そんな憶測が飛び交っていた。だが、それは全て、僕の真意とはかけ離れたものだった。彼らは僕の歌を「美しい」と評価し、僕の歌声に「感動した」と言う。けれど、彼らが感動しているのは、僕が失った世界への郷愁でも、僕が抱える性自認の苦悩でもない。ただ、この世界で「ディーヴァ」として認識されている、僕の「偽りの姿」が歌う、耳馴染みのないメロディに過ぎなかった。

大勢に称賛されればされるほど、僕の孤独は深まっていった。世界中の人々が僕の歌を聴いているのに、僕の本当の苦しみを知る者は誰もいない。この広大な世界で、僕はたった一人、偽りの姿で歌い続けている。その事実は、僕を深い絶望へと突き落とした。

 

そんな絶望の淵にいた僕に、一縷の希望が差し込んだのは、夏休みが明け、学校に新学期の活気が戻ってきた頃だった。ディーヴァの活僕の動画のコメント欄には、毎日数え切れないほどのメッセージが寄せられていたが、そのほとんどは熱狂的なファンからの称賛か、あるいは僕の歌の「意味」を勝手に解釈する憶測ばかりだった。

しかし、ある日、その中に、僕の目を釘付けにするコメントを見つけた。

 

「その歌、知ってるよ。君の『世界』、僕も知ってる」

 

その言葉を見た瞬間、僕の心臓は激しく脈打った。震える指でそのコメントの主のプロフィールを開く。その指先には、凍り付いた僕の心に、熱い血が通い始めるのを感じた。そこには、僕の歌を模倣したカバー動画がいくつかアップロードされていた。そして、そのアカウント名は……葉山 響。

響先輩だ。

僕は、信じられない思いで、彼の動画を再生した。彼の歌声は、僕の歌とは全く違う。けれど、彼が歌っているのは、確かに僕がアップロードした、元の世界のヒット曲だった。そして、彼の動画の概要欄には、僕と同じように『僕の世界を知ってる人へ』というメッセージが添えられていた。

 

「まさか……本当に……?」

 

僕の心に、これまで感じたことのないほどの希望が湧き上がった。この世界に、僕と同じ「元の世界」の記憶を持つ人間がいた。僕の孤独を理解してくれる、真の理解者が現れたのかもしれない。震える手で、スマホを握りしめる。指先が、まだ少し冷たい。

僕は、すぐに響先輩にメッセージを送った。震える指で、僕しか知り得ないはずの、元の世界の些細な情報を書き込んだ。あの街の路地裏にある小さな喫茶店の名前。あの頃流行っていた、誰も知らないマイナーなバンドの曲。彼がそれに反応すれば、それは本物だ。

数日後、返信が来た。そこには、僕が書いた情報に対する、具体的な返答が記されていた。僕しか知らないはずの、あの街の風景、あの店の名前、あの時の流行歌。全てが、僕の記憶と寸分違わない。

 

「……本当に、いたんだ……」

 

涙が止まらなかった。視界が滲んで、スマホの画面が歪む。震える唇から、嗚咽が漏れた。長らく探し求めていた「真の理解者」。この偽りの世界で、僕の真実を共有できる人間が、ついに現れたのだ。彼の存在は、僕がこの世界で生きる意味を、再び見出させてくれるかのように思えた。僕の心は、久しく忘れていた高揚感に満たされていた。

それからというもの、僕と響先輩は秘密裏に連絡を取り合うようになり、放課後に人目を忍んで会うようになった。僕たちは元の世界の記憶を共有し、互いの孤独を埋め合うように語り合った。

「あの頃のゲーム、本当に面白かったよね。まさか、こっちの世界にも似たようなのがあるなんて」

響先輩が、懐かしそうに目を細めた。彼の言葉に、僕の心も温かくなった。

 

「うん。でも、やっぱり微妙に違うんですよね。キャラクターの名前とか、ストーリーとか……」

 

僕がそう言うと、響先輩は深く頷いた。

 

「そうなんだ。僕も、あの歌を聴いた時、すごく懐かしい気持ちになったんだ。でも、歌詞がちょっと違ってて。やっぱり、君もそう思ってたんだね」

 

彼との会話は、僕にとって、まるで故郷に帰ったかのような安らぎを与えてくれた。彼こそが、僕が探し求めていた「真の理解者」だと、僕は疑いもしなかった。彼の存在は、僕がこの世界で生きる意味を、再び見出させてくれるかのように思えた。僕の心は、久しく忘れていた高揚感に満たされていた。

そんな僕の変化に、朱莉と優斗も気づき始めていた。僕が以前よりも、ほんの少しだけ表情が柔らかくなったこと。一人でいる時に、口元に微かな笑みを浮かべていること。

 

「未来、最近なんか元気になったね? いいことでもあった?」

 

朱莉が、僕の顔を覗き込むように尋ねた。その声には、心からの安堵が滲んでいる。僕は反射的に笑顔を作ったがすぐに後悔した。朱莉の純粋な優しさが、僕の嘘をより鮮明に意識させたからだ。

 

「……そうかな?いつも通りだよ」

 

僕はそう答えるのが精一杯だった。優斗も、僕の様子をじっと見つめていたが、何も言わなかった。

 

響先輩との交流が深まって数週間が経った頃、残暑が厳しい夏の終わり、夕焼けがどこかもの悲しい、蝉時雨が響く季節だった。僕の心は、彼への信頼で満たされていた。彼は、僕の秘密を唯一共有できる存在であり、この世界で僕が「僕」でいられる唯一の場所だった。

ある日、響先輩から「もっと深く話したいことがあるから、二人きりで会えないか」と誘われた。僕は何の疑いもなく指定された場所へと向かった。そこは人通りの少ない薄暗い路地裏だった。夕暮れの光が届かず、影が深く落ちている。

響先輩は、僕の顔を見るなり、にこやかに言った。その笑顔は、いつもと変わらない、穏やかなものだった。しかし、その声には、僕がこれまで感じたことのない、氷のように冷たい響きがあった。

 

「未来ちゃん、君が『ディーヴァ』だってこと、みんなが知りたがってるよ」

 

彼の言葉に、僕の心臓が凍りついた。背筋に冷たいものが走る。

 

「……何を言って……」

 

声が震える。目の前の穏やかな笑顔が、急に歪んで見える。

 

「君の歌、本当に素晴らしいね。僕も、君みたいに有名になりたいんだ」

 

響先輩の顔には、これまで僕が見てきた「静かな雰囲気」とは全く異なる、ギラついた欲望が浮かんでいた。

ここに来てやっと僕は理解した。彼の瞳は、僕の歌の真意など、全く理解していなかった。彼が興味を持っていたのは、僕の「世界」ではなく、僕が手に入れた「名声」だけだったのだ。

 

「君の顔、僕がネットに流せば、もっと話題になるだろうね。そうすれば、僕の歌ももっと多くの人に聴いてもらえる」

 

彼の言葉は、僕の心を深く抉った。彼は、僕の歌を模倣し、僕のメッセージを盗用した、ただの嘘つきだった。僕が必死に隠してきた、この「女の体」という性自認の苦痛に直結する顔を、彼は利用しようとしている。

 

「響先輩っ!」

 

僕は、信じられない気持ちで、震える声で問い詰めた。

 

「私の世界を知ってるって言ったのは、嘘だったんですか……!? あのメッセージも、全部……私を利用するためだったんですか!?」

 

響先輩は、僕の問いに、あっさりと答えた。その声には、一切の悪びれる様子がない。

 

「ああ、そうだよ。君の動画にあったメッセージを見て、これは使えると思ったんだ。まさか、本当に別の世界から来たなんて、信じるわけないだろ? 君の歌が、本物の『ディーヴァ』のものだって証明されたら、僕の歌も注目される。単純な話だよ」

 

僕の頭の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。彼が語った元の世界の記憶。僕しか知らないはずの細部。あれも、これも、全てが彼の計算だったのか。

 

「やめて……!」

 

僕は叫んだ。だが、時すでに遅かった。響先輩は、僕の顔写真をその場でネットにアップロードした。僕の顔が、僕の意思とは関係なく世界中に晒されていく。スマホの画面に映し出される、僕の顔写真と、瞬く間に増えていく「いいね」の数。

 

「これで、君も、僕も、もっと有名になれるね」

 

響先輩は、満足そうに笑った。その笑顔は、僕の目に、悪魔のように映った。僕の胸には、裏切りと絶望、そして、自分自身の愚かさに対する激しい自己嫌悪が渦巻いた。




ここまで読んでいただきありがとう御座います。
一旦本日はここまでです。
明日の17時に次の話を投稿予定です。
よろしくお願い致します。

実は現在12話くらいまで執筆中なのですが、作者の手の中には10話時点で幸せを謳歌している未来が泣きながら懇願する姿が見えます。このまま幸せルートまで駆け抜けようか……しかしながら長年このサイトを読み続けている私は知っています。曇り大好きにちゃにちゃ民が多いという事を。ては運命を左右する……かもしれないアンケートのお時間です。

  • 何いってんだ主人公なんて曇らせるもんだろ
  • 主人公曇るのは当たり前。周りも曇らせろ!
  • 路線変更!知らない内に周りだけが曇ってる
  • 多分選ばれない。みんな幸せハッピーエンド
  • 多次元宇宙!全部書きな(作者にムチ打ち)
  • しらね。作者の好きにしなよ←オススメ★
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