作:ユキちゃーーん。

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第十話「終章」

 

 

 何度か繰り返された呼び出し音が、逆撫でされ続ける神経を余計に煽っていく。覚悟を決めた後だというのに、画面越しの相手が電話を取る気配は微塵も感じられない。電子機器越しの掠れた低音はいつだって、たった数秒のコールも許さなかったというのに。

「ッ、あの野郎……!」

 苛立ちと共に通話終了の文字をタップする。

 どういうワケか、あの日からガロウには避けられていた。好きだ惚れてるだとほざいておきながら、この態度は何だと言うのか。

 クソ野郎、と心の中でヤツを罵りながら、スマートフォンをローテーブルに放り投げる。折り返される事の無い着信。これまでと、これからを想い悩んだ結果がこれだった。俺の中で堪忍袋という名の防波堤は崩壊寸前だ。もう一度、次は声に出して「クソ野郎……!」と独りごちる。こうなりゃヤケクソだ。覚悟を決めた男の意地を、これ以上踏みにじられてたまるかってんだ。

 俺は、最終手段を投下する事を決意する。

 もう一度スマートフォンを手に取って、連絡先の一覧から最近追加されたばかりの番号を探し出す。片手にスマホ、もう片方で短ランを引っ掴む。そして、気合いを入れて番号をタップした。

「……おう、シルバーファング。聞きてぇことがあるんだけどよ」

 覚悟しろよ、あの野郎。

 

 数台のトラックが停まる駐車場を抜け、事務所があるらしき建物を見上げる。

 時刻は十七時。定時通りなら、そろそろ現場へ赴いていた連中が引き上げて来る時間らしい。その中にはお目当てのヤツもいるはずだ。まだ明るさの残る空を見上げる。あくまでも、話し合いに来た。己に言い聞かせるようにゆっくりと、深呼吸を繰り返した。

 その時、遠くから複数のエンジン音が響き渡った。すぐ後ろの駐車場を振り返ると、会社のロゴが入ったトラックがゾロゾロと帰還していく最中だ。

 ごくり、と喉が鳴る。随分と溜め込んだ鬱憤ですら、俺の意を決する為の要因になっていった。

 ガヤガヤと騒がしくなった駐車場の一角で、何やら明日の打合せをする集団が目に入る。集合時間なんかを伝達しているらしく、遠目からその集団をじっと見つめた。

 タオルや制服の帽子を被った集団の中で一人、体格の良い銀髪が目に留まる。一週間ぶりのその眩さにおもわず心臓が跳ねて、慌てて体勢を取り繕った。

 自覚してしまえば単純なもので、ヤツに対して少しでも反応してしまった自身の心に喝を入れて「解散!」と散り散りになっていく集団へと近づく。もう、後戻りは出来ねぇ。俺も、ヤツも。

 すれ違う屈強な男たちが口々に「金属バットだ……」と呟いて俺を顧みる。普段だったら気にも留めない人集りからの視線もそこそこに、その場に佇むガロウに歩み寄った。ぼうっと何かを考え込むように、配られたばかりの給料袋を眺めている。

 あのガロウがここまで俺の気配に気づかない程、いったい何を考え込んでいるってのか。

「よう」

 ゆっくりと、ヤツが顔を上げる。

「おまえ、なんで……!」

 たった一週間ぶりだってのに、見開かれた金色をひどく懐かしく感じてしまう。それほどガロウの存在が自分の中で大きくなっていた事に気づいて、ますます一週間分のやるせ無さに怒りが込み上げた。

 ふぅーと細く息を吐いて、未だに状況を整理しきれていない様子のガロウを見上げる。

「じいさんにおまえのバイト先、聞き出したんだよ」

「っ、クソジジイ……余計なことをっ!」

「誰のせいでこんな事になってるんと思ってンだ、てめぇ……それよか場所、移すぞ」

「ああ?」

「ここじゃ目立つだろうが」

 疎らといえど、突き刺さるように浴びせられる視線の中心は言わずもがな、俺たちだ。仮にもツラの割れているS級ヒーローの俺が、経過観察中のガロウに会いに来てるって現状をどう捉えられるか、分かったもんじゃない。

 だが、此方の事情なんてお構いなしの視線で見下ろしてくる男はぶすりと口を尖らせて、不機嫌さを隠そうともしない。非常に、気にいらねぇ表情だ。

「……何だよ」

「人目につくとヤベェ事でもしようってか?」

「ああ?」

「あの時の事、キレてんだろ? だから一発殴らせろって?」

 ヒクヒクと自分の口元が引き攣っていくのが分かる。さっきから、何なんだよこの野郎。どこか投げやりな態度に違和感もあったが、しかしこんな下手クソな売り言葉を買ってやる義理もねぇ。

 この一週間、伊達に思い悩んでいた訳じゃない。ヤツの覚悟に対して筋の通らねぇ態度を取っちまった俺にも非はあったわけだしな。つまり俺は、無碍にされ続けた日々よりも、健気に『話し合い』という解決策を選んで今、この場にいるんだ。

 しかし悲しいかな、まだまだ素直になりきれない本心が待ったを掛ける。一週間、俺からのアクションをことごとく無視しやがったガロウにすんなり「話をしに来ただけだ」って言うもの癪に思えてならない。

 悪い癖だと理解はしているが、コイツに対して素直になり過ぎる事が妙に恥ずかしくなった俺はハッと鼻を鳴らして、ヤツを睨み上げた。

「そうだな、一発と言わず百発は殴らねーと気が済まねーなぁ」

「ッ!」

 減らず口もなんのその、ガロウも同じく鼻を鳴らしてキッと目を吊り上げた。そして周りの目など気にせず「やっぱりそういう事か!」なんて叫びながら、一気に俺から距離を取る。

「テメェから会いに来るなんておかしいと思ったんだよ!」

「……は?」

「誰が素直に殴られてやるかよ! 言っとくが俺ァ謝らねーぞ!!」

「ハァ?!」

 次の瞬間、ガロウの持っていた帽子が宙を舞う。

 ぽすり、と何処か間抜けな音と共に俺の腕に収まったそれを反射で抱えて、猛ダッシュで目の前から走り去っていくヤツの後ろ姿をぽかんと見送ってしまう。

(あの野郎、この期に及んで……逃げやがったのか?)

 その時、呆気に取られる俺の背後から「あの、」と遠慮がちな声が掛かった。勢い良く振り返ると、ガタイの良い若い男が「それ」と帽子を指差しながら佇んでいる。

「預かろうか?」

 うちの備品だし、と男は続ける。帽子と男とを交互に見て、はっと我に返った俺は「わりぃな、頼む!」と。それを男に押し付けながら、さっさと踵を返してガロウが走り去った方向を見据える。

 覚悟を決めて、ここまで来てやったってのに。あくまでも話し合いで解決するべきだと一週間、耐えてやったってのに。

「ッ、待てやコラァ!」

 さっさと小さくなる背中に「殺す!」と叫んで、全力で地面を蹴り抜いた。

 

 

 見慣れた石垣を曲がる。寝ていた野良猫がびっくりして塀の向こう側へ下りて行ったが、今は構ってやれる余裕は無い。いつもの公園へ続くアスファルトを蹴り上げて、遊具の間を駆け抜ける。ゼンコとタレオ御用達の図書館はついさっき通り過ぎたばかりで、目まぐるしく変わっていく景色とは対照的にヤツとの距離はまだまだ縮まらなかった。

 短くなる呼吸と共に、汗が滝のように頬を流れていく。夕暮れが近いといってもまだ八月だ。怪人相手でもなきゃ、こんな全力疾走をする季節でもねーだろクソ野郎っ。

 そうして走り抜けて行った先、いつだったかヤツと共に猫を助けた土手に差し掛かった。一直線に続く道の先、砂埃を上げて走り抜ける銀髪が視界を掠める。

「ガロウーーッッ!」

「うお! もう来やがったっ」

「テメェふざけンなよ! 俺ぁマラソンしに来たわけじゃねーぞッ! 止まれ馬鹿野郎ッ」

「だったら追かけてくるなよっ!」

「アアッ?! テメェが逃げるからだろ!」

「逆だっ! おまえがキレて追いかけて来るからだよ!!」

「人せいにしてンじゃねーよブッ飛ばすぞっっ」

「やっぱりキレてンじゃねーか!」

「ちがっ……! ッ、は、話があるって! 言ってんだよっ、逃げンなクソったれッッ」

 声が上擦ってうまく息が出来ない。体力には自信があったが、ヤツとは少しばかりの差があるらしい。その事実に大いなる苛立ちと、そしてわずかな誇らしさを覚えた。「それでこそ俺の惚れた男だ」なんて、妙に気恥ずかしい事を考えちまう思考は頭の隅に追いやって、今はやっぱり、ムカつくって感情を優先しておく。

 スピードを緩めたガロウが俺を振り返る。徐々に埋まって行く距離に、俺もスピードを緩めてガロウを見据えた。

「話し……?」

 ついに、ガロウが立ち止まる。振り返ったその顔は疑うような視線でまじまじと、息を切らして追いついた俺を見下ろしてる。膝に手をついて息を整えている間も訝し気な視線をぶつけてきやがって、その無遠慮さにもやっぱり腹が立つ。そもそも全ての元凶のくせに、何してくれてンだこの野郎は。

「テメェ、無駄に走らせやがってッ……! もう逃がさねーぞコラァ!」

「に、逃げてはねーだろ!」

「うるせぇ臆病モン!!」

「ッ!」

 ガシリとガロウの右腕を引っ掴んで、狼狽える金色を睨みつける。

「手間ァ取らせやがってっ……! 今日こそケリつけてやるから覚悟しろ、行くぞ!」

「…………は?」

 

 紫がかった夕暮れを背に、ガロウの数歩後ろを歩く。

 夏の終わりを告げるかのように畦道から土の匂いは消え失せ、夕方特有の少し涼しい風が俺たちの間をすり抜けて行った。火照った身体には丁度良い。

 不意に、怪訝な顔を浮かべたままの男を盗み見る。さっきまでの勢いは何処へやら、いつもの調子で罵り合う訳でもなく、じんわりと汗が滲んだ横顔はただ、眉間を寄せながら前を見据えていた。

 俺からの視線なんて気づいている癖に、頑なに此方を見ようとはしない。いったい、何に対して負い目を感じているってのか。

 無性に腹が立った。お前が自覚させたくせに、肝心なところは逃げるのか。不安定な答えを出してしまった俺にも責任はあるが、今のコイツはあまりにも身勝手すぎる。

 ふと、ガロウが立ち止まった。視線は前に向けたまま、居心地悪そうに口を開く。

「……どこ行くんだ」

「ああ? どこって…………いや、あの神社でいいか」

 神社って言葉にわかりやすくビクついた肩を見て、ざまぁみろと内心で舌を出した。案外、顔に出やすい男の動揺した顔には、ほんのりと赤みがかっている。果たして夕日によるものか、何なのか。

 バツが悪そうに再び歩き出した背中に、再び続いた。

 

 あの時と同様に、休憩場のベンチに腰を下ろしたガロウを見下ろす。

 前と違う点は夜景ではなく夕日が俺たちを包み込んでいる事くらいか。そのオレンジ色が妙にシリアスな雰囲気を演出している。影を作ったガロウの表情と、どこかで鳴いているらしいひぐらしの鳴き声も相まって、それがやけに、寂しく感じさせた。

「……話ってなんだよ」

 伺うように、だが、不機嫌そうにガロウが呟く。

 その態度にピキリとこめかみが反応しかけたが、まだその時じゃないと拳を作って、込み上げた感情をやり過ごす。

「話の前に、俺に何か言う事はねーのか」

 悩ましげに寄せられていたヤツの眉がピクリと反応した。ぎこちない動きで首だけを俺に向けて、ジトリとした視線を寄越しやがる。

 落ち着け、俺。まだだ。まだ、我慢できる。

「…………」

「…………」

 数秒、いや、一分くらいは無言で睨み合ったかもしれない。見下ろす俺と、見上げるガロウ。互いに譲らず、ただ、睨み合う。不毛とも呼べる膠着状態の中、先に沈黙を破ったのはガロウだった。

「…………キ、キスした事……俺は、後悔してねぇからな」

 やけくそ気味にぼそりと告げられた言葉が、頭の中で繰り返される。何言ってんだ、コイツ。

「はぁ? キス?」

「だから、あの時の……」

 どこか照れたように、ガロウが再び夕日に向かってガンを垂れる。その横顔が徐々に赤く染まって、終いには耳まですっかり染めて。そうしてだまんまりを貫こうとしていた。

 そういや頑なに「謝らねぇ」と叫んでいた事を思い出す。俺とて忘れていたワケじゃないし、むしろ鮮明に思い出せてしまうほどソレについて意識してないワケじゃない。だが、違うだろ。それもだが、そうじゃないだろ。

 ガロウに対して、俺の中の怒りのメーターはぐんぐん上がっていく。

「言いたい事はそれだけか」

「あン?」

 また、数秒睨み合う。逆ギレしているのかギロリと俺を睨み上げてきた金色に対して、もう、我慢の限界だった。脳内でカーンッと盛大にゴングが鳴り響いたのと、ヤツの胸ぐらを掴んで腹のたつ顔面に頭突きをお見舞いしてやったのは、ほぼほぼ同時だ。

「まずは一週間、無視してすみませんでしただろうがバカヤロウッ!」

 ガツン!

 骨と骨のぶつかり合う音が鈍く響き渡った。無理矢理立たせた勢いも相まって、あからさまに油断していたヤツがおでこを抑えながら悶絶している。ざまぁみろ、と俺も涙目になってガロウを見上げた。

「イッテェ! てめッッ、ふざけんなよ!」

「こっちのセリフだ! テメェがうだうだと電話に出ねぇから、無駄な体力使うハメになってンだよこっちは!!」

「そ、それはっ……! 振られた相手にあんな事して逃げちまったら、気まずくてそーなるだろ普通!」

「ハァ?! テメェの常識だろうが、俺が知るか! つーかキ、キスにしたってちゃんと謝れや! 何が後悔してねぇだよっ初めてだったんだぞ、こっちは!」

「えっわりぃ」

「どのタイミングで謝ってンだバカ野郎!!」

 境内に響く俺たちの大声に、やっぱり場所を移して正解だったとか、コイツめちゃくちゃ腹立つなとか。色んな感情が湧いてきたが、いつも通りのやり取りに持ち込んでは埒が明かない。落ち着くんだ、俺。話し合いで解決するんだろ。取っ組み合いの喧嘩で解決できるなら、最初からそうしていたばずだ。

 気を取り直して、もう一度このバカから距離を取る。夕暮れ特有の肌寒い風が一際強く吹いて、頭を冷ませと言ってくれてるみたいだ。

「……なんで電話、無視したんだ」

「っ、だから、それは…………振られただろうが、俺は」

「だからって無視する意味が分かンねーよ、ガキか」

「なっ……だ、だいたい振ったのはおまえだろっ」

「ッ、その事で話がしてぇって電話してんのに、テメェが無視するからだよ!」

「は? ちょっと待て、理解が追いつかねぇ」

 どちらともなく息を吐く。不安げに揺れ続ける瞳と視線がかち合って、同時にやるせ無い感情が一気に込み上げてくる。出来ることならコイツにこんな顔をさせた過去の自分を、ブン殴ってやりてぇよ。後悔なんて柄でもねぇのに、後戻りなんて出来るばすもないってのに。それを理解した上で、俺はもう『もう一度』をこの男に求めたんだ。

「……もう一度、おまえの言葉で、おまえの気持ちを聞きたかった。俺を支えるとかごちゃごちゃ言ってたのが気になって……おまえの本音を聞いて、俺の気持ちにケリを付けたかった」

 無意識に声が震えた。そんな俺を、やっぱり不安げに歪んだ金色が見下ろす。

「それは……だから、俺は、多くを望むつもりはねーんだよ。ただテメェが一人で背負い過ぎだ時、隣にいるくらい許せって、ずっとそう言っる!」

「っ、それが余計なお世話だってんだよ、バカヤロウ!」

 鋭くなる睨みにガロウがたじろいだのが分かる。

 いつまでコイツは、建前を言い訳にしやがるのか。隣にいるだけで良いなんて、そんなのはエゴだ。隣に並んでいるようで、暗に「俺に守らせろ」と言ってるだけじゃねーか。

 ふざけやがって、と拳を握りしめたがそれと同時に、ドクドクと激しく循環し続けていた血液が一気に引いていくような感覚がした。頭の中が妙に冴え渡って、今なら俺も現実逃避で濁すしか出来なかった本音をぶつける事ができるんじゃねーかって、そんな気持ちになってくる。

「多くを望まねぇってンなら最初から、惚れた何だとほざくんじゃねぇ!」

「っ……!」

「いいか、ガロウ! 覚悟も、背負ってるもんも全部、俺だけのもんなんだよ! テメェと一緒に背負い込む必要なんて何処にもねーんだぜ」

 握りしめた拳が震える。唖然とするガロウの顔が不安気に歪んで、だが俺はそんなガロウをできるだけ優しく見上げた。

「テメェにあれこれ心配されなくたってなぁ、俺はいつだってヒーローで、ゼンコの兄貴で、どっちも全力でやるだけだ! だから、ガロウ……!」

 また一歩、近づく。遂にはその距離に耐えられなくなったのか、残り僅かの距離すら後ずさって、そのまま足をとられてストン、とベンチに尻もちを着いた。緊張した瞳が俺を見上げてくる。あの日と逆だなと、内心で苦笑いが溢れた。

 逃がさねぇ。そんな意味も込めて、真っ直ぐとガロウを見据える。あの日おまえがくれた覚悟を、俺は未だに返せてないのだから。

「理由なんか無くたって、隣にいろよ」

「……は?」

 もう、一歩。すぐにでも触れてしまいそうな距離に、見上げてくる瞳は訳の分からないって様子で揺れている。

 小さく息を吐いた。心臓がどくどくと熱くなる。だがあの時と確実に違うのは、俺の覚悟と、自覚しちまった想いだ。

「気づくのが遅くなって悪かった…………俺も、おまえが好きだ」

 ガロウがこれでもかと瞳を見開いて、はっ、と小さく息を吐いた。

 まるで夢と現実の区別が付かないかのように眉を寄せて、狼狽えている。声が出ないのかハクハクと小さく震える唇からは、普段の人を食ったような笑みは完全に消え失せていた。

「ッ、まじ、かよ……」

「おう」

「っ…………おまえ、いいのかよ、こんなん……!」

 絞り出した声色は微かに震えて、今にも泣きそうだ。そして、俯いたガロウが叫ぶ。

「ここまで来ちまったら俺はっ……お前のことを、諦めてやれねーんだぜ、金属バット……!」

「別に、いーんじゃねーの?」

「っ、ハァッ?!」

「俺はおまえと違って、逃げたりしねぇしな!」

「ッ、おっ、まえ、それはっ……! だから、わ、悪かったよ……!」

 バツが悪そうに、それでも金色が逸れることはない。気持ちを伝えてしまえば、さっきまでの怒りも、不安も、後悔ですら、もうどうでも良くなっていた。

「……おまえが気付かせたんだぜ、ガロウ」

 ガロウの頬に手を伸ばす。ピクリと肩が揺れて、不安な色に包まれていただけの瞳に確かな欲が射した。熱を持った瞳におもわず、単純なやつ、と心の中で笑ってやる。

 見つめ合う距離がだんだんと縮まっていく。屈んで、ガロウの肩を掴む。緊張で指先が震えてんのは格好が付かなかったが、ガロウも同じくらいまつ毛を震わせていたから気が楽になった。だが、あと数センチで触れるところまできて「なぁ」と掠れた声が響く。どんなタイミングだ。閉じかけた瞼を持ち上げて、俺たちは至近距離でジトリと見つめ合った。

「あンだよ?」

「キス、初めてだったって……マジか?」

「あ? ああ、まあ……もう気にしてねぇよ」

「……初めてが俺で嬉しいって言ったら、おまえ、どうする?」

 なんだその質問。ほんと、どんなタイミングだよ。

「ンなもん、今さら別に……」

 しかし、どうでもいい、と続くはずだった言葉はから回って待ったが掛けかる。芽生えた悪戯心は、ここまで拗れた原因への意趣返しだ。目の前の金色を見つめながら、ふっと鼻で笑ってやる。

「チョーシのんなって、一発ブン殴るかな」

「あ、やっぱ今のなしっ……んむ!」

 悪戯っ子のように歪めた口元で、慌てるコイツの唇を塞ぐ。不意打ちが成功した嬉しさよりも気恥ずかしさの方が勝ったが、言葉より態度で示した方がコイツには良い気がする。説得力も出るしな。

 驚いた顔して目をまん丸くするガロウからすぐに離れて、にやりと口角を上げて見下ろした。

「これで、おあいこにしてやるよ!」

 ポカンと口を開いたままのガロウが勢いよく立ち上がった。ガッシリと両肩を掴まれて、なんだ? とそのアホ面を見上げる。

「なあ、おい! もう一回しろ!」

「……チョーシのんな!」

「いてっ」

 乾いた音が境内に優しく響いた。さっき頭突きをお見舞いしてやった場所を避けたのは俺なりの優しさだ。だが、この優しさの意味を履き違えたらしいバカヤロウは次の瞬間、たまらないって表情で俺の腰を抱き寄せようとしやがる。唸るように名前を呼ばれて、更に近くなった金色から目が離せなくなって、ついでに己のかました告白も相まって……ジワジワと焦るような感覚が脳裏に押し寄せた。それは今まで経験した事がないようで、しかし何処か手の届きそうで届かない場所がむず痒くなるような、そんな感覚だった。

 まぁ、とどのつまり。ほんの少しだけ冷静になっちまったのだ。ヒートアップしていた頭ン中はすっかり寒々としている。

「金属バット……!」

「おい何だよ、離せって」

 流されてたまるか。その一心で腕を突っぱねて、ガロウから距離を取る。そうして俺は手っ取り早く『拒否』へと舵を切る事にした。

「待てコラ! おい、聞けって!」

「やめろバカ! これ以上は無理だ耐えらんねぇ!」

「ッ、おっまえ、今のは流される雰囲気だっただろ!」

「雰囲気だぁ? そんなもんクソ喰らえだわ!」

「ぐっ……! すっ……好きだって、そんくらい、さっさと言わせろよ!」

 噛み締めるように言われた言葉は少し震えていた。夢のガロウには言われ慣れてしまったが、現実のぶっきらぼうな言い草の方が、何倍も良い。

「知ってるよ、耳にタコだ」

「ああ? そんなには言ってねーだろ」

「こっちの話だ…………それよか行こうぜ、暗くなってきた」

 辺りを包む色はすでに、ほとんどを紺色が支配している。

 自覚しちまった気恥ずかしさもあって直ぐに離れようとするが、それ以上の力で腰を抱かれて、引き寄せられた。いい加減にしつこくねぇか。何だよと不服の意味も込めて見上げるが、しかしそれ以上に不服そうな色を浮かべた金色に射抜かれて、ギクリと肩が揺れた。

「ンだよ」

 こういう目をしたコイツが面倒で、それでいて頑固だって事は、出会った時から知っているんだ。

「離せって」

「おい待て、おまえは?」

「さ、さっき言ったろ」

「不公平だろ、もっかい聞かせろ」

 ほらな、面倒くせぇ。

「お、男がそんな簡単に言う言葉じゃねぇ!」

「ああっ? さっき俺には言わせたじゃねーかよ!」

「それはテメェが勝手に言ったんだろうが!」

 なんだこれ、世間の恋人同士ってのは、こんな小っ恥ずかしい事を惜しみも無く言ってんのか? 正気じゃねぇな。

 しかし、悲しいかな。今からコイツと俺はその『正気の沙汰』どころじゃない関係に収まっていくのは明白だった。ふっかけたのはガロウだが、けっきょく受け入れた側にも責任はあるのかもしれない。だが、しかし。

「ッ…………き、嫌いじゃねぇ!」

 無理なもんは無理だ。元来、惚れた腫れたなんて事は得意じゃねんだよ。

 俺のキャパはオーバーどころか、すっかり擦り減ってしまっている。

「ハァ?! それは卑怯だろっ」

「あーあー! うるせぇうるせぇッ」

 じわじわと顔の中心に向かって集まる熱を誤魔化すように、勢い良く外方を向いて吐き捨てた。責任はあるんだろうが、よくよく考えれば「はいそうですか」と素直に返してやる義理もない。

 そうして、いつまでも納得いかない様子のガロウから身体を離して、二人並んで、神社を後にした。

 

 

 遠くで、ひぐらしが鳴いている。

 カナカナカナとやけに煩いくせに、やっぱり寂しげに聞こえてしまう鳴き声だ。だけど、さっきまでの不安感はない。

 ちらりと隣を見上げる。俺に頭突きされたおでこを摩りながらぶつくさと文句を垂れる横顔が目に入って、その不貞腐れた目元が好きだな、と改めて思った。

 よくよく考えてみれば俺は最初から、この金色に強く惹かれていたんだなと自覚する。全てはスーパーで初めて見た、熱を持ったあの瞳から始まったんだ。

(…………たったの、ひと夏)

 ここまで惹かれた理由も、コイツを好きだと思ったきっかけすらも曖昧なまま、俺はただガロウの覚悟に応えただけに過ぎない。だが得意じゃないなりに考え抜いた先の『告白』に迷いなんてもんは無かった。きっとそれが、今の俺に出せる全力の答えだっんだ。

 不意に、最後の石段で足が止まった。

 後ろの神社を振り返って、深く、深く息を吸う。夕焼けに混じった夏の匂いを探そうと思ったが、影に支配された石段の苔と、大木の青い匂いが邪魔をした。それでも少しだけ色の薄れた木々の緑を顧みて、夏の終わりを実感する。直に、秋がやってくる。

 またいつもの四人で、色々なところへ出かけたりするんだろうか。ゼンコが突拍子も無いこと提案して、タレオが遠慮がちに賛同して。俺が困ったようにガロウに視線をやって、いつも通り「いーんじゃねーの」とタレオの頭をぶっきらぼうに撫で回す。

 ただ、いつもと一つだけ違う事があるとすれば。

「なにやってんだ、金属バット」

 石段を下りた数歩先で、ガロウが振り返る。

「……なんでもねぇ!」

 

 ただ、一つだけ違う事があるとすれば。

 俺がガロウの隣で並んで、歩いている。ただそれだけの、事なんだ。

 

 

 

【完】

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