屋根裏の片付けを終えて居間に降りる。
机に広がったままの見取り図を手で押さえ、見取り図の周りに書かれた魔法陣に誤りがないかを丁寧に確認していく。
「うん、大丈夫そう……さて──ここからが本番よ!」
魔法での改築は難しいことじゃない。そういう魔法がしっかりとあって、大人なら間違えることは少ない──と、本には書いてあった。
まあ、モーフィンも改築魔法なんてしたことないかもしれないし、一度見てもらった方がいいかもしれないわね。
アクシオで本棚から家の改築や修繕について書かれている本を引き寄せ、ぱらぱらと捲る。
うん、家の間取りと材料はしっかりと用意したし、設計図に魔法陣も刻んでる。
外観を変えないようにするのは少し応用が必要だったけど、魔法界ではよくある方法らしいし、そこまで複雑な魔法ではない。
「後は、改築魔法を唱えるだけ……なんだけど」
私は設計図をトントンと指で叩き、視線を横に流す。
「伯父様、お願いします」
「……はあ? ンで俺がやらなきゃなんねェんだ」
「私、一応まだ子どもなので。もし失敗したら……今日は野宿よ?」
「……仕方ねェな」
モーフィンは気怠そうに眉をひそめ、渋々設計図を覗き込む。
羊皮紙の上に細かく刻まれた魔法陣を睨みつけては、ぶつぶつと呪文を繰り返し口に出し、杖を試しに振ってみる。
「……こうか? いや、待て、違ェな……。ちっ、ややこしい呪文だな」
普段は豪快に呪文をぶっ放すくせに、こういう複雑な術式は苦手らしい。まあ、私もできるかどうか……あまり自信はないけど。
モーフィンの口元がむっつりと固くなり、肩に力が入っている。
隣で見ていたトムも、「本当に大丈夫?」と少し心配そうだ。
その時、その様子を見ていたマールヴォロが、低く「どけ」と言った。
「なッ──」
モーフィンが文句を言いかける前に、マールヴォロはぐいと彼を押しのけた。
「おまえの雑な杖捌きで家が崩れてたまるか」
「……チッ」
モーフィンは渋面で舌打ちし、背を曲げながら後ろに退いた。……ほっとしているところを見ると、あまり自信なかったのかな。
マールヴォロは無言で設計図に目を落とす。
長い指が羊皮紙をなぞり、暗い視線が改築魔法が書かれた本の上を這う。少しして古びた杖をすっと持ち上げ、設計図に書かれている魔法陣を撫でていき──文字が青白く輝く。
空間がざわり、とざわめき、ゲージの中にいる蛇たちは何かを感じ取ったのか、落ち着きなさそうに鳴き声を上げた。
気がつけば、設計図に呼応するように部屋の隅に青白い光が走っていた。トムは驚いて目を見開き、息を飲んでその様子を見つめている。
マールヴォロが呪文を唱える声は低く、抑えられているのに、どこか蛇の這うような響きがあった。
次の瞬間──。
居間の床が小さく震え、天井がきしむ音を立てる。
外観はそのままなのに、壁が奥へと押し広がり、個人の部屋の扉が上に持ち上がる。空いた空間が蠢き、廊下がすうっと伸びていく。昔からそこにあったかのように階段が音もなく立ち上がり、二階の部屋が組み上げられるのが見えた。
「凄い……!」
私は思わず声を上げ、目を見張った。
窓が一つ、また一つと形を整え、梁はきれいに組み直され、天井に空気の通り道まで作られていく。外から見れば古びた平屋のまま──けれど中は、光が流れ込む新しい二階建てへと変貌していく。
トムは呆然と口を開けて天井を見上げていたが、やがて足元の伸びていく板を見て足を上げ、目を輝かせて私の袖を引いた。
「姉さん……すごい。まるで生き物みたいに家が動いてる」
「ええ……本当に」
言葉を失うほどの精緻さと力強さだった。
もちろん、マールヴォロも普段から魔法を使う。とはいえ、ここまで大掛かりな魔法を見たのは初めてであり、設計図通りに家が作り替えられていくのは、見ていて面白い。
マールヴォロは呪文を止めると、一度ぐるりと部屋を見渡す。変なところに扉がついていないか、穴が空いていないかを確認した後、息ひとつ乱さぬまま居間の椅子に腰を戻した。
「……終わった」
その声は淡々としていて、まるで「こんなことは大したことではない」とでも言いたげだ。
モーフィンは鼻を鳴らして視線を逸らし、トムはまだ胸を高鳴らせたまま新しい階段を見つめていた。
私は手を合わせるように胸の前でぎゅっと握り、笑みを抑えられなかった。
「ありがとう、お祖父様」
「……フン」
マールヴォロは興味なさそうに顔を背けると、緩慢な動作で日刊預言者新聞を広げだした。
「後もう少しよ! この木箱を、全部書斎に移動させて片付けて、後は部屋の確認をしましょう」
私の声に、トムとモーフィンは頷いた。
トムは小さな体で木箱を抱えようとしたけれど、その前にモーフィンが杖を一振りしてひょいと浮かせ、二階まで運んでしまった。
階段の手すりは滑らかで、まるで昔からそこにあったかのような自然さだ。屋根裏から出てきた風景画も壁に飾られていて、海や花畑の絵が廊下を明るくしていた。埃まみれだったものが、こうして光を浴びると、なかなか見栄えがある。
新しく生まれた階段を上がると、二階の廊下はほのかな魔法の光に照らされていた。
壁紙は派手さのない、柔らかなクリーム色。真新しいのにどこか落ち着いていて、今までの薄暗い屋敷の雰囲気を和らげてくれている。
等間隔に掛けられたランプには、小さな炎のような光が揺らめいていた。近づいて見ると、白い球のようなものが入っていることに気づく。
見慣れない明るさにトムは瞬きを繰り返し、やがて口元を緩めた。
「……前より、ずっと明るい」
「ええ。これなら夜でも安心して歩けるわね」
廊下の突き当たりには、大きな額縁がひとつ。屋根裏の隅から出てきた、どこかの湖畔の風景画だ。朝焼けなのか夕暮れなのか、橙と青が混ざる空の下で、水面がきらきらと光っている。多分、時間と連動して空の色も変わるんだろう。
廊下の右手には三つの扉が並んでいる。
手前から私の部屋、次にトムの部屋、そして一番奥がモーフィンの部屋。扉はどれも同じ造りだから、ちょっとわかるようにネームプレートでもつけるべきかもしれないわね。
左手側、階段を上がってすぐの扉は新しく作られた書斎。扉を開けた書斎には、大きな本棚が何台も並んでいる。まだ本で埋まっていない棚は少し心許ないけれど、暖炉や机もあり、調べ物にはうってつけだ。
モーフィンは覗き込み──あまり本を読む事が好きじゃないからか、嫌そうに鼻をならして木箱の中にある本を本棚の中に移動させた。
あの音楽が込められている水晶玉も、棚を買って片付けないとね。──今は、とりあえず部屋の端に箱ごと置いておきましょう。
書斎の隣、廊下の突き当たりの左側がマールヴォロの部屋だ。勝手に開けて中を確認するわけにもいかないし、後で本人が確認するだろう。
天井を見上げれば、あの隠された屋根裏に続く特徴的な鱗模様の木目もあった。
「大丈夫だとは思うけど、部屋の中を確認してきて。伯父様の部屋は右手の一番奥ね」
「おう」
モーフィンは楽しそうに自分の部屋へ向かい、扉を開けて「おお」と声を上げた。どうやら気に入ったらしい。
「さ、トムも行ってきて。家具はまだ少ないと思うから、また買いに行きましょうね」
今まで私とトムと二人で一つの部屋だった。
今までの部屋は、ベッドと洋服ダンスはそれぞれにあったけど、姿見や机や椅子は、一台しかなかったから、個人の部屋になるとかなり殺風景に見えるだろう。
「……うん」
トムは小さく頷いたが、目に先ほどまでの興奮の輝きはなく、何故か悲しそうに目を伏せていた。
……やっぱり、部屋が別れた事がそんなに嫌だったのかしら。でもこればっかりは頷けないものね。
肩を落として自室に行くトムに、あえて言葉はかけなかった。
私も自分の部屋へ入る。
……うん、あるのはベッドと小さな洋服ダンスと机だけ。机の上には花瓶が一つあって、綺麗な赤い花がいけられている。引き出しの中には、トムからもらった物が大切に収められていた。
うん、こういうのを飾る場所も欲しいし、カーテンもレースのものに変えようかしら。部屋のランプもちょっと古すぎるから、シンプルなものにして……いっそのこと、アンティーク家具で揃えて雰囲気を統一して……。
自分だけの部屋がある、と思うと内装を整える想像に胸が高鳴るし、やっぱりテンションが上がる。
ワクワクとしながら「ここに棚を置いて」「こっちに丸い机を置こうかしら」と考えていると、背後で床板がぎし、と鳴った。振り返れば、戸口にトムが立っていた。
「トム、どうしたの?」
「姉さん……」
呼ぶ声はひどく小さく、今にも泣き出しそうに掠れていた。その目は普段の大人びた光を失い、子どもの不安に揺れている。
私は眉を寄せたが、すぐに微笑んで「どうしたの」ともう一度柔らかく声をかける。
トムは一瞬ためらい、ゆっくりと近づき、唇を噛んだまま視線を彷徨わせ──やがて意を決したように顔を上げた。
「……僕、邪魔だった?」
その言葉に胸がひやりとした。
けれど私は、慌てることなく一歩近づき、俯いたトムの顔を覗き込む。
「邪魔? どうしてそんなふうに思うの?」
落ち着いた声で問いかけると、トムは視線を泳がせ、やっと吐き出すように言った。
「……別の部屋にって。僕と離れたいからなのかと思って……」
その震えた声音に、私はようやく事情を理解する。
──なるほど。そんなふうに受け取ってしまったのね。まあ、ずっと一緒だったものね……。
小さく息をつき、トムの肩にそっと手を置いた。
「違うわよ。あなたが成長してきたから、自分の部屋を持った方がいいと思っただけ」
ゆっくりと、言葉を噛みしめるように伝える。
「離れたいなんて思ったこと、一度もないわ。それに、部屋は隣で安心でしょう? すぐに声が届くもの」
トムの瞳がかすかに揺れた。まだ半信半疑といった色が残っている。
私は彼の髪をくしゃりと撫で、優しく微笑む。
「私にとって、トムは何よりも大切。邪魔だなんて思うはずがないわ」
しばらくの沈黙ののち、トムは小さく息を吐き、肩の力を抜く。──そして、安堵の色がようやく目に灯る。
「……ほんとうに?」
「ほんとうに」
即答して、今度は彼の頬に触れる。まだ、丸みが残る少年らしい頬に、僅かに色が灯った。
ようやく彼も少しだけ微笑みを返し、胸に手を当ててほっとしたように息をついた。
「……よかった」
「もし、怖い夢を見たらいつでも私の部屋に来てもいいからね?」
今までベッドは別とはいえ、同じ部屋で寝ていた。人の気配があるのとないのとでは違うだろう。やはり心細かったり不安だったりするのかもしれない。そう思ったけれど、トムは少し目を見開き、眉を下げて困ったように笑った。
「……僕、もうそんなに子どもじゃないよ」
「……あ、そうよね」
ついつい、子ども扱いしてしまう。……いや、九歳はまだ子どもなんだけど、夜に怖い夢を見て泣いてしまうほど幼くはないわよね。
「でも……」
トムは薄く微笑み、そっと私の髪を指に絡めて言った。
「何もなくても来てもいい?」
その声音は甘えるように低くて、幼さと大人びた色が混じっていた。
私は思わず笑って頷く。ふふ、なんだかんだって、やっぱりまだ夜が怖いのかな?
「ええ、もちろんよ」
その答えに、トムはようやく安心したように微笑んだ。
私はトムの頬から手を離し、軽く笑った。
「疲れたでしょう? ティータイムにしましょうか」
不意に差し出した言葉に、トムは少し驚いたように瞬きをして、それからほっと表情を緩め、小さく頷いた。
「……うん。姉さんが淹れてくれる紅茶、好きだよ」
「ふふ、それは嬉しいわ。じゃあ、一緒に降りましょう」
トムは素直に隣へ寄り添い、私の歩調に合わせる。廊下を並んで歩き、階段へ向かう途中で、彼がふと口を開いた。
「……僕、部屋が別でも、姉さんと過ごす時間は減らないよね?」
私は笑って首を振る。
「減るどころか、これからもっと楽しい時間が増えるわ。書斎だってあるし、夜には一緒に紅茶を飲んで本を読めるでしょう?」
「……そっか」
トムの声は、安堵に満ちていた。
ぎし、と新しい階段を降りる足音が、二人で重なる。
そのとき、ふいに私の手の甲に、かすかな温もりが触れた。横を見ると、トムが何も言わずに、そっと指先を重ねてきていた。視線が合い、トムの目が優しく弧を描く。
子どもらしく頼るようでいて、大人びた仕草のようでもある。私は声を立てずに笑い、握り返すことはしなかったけれど、手を引くこともしなかった。
するとトムは安心したように、ほんの少しだけ力を込めて握り返してくる。
見下ろした先には、暖炉の火が揺れる居間の明かりが待っていた。
そうして私たちは、そっと触れ合ったままの手をそのままにして、ゆっくりと居間へ向かって歩いていった。