ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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21 誕生日

 

 

 意識が浮かび上がる。

 寒さに毛布を抱き込んだまま、まだ眠っていたいと体がだだをこねる。大人の私が「起きなさい」と囁くのに、子どものリリスが「もう少し」と抵抗していた。

 

 あと少し、あと五分──そう思っていると、ふといい匂いが鼻を掠めた。

 

 

「ん……」

 

 

 これは、甘いバターの匂いね。それと、いつもの紅茶の匂い。……花の深くて爽やかな匂いもする。

 

 幸せな匂いに促されて目を開けて、体を起こす。窓は開いていないし、この匂いは居間から流れているのだろう。私は近くの椅子に掛けていたショールを肩に羽織って、部屋の寒さに肩をすくめながらそっとベッドから抜け出す。

 扉の隙間から洩れる光が、白く床を照らしていた。

 

 

 そっと扉を押すと、柔らかい光と共にふわ、と暖かな空気が私を包み込んだ。

 

 居間に足を踏み入れれば、台所にトムが立っているのが見える。鍋がコトコトと鳴っていて、オーブンも火を踊らせていた。

 黒い髪の輪郭が、薄い朝日に照らされて銀色に見えるその後ろ姿を見ながら、つい立ち止まってしまった。

 

 気配に気づいたのか、トムが振り返る。朝の光に照らされたその顔がふっと和らぎ、目がやわらかく弧を描いた。

 

 

「おはよう、姉さん」

「おはようトム。……早いのね」

「うん」

 

 

 トムは杖を振りコンロの火を緩めて──杖は私のものだ、たぶん、勝手に持ち出したのだろう──笑顔を浮かべて駆け寄ると、そっと手を取った。私よりも大きくて少し細いその手は、いつもよりも暖かかった。

 

 

「寒いでしょ? 暖炉のそばに座ってて」

 

 

 促されるままソファに腰掛けると、体を包み込む炎のぬくもりに安心して肩を落とした。ショールをかけなくても十分に暖かいわね。

 膝に軽く畳んで乗せていると、いつの間にか台所に戻っていたトムがぱたぱたと足音を立てながら再び近づく。なんだか今にもスキップしそうなほど、ご機嫌だった。

 

 

「紅茶いれたよ。砂糖一つにミルク少しだよね?」

「ええ、ありがとう」

 

 

 トムは丁寧に紅茶を淹れると角砂糖を一つ落とし、ミルクを垂らした。ふわっと乳白色に広がるのを見届けて、スプーンで一混ぜし「どうぞ」と机の上に置く。横には宝石のように綺麗なジャムタルトまで添えられていた。

 

 朝ごはんを作るのは私の役目で、たまに早く目覚めたトムが作ってくれる事はあった。

 それでも、ここまで──紅茶にタルトまでつけられていたのは初めてで驚いてトムを見上げる。

 トムは柔らかく口先を引いていたけれど、私の「どうしたの?」という視線に気付くと少し緊張するように唇を結び、落ち着かない様子で私の隣に座った。

 

 

「姉さん」

「なあに?」

「十歳の誕生日おめでとう」

 

 

 トムは赤い綺麗な花束を私の前に差し出した。

 冬には決して見られないはずの薔薇やダリアが、こんなに鮮やかに咲き誇っている。言葉が出ないほど感動して息をのんで見つめる私に、トムは不安そうに唇を噛み、視線を揺らした。

 

 

「……ありがとうトム、嬉しいわ」

「……!」

 

 

 そう言った途端、トムはほっと表情を緩めた。

 花束を抱きしめるように受け取り、トムの頭に手を伸ばす。もう私より背は高いのに、撫でられると子どものように目を細める。その表情がとっても可愛くて、愛しくて──胸がくすぐったい。

 

 

「花を咲かせる魔法なんて、いつの間に練習したの?」

「夜に少しずつ。……うまくいって良かった」

 

 

 

 花に顔を近づけ、その匂いを胸いっぱいに吸い込めば、トムは白い頬を嬉しそうに緩ませ、それでいて得意そうに笑った。

 

 

「ケーキも作ってるし、楽しみにしてて」

「ええ、すっごく楽しみ」

「それに、今日の家事は全部僕がするから。姉さんはゆっくりして」

「え? でも──」

 

 

 流石に悪い、と言おうとしたが、トムは笑顔で首を振り、「今日は姉さんが好きなことをして?」と優しい声で言ってきた。私の方がお姉さんなのに、なんだか甘えたくなるような声音で──私は小さく頷くしなかった。

 

 私が頷いたのを見ると、トムは満足げに笑い、「ゆっくりしてね」ともう一度念押しすると立ち上がった。

 今から朝食の仕上げをするのだろう。その楽しげな背中を見送った私は、腕の中にある花束を見下ろす。

 

 

「……伯父様に頼んで枯れないようにしてもらわなきゃ」

 

 

 今までも、幼い時にトムが道で詰んだ野花を私にプレゼントしてくれた事はあった。もちろんそれも嬉しくて押し花の栞にして、愛用している。

 でも──この花束はそれとは意味が異なる。誕生日の時に、トムが魔法を使って、花束を作り出してくれたんだ。……一生の宝物になるだろう。

 

 

 

 それから私はトムに甘えてソファに座り紅茶を飲みながらゆっくりと魔導書を読んで過ごしていた。

「おまたせ」の声に手を止めてテーブルに向かえば、いつの間にかたくさんの料理が並べられていて、思わず目を丸くする。

 

 焼き立てのスコーンに、ベーコンと卵、ソーセージ、マッシュポテト、ベイクドビーンズ、スープ──朝食の定番がずらりと並んでいる。いつもより豪華で、小さな手でここまで整えたのだと思うと、胸がじんと温かくなる。

 

 

「すごい……トムが用意したの?」

 

 

 私が問いかけると、トムは誇らしげに笑みを浮かべた。

 

 

「うん。全部、僕が。……モーフィンたち呼んでくるね」

 

 

 トムは私の肩を優しく撫で、椅子に座らせると、モーフィンとマールヴォロを呼びに行った。

 

 この家に住む全員が席に着き、暖かな紅茶がカップに注がれる。

 いつものように仏頂面のまま席に着いたマールヴォロは、黙ってナイフとフォークを手に取り、無言で食べはじめる。表情に変化はないけれど、皿の上はみるみるうちに片付いていった。あれはあれで「気に入った」の証なのだと私は知っている。

 

 モーフィンはといえば、出された皿に勢いよく食らいつき、頬を膨らませながら「うんめえ」と低く唸っていた。

 

 私は熱々のスコーンにジャムをのせて口に運ぶ。外はほろっと香ばしく、中はふんわりと柔らかい。甘い香りが口いっぱいに広がって、自然と笑みが零れた。

 

 

「美味しい!」

 

 

 そう言うと、向かいに座ったトムの目がふわりと細まり、安心したように笑った。

 

 

「よかった。……誕生日のケーキはね、三時のおやつに出すつもりだから」

 

 

 にこっと笑って言うトムに、胸の奥がくすぐったくなる。

 そのとき、がつがつとスコーンを平らげていたモーフィンが、口をもぐもぐさせたまま眉をひそめた。

 

 

「誕生日だァ?」

 

 

 怪訝そうな顔に、トムはわずかに呆れたようにため息をついた。

 

 

「今日は姉さんの誕生日だよ」

 

 

 モーフィンはちらとこちらを見て、「ふん」と鼻を鳴らし、またスコーンにかぶりついた。

 

 私は吹き出しそうになるのを堪えて、トムと視線を合わせる。トムは肩をすくめてみせ、私はつい小さく笑ってしまった。──きっと、モーフィンは誰の誕生日も覚えてないのだろう。

 

 

 

 食事が終わると、食器を片付けるのもトムが引き受けた。慣れた手つきで水を張り、皿を洗い上げていく後ろ姿を眺めながら、私はソファに腰を下ろす。

 

 指先には毛糸を掛け、最近夢中になっている編み物に手を動かす。魔法で編む事もできるみたいだけれど、私は糸の手触りも好きだしこうやってひと編みずつ作り上げていくのが嫌いじゃない。──マールヴォロは、編み物をしている私を嫌がるけれど。ま、気にするだけ損ね。

 

 

 マールヴォロは私が動かすかぎ針を嫌そうに見た後早々に自室へ引き込み、モーフィンは肘掛け椅子に沈み込み、朝から酒瓶を傾けている。──まあ、いつも通り。

 

 けれど部屋には、紅茶と焼き菓子の匂いがまだ残っていて、朝からの特別な温もりが漂っていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 午後、窓の外の曇り空にふと光が差した頃、居間のテーブルにタルトが運ばれてきた。

 色とりどりのベリーが宝石みたいに並んでいて、艶やかな赤や紫がクリームの上にきらめいている。

 

 

「姉さんの好きなベリーのタルト。……おめでとう」

 

 

 トムがそう言って差し出してくれた。

 胸がいっぱいになり、思わず声が弾む。

 

 

「わあ……! すごい、綺麗……!」

 

 

 フォークを入れれば、サクッと軽やかな音がして、甘酸っぱい香りがふわりと立つ。ひと口食べた瞬間、口の中いっぱいに広がったのは優しい甘さとベリーの酸味。

 

 

「美味しい!」

 

 

 笑顔でそう言うと、トムの表情が安心したようにふわっと綻んだ。

 

 ふと横からじーっと視線を感じて振り返ると、モーフィンが酒瓶を抱えたまま、タルトを凝視している。──まるで子どもみたいに。

 

 私は思わず笑って声をかけた。

 

 

「伯父様も一緒に食べましょう? 誕生日ケーキは、みんなで食べるのが一番美味しいのよ」

 

 

 モーフィンは鼻を鳴らしたが、結局どさりと腰を下ろし、トムが切り分けたタルトを大口を開けて頬張った。

 

 

「……うめぇな」

 

 

 その一言に、私もトムも思わず吹き出しそうになった。トムは少し照れくさそうに、それでもどこか嬉しそうに微笑んでいる。

 

 

 

 タルトを食べ終える頃、私はわざとらしく──すこし悪戯っぽくモーフィンに視線を向けた。

 

 

「ねえお父様。私への誕生日プレゼントはないの?」

 

 

 普段“お父様”なんて呼び方はしない。

 書類上は養子だからそう呼べるけれど、わざわざ口にする時は決まって悪戯半分だ。

 モーフィンは分かっているのか、酒瓶をぐいとあおって鼻を鳴らした。

 

 

「はん、俺にたかる気か?」

「普通の父親は、こんなに愛らしい娘に誕生日プレゼントの一つでも用意するものよ。ひどい父親だわ!」

「チッ……まあ、棚の上にある干し肉でもやる」

 

 

 モーフィンはめんどくさそうに顎を上げ、戸棚の上を指した。

 その答えに私は声を立てて笑い、肩を揺らす。

 

 

「やっぱりひどい父親だわ!」

 

 

 横でトムが小さく吹き出した。

 モーフィンは「好きに言え」とそっぽを向いて酒を煽ったが、その口先が上を向いているのを私は見逃さなかった。

 

 

 そんないつも通りの和やかな空気の中、不意にモーフィンが口を開いた。

 

 

「そういやトム、おめぇ、この前作ってた──」

 

 

 言いかけた瞬間、トムがはっとして、珍しく鋭い声で割り込んだ。

 

 

「モーフィン!」

 

 

 その視線の強さに、モーフィンは言葉を飲み込む。──まるで、口を塞がれたみたいに。

 私はきょとんとした。

 

 

「なあに? 何か作ってたの?」

 

 

 問いかけると、トムは「あー」とか「うーん」とか、珍しく視線を彷徨わせ言葉を探している。普段の彼にはない焦燥ぶりだ。観念したように立ち上がると、「待ってて」と言い残して部屋へ消え、少しして小さな何かを持って戻ってきた。

 

 

「……その、これ」

 

 

 差し出されたのは、小さな木彫りの猫だった。

 

 手のひらにすっぽり収まるほどの大きさで、すっと背を伸ばして座り、凛とした表情をしている。木目は丁寧に磨かれ、すべすべとした表面は光を受けて柔らかに輝いていた。

 

 

「……プレゼントにしたかったんだ。だけど、あまりうまく作れなくて」

 

 

 気恥ずかしそうに視線を落とすトムに、胸の奥がじんわりと熱くなる。

 

 

「……これ、私に?」

 

 

 私が問うと、彼は小さく頷いた。

 本当は渡すつもりがなかったのだろう。どこかそわそわと落ち着かない。──不安そうにしている。

 

 ああ、この子はそうなのよね。

 何故か“完璧”でありたがる。完璧なトムじゃないと、私に愛されないとでも思っているのかしら。

 どんなトムも、変わらず私のかわいい弟なのに!

 

 

「欲しいわ!」

「え、でも──」

「とっても上手にできているわ。猫の表情も素敵だし、ほら……手に馴染むもの」

 

 

 私はひょいとトムの手から取り、両手で包み込むようにして笑った。

 トムは照れながらも微笑み、少し視線を伏せる。

 

 

「姉さんが幸せになりますようにって……そう願いながら作ったんだ」

 

 

 その声に胸の奥がきゅっとなる。

 感激していると、目線を上げたトムのまつ毛がふるりと震え、その奥の瞳が私をじっと見つめた。

 ああ、トムって本当に──かわいい。

 

 

「……ありがとう。本当に嬉しいわ」

 

 

 木彫りの猫を大切に抱きしめていると、トムがふと私の前に立ち、少し真面目な顔になった。

 

 

「……姉さん、僕の姉さんとして生まれてきてくれて、ありがとう」

 

 

 改めて告げられるその声は、普段より少し低くて、胸の奥をくすぐるようにじんわりと響く。

 なんだかこっちまで照れくさくなって、私は笑いながら両手を広げた。

 

 

「ふふっ! トムのおかげで、最高の誕生日よ」

 

 

 そう言えば、トムはぱっと表情を和らげ、にっこり笑ってためらいなくその腕に飛び込んできた。

 抱きついてきた体は九歳の少年らしい軽さだけれど、その腕の力は意外と強くて、私の背中をぎゅっと掴んで離さない。

 

 

「来年も、その次も、ずっとお祝いするよ。だから──姉さんはずっと僕の姉さんでいてね」

 

 

 耳元で囁かれたその言葉に、胸の奥がほんのり熱くなる。

 私はくすくすと笑いながら、その髪を撫でて答えた。

 

 

「当たり前よ」

 

 

 その言葉を聞いたトムは、安堵と喜びを一度に浮かべて、子どもみたいに「うん」と頷いた。

 でも、その目に灯っている光は、子ども以上にまっすぐで、少しだけ甘くて……あまりに大切そうに私を見ているものだから──胸の奥がきゅうっと掴まれる。

 

 

 赤い花束も、ベリーのタルトも、木彫りの猫も。

 どれも私の宝物になったけれど、一番甘くて愛しい贈り物は──「ずっと姉さんでいてね」とすがるように囁いた、トムの声。

 

 

 ああ、この子にとって私は唯一なんだ。

 あの日の夜から、それは変わらないんだ。

 

 

 そう思ったら、胸の奥がとろけるようにあたたかくなって、抱きしめ返す腕に力がこもった。私も嬉しいし、私の中のリリスもすごく喜んでいるのがわかる。

 

 誕生日は、一年に一度しか来ない。

 でも、こんなふうに誰かに「ずっといて」と願われることは、一生に一度だって巡ってこないかもしれない。

 

 

 ああ、この子は私の何よりも大切な宝物だ。

 

 

 頬を寄せると、トムの吐息が頬にかすかに触れてくすぐったい。けれど、それさえも幸せで仕方がなかった。

 

 

「……ありがとう、トム」

 

 

 小さく囁くと、彼はにっこり笑って「どういたしまして」と返す。

 その笑顔は、子どもの無邪気さと、大人びた深さが不思議に混じっていて──どちらにしても、私にとっては世界で一番眩しいものだった。

 

 

 十歳の誕生日。

 私は一生忘れない、大切な一日を迎えたのだ。

 

 

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