ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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14 トム・ゴーント

 

 午後からは魔法省に行き、トムをゴーント家の子にする──つまり、トム・マールヴォロ・ゴーントにするための手続きに行く。

 

 

 そのためにはまず、トムが生まれた孤児院がある自治体に行き、出生証明書を手に入れなければならなかった。

 魔法界では彼の存在はまだ登録されていないことになっている。マグルの出生証明をもとに魔法界の記録に移し替え、さらにリドル家からゴーント家への養子縁組登録を行う必要があるのだ。

 

 この第一関門を担ったのは──伯父のモーフィンだった。マグル嫌いで短気な彼が、嫌々ながらも『マグルの自治体』まで赴いたのは、私が「二週間の酒のアテを作り続ける。その間はどれだけ酒を飲んでも文句を言わない」という苦渋の条件を飲んだからだ。彼が魔法を使って逮捕されるのでは、と正直本気で心配していたが……無事に証明書を持ち帰ったことは、奇跡としか言いようがない。

 

 

 モーフィンの付き添い姿現しでロンドンの路地裏へ向かう。トムはまだ姿現しに慣れていないらしく、地に着いた瞬間、ぐらりとよろけた。私のローブの端をぎゅっと握り、肩をすくめて固まっていたので、「大丈夫?」と声をかけると、彼は小さく頷いてそっと手を離した。

 

 

「こっちだ」

 

 

 モーフィンはぶっきらぼうに言い、黒く長いローブのポケットに手を突っ込んだまま路地裏の奥へと向かう。

 ゴミの溢れた大型ゴミ容器が一つあり、そのさらに奥に、誰の目にも留まらないような──いや、むしろ見落とされることを前提にした──錆びついた赤い電話ボックスがあった。ガラスには蜘蛛の巣のようなひびが入り、背後の壁はスプレーで描かれた汚い落書きだらけだ。

 トムは電話ボックスの前で立ち止まり、驚いたように私を見上げた。その表情には「ここが入り口?」というあからさまな疑念が浮かんでいた。

 

 

「トム、何も間違ってないわ。ここから魔法省に行くの」

 

 

 トムはそれでも信じられなかったのか、私の顔とボックスを何度か見て、困惑した表情のままこくりと頷いた。

 モーフィンはさっと周りを見渡し、誰もいないことを確認して錆びついた扉を開ける。それは、ぎぃ、と低い音を立てて開いた。

 

 

「さっさと入れ」

 

 

 ぶっきらぼうなその言葉に押されるようにして、私はトムの手を取り、ボックスの中に入る。空気はこもっていて少し湿っており、壁に触れるとざらりとした埃っぽさが指に残った。図体の大きなモーフィンが入ってきてかなり狭くなる前に、受話器がぶら下がる黒い電話機の下、狭いスペースにトムを押し込み、私も隣に身を寄せる。

 

 モーフィンはポケットから皺くちゃになった紙を取り出した。眉を寄せ、顔を近づけて文字を読み上げる。ぶつぶつと呟きながら、慣れない手つきで受話器を取り、ダイヤルを回した。

 ガチャ、とかすかな音が響く。

 

 

「──魔法省へようこそ。お名前とご用件をおっしゃってください」

 

 

 モーフィンが手にしている受話器からではなく、電話ボックスの中から落ち着いた女性の声が流れてきた。

 トムは驚きに目を見開き、耳を両手で押さえながら周囲を見渡した。未知の声に驚きながらも、好奇心が勝るようで、視線は興味深げに壁の継ぎ目や天井を探っていた。

 トムに「大丈夫」の意味を込めて微笑みかければ、トムは私の方ににじり寄り、肩をぴたりとつけて止まった。──な、なんて可愛いの……!

 

 

「モーフィン・ゴーントだ。……妹が置いて行ったガキの出生登録と、養子縁組に来た。ガキが一人、付き添いに一人だ」

「わかりました。外来の方はバッジをお取りになり、ローブの胸におつけください」

 

 

 カチャ、と小さな音がして電話機のコイン返却口の受け皿にバッジが三つ滑り落ちてきた。私は手を伸ばし、受け皿を探り手に取ると、『市民課』と書かれた銀バッジの一つをトムに渡し、一つは私の胸に、もう一つはモーフィンに渡した。

 

 

「魔法省への外来の方は、杖を登録いたしますので、守衛室にてセキュリティ・チェックを受けてください。守衛室はアトリウムの一番奥にございます」

 

 

 その案内の声が終わるやいなや、電話ボックスの床が軋みながら震え、ゆっくりと地下へ沈みはじめた。鉄の箱が地面に吸い込まれていくような感覚に、トムは小さく息を飲む。だが彼は──驚きながらも、逃げたり叫んだりはしなかった。

 

 電話ボックスが地面の中に潜って一分は経っただろうか。突然一筋の金色の光が射し込み、足下を照らした。光はだんだん広がり、ついに全体が明るく照らされた。

 

 

「魔法省です。本日はご来省ありがとうございます」と女性の声が言い、ボックスと戸が開く。すぐにモーフィンが外に出て、私とトムも電話機の下から這い出て外に出る。

 外に出たトムは、小さく口を開き目の前の光景に息を呑んだ。

 

 長いホールの天井には豪華なシャンデリアが飾られ、煌々とした明かりを照らしていた。黒い木の床は滑らかに磨き上げられ、天井や壁に金色に輝く記号が象嵌され、くるくると形を変えて動き回っていた。いくつも設置されている金張りの暖炉からは絶えず魔女や魔法使いが現れ、トムは天井や暖炉を見ながら目を輝かせていた。

 

 空気は少し乾燥していて、すこし蝋燭が焦げたような匂いも混じっていた。遠くで談笑する声や、姿現しの音が響く。

 

 

「……ここが、魔法省……?」

 

 

 トムが思わず呟いた声に、私は微笑む。

 

 

「ええ、そうよ。魔法界の中枢、ね」

 

 

 モーフィンは私たちには目もくれず、背を曲げたままのっそりと歩き出した。ローブは珍しく綻びもなく、今日はまともな恰好だったが、周囲の場違いさは隠しようがない。モーフィンはこの場所に馴染む気もなければ、溶け込むつもりもないのだろう。

 

「行きましょう。迷子にならないように、手を繋ごうね」と、そう言って手を出せば、トムは素直に私の手を握った。目は金色の装飾や暖炉、不思議な服を着る魔女を忙しそうに見ている。

 

 モーフィンの後を追って進めば、ホールの中程に魔法省を象徴するような金色の立像が見えた。

 まあ、あまり趣味がいいとは言えない偏見に満ちた立像を──何せ、魔法動物が魔法使いや魔女を崇めるようになっている──横目で見つつ、守衛室へ向かう。

 

 私も、この魔法省に来たのは二度目だけど── 静かで孤立したゴーント家に慣れた今、ここの喧騒とまばゆさは少し眩しすぎる気がした。

 

 

 私たちと反対の方向へ向かう魔法使いの間を縫い、守衛室でモーフィンは杖の登録をした。守衛室にいたやる気のなさそうな男はちらりと私とトムを見たが、私はにっこりと笑いトムを後ろにそっと隠した。

 

 

 

 杖の登録を終え、守衛室を出ると、モーフィンは再び無言で歩き出す。リズムも抑揚もない足取りだが、その背中にはどこか疲れが滲んでいる。ここにいること自体が不快で、できるだけ早く終わらせて帰りたいと、全身で語っていた。

 

 魔法使い達の群れに呑まれながら金のゲートを潜った先には二十機のエレベーターがあり、各々が金の格子の後ろに並んでいた。空いている一台に乗り込むと、金の格子が閉まり、エレベーターはチェーンを鳴らしながら上へとのぼる。少しの浮遊感と同時に、あの電話ボックスで聞いた女性の落ち着いた声が聞こえてきた。

 

「七階。魔法ゲーム・スポーツ部がございます。そのほか、イギリス・アイルランド・クィディッチ連盟本部、公式ゴブストーン・クラブ、奇抜な特許庁はこちらでお降りください」

 

 

 扉が開き、書類の束を抱えた魔法使いと紙飛行機が複数乗り込んだ。トムは頭の上をのんびりと飛び回る紙飛行機を興味深そうに見つめていた。

 

 それからエレベーターは何度か止まり、開き──そのたびに人と紙飛行機が乗り降りし、空気が入れ替わる。

 

 

「──二階。魔法法執行部でございます。魔法不適正使用取締局、闇祓い本部、魔法記録課、ウィゼンガモット最高裁事務局はこちらでお降りください」

 

 

 扉が開き、幾つかの紙飛行機と一緒に私たちは扉がたくさん並んだ廊下に出た。モーフィンはエレベーター近くの案内板を一瞥し、めんどくさそうに鼻を鳴らした後のっそりと歩き始める。

 

 長く続く廊下を歩いていたが、モーフィンは不意に足を止め、樫の木の扉の前でじっと立ち止まる。かけられている『魔法記録課』の文字をまじまじと見ながら扉を開け、「早くこい」と私たちに促した。

 

 部屋の中はビュンビュンと高速で紙飛行機が飛び交い、役人達が並んだ窓口の奥で山積みになった書類を前に黙々と仕事をしていた。

 

 窓口はいくつか分かれ、その中の『出生登録』と書かれたプレートの前まで歩いていく。受付の魔女は私たちの姿を見ると、無表情のまま事務的に手を止めた。魔女の目が、モーフィンと私、そしてトムを品定めするようにゆっくりと見る。

 

 

「ご用件は?」

「こいつの出生登録と養子縁組だ。リドルのガキだが、今日からゴーントの名にする」

 

 

 モーフィンが無造作に差し出した皺だらけの書類を見て、魔女は眉をひとつ寄せた。彼女の指先には控えめな金の指輪が光り、書類をめくる手つきは非常に手慣れていた。

 そういえば、私がゴーント家になった時もこの人が対応したような気がする。

 

 

「……マグルの出生登録を魔法界へと移動。そしてリドル家からゴーント家への養子縁組ですね。理由は前回と同じでよろしいですか?」

「ああ」

 

 

 モーフィンはめんどくさそうに頷く。魔女は杖を振り奥にある棚からいくつか書類を抜き出すと目を通し、「モーフィン・ゴーント、メローピー・ゴーント……後に、メローピー・リドル……」と独り言のように呟いていた。

 

 

「あなたと、その男の子のご関係は?」

「甥だ」

「わかりました。では、そちらの男の子の魔力測定を行います。お名前は?」

「……トム・マールヴォロ・リドルです」

 

 

 いきなり視線を向けられたトムは、私の手をぎゅっと強く握り、やや戸惑いながら答えた。魔女はうなずき、手元の書類に何かをさらさらと記入する。

 

 

「わかりました。ではトム様。この書類にサインをお願いします。これは出生登録なので、トム・マールヴォロ・リドルとお書きください。文字が書けなければ代筆でかまいませんが──」

「大丈夫、です」

 

 

 トムははっきりと言った。窓口の向こうで魔女はこんなにも小さな子が文字を書けるのか、と少し意外そうな顔をしたがすぐに表情を和らげ羽ペンと書類を渡す。

 背伸びをして受け取ったトムは、小さな手で羽ペンを不思議そうに持っていた。──あ、羽ペンなんて使ったことないか。

 

 

「トム、羽ペンはちょっとコツがいるの。大丈夫?」

「……やってみる」

 

 

 トムは真剣な表情でそういうと、キョロキョロとあたりを見回しどこかに書類を置いて書けそうな場所が無いか探した。背の低いトムは、窓口の台の上で書くことができないのだ。

 それを見たモーフィンは舌打ちを一つこぼすとポケットから杖を出し、軽く振った。地面から小さな台が現れ、トムは驚いたように目を見張ったが何も言わず、その上に書類を置く。

 

そのまま、じっと文字を読み、初めて使う羽ペンに苦戦しながらもなんとか『Tom Marvolo Riddle』と記名する。すると文字は金色に輝いた。

 

──これで、トムは魔法使いとして魔法界に受け入れられた。

 

 

 トムは輝く文字を息を詰めて見つめる。その頬はいつもより少し赤くて、口元は事実を噛み締めるように結ばれていた。

 

 

「出生登録はこれで完了です。続きまして養子縁組の登録。こちらはモーフィン様、トム様お二人の記名をお願いします。お姉様のリリス様と同じく、モーフィン様の息子──養子として登録することになりますが、問題はありませんか?」

「ああ」

「……はい」

 

 

 モーフィンは魔女から受け取った書類の内容をろくに見もせず、ぺらぺらと捲って勢いよく署名し、そのまま無言でトムに書類を渡した。

 トムはじっくりと時間をかけて読み、モーフィンは苛立ちを隠すことなく、窓口を指先でカンカンと叩いていた。肩はわずかに落ち、眉間にはうっすらと皺が刻まれている。まるで「早く終われ」と念じるような、重たい空気が背中に滲んでいたが、それでもモーフィンは、トムが文面を読む間は言葉を発しなかった。

 ただ、立っているのも億劫なのか、片脚に重心を移し、ときおりぐいと肩を回していたけれど。

 

 よく時間をかけて読み終えたトムは、台の上でゆっくりと、慎重に名前を書いた。

 

 

『Tom Marvolo Gaunt』

 

 

 その文字を書いた時、トムは小さく息を吐いた。

 

 新しいトムの名前が金色に輝く。

 書類が一度脈動するように震え、トムが驚いて肩をすくめて手を離すと、それはするりと空を飛んで窓口の魔女の手元へと移動した。魔女は手際よく確認を済ませ、小さく頷いた。

 

 

「──はい。これで登録は完了です。後日正式な書類を送付いたします」

「いくぞ」

 

 

 魔女の言葉を待たず、モーフィンは杖を振り台を掻き消すと、まるで背後から追い立てられるかのように踵を返す。

 トムはこんな簡単に登録ができるとは思わなかったのか、どこか実感の湧かない複雑な顔で私を見た。

 

 私はトムの手を取り、にっこりと笑う。

 

 

「トム、これであなたは正式に私の弟になったんだよ!」

「……うん!」

 

 

 

 その瞬間、トムの瞳がぱっと開き、花が咲くような笑みが浮かんだ。小さな口元に刻まれた笑顔は、心から嬉しいという感情があふれた、とても愛らしい笑みだった。

 

 

 トム・マールヴォロ・ゴーント。

 彼はもう、リドルではない。私の大切な弟だ。

 

 小さくて暖かい手を握り、私は何があってもこの手を離さない、と胸に──そして、リリスに誓った。

 

 

 

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