ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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20 試し行動

 

 

 

「──あっ」

 

 

 小さな声が洩れたときにはもう遅く、皿は指先から滑り落ちていた。

 「ガシャン!」という甲高い音が床に響き、破片が四方に散る。反射的に肩をすくめ、胸の奥で「あーあ」とぼやいた。

 食器を片付けながら今日の晩御飯を何にしようかな、なんてぼんやり考えていたせいね。うっかり机にぶつかってバランスを崩すなんて、ついてないわ。

 

 

「姉さん、大丈夫? 破片、危ないよ。怪我してない?」

「ええ、大丈夫よ」

 

 

 駆け寄ってきた声に振り向けば、トムが本を閉じて立ち上がっていた。側に寄ると、私のポケットに差していた杖をするりと抜き取る。

 

 

 

「僕が直す──レパロ」

 

 

 慣れた様子でトムが杖を振れば、散らばった破片が震え、逆再生をするようにくっついていく。瞬き一つする間に傷ひとつない皿に戻り、トムはひょいと拾うと食器棚の中に片付けた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 言葉をかけると、トムは目を細め、嬉しげに笑った。その笑顔に、まだ幼さの影は残っているのに、不意に大人びて見えることがある。

 私もレパロくらいはできるけれど、トムが満足そうにしているし、まあいいか。

 

 

 思えば、トムがこの家に来たばかりの頃は、孤児院でろくに食事を与えられなかったせいか、骨ばって痩せ細り、私より背も低かった。それが今では、私を追い越すほどに背が伸び、魔法も私よりも確かに巧みになっている。

 杖を持っていないのは、単に合う杖があのグレーな店でなかっただけで、私の杖なら使えるみたい。──だから、トムはああやって私の杖で魔法を使う。

 

 

 昔、レパロを教えた時は一度では成功しなくて悔しさと焦りでぎゅっと口を結び必死な顔をしていたのになぁ。

 そんなことを思いながら、私の視線よりも高い場所にあるトムの横顔を見ていると、トムはふと視線を落とし、心配そうに私の顔を覗き込んできた。

 

 

「どうしたの? 体調悪い? 姉さんが皿を割るなんて珍しいし……後は僕が片付けるから、休んでて」

 

 

 トムは私の肩をそっと撫でた。

 頬の丸みはまだあるけれど、かなり幼児から少年に近づいたトムは、着々と美少年の顔になっている。涼しげな目元に、通った鼻筋、きめ細かくて白い肌、スラリと長い手足。

 まあ、私──リリスも、トムに似てかなり美少女だから、この外見に慣れてきたとは言え、時々鏡を見て感心してしまったり。

 

 

「ううん、大丈夫よ」

「本当に?」

「ええ。ただ……ちょっと昔のことを思い出していただけ。初めてトムにレパロを教えたときのこと、覚えてる?」

 

 

 くすくすと笑いながら言えば、トムは目を瞬かせ、それから気恥ずかしそうに視線を泳がせた。

 

 

「ああ……うん、覚えてる。……でも、できれば忘れて欲しいな」

「それは無理ね。私、記憶力いいもの」

 

 

 悪戯っぽく微笑むと、トムは肩をすくめて「残念」と呟く。──そんな何気ないやり取りの中にも、トムの成長を感じる。

 

 

  

 トムが初めてレパロを学んだのは、この家に来て半年ほど経った頃。まだ、わずかな警戒心と疑心を手放せずにいた、あの日のことだ──。

 

 

 

***

 

 

 いつもと変わらない一日だった。

 窓から差し込む陽ざしが床に模様を描いて、部屋の空気をぽかぽかと温めている。モーフィンは肘掛け椅子に沈みこんで酒瓶を抱えたまま高いびきをかき、マールヴォロは相変わらず自室に籠もったきり。私は居間で薬草図鑑を広げて、古びた紙面に目を走らせていた。

 薬草の名前とか効能くらいは覚えておいた方がいいよね。森の中に役立つものが見つかるかもしれないし。

 

 

 本の色褪せた文字に目を滑らせていると、視界の端でトムが近づいてくるのを感じた。その足取りはどこか落ち着かなくて、わざと音を立てるように床板を踏んでいる。

 

 この家に来て、もう半年。だいぶ慣れてはきてるけど、まだ完全に心を預けてるわけじゃないんだろうな。……まあ、三年もあんな環境にいたんだもの。すぐに信じろっていう方が無理だ。

 

 

 こういうときは、すぐ反応しないでちょっと待った方がいい。何をしようとしているのか、自分から出してくるまで見守ってあげた方が。

 そう思った私は視線は本に落としたまま、横目で様子をうかがった。

 

  

 トムの瞳が、ちらりと窓辺に置いた花瓶へ向けられた。

 あれは昔、この家の隅で埃をかぶって転がっていたものだ。どうせならと磨き上げて、白い花を生けて飾ってみた。部屋の雰囲気が少しは柔らかくなった気がして、私のお気に入りになっていた。

 

 トムは花瓶の前に立ち止まった。指先がそっと陶器の表面に触れる。その背中は緊張で強張っているようにも見えた。

 そして、ほんの一拍の間を置いて──わざと力を込めるように、手を滑らせた。

 

 

(あ、これは───)

 

 

 花瓶はぐらりと揺れ、重力に逆らえずに床へと落ちた。「ガシャン!」と、甲高い音が居間に響く。破片が散らばり、白い花が床に転がる。

 

 

 ……なるほど、これが“試し行動”ってやつね。

 

 

 私は児童心理学をよく知ってるわけじゃない。少しの知識しかないけれど、トムのように孤児で、里親に引き取られた子どもは慣れた頃にわざと悪い事をするとは、知っていた。

 

 心を預けるのは恐ろしく、だからこそ突き放されてもいいように、先に小さな「試し」を仕掛ける。拒絶されるのなら、心が傷つくのなら早い方がいいと、本能的に思ってしまうのだろう。

 

 多分、今は大切な時なんだ。

 トムは私の反応を鋭く見ている。怒鳴られるか、叱責されるか、無視されるか。あるいは──それでも抱きとめられるか。

 

 

 私は本を置き、立ち上がった。

 トムは息を詰めて私を見た。瞳の奥にあるのは、恐怖と挑戦が入り混じった複雑な色。──「怒られるだろうか? 見捨てられるだろうか?」 そんな声が聞こえてくるようだった。

 

 

「……怪我はしていない?」

 

 

 思った通り、彼の目が揺れた。意外な言葉だったんだろう。小さな拳をぎゅっと握りしめて、ほんの少し首を振る。

 

 

「……してない」

「よかったわ」

 

 

 私はほっと息を吐き、床に散った破片へと視線を落とした。

 

 

「でも、これは危ないわね。花瓶は遊ぶものじゃないの。割れると怪我をするし、片づけるのも大変。……触りたかったら、言ってちょうだい。いっしょに見せてあげるから」

 

 

 トムは黙っていた。小さな肩がこわばり、唇を噛んでいる。視線が私から外され、床に散らばる破片と水溜りの中に落ちる花へと向けられた。

 

 私はしゃがみこみ、杖を取り出した。小さく「レパロ」と呪文を唱える。

 

 

 破片が音もなく浮かび上がり、ひとつ、またひとつと吸い寄せられるように集まる。陶器の表面がかちりとかすかな音を立て、花瓶の形が戻っていく。わずかなひびも跡形なく消え、白い花が再びその中に収まった。

 私はそれを窓辺に戻し、改めてトムを見た。

 

 

「ほら、元どおり。大丈夫」

 

 

 微笑みながらそう言ったが、彼の表情は複雑だった。怒られる覚悟でやったのに、怒鳴られない。むしろ心配され、諭された。その違和感が彼を戸惑わせているのだろう。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 小さな声に、私は首を横に振る。

 

 

「大事なのは怪我をしないこと。そして、壊れるものでは遊ばないこと。──次から気をつけてね」

 

 

 安心させるように肩に手を置くと、強張っていたその体がほんの少し緩んだ。視線を落としたまま、トムは小さくうなずいた。

 

 

 

 

 

 あれから数日後。

 

 その日も特別なことなんてなく、ただ静かに時間が流れていた。曇り空のせいか家の中は少し薄暗くて、トムは机の上に本を開いたまま、視線を窓辺へさまよわせていた。ページをめくる手が止まっているから、きっと頭の中は本よりも別のことでいっぱいなんだろう。

 

 ……また来るな。そんな予感はしていた。

 

 

 そして、その通りになった。

 

 私が台所に立って紅茶を淹れていたとき、居間から「ガシャン!」という音が響いた。慌てて振り返ると、窓辺の花瓶がまたしても床に砕け散っている。水が広がり、白い花がだらりと横たわっていた。

 

 

 トムはその場に立ちすくんでいて、前と同じように強張った顔で私を見ている。けれど、今度はどこか「どうだ」と挑むような光が目の奥にあった。

 

 

「……またやったのね」

 

 

 私はため息まじりに言った。怒鳴りはしない。ただ、少しだけ、呆れた声で。

 トムの肩がぴくりと揺れた。思っていた反応と違ったのか、眉がわずかに歪み、目に狼狽の色が走った。

 

 

「怪我はしてない?」

「……してない」

「ならよかった」

 

 

 私に心配されたトムは、あからさまにホッと肩を落とした。

 怒られない、心配される、どんな事をしても受け入れられる──その気持ちが、トムを癒しているのだとはわかっている。

 

 

──もちろん可愛いトムの事は受け入れてあげるけれど。

 

 

 床に散った破片を見下ろしながら、私は言葉を続けた。

 

 

「でも、今度はあなたが直してごらんなさい」

「……え?」

 

 

 トムの声は震えていた。

 

 

「壊したのはトムなんだから。直すことも覚えてみよう?」

 

 

 その言葉に、トムは顔をこわばらせ唇を噛んで俯いた。

 私がレパロで直すのは簡単なことだ。

 でも、トムには“壊れたものを壊れたまま”にするのではなく、“直す手段”も覚えて欲しい。その手が壊れたものを戻せるのだと、知って欲しいな。

 

 

「……僕、できない」

「できなくて当たり前よ。だから、今から覚えるの。大丈夫、私が教えるから」

 

 

 トムが使える魔法はスコージファイだけだ。自分の杖も持っていないし──なにより、魔法を学ぶ以前に、トムは魔法界の常識や法律を知る方が大切だった。それでも、レパロを知る良い機会かもしれない。

 

 

 私は棚から魔導書を一冊取り出してきて、ぱらりとページを開いた。革の表紙は古びていて、ところどころ指の跡が残っている。そこに記されていた呪文を示して、隣に座るトムへ見せる。

 

 

「レパロ。修復の呪文よ。壊れたものを元に戻す、とても便利で大事な魔法」

 

 

 トムはその文字を見つめながら、不安そうに眉をひそめる。小さな手がわずかに震えていた。

 

 

「さあ、杖を持って。……心配しなくていい。失敗しても、私がいる」

 

 

 トムは口をぎゅっと結び、硬い表情のまま杖を受け取ると、破片の散らばる床に向けた。

 

 

「レパロ……」

 

 

 囁くように唱えたが、破片はぴくりとも動かない。途端に、トムの表情が曇る。

 

 

「気持ちを込めるの。“直してあげたい”って思いを杖に流すのよ」

 

 

 私はそう声をかける。トムは唇をきゅっと結び直し、再び唱えた。

 

 

「レパロ!」

 

 

 その声には、修繕したいという願いよりも、修繕しなきゃ嫌われてしまう。という恐れの方が含まれていた。

 破片はわずかに震え、いくつかが宙に浮いた。──けれど、中途半端にくっついて、歪な形のまま床に落ちてしまう。

 

 

「……できない!」

 

 

 今にも泣きそうな顔。肩が震え、視線が泳いでいる。失敗すれば嫌われるんじゃないか、そう思っているのが痛いほど伝わってきた。

 

 私はそっとその小さな肩に手を置いた。

 

 

「違うわよ、トム。今のは失敗じゃなくて、一歩進んだ証拠。だって、破片は動いたでしょう?」

 

 

 トムがはっと私を見る。私は微笑んで続けた。

 

 

「大丈夫よ、トム。 落ち着いて、もう一度やってみて。……私がいるわ」

 

 

 トムは深く息を吸い込み、もう一度、杖を構える。

 

 

「……レパロ!」

 

 

 破片が一斉に舞い上がり、かちり、と小さな音を立てて組み合わさった。白い花瓶が姿を取り戻し、花もまたその中に収まる。

 トムは杖を掴んだまま、目を大きく見開き私を見た。

 

 

「……できた」

「ええ。よくできたわね」

 

 

 私は花瓶を窓辺に戻し、トムの頭に手を置いた。

 

 

「覚えておいて。壊れたものは直せるの。けれど、壊さないように優しく触れることも大切なのよ」

 

 

 トムの白い頬を優しく撫でる。

 この優しい手つきを、覚えておいて欲しい。

 大きくなって、何かを壊すのではなく、慈しむようになって欲しい。

 

 トムはくすぐったそうに目を細め、頬を少しだけ赤く染めつつ小さく頷いた。

 

 

「うん……ごめんなさい、姉さん」

「いいのよ。……さあ、紅茶を淹れるお手伝いしてくれる?」

「うん!」

 

 

 笑ったトムの目には、確かな安堵と──私を信じようとする光が宿っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 また数日が経った。

 空模様はどんよりして、湿った空気が家の中まで入り込んでくる。モーフィンは肘掛け椅子に沈みこんで、居間の隅でいびきをかいていた。マールヴォロは自室に籠ったまま。……まあ、いつも通りだ。

 

 私は机に向かって、帳面に薬草の走り書きをしていた。すると、視線の端でトムが落ち着きなく歩いているのに気づく。床板をわざとぎしぎし鳴らしているみたいで、嫌な予感が胸の奥にじわっと広がった。

 

 また試し行動かな。多分、トムが本当に安心するまでは続くんだろう。

 レパロは覚えたし、今度は何をするつもりなのかな。

 

 そう考えながら見守っていると、トムは私に──ではなく、寝ているモーフィンに向かった。

 

 モーフィンはいびきをかいて寝ている。

 机の上には飲みかけの酒瓶。

 

 トムの視線がモーフィンから酒瓶へと移り、そのまますっと手を出して酒瓶を押した。

 

 トムは、モーフィンの事も信用したいんだわ。ああ……でも、モーフィンは多分……トムが望むような反応はしないだろうな。

 

 

 居間に「ガシャン!」と派手な音が響いた机の上にあった酒瓶が床に砕け散り、琥珀色の液体がじわりと広がっていく。

 その音でモーフィンが飛び起き、自分のそばにいるトムに驚いて目を開き、そのまま片眉を上げ床を見て──怒りに顔を歪ませた。

 

 

「このガキがぁっ!」

 

 

 怒鳴り声と同時に杖が振られる。トムは体を強張らせた。トムの足首に縄のような光が絡みつき、そのまま逆さまに引き上げられた。

 

 

「うわあああっ!」

 

 

 居間にトムの叫びが響く。

 天井の梁から逆さに吊られ、小さな体がぶらぶらと揺れている。もがいていたトムの顔は血が逆流するせいでみるみる赤くなり、それから真っ青に変わっていく。

 

 

「もうっ、伯父様! 何やってるの!」

 

 

 私は思わず声を荒げて駆け寄る。手を伸ばしたが、トムには届かない。

 

 

「おろしてあげて! 危ないでしょう!」

 

 

 けれどモーフィンは鼻で笑い、椅子にどしんと腰を落とし腕を組む。

 

 

「ふん。自業自得だ。──わざと俺の酒を割ったんだ。吊るされて当然だ」

「当然って……!」

 

 

 私は思わず頭を抱える。

 

 

「伯父様、その瓶三本目でしょ? そこまで大事にしなくても……!」

「黙れ! これは特別な一本だったんだ!」

「特別に安かったんでしょう?」

「うるさい!」

 

 

 不貞腐れたようにそっぽを向くモーフィンは杖を振り、割れた酒瓶を直し、溢れた酒も元通りにした。

 わざと、がわかってるんだから、これはトムの試し行動だってわかってもいいのに! 

 まあ、モーフィンにトムの繊細な心を察して包み込む事は──無理だとわかっていたけれど。

 

 

 モーフィンと言い合っている時間はないかもしれない。トムの顔が限界に近づいている。必死に私を見つめて、伸ばした手が空を掻いていた。

 

 

「ね、姉さんっ」

「大丈夫、絶対助けるから!」

 

 

 杖を構え、「フィニート!」を、唱えて解呪を試みる。けれどモーフィンの呪文はねじれていて、私の魔法は弾かれてしまった。

 これ、いくつか魔法かかっているの? 反対呪文を唱えなきゃ駄目? 私もそれほど魔法知ってるわけじゃないし、こうしている間にもトムの顔色が悪くなっている。

 

 

「……仕方ないわね」

 

 

 私は蛇のゲージに近づき、全ての扉を開けた。

 

 

『トムを助けなさい』

『はい! 姫様!』

 

 

 蛇たちはすぐに反応し、梁をするすると登っていく。

 モーフィンはそれを横目で見ながら「けっ」とつまらなさそうに悪態を吐き、酒を煽った。

 蛇達は牙を立て、縄に食らいつく。硬い魔法の繊維を何度も噛み切ろうと、必死に顎を動かす。

 

 ぱつん。

 

 乾いた音と同時に、縄が切れた。

 トムの体が勢いよく落ちる。

 

 

「わっ!」

「トム!」

 

 

 私は両腕を広げ、全身で受け止めた。衝撃で体が揺らぎ、その場に尻餅をついてしまう。──うっ、痛いけれど、トムに怪我はなさそうでよかった。

 

 

 腕の中の小さな体をしっかり抱きしめる。

 トムの顔は蒼白で、息は荒い。震える指先が私の服をぎゅっと掴み、離そうとしない。逆さだったせいで髪もぐしゃぐしゃだ。

 

 

「大丈夫? 怖かったわね」

 

 

 私は必死に声を落ち着け、彼の髪を撫でた。

 トムは返事もできず、目をぎゅっと閉じていた。小さな肩の震えが腕に伝わる。

 

 あまりの怯えように、ついモーフィンを睨めば、モーフィンは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 

 

「ふん。甘やかしすぎだ」

「甘やかしすぎじゃない! 危うく甥っ子を落として殺しかけてるのよ!」

「俺の酒を割ったんだぞ」

「瓶とトム、どっちが大事なのよ!」

「……瓶」

「今すぐ訂正しなさい!」

 

 

 私は怒鳴りつけつつ、腕の中のトムを抱き直した。

 

 

 

 

***

 

 

 

 あれからトムは少しの間モーフィンを警戒していたし、心を開くまでにかなり時間がかかっただろう。……今も完全に信用しているかというと、微妙かもしれない。家族としての情は互いにあると思うんだけど。今でもよく一緒に蛇の世話してるし。

 

 居間の方から、酒瓶の音がちゃぷんと響いた。どうやらモーフィンがまた飲んでいるらしい。

 

 それを見たトムが、ふっと笑って言った。

 

 

「逆さ吊りは嫌だし、もうモーフィンの酒瓶には触らないよ」

「ん? 今なんか言ったか?」

 

 

 酔った顔でモーフィンが振り返る。

 

 

「なんでもないよ。それより……まだ酒、残ってる?」

「あァ? あー……あとちぃっとな」

 

 

 モーフィンは瓶を振って見せる。

 

 その様子にトムは呆れたように眉をひそめ、私へと視線を送り肩をすくめた。

 

 

「ほらね。モーフィンの酒は尽きない」

 

 

 私も思わず笑ってしまう。

──あの頃のように突っかかることはもうない。今では、こんなふうに軽口を交わせるくらい、モーフィンとも“まあまあ”な関係を築いているんだろう。

 

 

「それに、今は──」

 

 

 ぽつりと、トムは続けた。

 

 

「壊すより、大事にする方がいいって分かった。もう姉さんを困らせたいなんて思わない。僕にとって一番大事な人だから」

 

 

 トムは私の肩に置いていた手を、するりと背中に滑らせそっと離した。

 ここ数年で、トムは本当に感情を言葉に出すのが上手くなったと思う。──少し、甘えすぎな気もするけど。

 

 

「ふふ……ありがとう」

「それに、もしも──何か壊したり、悪いことをしても……姉さんは僕を見捨てないよね?」

 

 

 伏せられた睫毛の影から、そっと不安を滲ませるような声が落ちる。

 

 私はその顔を覗き込み、微笑んだ。

 

 

「当たり前でしょ。そんなこと気にしなくていいのよ」

 

 

 するとトムは、ほっとしたように小さく笑い、私の袖口を指先でつまんだ。ほんのわずかに、子どもっぽく甘えるように。

 

 

「……よかった」

 

 

 ふっと表情が緩む。その顔は幼さを残したまま、私を信じ切ろうとする真剣さに満ちていた。

 

 ──あの小さな試し行動の数々を経て、彼はようやく確信したのだろう。私は決して見放さない、と。

 壊したものは直せるけれど、本当は壊さない方がいい。そう教えたことを、トムは無意識のうちに自分のものにしている。

 

 依存なんて言葉では片づけられない。

 これはきっと、私たちなりの絆であり──あの日の小さな優しさが、トムの中で確かに芽吹いている証だった。

 

 

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