海での自覚から一週間が経った。
修行にバイトに、そしてヤツへの恋心に。俺は何だかんだと忙しい日々を送っていた。うざったく上昇する気温と共に金属バットへの想いも日々、強くなっていきやがる。自覚してしまえば単純な思考は「ヤツとどうなりたいのか」なんて事を考えるばかりだ。
別に多くを望む訳じゃないが……海で俺に向けられたあの笑顔をもっと寄越せよ、なんて無意識に思う程度には日々、悶々とした想いを募らせていくばかりで。
恋というやつは本当に、とことん、やっかいだ。
日常に潜む、ふとした瞬間にこそ意中の相手のことを考えてしまうのは、どうやら人間にとっては定められた『性』らしい。
真剣に取り組んでいるはずの修行やバイト中。あの日、電車で焼き付けた横顔がカラカラと脳裏を過っては、普段はしないようなミスが続いてしまう。
集中力が足りないとジジイからは滝壷に落とされ、バイト先ではうっかり壊してしまった備品の修理にぐちぐちと小言を言われる始末だ。ヤツへの恋心を自覚してからの俺はどうにもこうにも、普段の調子を出せずにいた。
極めつけだったのが、武術家にとって精神の乱れなんて恥だと自主的に滝に打たれる俺に、様子を見に来た師匠であるジジイが一言。
「好きな子でもできた?」
「ハ?! ガボッ! ゲホッッ!」
滝行中に溺れたのは、後にも先にもこの時だけだろう。
「な、何をイキナリ……!」
「おや、図星か」
様子のおかしかった俺を心配しての言葉だったらしいが、いきなり核心を突きすぎていて笑えない。聞いたところで何をするでもなく、ただただニコニコとうるせぇその顔には「ふざけンなよ!」と怒鳴って、慌ててバイトへ急いだのは一昨日ほど前の出来事だったか。
とりあえず散々な目にはあったが、まぁ仕方ねぇか、とも思う。恋なんて、認めてしまえば惚れた方の負けなのだ。
幸いにも、タレオと金属バットの妹であるゼンコは仲が良かった。アレからも二人で勉強したり遊んだりと、順調に友情を育んでいるらしい。タレオの『夏休みスケジュール』と書かれたノートには、主にゼンコが勝手に決めたらしい四人で遊ぶ予定がびっしりと書かれていた。俺にとっちゃ願ったりなスケジュールだったが。
まだ学生で、しかもヒーローを兼業しているヤツの了承は果たして、得ているってのか。まぁ、妹に弱い金属バットの事だから結局はこの四人で遊ぶ羽目になるんだろうなって事で、この疑問は早々に頭の片隅へと追いやっていく。何より、俺は好きなヤツに会う理由がそこに転がっているってのに見過ごすような男じゃない。行動力には、自信があるんだ。
「集中できとらんな、ガロウよ」
早朝の修行後、道場で座禅を組んでいたところへ嫌味ったらしい声が掛かる。頭の中でヤツの事を考えていたタイミングだった故に、まるで全てを見透かされているようで思わず舌打ちが洩れる。
「ホッホ、なんじゃ、機嫌が悪いな」
「……っるせぇな、弟子の修行の邪魔してンじゃねぇぜ」
「心が乱れた状態で禅を組んだところで、意味など無いわい」
「……」
癪だが、事実故に何も言い返せない。よっこらせ、と隣に腰を下ろしたジジイにジトリとした視線を向けるが、浮ついた感覚は増すばかりだ。
「他の者が騒いどったぞ、ガロウの様子が変だ、とな」
「チッ……放っとけよ、ンなヤツら」
ここ数日に渡って無駄にジジイに投げ飛ばされる無様な姿を、目を丸くして眺めていた兄弟子たちの顔が思い浮かぶ。特にチャランコの野郎なんかは驚きながらも、俺が地面と仲良くする度にニマニマと口元を歪めてきやがって。人の不調を笑うような奴ぁ、今度は焼きそばパンじゃ済まさねーぞ、あのヤロウ。まあしかし、だ。その不調の原因が原因だけに、俺は素直にジジイに投げられるしか無かった事も事実なワケだが。
「ウザってぇ……」
「皆、心配しておるんじゃよ。そう邪険にするでないわ」
口元を尖らせた俺に対して、諭すような声色が気に入らねぇ。別に邪険にしているワケじゃない。ここ最近の俺は金属バットへの想いをどう昇華させるかって事しか頭にないんだ。面白くないと感じるのは真っ当だろ。
「悩みがあるのならワシで良ければ聞くぜ」
ジジイの言葉に、フン、と鼻を鳴らして答えて、いよいよ座禅どころじゃ無くなった俺は胡座を掻く格好に座り直す。向けられた穏やかな瞳がこそばゆい。腕を組んで言葉を探る……が、このジジイに嘘なんか通用しない事を思い出して、またも舌打ちが漏れた。そんな俺を、片目を開けたジジイが不思議そうに見上げてくる。
「……」
「……」
しばしの見つめ合いの後、催促してくる鋭い眼光に負けて思わず、詰めていた息を吐き出す。変な緊張感から口の中が異常に乾いてならない。果たして、言うべきなのか。だが先人の知恵が侮れないことを、俺は身をもって知ってもいるんだ。何より、海ではジジイの知恵に世話になりっぱなしだった。
「ッ、くそ!」
ガシガシと乱暴に頭を掻いて、俺は人知れず腹を括った。
考え込むのは性に合わねぇ。何より、認めてしまった己の気持ちに嘘をつく必要もないし、それをジジイに知られたからってヤツへの気持ちが揺らぐ事もあり得ない。
意を決してジジイを睨みつける。惚れた腫れたの違いなんざ生まれてこの方、誰にも話した事はない。だが裏を返せばそれほど、なりふりなんて構っていられないほど、俺はアイツが欲しくて堪らないんだ。
「だ、誰にも言うんじゃねーぞ」
「ふむ、約束しよう」
「……気になる奴が、できた」
「ほう?」
「最近、自覚したが、何て言やいいのか……こんな気持ち初めてで……どうすりゃいいのか戸惑ってるっつーか」
「……」
「だから、つまり……悩んでんだよ…………修行もバイトも、ソイツの顔が頭ン中から離れなくて、何も手につかねぇ」
飾らない言葉を選んだつもりだったが、果たして伝わっているのか。隣からのリアクションが無いことに焦れてジトリと睨み付けると、ポカンと口を開けたジジイと目が合う。
「ガロウよ、おまえ……」
「……」
「まさか、初恋か?」
「はッ、ち、ちげーよ!」
「ほっほ、図星か」
「ッ!! ちゃ、茶化してンならこの話は終いだっ……!」
「待て待て、そうカリカリするでないわ。ほれ、座れ」
「ッッ…………くそっ!」
反射的に言い返したところで、俺を見据えた鋭い眼光に負けて膝立ちになった身体を元に戻す。途端、優しく笑った目元が「素直でよろしい」と言っているようで気に入らない。
まるで息子を咎めるような視線がやっぱりこそばゆくて、テレ隠しの意味も込めてそっぽを向いた俺に「時にガロウよ」とジジイが声を弾ませる。いつもより楽しげに聞こえた声は不愉快極まりなくて、あんだよ!と声を荒げた俺に一言。
「告白はいつするんじゃ?」
ドタンッとギャグ漫画よろしく前のめりに倒れ込む。直ぐに「あれま」なんて間延びした声が上から降ってきて、キッとそのシワくちゃの顔を睨み付けた。俺の話聞いてたのか、このジジイ!
「な、なに言ってんだ! こ、告白とか、まだはえーだろ!」
「好きなんじゃろ? だったら男を見せてみい」
「こっの、脳筋ジジイ! そういう問題じゃっ」
「何を迷うことがある? おまえは粗暴なところはあるが、良い男なのは確かだ」
「はっ……はぁ?」
思わず聞き返す。真剣なトーンで、何を言ってんだこのジジイは。
「ガロウや」
「ああ?」
「ワシはおまえが、人を愛する心を持ってくれた事が嬉しい」
「あい……? な、何だって?」
「愛する者のためにこそ、人は強くなれる」
「あ、愛する者……」
「今度、その好きな子を道場に連れて来なさい」
「は……? 何でだよ……」
「ん? ただの野次馬根性」
「なっ…!!」
人が真剣に悩みを打ち明けたってのに、このジジイ!
「っ、こっの、くされジジイっ、おア?!」
立ち上がった勢いのままジジイに詰め寄ろうとすればそれを軽くあしらわれて、逆に足を払われ体勢を崩す。そして受け身を取る間もなく、顔面から道場の床にダイブした。
「ヘぶッッ!!」
「ほぅれ、心が乱れておる」
「ッ、くっそジジイ!」
見上げた瞳が愉快そうに、だがひどく優しげに笑っている。
「ワシに相談せんでも、答えなどおまえの中で決まっておったろうに」
「は……分かったように言いやがって!」
「ダテにおまえの師匠をやっとらんわい。どれ、告白の決心がつくように稽古を付けてやろう、かかってきなさい」
「上等だ! 今日こそ一本取ってやる!」
その後、威勢良く飛びかかったまでは良かったものの。ふざけた事を抜かすジジイからは結局、一本も取れないまま。俺はボロボロの状態で日雇いの肉体労働へと急ぐ羽目になったのだった。
長生きしてるくせに、変なところで脳筋なのはどうにかならねーのか、あのジジイ!
時刻は同日の昼下がり。ぼうっとベンチに座り、空を見上げて照りつける太陽に舌打ちする。木陰になっているとは言え、さっきまで炎天下の中バイトに勤しんでいた身としては物足りない涼しさだ。
涼むためにバイト終わりにタレオを連れてプールにでもと考えたが……季節は八月に入り、小学生たちは課題だ遊びだと忙しく、時間に追われる身らしい。タレオ自身に計画性がないワケじゃないだろうが、ひどく残念そうに断りの言葉を呟いていた電話越しの声を思い出して、宿題くらい七月中に終わらせろよな、とついつい愚痴をこぼしてしまう。しかし自分はどうだったかと言われれば、まあ、そこは察してほしい。
さて暇になった、ともう一度空を仰ぐ。今頃、ヤツは何をしているってのか。数日前、テレビの報道番組で見たここ最近のヒーロー・金属バットの活躍を思い出す。
画面の中では相変わらず、自身の何倍もデカい相手に一歩も引く事なく向かっていく横顔が、報道ヘリからの録画として映し出されていた。映像で見る限り怪我は無いようだったが、果たしてどんな結末を迎えたってのか。それと同時に、金属バットがどうなったかまでは伝えられずに終わった報道番組にイラついて、持っていたリモコンをぶん投げようとした所をジジイにぶん殴られた事まで思い出してまたもや舌打ちが漏れる。人の頭をポカスカと、今朝のことも含めてふざけやがってあのクソジジイ。
すっかり短くなった銀髪をひと撫でして、たんこぶになった場所を掻きながら溜め息を吐く。そりゃ番号は知ってんだから連絡する手段はある。あるには、あるんだが……怪我はないか、無事か、等とヤツに甲斐甲斐しく電話をする自分を想像して、さすがに柄じゃねぇ、とへきへきした気分になる。こういうプライドが邪魔をしている自覚はあるが、それそこ今までのヤツとの関係性を思えば妥当な結果だ。
そうして再び、空を仰ぎ直そうと視線を上げたまさに、その時だった。
「あっ」
タイミング良すぎるだろ。思わず心の中で呟いて、そういやこの公園がヤツの日課であるパトロールのコースだった事も思い出す。
相も変わらず物騒な雰囲気を醸し出し、公園の入口から肩で風を切って歩いてくる男を見据える。猛暑だろうとヒーロー活動中は脱がないらしい学ランを翻しながら、男は辺りを睨み付けながらゆっくりと闊歩している。
「……あン?」
しかし直ぐに俺の視線に気づいたのか気怠げだった雰囲気がより一層、不機嫌なものへと変わったのが分かって、何とも言えない気持ちが胸を支配していく。
(あんなガン垂れてるような奴の、どこが好きなんだ俺ぁ……)
案の定、公園をパトロール中だったらしい意中の男、金属バットは肩に担いでいた愛用のバットを下ろしながらどこか足取り悪く近づいてくる。ぎこちない口元は引き攣っているようにも見えるが、アレはどういう感情だ?
それでも無視はしないで近寄ってきたって事実が妙に嬉しく感じる。同時に、今朝のジジイの「告白」って言葉が頭を過ってドキリと心臓が跳ねた。余計な事を言いやがってクソじじい。焦るな俺、時期尚早なのは確かだ。
「よお、久しぶりだな、金属バット」
「……おう」
激しく脈打つ心臓を誤魔化すように、薄ら笑いを浮かべてベンチから金属バットを見上げた。気合いの入ったリーゼントが太陽からの逆光で影になって、いまいち感情は読み取り辛い。隣に座りゃいーのに、とも思うが、まあ、素直に座るわけがないかとさっさと思考を切り替える。
「妹は元気かよ?」
「ああ、まあ……おう」
「タレオがまた四人で遊びてぇって、そればっか騒ぎやがってよ。うるせぇの何のって」
「あー、うちも似たようなもんだわ……」
「アイツら、よっぽど四人で海に行ったのが楽しかったらしいな」
海でのタレオとゼンコの笑顔を思い出して、そして最近の至極楽しそうなタレオを思い浮かべて、おもわず口元が綻んだ。太陽は金属バットによって遮られているはずなのに、眩い思い出が重なって目を細めてしまう。
そんな俺をどう思ったのか、今までぎこちなく言葉を探っていた金属バットが小さく息を吐くのが分かった。どこか気を削がれたような顔でジッと俺を見下ろしている。その表情は困ったように眉を寄せているはずなのに何処か優しげで、ドキリと心臓が跳ねちまう。
「……そういやタレオは? 今日は一緒じゃねーの?」
「あ? ああ、家で夏休みの宿題やるんだと」
「なんだ、フラれたのか」
「うっせ!」
不審な色が混ざっていた黒い瞳が、徐々に曇りのない瞳へと晴れていくのが分かる。変わらず眉尻は下がっていたが、声色も明るいものになっていった。
「おまえ、タレオに構ってもらえないからってこんな所で暇してンのかよ?」
「そ、そんなんじゃねーよ! 休憩してたんだ、キューケー!!」
「ほんとかぁ?」
ハハッと歯を見せた笑顔にドキドキと心臓が鳴って、ぎゅうぎゅうに締め付けてきやがる。その言葉には腹も立つが、俺を揶揄うようにカラッと笑う顔は素直に好ましいと思った。後ろに広がる、夏の青空が似合う笑顔だ。
惚れた弱みもあるんだろうが、俺はコイツの嫌味の無い笑顔を前にするとどうにも胸が高鳴っちまうらしい。毒気の抜かれたような感覚に、今だって腹は立つものの心がじんわりと温かくなっていくのが分かる。
ようやく海での俺たちに近い雰囲気になれた気がする。何か留まらせる話題は無いかと考えていると、そういや、と先に口を開いたのは金属バットの方だった。同時に訝しむようなジトッとした視線も寄こしてくるもんだから、その顔に、何だコイツかわいいな、とトンチキな事を考えなくも無い。まぁとりあえずは「何だよ?」と返しておくが。
「……おまえ、タレオから聞いてるか?」
「あ? 何を」
「だから……夏祭りだよ」
「ああ! 四人で、な」
「チッ、やっぱり知ってたか」
「なんの舌打ちだコラ」
なんでもねーよ!と気まずそうに逸らされた目が空を仰いでる。ただ単に、俺が金属バットの一挙一動に敏感なだけなのか、それとも今日のヤツの様子が妙なだけなのか。普段はカラッとした性格の男なだけに、その仕草がどうにも引っかかる。
「さっきから何なんだよ? 祭り行くのに何か都合でも悪ぃのか」
「別に、何でもねぇって……それよか、都合ついたら連絡してこいよ」
「あ、ああ……おう」
「ところでおまえ、俺の番号って登録してんの?」
「まあ、いちおー」
「あ、そう……」
まただ。ジトリと俺を見下す瞳。だが、次はどこかいごこちの悪そうな色が見え隠れしている。もしかしてコイツ……。
「……テメェさては、俺の番号、登録してねーな?」
「ハ? いや別に、そーいうワケじゃ」
「ウソ下手くそかよ」
「う、うるせぇ! 俺ぁ補講も終わったし怪人が出なけりゃ予定なんてねーから……まぁ、ここは労働者に合わせてやるよ!」
「誤魔化しやがって……ヒーロー様はお優しいこって!」
「ちゃ、茶化してンなよ!」
何ともビミョーな空気感の中、お互いにジトリとした瞳で見つめ合う。向ける意味は違えど、やっぱり誤魔化された感は拭えない。果たしてそれは連絡先を登録していなかった事への罪悪感なのか、何なのか。
俺からの咎める視線に耐え切れ無かったのか、金属バットはそそくさと目を逸らして踵を返した。その背中にはデカデカと「気まずい!」と書かれているのが分かる。
「……じゃ、俺ぁパトロールの続きあっから」
「おう、またな」
「お、おう……またな」
やっぱりぎこちなく歩き出した後ろ姿はどうにも怪しいが、そのまま見送るしか俺には出来なかった。
しっかしあの野郎、とも思う。登録するだろ普通はよ、と。いや、今までの関係を省みれば登録しないのが普通なのか?
「……分っかンねぇー」
恋人どころか、友人すら切り捨ててきた己の人生を少しだけ悔いた、そんな昼下がりだった。
つづく