ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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16 養育費と手切金

 

 

 トムがゴーント家で暮らすようになって、もうすぐ一ヶ月になる。最初こそぎこちなかったけど、最近は少しずつ馴染んできている。マールヴォロとは相変わらずだけど、モーフィンとは、蛇の世話を一緒にするくらいの関係にはなった。まあ、それなりに上出来な方だろう。

 

 今日も、トムは裏庭で雑草抜きに夢中になってる。土まみれになりながらも、静かに黙々と手を動かしていて。トムは意外と土いじりが好きらしい。

 

 私はといえば、居間でモーフィンと二人きり。彼はいつものように安酒を煽りながら、ごろりと横になっていた。部屋の空気が少し緩んだのを見計らって、私はそっと声をかける。

 

 

「──伯父様、ちょっと、正直に教えてくれない?」

「あァ?」

 

 

 返ってきたのは、半眼でこちらを見上げるような、相変わらず気だるげな反応だった。

 

 

「この家の財産って、あとどれくらい残ってるの? 伯父様、働いてないけど」

 

 

 軽い冗談めかした口ぶりにしたつもりだった。でも空気は意外と真面目になってしまって、モーフィンは鼻を鳴らすと、酒瓶を傾けながらつぶやいた。

 

 

「知るかよ。──ンなもん気にしてねぇ」

 

 

 でもその言い方には、ちょっとだけ諦めがにじんでいた。きっと彼なりに感じてるんだろう、この家がじわじわと沈んでいく感覚を。冷たい石の壁、隙間風、魔法で誤魔化しても染み込んでくる貧乏の匂い──そういうのに、誰よりも長くここにいる伯父様は、たぶん一番敏感なはずだ。

 

 私は少しだけ身を乗り出し、囁くように言った。

 

 

「……伯父様。財政難を覆す、いい案があるの」

 

 

 その言葉に、モーフィンの酒瓶がぴたりと止まる。「なんだ?」と返す声には、わずかに警戒と興味が混じっていた。

 

 私は小さく、でもはっきりと笑った。──少し悪い顔になっていたかもしれない。

 

 

「ちょっと、私の父様を──脅しに行かない?」

 

 

 言葉を飲んだような顔をするモーフィン。その目が、酒の酔いから醒めたみたいに鋭くなって、そして次の瞬間、唇の端をつり上げて笑った。

 

 

「……いいな、それ」

「でも、魔法は禁止。トムがいるもの。家族から犯罪者を出すわけにはいかないわ。 誠実に、冷静に、狡猾に、魔女らしく交渉しましょう。私と、トムと、母を捨てたマグルに──」

 

 

 モーフィンの目が面白がるように細くなった。けれど私は、笑みの奥に、少しだけ本気の熱を忍ばせた。

 

 私は、父を恨んではいなかった。寧ろ、愛の妙薬で誑かされた被害者だとさえ思っている。──けれど、それとこれとは別だ。

 いま大切なのは、トムの未来だ。あの子が、寒さに震えず、飢えもせずに生きられる場所をつくること。そのためなら、私はなんだってする。

 

 

「伯父様、ちょっと蛇たちを貸してくれない?」

 

 

 そう言うと、モーフィンは酒瓶を抱えたまま、めんどくさそうに顔をしかめてきた。

 

 

「勝手に使えや」

 

 

 カゴの中の蛇たちは、こっちが呼びかけるよりも早く反応していた。しゃがみ込んで手を伸ばせば、ぬるりと動いた鱗が揺れる。久しぶりに声をかけると、みんな揃って「姫様」なんて呼んでくる。──ふふ、いい子たちだわ。

 

 

「ねえ、今からちょっと頼みがあるの。リドル家ってお屋敷のこと、探ってきてくれない? どんな小さな話でもいいから。……一番いい働きした子には、太ったネズミをあげるわ」

 

 

 そう言ってカゴを開けると、蛇たちは競うように体をくねらせ、あっという間に部屋から姿を消す。

 

 

「さてと……」

 

 

 裏庭では、トムが小さな畑で黙々と雑草を抜いていた。膝をつき、手を泥だらけにしながらも、その窓から見えるその表情は穏やかだった。

 モーフィンは酒をすすりながら、なにも言わずに鼻を鳴らした。トムに父のことを話すのは少し気が重くて、私はため息をひとつついて立ち上がり、戸口から庭へと向かう。

 

 

「姉さん」

 

 

 気づいて顔をあげたトムが、眩しそうに目を細めた。脇には抜かれた雑草の小山ができていて、どこか誇らしげな表情をしている。

 

 

「お手伝い、ありがとうね」

 

 

 そう言って、トムの頬についた泥を指でぬぐってやると、トムはくすぐったそうに目を細めた。

 

 

「ねえ、トム。……私たちのお父さんのこと、知りたい?」

「……父さん?」

 

 

 一瞬、トムは家のほうを見たけど、すぐに私の顔を見て──本当の父のことだって気づいたようだった。

 

 

「……どっちでもいいや」

「そっか」

「うん。僕には……姉さんがいるし」

 

 

 それが、トムの本音なんだろう。

 トムは家族を知らない孤児ではない。私が居るゴーント家が、トムの暮らしていく家だ。だからこそ、父の事は興味がないのかもしれない。

 それでも、トムに父親のことを話さなければ。──リドル家を脅すには、私よりもトムの方が効果的だろうし。

 

 

「ね、トム。この家……ぼろいじゃない?」

「うん」

 

 

 トムは素直に頷いた。

 掃除をしても、魔法を使っても隠すことができない貧困に、幼いトムも気づいているのだ。   

 

 

「だからね、ちょっとだけ、お父さんにお金をもらいに行こうと思ってるの」

「えっ、そんなことできるの?」

「できると思う。たぶんね」

 

 

 私はちょっとだけ悪い顔をして笑った。トムは驚いたように笑って、それから少し不思議そうに首を傾げる。

 

 

「お父さんって、どんな人?」

「私も会ったことがないからわからないけど、多分、碌でもない人ね」

 

 

 トムはちょっと考え込むように、眉をぎゅっと寄せた。

 

 

「……おじいさんと同じくらい?」

 

 

 その言葉に思わず吹き出し笑ってしまった。

 トムの中で未だに無愛想で傲慢で偏屈なマールヴォロは、碌でもない爺さん扱いなんだ。

 

 

「トム、それお祖父様に言ったらすごく怒るから、言っちゃダメよ。──でも、多分それよりもタチが悪いわ」

 

 

 私は低い声でそう言って、トムの頭をそっと撫でる。トムの髪はさらさらしてて、ほんのり草と土の匂いがした。

 トムはきょとん、としたまま小さく頷いた。

 

 

 

***

 

 

 リドルの館は、噂通りの大きな屋敷だった。

 

 石造りの外壁には蔦が絡まり、広々とした前庭には、よく手入れされた芝と真っ直ぐな砂利道が伸びている。奥には白い壁と黒い屋根の堂々たる屋敷が構え、まるで時間が止まったように静かだった。村の人たちが一度は見上げたことがある、あの「リドルの館」──その真正面に、私たちは今、立っていた。

 

 

 モーフィンは、今日のために髭を剃り落とし、片目に黒い眼帯をつけている。酷い斜視を隠すために私がお願いした。本人は嫌がっていたけれど、「お酒を飲みたいなら、そのくらい我慢して」と言えば、意外にもすんなり従ってくれた。

 

 私は手持ちの中で一番まともな黒いワンピースを着て、トムには泥のついてないシャツとズボンを用意してあげた。さすがに富豪の屋敷に行くのだから、小綺麗にしておくに越したことはない。トムは服よりも「爪も磨いた方がいい?」なんて真顔で聞いてきて、思わず笑ってしまったけど。

 

 三人並んで門をくぐり、屋敷の玄関へと向かう。重厚な扉の前でモーフィンがノッカーを鳴らすと、しばらくして中から使用人らしき男が現れた。

 

 第一声の「どちら様ですか?」が、もう露骨に怪訝だった。無理もない。突然やってきた田舎者三人に見えるだろう。

 

 けれど、使用人の目がモーフィンの顔をしっかりと捉えた瞬間、ほんの一瞬だけ表情が揺れた。

 ゴーント家は、マグルの村で碌でもない一族だと囁かれているはずだ。私がゴーント家を整えるまでは人が住めないような荒屋で服装もボロだった。そんな侮蔑と噂の的だったモーフィンが、まさかこれ程まともな見た目でやってくるとは思わなかったのだろう。

 

 

「モーフィン・ゴーントだ」と彼は低く名乗った。

 

 

「トム・リドル・シニアと話がしたい。俺の妹、メローピーの件でな」

 

 

 その名前が出た途端、使用人の顔色が明らかに変わった。さすがにメローピーとリドルの駆け落ちは、リトル・ハングルトンじゃ有名な話だもの。──リドルがメローピーに騙されたと主張して家に戻ってきたこと、その時に怒り狂った父親がリドルを杖で叩きのめしたこと。街の酒場でその話を広めたのはお抱えの料理人で、小さな村ではすぐに広まって暫く村人の噂話には困らなかったとか。

 

 

「……ご用件は、奥様ではなく、旦那様に?」

「ええ。旦那様とでお願いします」

 

 

 モーフィンが答えるより前に私が進み出てそう答えると、使用人の目が私とトムに向いた。そして、その場で完全に動きを止めた。

 

 今、目の前にある事実に直面したのだろう。私とトムは、トム・リドル・シニアの血を、顔の造形にくっきりと受け継いでいた。

 

 

「……少々お待ちください」

 

 

 静かに扉が閉まる。その直後、モーフィンと顔を見合わせて思わず、くく、と笑ってしまった。かなり──悪い顔だったと思う。

 

 

「やっぱり、似てるのね。私たち」

「うまくいきそうだな」

「もちろん」

 

 

 準備は万端。あとは扉が再び開かれるのを、冷静な顔で待つだけだった。

 

 

 

 少しして使用人が再び現れ、興味と好奇心の雰囲気を覗かせたまま私たちを屋敷の中に通した。

 赤い絨毯に、ガス式のランプ。天井には豪華なシャンデリア。飾られている壺や絵画はどれも派手で、裕福さを全面的に押し出していた。

 

 私は応接間の前で、トムの肩にそっと手を置いた。

 

 

「トム、この先、とっても酷いことを聞かされるかもしれない。……もし聞きたくなければ、耳塞ぎの魔法をかけてあげるけれど」

 

 

 そう言うと、トムは首を振って、真っ直ぐこちらを見た。

 

 

「……姉さんが一緒なら、何も怖くないよ」

 

 

 その言葉の強さは、幼い声に似つかわしくなかった。どれだけ理不尽な現実であっても、この子は、私の背を信じて前を向こうとしている──その覚悟が、肌に伝わった。

 

 

「強い子ね、本当に……」

 

 

 そう呟いて、トムの頭にそっと手を置き、さらさらの髪を撫でた。

 そのとき、重たい音を立てて応接間の扉が開いた。

 

 

 香水と古い薪の混ざった匂いが鼻をつき、一層豪華なソファには仏頂面の男が二人、並んで座っていた。当主のトーマス・リドル。そしてその息子で私たちの父親──トム・リドル・シニア。ああ、確かに噂通りの美しい男だ。

 

 

 二人とも、私たちを見た瞬間、固まったように動かなくなった。特にシニアの方は、言葉を失ったままトムを凝視していた。あまりに幼少期の自分に似ていたからだろう。

 

 使用人が促すように軽く一礼して、私たちを対面側のソファへと導いた。ふかふかの革張りだ、古びてはいたけれど、威厳は保っている。だが、そこに座ってもお茶も水も出されなかった。

 

 

「……さがれ」

 

 

 トーマスが短く言う。下世話な好奇心を覗かせていた使用人は名残惜しそうにこちらを一瞥し、部屋を後にした。

 

 

 私は静かに腰を下ろし、斜め向かいの父と祖父に目を向けた。

 

 

「ゴーント家の者が……何用だ?」

 

 

 トーマスが低く押し殺した声で言う。隣のシニアは、手を握り締めたまま、俯いていた。

 そこで、モーフィンが低く呟いた。

 

 

「お前の倅が俺の妹を孕ませ捨てた。──妹はもう死んだ。だが、子は生き残った」

 

 

 私は立ち上がり、スカートの裾を少し摘んで優雅に礼をした。

 

 

「初めまして。お父様、お祖父様。──私、リリス・メローピー・ゴーントと申します」

 

 

 トムも隣で少しだけ膝を浮かせ、控えめに呟く。

 

 

「……トム・マールヴォロ・ゴーント、です」

「私は、生まれてすぐ、ゴーント家の扉前に捨てられました。お父様──私のこと、覚えていらっしゃいますか?」

 

 

 問いかけると、シニアの顔色が瞬く間に悪くなった。ハンサムが台無しなほど狼狽えている。

 

 

「……し、知らない」

 

 

 かすれた声で否定する。だが、目は泳いでいた。確かに記憶の底に何かがあるのだろう。──曖昧な、でも消せない記憶。愛の妙薬は、記憶までは霞ませない。全て覚えているはずだ。無かったことに、したかったのかな?

 

 

「本当に?」

 

 

 私はゆっくりと口角を上げ、微笑んだ。じりじりと火を炙るように、言葉を選んで追い詰めていく。

 

 

「……っ……し、死んだと。そう思って──そう聞かされて……!」

 

 

 シニアの声は震えていた。私の視線から逃れようとするその姿は、まるで幼児のように頼りなかった。

 

 

「馬鹿息子が……! 子はいないと言っただろうが!」

 

 

 隣でトーマスが咆哮する。怒声が響き渡り、応接間の空気がぴんと張り詰めた。

 シニアはたじろぎ、青白い顔のまま震える指先を握り締めていた。

 

 

──さあ、ここからが本番だ。

 

 

 私はあくまで穏やかに、しかし静かな力を込めて言葉を紡ぐ準備をしていた。これは家族の温かい再会ではない。取引の始まりなのだ。

 

 

 部屋の空気が、ぐっと重くなった。

 

 

 トーマスとシニアの表情は強張ったままで、空気が重くなる。遠雷のように雲がうごめいている気がした。実際には外は晴れていたが、室内は間違いなく嵐だった。

 

 

「噂で聞いたけどよ──ようやく縁談がまとまりそうなんだって?」

 

 

 モーフィンがふと口を開いた。どこか笑うような声音で、けれど目はまるで蛇のように鋭かった。肘置きに腕を乗せ、足を広げ顎を上げる無礼な態度だったが──嫌に板についていた。

 

 

「ゴーント家の娘と駆け落ちして、妻と子を捨てて戻ってきた男のところに嫁いでくれるなんて、まあ……ずいぶん懐の広い娘さんなことで」

 

 

 その言葉に、トーマスの顔色が変わった。みるみるうちに赤くなり、握ったこぶしが机を叩かんばかりに震える。

 

 

「──っ!」

 

 

 ぎり、と音が聞こえる程奥歯を噛み、トーマスはモーフィンを睨みつけた。血管が浮き出たこめかみがぴくりと動く。

 

 

 当然だ。この話題は、相当痛いはずだった。

 

 

 この情報をくれたのは、数日前に放った蛇たちだった。リドル家の敷地を這いずり、村を徘徊し、壁の隙間から耳を澄ませ、使用人や村人の噂話を盗み聞いた。

 

 

──ようやく現れた、過去の駆け落ちを気にしない女性。

 

 

 見目は芳しくなく、教養もないが莫大な資産の持ち主の一人娘。しかもその娘が、若きトム・リドル・シニアの顔に惚れ込んでいるという。まったく、皮肉な巡り合わせだった。

 

 そして、シニアは──あんなに美しいのに、まるで囚われた鳥のように、ずっと顔を伏せたまま俯いていた。バジリスクでも見たのかと思うほど、石のように硬直している。

 

 

「その婚約者の娘さんは、本当に……全部ご存知なのですか?私と、トムのこと──」

 

 

 私が静かに問いかけると、トーマスの目が私に向いた。

 ゆっくりと、厳しく、あからさまに敵意を含んだ眼差しだった。

 

 

「──将来の旦那様に、子どもが二人もいるってことを?」

 

 

 私が言葉を落としたとたん、トーマスの眼がぎらりと光った。顔色は赤黒くなり、額に浮かんだ血管が今にも切れそうだ。

 シニアはなおも顔を伏せたまま、まるで椅子に縫いつけられたように動かない。

 その沈黙が、かえって答えを物語っていた。

 

 短く沈黙が流れた。

 

 それを破ったのは、もはや喉の底から噴き出すような怒号だった。

 

 

「黙れッ……! 金か、金なんだろう?! 卑しいゴーント家の者が、今さら金をせびりにきたのか!」

 

 

 トーマスが机を叩く。唾が飛ぶ。トムがぴくりと肩を揺らし、目を細めた。

 それを見て、私の頬の笑みは少しだけ冷えた。

 

 

「……いいえ」

 

 

 淡々と、私は言う。笑っているようで、目は笑っていなかった。

 

 

「金銭なんて、後からどうにでもなりますもの。ただ──」

 

 

 ひと呼吸置いて、私は椅子から立ち上がった。幼児には不釣り合いな静かな仕草で、スカートの裾をつまんで胸に手を当て、小さく一礼する。

 

 

「お祖父様。私たち、黙っていてあげますわ。……『あなたの息子には、駆け落ち先で生まれた子どもが二人いる』って話を──その婚約者に知らせないでいてあげる」

「……っ」

「ただし、ひとつだけ対価を頂きます。土地の名義を、村の半分、ゴーント家にくださいな」

 

 

 ぴくりとトーマスの眉が跳ねた。

 私の声は、きっとまだ子どもの高さだった。でも、それがかえって不気味だったのだろう。

 

 

「もちろん、運営には干渉いたしません。村人が路頭に迷うのは見たくありませんから。家畜も商人も、今まで通り。ただ──村の土台が、どなたのものかを、少し変えてもらうだけ」

 

 

 言い終わったあとも、沈黙が続いた。

 トーマスは私を睨んだまま、まるで何か呪いを噛み砕くように口を噛んでいた。

 

 

「……っく、貴様……!」

 

 

 トーマスが奥歯を噛み締める音が響く。

 その隣で、シニアが口を震わせながらぽつりとつぶやいた。顔色は真っ青で、誰とも目を合わせようとしない。

 

 

「……し、知らない。騙されたんだ、あの女に──私は悪くない! 子どもなんて知らないッ!」

 

 

 その言葉に、私は「そう」と呟き首をかしげた。

 

 

「でも、目の前にいるこの子を見て、本当にそう言い切れる?」

 

 

 シニアはびくりと肩を震わせ、恐々と顔を上げトムを見た。

 そして凍りついた。自分を写した鏡のように似た顔が、無言で彼を見つめ返していた。

 

 逃げ場はなかった。

 

 シニアは沈黙して項垂れるが、それが何よりの答えだ。

 

 

 トーマスが舌打ちをして立ち上がる。床がぎぃと軋んだ。震える手で机を叩き、私の方を睨みつける。

 

 

「……四分の一だ。それで我慢しろ」

「四分の一では、私の口も、モーフィン伯父様の口も、うっかり滑ってしまうかもしれません」

 

 

 私は朗らかに笑った。少しだけ顔を傾け、花でも摘むような声音で続ける。

 

 

「──半分で手を打ちましょう。ね、伯父様、お祖父様? 私たち、騒ぎは好きじゃないの、わかるでしょう?」

 

 

 トーマスの頬が、今度は怒りではなく恐怖でひきつった。

 

 色々な思想が渦巻いているのだろう。こんな屈辱的な事を受け入れるべきか、主導権をこんな小娘に、と思っているのかもしれない。

 だけど、私は彼の機嫌を取るつもりは毛頭もないし、留意なんてしてあげない。

 

 確かにリドル家が今持つ土地の半分の名義を渡す事は痛手だろう。だが、今の婚約者との婚姻が確実に結ばれたなら、その婚約者の家が持つ土地や資産がリドル家の物になると、私は知っている。それは、リドル家の所有する土地よりも狭いが、都会にあり価値は比べ物にならないらしい。

 

 

 ぐっと噛みしめた奥歯の軋む音が、沈黙の中に小さく響く。あの傲慢な男が、沈黙に逃げた。それだけで、このやりとりの勝敗は決していた。

 

 彼の中で、きっとあらゆる計算が巡っている。土地の半分を失う痛手と、スキャンダルが露見したときの損失。──あるいは、あの見目の悪い資産家の娘を逃した場合の代償。それらを天秤にかけ、あっけなくも揺れる秤に苛立ちをぶつけているのだろう。

 

 

 その苛立ちを、彼はついに口にした。

 

 

「……わかったよ。卑しいお前らに半分、くれてやる。ゴーントだかなんだか知らんが……喜べよ、家名も面影もない分家の分際でな」

 

 

 吐き捨てるように、嘲るように、トーマスが言い放つ。最後の矜持だったのか、それとも捨て台詞にしては見苦しくないように整えたつもりだったのか。どちらにせよ、滑稽だった。

 

 

 私は一歩、前へと進み出た。

 

 

「まあ……それは光栄ですこと。私は、あなた方の中では『家名も面影もない』分家ですから」

 

 

 トーマスの顔がさっと赤らんだ。モーフィンがくつくつと笑い、頬に指を当てて楽しげにこちらを見ている。トムは、あいかわらず無表情のままだったが、その目だけは真っ直ぐに私を見ていた。

 

 

「では、詳細は弁護士を通して。お便りを楽しみにしておりますわ、お祖父様──それに、お父様」

 

 

 わざと、最後だけは丁寧に頭を下げてみせた。スカートの裾がふわりと揺れる音が、空気に触れて清らかな拒絶のように響いた。

 私に続きモーフィンとトムも立ち上がった。

 

 

 振り返ると、トムが私のすぐ後ろを歩いていた。足取りは軽く、でもどこか緊張がほどけたように穏やかだった。彼は一度も、トーマスを振り返らなかった。それが何よりの答えだと思った。

 

 

 扉を開ける直前、私はふと背後に目をやった。トーマスが悔しげに唇を噛み、シニアを睨みつけている。次の瞬間、手が振り上げられ──乾いた音が室内に響いた。

 

 シニアは抗議の声もあげず、ただ頬を押さえて項垂れていた。

 

 

 

 もう一度、スカートの裾を整えてから私は扉を押し開けた。光が眩しく、冷たい屋敷の中とは違って風が優しく頬を撫でた。

 

 私はそのまま外に出て、石畳の階段を一段ずつ降りていく。傍らを歩くトムの小さな足音が、私の歩調にそっと重なっていた。

 

 

──家名も面影もない家。

 

 

 ええ、それでいい。

 マグルたちは、ゴーント家の名など永遠に忘れていればいいわ。

 

 けれど──魔法界で『没落の名』として嘲られるのは、違う。

 私たちの血が、ただの哀れな遺物として語られるのは我慢ならない。

 

 名誉も、誇りも、すべて失われたように見えても。

 この子の歩く未来に、もう一度『ゴーント』という名が、胸を張れる灯りになるなら。

 

 私はそのために、すべてを使ってみせる。

 

 トムの横顔を見つめながら、私は心の奥底で、ゆっくりと誓った。

 

 

 

***

 

 

 リドル家からの文が届いたのは、それからおよそ一週間後のことだった。

 手紙の文面は、最後の一矢を放つような憎々しさに満ちていた。名家の威厳にすがる、老いた男の矜持。それが滑稽で、少しだけ哀れでもあった。

 

 私はモーフィンとふたり、再び屋敷を訪れた。今回はトムを連れてこなかった。あんな空気の悪い場所に、二度も連れていく理由なんてない。

 

 

 応接間に通されると、すでに弁護士と見られる背広の男が待っていた。無駄のない所作と、感情を感じさせない顔。こちらに興味も好奇心もない、ただの業務としての態度が逆に好ましかった。

 

 

 前回と同じソファに腰を下ろすと、向かい側には一週間で少し痩せたように見えるシニアが座っていた。彼は視線を合わせようとせず、ただ頑なに、床ばかりを見つめている。

 

 机の上に広げられた書類は、リトル・ハングルトン東側の農地、店舗付きの通り、そして林の一部をゴーント家に譲渡する旨を記した正式な契約書だった。インクの香りだけが、場違いなほど鮮やかだった。

 

 

「……ここに、署名を」

 

 

 弁護士の言葉に、トーマスは不機嫌に頷くと、あからさまな苛立ちを滲ませながら万年筆を握った。筆圧が強すぎて、紙が一瞬しわを寄せるほどだった。

 

 

「まったく……得体の知れない連中に……」

 

 

 ぶつぶつと呟きながらも、彼はしっかりと署名した。横で見ていたモーフィンも、これまで見たことがないほど真面目な顔で、自分の名前を書きつける。

 

 

「これで、土地は正式に……我々のものだな」

 

 

 モーフィンが書類をじっと読み込みながら、弁護士に確認する。

 

 

「はい。登記の手続きは我々が行いますので、後日正式な通知が届きます」

 

 

 淡々とした弁護士の口調とは裏腹に、トーマスの額には怒りの汗が滲んでいた。隣で沈黙を守るシニアは、ただ床を見つめたまま、何も言わない。

 

 弁護士が事務的に契約に漏れがない事を確認すると、鍵のついた鞄の中に入れ頭を下げ部屋から出ていった。

 しん、と沈黙が落ちる。ここにいる理由はもうないし、こんな空気の悪いところにいたくもない。

 私は立ち上がり、モーフィンに「行きましょう」と合図をした。

 

 

「まさか、本当に土地を持って帰るとはな」

 

 

 モーフィンが喉奥でくつくつと笑った。笑い声の奥に、ほんの僅かな感嘆が滲んでいるのを、私は知っている。

 

 その時、苛立ちと屈辱を噛み殺しきれなかった男が、ついに怒鳴った。

 

 

「この悪魔──魔女め!」

 

 

 その言葉に、私はふっと息を吐き、髪を後ろに払った。胸を張り、振り返らず、背を向けたまま、笑みを浮かべる。

 

 

──ああ、マグルにとって魔女は最大の侮辱なのね。なるほど、愉快だわ!

 

 

「お前は……魔女だ! 貴様のような子供が、この家を潰す……!」

「おう、それは褒め言葉か? 俺の姪はできる魔女だからな」

 

 

 振り返り、顎をあげ鼻で笑いながら言ったのはモーフィンだった。

 モーフィンが初めて私を褒めた──それがなんだか面白くて、私は「あははっ!」と声を上げて笑いながら一歩も立ち止まらず、ただ肩越しに言った。

 

 

「貴方のお孫さんが飢え死にしないで済むようにしてくださって、感謝しています。……どうぞ、親孝行なお父様と懐の広いお嫁様と、末永くお幸せに」

 

 

 私の皮肉を浴びたトーマスの顔が、みるみるうちに赤くなっていく。怒りが言葉に追いつかず、もはや言葉を失っていた。

 

 

 扉に手をかけた瞬間、背後で鈍い音が響いた。

 

 振り返る必要もなかった。あの男はまた、自分の息子に怒りをぶつけたのだ。名誉も、誇りも、もはや残ってはいなかった。

 

 怒鳴り声と呻き声が重なり、屋敷の奥にまで響く。

 

 私はそれを無視した。モーフィンも、何も言わなかった。

 

 

 

 屋敷を出た途端、広い敷地の中を吹き抜ける風が頬を撫でた。冷たいようで、どこかすっきりとした風だった。

 

 

「……終わったわね」

 

 

 私の隣で、モーフィンが喉の奥でくつくつと笑った。

 

 

「いやぁ、見事だったぜ。最高に上等な魔女ってやつだ。ああいう醜悪なマグルには、それくらい毒を盛ってやらなきゃ目も覚めねぇ」

 

 

 私は肩越しにモーフィンを見て、小さく笑った。

 

 

「……皮肉な言い回し、似合ってるわね」

「本気で褒めてンだ。あのマグル共が唾を吐くように喚いた言葉を、あんたはまるで勲章みたいに塗り替えた」

 

 

 モーフィンはそう言って、私の頭を少し乱暴に撫でた。指先はごつごつとしていて、でも不思議とあたたかかった。

 私は別に、モーフィンみたいにマグルを見下しているわけではないし、彼らに罰を与えたかったわけでもない。

 

 

「私はただ、家族を守りたかっただけよ」

 

 

 小高い丘に建つこの屋敷から、谷間に広がる鬱蒼とした森が見える。その奥に、私たちの家がある。

 あの暖炉のそばで、首を長くして帰りを待っているだろうトムを思って、私はかすかに笑った。

 

 

 

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