ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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10 静かな朝に

 

 スプーンが陶器の縁を鳴らし、湯気がふわりと立ち上った。

 

 テーブルの上には、大きなティーポットと大鍋で作られたじゃがいもと人参のスープが注がれた皿が四つ。傍らにはスコーンが籠に積まれ、ラードの入った小皿が置かれている。

 

 香ばしい匂いと、野菜の甘さが混じった湯気が部屋を満たしていた。

 

 

 

 トムはスプーンを小さな手で握りしめる。その先で微かに反射する顔が、曇った瞳で揺れている。

 ごくり、と喉を鳴らした音と、トムのお腹から小さく「早く食べたい」と訴える音が聞こえてきて、トムは恥ずかしそうに肩をすくませ、わざとらしく椅子を引き音を立てた。

 

 ばれてないか、とこちらの様子を見るトムの目があまりにも可愛くて、私は気付いていないふりをした。

 

 

「熱いから、ゆっくり食べてね」

 

 

 優しく言えば、トムは小さく頷きそっと、スプーンを差し入れた。口元に運ぶと、湯気が頬を撫でたのか、くすぐったそうに目が細まった。はふっと息を吐き、舌先で触れ、ゆっくり口に含む。

 

 何かがトムの中で解けたように、目元が緩まった。

 

 それを見て私もスープを一口食べる。

 うん、昨日の夕飯の残りだけど、ほくほくのじゃがいもが少しスープに溶けていて、とろりとした舌触りで美味しい。玉ねぎの甘さと胡椒の辛味も最高だわ。

 

 

 トムも美味しかったのか目をキラキラさせながらスープを黙々と食べている。──きっと裕福な孤児院ではなかったし、スープは冷えていてパンは硬くて味の悪いものだったんでしょうね。

 

 もう、大丈夫。食事は──豪華なものを毎日は無理だけど、ちゃんと暖かくて美味しいものを用意するからね。

 

 

 トムの様子を見ているのは私だけじゃなかった。

 マールヴォロはスープを食べることなく、スプーンだけを持ってじっとトムを見ていた。

 

 深い皺の刻まれた顔に、吐き捨てたい苛立ちを張り付かせながら、視線だけは離さなかった。

 

 

 マールヴォロの腹の底に煮え立つ嫌悪を、私は知っていた。

 

 あの丘の向こうに住む男の顔に似ていること。

 混ざり込んだマグルの血。

 あの母が産み落とした証。

 

 マールヴォロの目は、好奇心と興味と軽蔑と嫌悪が混ざっているけど、初日だもんそんなものよね。

 

 私──リリスはもっと酷い扱いだった。

 暖かい食事なんてなくて、まだ何もできなかった赤子のリリスは平皿に入れられたミルクを上手に飲むこともできなかった。

 仕方がなく布を浸されて、それをしゃぶらされて……本当、リリス、よく死ななかったわね。

 

 

 遠い過去の記憶をぼんやりと思い返していると、トムとマールヴォロがじっと睨み合うように互いを伺っていることに気付いた。

 

 トムの目には、屈してなるものかという頑固な光が輝く。強くスプーンを握る指先から滲む力が、空気をわずかに揺らすのをマールヴォロは──いや、私たちは感じ取っていた。

 

 

 ぴん、と張り詰めた緊張感。

 籠の中の蛇達が一斉に鳴き声を上げる。

 ぎし、と家の柱がしなった。

 

 否応なくわかる。

 血の中に潜む、誰よりも強い力の存在が。

 

 

 マールヴォロは舌打ちをして皿を引き寄せると、スプーンを突き立てるように掬った。

 口に含む。もぐもぐと少ない歯で咀嚼しているうちに、彼の眉間の皺が少しずつ薄くなった。「……うめぇな」とぼそりと漏れたその言葉に、モーフィンが新聞の影で肩を震わせて「だろうよ」と笑う。

 

 

 私も口先を緩め、トムと一緒にそのぶっきらぼうな会話を黙って聞きながら、スープを飲んだ。

 

 

 トムは暫くマールヴォロを鋭く強く睨み返していたが、彼がこちらを見ることがないとわかるとようやく、目の端に勝ち誇ったような色をのせて、スコーンを手に取りそっとちぎった。

 

 

 火がぱちりと爆ぜる音が、空気を震わせる。

 湯気と紅茶の香り、野菜の甘い匂いが部屋を満たし、朝の光が窓から差し込んだ。

 

 私はスープを一口飲み込むと、カップを手に取り、トムを見てふっと笑った。トムも、小さく息を吸い込み、背筋を伸ばした。

 

 

(これから、私たちの時間が始まるのよ)

 

 

 そう告げるように、私は笑顔を崩さず、目の前の新しい朝を迎えた。

 

 

 

 

 

 暫くして鍋とスコーンが空っぽになり、私は杖を振り食器を流しに移動させて食後の紅茶を四人分入れた。

 モーフィンは新聞を読みながらゆっくりと紅茶を飲み、マールヴォロは、ただ暖炉の火が爆ぜるのを見ていた。

 

 トムは紅茶が入ったゴブレットを掴んだまま、あの二人を警戒し続けている。まるで、自分の敷地内に侵入していきた他人を警戒するようだった。

 ……あ。そうだわ。

 

 

「そうだわ、改めて自己紹介しましょう」

 

 

 忘れていた。

 トムに二人のことを紹介しなきゃダメよね。

 

 

 私の突然の言葉に、トムは小さく顔を上げる。

 モーフィンは新聞の上から怪訝な目を私に向け、マールヴォロは嫌そうに唸った。

 

 

「この家にいるのは、私と、トムと──叔父様と、お祖父様だけよ。私はリリス・メローピー・ゴーント。四歳。あなたのお姉ちゃんで、今この家で一番えらい魔法使いよ」

 

 

 場の空気を少し和らげようと思って、冗談めかして自慢げに胸を張ってウインクしてみた。

 ……トムはきょとん、として、モーフィンは喉の奥でくつくつと笑い、マールヴォロは舌打ちした。

 

 ま、まあいいわ。

 すぐにマールヴォロが自室に引き込まないのを見ると、紹介されるのを待ってる……気がするし。

 

 

「こっちが、叔父様のモーフィン・ゴーント。お酒が好きで、かなり口が悪いけど、蛇を大事にする人よ。魔法もすごく使えるけど、お掃除とお片付けは下手ね」

「……けっ」

 

 

 モーフィンは鼻を鳴らし、新聞を机の上に投げ置くと、椅子に背を預けた。

 顎をしゃくって紅茶を口に運びながら、沈黙したままのトムを横目に見る。

 「やあ」とか「よろしく」とかにこやかに挨拶するわけはなかったけど、モーフィンのトムを見る目は間違いなく面白そうなものを見る目で細められていた。

 

 

「それから、お祖父様のマールヴォロ・ゴーント。この家でえらい人だけど、叔父様より口が悪くて頑固よ。部屋も歯も汚いわ」

「……」

 

 

 マールヴォロは何も言わなかった。

 ただゴブレットを睨みつけるように見つめていた目が、一瞬だけトムへ向き──またゴブレットへ戻る。

 肩が微かに震えていたのは、笑っているのか、怒りをこらえているのか、誰にもわからなかった。

 

 

 トムは二人をじっと見ていた。

 ゴブレットを抱えるようにしながら、視線だけは逸らさず、一度だけ瞬きをする。それは「わかった」と言うようであり、私はそれだけで満足だった。

 

 

「叔父様、お祖父様。この子が私の一つ年下の弟の、トム・マールヴォロ・リドルよ。魔法に愛されて、天才的なセンスを持っていて。可愛いわ!見ての通り最高の弟よ」

 

 

 トムの後ろに周り、小さな肩を優しく掴みながら言う。

 トムは少し驚いたように息を呑んだけれど、私の言葉に嬉しそうにしていた。

 はにかもうとしたけど、モーフィンとマールヴォロの二人にそんな顔を見せたく無いのか、きゅっと唇を結んで不器用な表情のまま軽く俯いてしまう。──ああ、そんなトムも可愛い!

 

 

 汚くて口も悪い二人と、こんなにも愛らしいトムの血が繋がっているなんて本当に信じられない。

──けれど、私たちにはわかる。通じるんだ。

 

 

 この皮膚の下に脈々と続く、古からの高貴な血が、体を巡る魔力が。

 目や思いから発せられる魔力が、私たちを同類だと、家族だと、震えて共鳴している。

 

 

 そんな空気を感じているトムに少し笑って、私はポケットから杖を出して軽く振った。

 トムのゴブレットから紅茶の玉が飛び出し、ふわふわと宙に浮く。それをトムはキラキラとした目で見上げた。

 

 

「ね、トム。私たちは魔法族っていうの」

 

 

 トムの目が細くなり、小さな眉が動く。

 

 

「魔法族?」

「そう、魔法。魔法使い。杖を持って、呪文を唱えて、魔法を使う人たち」

 

 

 トムの灰色の瞳に薪の火が映り、知らない世界を受け入れようとするように揺れていた。

 

 

「世の中にはマグルっていう、魔法を使えない人たちもいる。魔法族とは違ってね」

 

 

 そう言いながら、私は──リリスとトムの父について触れなかった。父の名前をここで言う必要はないし、トムも聞きたい顔はしていない。

 もしモーフィンかマールヴォロが突っ込んできたら説明しようと思ったけど──二人は何も言わなかった。

 

 

「また、魔法族とか魔法界については──少しずつ説明していくわね」

 

 

 トムは小さく頷き、ゴブレットを両手で抱えたまま、私の顔を見て、少しだけ口元を緩めた。

 

 

 

 甘いスープと紅茶の匂い。

 新聞を捲る音と、紅茶を啜る音。

 モーフィンが鼻を鳴らし記事に向かって悪態を吐く。

 マールヴォロは、暖炉の火をじっと見て時々小さく唸る。

 暖炉の火がぱちんと鳴る。

 

 

 愛想はないし、言葉は少ないし、家族として私たちは何かが欠落している。

 

 それでも、朝食を始める時よりはまだ丸くなった雰囲気に、私は満足げに微笑む。

 

 

 ゴーント家での、最初の朝の食事が、静かに終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 食後の紅茶を飲み切った後、私はゴブレットやポットを洗い場へ運んだ。

 

 

「さて、洗い物しないとね」

 

 

 トムもぱっと立ち上がり、私の後ろを小さな足でついてくる。

 その様子があまりにも可愛くて、私は肩越しに笑いかけた。

 

 

「お手伝いしてくれる?」

「うん」

 

 

 すぐに頷く。目がきらきらと輝き、小さな胸がわずかに上下している。きっと嬉しいのだろう。かわいい。

 

 

「スコージファイ、っていう汚れを清めてくれる魔法があるの。大体の汚れはこれで綺麗になるわ。見ててね──スコージファイ!」

 

 

 杖の先端が白く揺れ、小さな風が吹くように光が走った。すると汚れた食器が勝手に宙に浮かび、水と泡に包まれてくるくる回る。泡が汚れを攫っていき、音もなく流れ落ちると、食器はピカピカに光り輝いた。

 

 皿がふわりと回転しながら台に戻る。

 トムが洗い場の縁に手をかけ、背伸びして覗き込みながら声を漏らした。息を吸う音が小さく響き、その目が憧れに揺れる。

 

 

「トムもやってみる?」

「──!うん、やりたい」

 

 

 瞳がぱっと輝き、顔が少し赤くなる。

 

 

「振り方は──こう。発音に気をつけてね。でも杖が私の杖だし、初めての魔法だし上手くいかないかもしれないわ。それでも、気にしなくていいからね」

 

 

 魔法センスがあるとは言え、トムはまだ三歳だ。杖は自分の杖じゃないし、魔法を学んだこともない。何より、昨日初めて自分が魔法使いだと知った。

 成功する確率は低いかもしれないけれど、少しでもこの世界に──トムがこれから生きていく魔法の世界に触れさせてあげたかった。

 杖から何かが出るだけでも、きっとトムは喜ぶだろう。

 

 そう思って私の杖を渡す。

 

 トムは息を飲みながら両手で私の杖を受け取った。ぎゅっ、と強く握る。

 

 

「あまり強くすると、杖がびっくりしちゃうわ。優しくね?」

「うん……こう?」

「そう、上手よ。そのままスコージファイ、ね?」

「スコージファイ……」

 

 

 小さく声に出して練習しながら、真剣に私の顔を見て頷く。可愛すぎて、頬が緩んだ。

 私は隣に寄り添い見守りながら──ふと視線を感じて振り返る。

 

 

 そのとき、背後の空気が変わった。

 居間で新聞を読んでいたモーフィンが、新聞をめくる手を止めてこちらを見ていた。

 マールヴォロも動かぬ顔で目だけを細め、杖を持つトムを見つめていた。

 二人とも口には出さないが、明らかに血の力を確かめようとしている。

 

 

 トムは杖を胸元に抱え、真剣な目で食器を見つめた。

 その小さな肩が小刻みに上下するのがわかる。興奮しているのだろう。それと同時に、緊張しているのも。

 

 

「深呼吸して、トム」

「……」

 

 

 小さな胸が膨らみ、ゆっくり息を吐く。

 そして、杖をぎこちなく上へ振り上げた。た。

 

 

「スコージファイ!」

 

 

 杖先から、私の時よりも強い光が迸った。

 風が一瞬強く吹き、ふわりと私の髪が揺れ、食器に当たった光が眩しく反射した。

 

 次の瞬間、食器は泡に包まれると、一度も曇ったことがないガラスのように、きらきらと透明な光を纏って戻ってきた。

 

 

 トムは目を輝かせ、自分が綺麗にした食器を食い入るように見つめる。

 

 私の口から思わず声が漏れた。

 

 

「──すごい!」

 

 

 小さな肩が上下し、灰色の瞳がわずかに揺れる。ぱっと私を見上げ、自慢そうに──嬉しそうに細められた。

 私は、思わずトムの肩を抱きしめた。

 

 

「すごいわ!すごい!トム、すごいよ!」

「っ……」

 

 

 いきなり抱きしめられると思わなかったのか、耳まで真っ赤にして、目を泳がせ、腕の中で慌てるトム。

 それでも私の腕を振り払うことはせず、小さな手でぎゅっと杖を握りしめると、そのまま私の肩に顔をうずめた。

 

 首筋が赤くなっている。かわいいっ!

 

 

 三歳で魔法を成功させるなんて凄いわ!

 ……普通がどんなものなのか知らないけど、私が四歳で初めて使った時、モーフィンとマールヴォロはすごく驚いていたもの。

 それ以上に、トムは凄いわ!

 

 

 

 トムを褒めちぎっていると、モーフィンが新聞を下ろし、口元を引き攣らせるように笑った。

 

 

「……へっ、三歳で魔法を使いやがったか」

 

 

 その言葉には、驚きと微かに喜びや歓迎が滲んでいる。

 

 マールヴォロは何か言おうとしたけれど、その口を動かしかけたまま、結局言葉を吐き出せず、苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らした。

 

 それでも、私は見た。灰色の濁ったその眼の奥に渦巻くものは、紛れもなく──トムを認めざるを得ないという色をしていた。

 

 

 ゴーント家の血。

 スリザリンの末裔の証。

 私の、誇らしい弟。

 

 

 抱きしめた小さな背中から伝わる体温が、心地よくて、くすぐったくて、私は思わず笑顔になった。

 

 

 そして、杖を握りしめたままのトムもまた、小さく息を吐き、その口元を少しだけ緩めた。

 

 

 

 

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