ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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25 入学準備

 

 

 ホグワーツへの入学の準備をするために、ダイアゴン横丁へやってきた。

 ミルデン横丁でも雑貨は揃うけれど、教科書と杖だけはここじゃないと手に入らない。

 

 ミルデン横丁のパブから漏れ鍋へ煙突飛行ネットワークで移動し、ちらちらと雪が降るダイアゴン横丁へと足を踏み出す。

 地面は踏み締められた雪がしっかりと固まっているけれど、油断したら滑ってしまいそう。この前にお金をおろしに来たのは夏だったから、その時と比べて横丁全体が少し静かな気がする。雪で、音を吸われているのかもしれない。空は薄く白い雲が広がっているだけだし、これ以上冷え込んだり天気が大きく崩れることは無いだろう。──まあ、天候が最悪な時に買い物なんてしたくないから、比較的いい天気の日を選んだのだけれど。

 

 

「トム、寒くない?」

 

 

 私の隣を歩くトムを見上げて聞けば、トムはちょうどもこもことした黒いマフラーを鼻下まで引き上げているところだった。ダイアゴン横丁特有の極才色の広告を見ていた視線が、私にうつり柔らかく細められる。

 

 

「大丈夫。僕らが暮らす村の方が寒いしね」

「ふふ、それもそうね」

 

 

 私たちが暮らす村は極寒──というわけでは無いけれど、活気と人気がないからか、なんとなくここよりも寒い気がする。

 早く日が落ちるこの季節は、ミルデン横丁も、マグルの村も、人はみんなアフタヌーンティーの時間には家に帰り閑散としてしまう。まあ、寒いし娯楽があるわけじゃないから仕方のないのかも。

 

 そうは言っても、私もトムもそれ程寒さに強いわけではない。厚手のウールコートにマフラー、防水性のあるブーツとしっかりと防寒性のあるものを着ている。トムの肌は雪のように白いけれど、鼻先と丸い頬だけが寒さでほんのわずかに赤くなっていて──かわいい。

 

 

 買い物の荷物は、いつものようにトムが持ってくれていた。

 私はリストと財布だけ入れた小さなバッグだけを提げて、拡大呪文をかけた大きなトートバックは当然のようにトムの肩にかかっている。誰が決めたわけでもないのに、いつの間にかそういう役割になっていたらしい。

 横目に見える横顔は、どこか誇らしげで、少しおかしくて──思わずマフラーの中で笑みを噛み殺した。

 

 

「じゃあ、まずは教科書ね」

「うん」

 

 

 雪の気配に沈む横丁で、店先のランタンだけが橙色の光を投げている。

 魔法使いたちは分厚いコートに身を包み、鼻先を赤くしながら談笑しているし、屋根の上ではフクロウが羽を膨らませて身を寄せ合っていた。

 私は何度目かのこの通りを、いつもより少しゆっくりと歩いた。

 特別な高揚はもうないけれど、ミルデン横丁よりずっと種類が多く、彩度の高いものがそこかしこにあふれている。その鮮やかさが、雪の気配の中でやけに際立っている気がした。

 トムは私の半歩後ろにぴたりと付き、何気ない仕草で人混みから私を守るように歩いてくる。その距離感が妙に頼もしくて、胸の奥がぽっと温かくなった。

 

 

 

 フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の扉を押し開ける。店に入った途端、暖かな空気と共に紙の乾いた匂いと、インクの甘い匂いがふわっと体を包んだ。この、書店の香りはどことなく懐かしくて落ち着く。

 

 天井まで届く棚には、ぎゅうぎゅうに本が詰め込まれていた。

 背表紙の列を見ているだけで圧倒されてしまうけれど──まずは入学準備、よね。

 

 

「トム、私がこの四冊探すから……残りの四冊をお願いできる?」

 

 

 流石に一人で探すとなると時間がかかりそうだし、トムにも手伝ってもらおう。

 トムは私の手元へ顔を寄せ、リストに記された文字を真剣に追ったあと、ふっと柔らかく笑った。

 

 

「もちろん。すぐに見つけてくるよ」

「じゃあ……どっちが早く揃えられるか競争ね」

 

 

 声を潜めてそう告げると、トムの目元が途端に明るくなる。

 普段は大人っぽく澄ました顔をしているくせに、こういうときだけ年相応の少年に戻るのだから、本当に可愛い。

 

 

「負けないよ」

 

 

 挑むように囁く声が、ほんの少し弾んでいた。

 

 

「じゃあ……よーい、どんっ」

 

 

 優しく、明るく変わるその表情は、きっとトムが“健全に育っている証”だ。そう思うと、なんだかすごく、嬉しい。

 

 トムはすぐさま背筋を伸ばし、棚の間へすい、と滑り込むように消えていった。

 その横顔は「絶対に姉さんより早く見つけて褒めてもらう」そんな心の声が聞こえてきそうなほど、わくわくが隠し切れていなかった。

 

 よし、私も負けていられないわ、とリストを手に反対方向へ向かう。

 

 トムの軽い足音がかすかに聞こえる。毎日聴いているんだもの、間違えるはずのないその音が、時々止まっては早足で進み、喜びを表現するようにとん、と跳ねている。

 

──あの調子なら、本当にすぐ見つけてしまいそうね。

 

 

「ふふっ」

 

 

 思わずこぼれた笑い声に、近くにいた客が怪訝そうにこちらを見た。

 私は慌ててマフラーを指で押し上げ、頬の内側を噛んで笑みを隠す。

 

 ……だめね。外にいるときくらい、少しはしっかりしないと。

 

 マフラーの中に入り込んでしまった髪を指先で引き出し、肩へ流す。気持ちを切り替え、私は棚の背表紙を一冊ずつ丁寧に追いはじめた。

 

 

 『初級魔法薬書』は──あった、これね。次は、『基本的な呪文集』……隣の本棚に呪文集のコーナーがあったから──これこれ。えーっと、次に『魔法史改訂版』は、ちょうど真向かいにあったような──。

 

 本棚の迷路を進みながら、私は三冊の本を片腕に抱えていた。

 

 魔法薬学、呪文学、魔法史の三つは意外とすんなり見つかったけれど、残りの変身術の教科書だけが見当たらない。

 というより、変身術に関係する本棚が多くて探しきれない。まさか上の方にあるのかな? でも、新一年生が用意する本なんだから、そんな変な場所にはないと思うんだけど……。

 

 棚を一列ずつゆっくり辿りながら、ため息をつきそうになったそのとき。

 

 

「姉さん!」

 

 

 弾む声が背後から聞こえた。振り返るとトムが両腕に四冊の本を抱え、ぱっと花が咲くみたいな笑顔で立っていた。

 

 

「全部見つけてきたよ」

 

 

 その声には自信と嬉しさが混ざっていて、駆け寄ったトムは「褒めて!」というように本を見せてくる。

 

 

 

「まあ! すごいわ。四冊全部?」

「うん。全部そろった」

「ありがとう、本当に嬉しいわ」

 

 

 誇るように本を少し持ち上げて見せるトムは、まだ十歳とは思えないほど整った笑顔で、子どもの可愛さと少年らしい得意気が絶妙に共存していた。

 

 そして、私の腕に抱えられた本の数に気づいたのか、トムはにっこり笑って、胸を張った。

 

 

「僕の勝ちだね」

 

 

 誇らしそうに言う姿が可愛くて、思わず笑ってしまう。

 

 

「負けちゃったわ。変身術の本だけ、どうしても見つからなくて」

「それなら──確か、四列隣の棚にあったよ」

 

 

 まるで案内するように言いながら、トムは自然な動作で私の腕に抱えていた三冊をすっと受け取った。

 

 

「え、ちょっと……重くない? 私が持つわよ?」

 

 

 驚いて手を伸ばすと、トムはその手をやんわりと避け、ふるふると首を振った。

 

 

「大丈夫。僕が持つよ」

 

 

 朗らかで、ゆるがない声音。

 その言い方が、なんだか“大切なものは僕が守る”と言っているみたいで、胸の奥がふわっと温かくなる。

 

 

「ありがとう。じゃあ……変身術の本、最後に取りに行きましょう」

「うん。一緒に行こう」

 

 

 四列隣の棚に向かうと、すぐに目的の変身術の本が見つかった。

 レジで会計を済ませると、トムは当然のように本をトートバッグに全て入れて肩にかけた。扉へ向かえば、背筋を伸ばし、まるで紳士のように出口の扉を開けてくれる。

 

 書店を出ると、冷たい空気が頬を刺し、口から出た息が白く輝きながら空に溶けていった。

 

 

「姉さん、足元気をつけて。雪で滑りやすいから」

 

 

 トムはそう言うと私に片手を差し出した。驚いてトムの顔を見ると──私を見る目はどこまでも甘い優しさを孕んでいて、私はつい嬉しくなってそっとその腕に掴まる。

 

 

「ありがとう。次は服を仕立てに行きましょう」

「うん、こっちだよ」

 

 

 まるでエスコートするように、トムはゆっくりと歩き出した。少し前までは、一緒に手を繋いで買い物に行っていたのに……本当に、いつの間にかこんなに大きく頼もしくなって……。

 なんとなく、世間のお母さんの気持ちがわかる気がする、なんて思いながらトムにひかれるまま『グリムフェルト洋装店』の扉を押した。

 

 

 

 扉を押すと、小さな鈴の音が響き、店内の柔らかな灯りが視界を満たした。

 

 グリムフェルト洋装店は、ミルデン横丁の簡素な雑貨屋とはまったく違う。壁は落ち着いた木のパネルに覆われ、その上には淡い柄の壁紙。暖かなランプの灯りが、店内を金色に染めている。

 

 左右の棚には、きちんと折りたたまれたシャツが色ごとに美しく並べられ、中央には木製のハンガーラックがあり、滑らかな生地のローブが深い色から明るい色までずらりと吊り下げられていた。

 濃紺のカーテンの奥は、試着室に続いているのだろう。壁には夏の湖畔の風景画が飾られていて、時折り青々とした葉が風に揺れ、水面が銀色に輝いていた。

 

──こんな“ちゃんとした洋装店”に入るのは初めてだわ。

 

 ミルデン横丁では仕立て屋どころか、服屋なんてなくて、雑貨屋の隅に雑多に積まれた既製服を買うしかなかった。……まあ、舞踏会に行くこともないから、困らなかったけど。

 ちゃんとした洋装店、といってもそこまで高級店らしい店構えじゃないから、多分これが普通なんだろう。それにしてもこうして布が丁寧に扱われている光景は、とても新鮮だった。

 

 

「いらっしゃいませ」

 

 

 カウンターの奥から、灰色の髪をきちんと結い上げた年配の魔女──おそらく店長だろう──が姿を現した。体つきはふくよかで、けれど動きはしなやか。子どもの私を見ても面倒がる素振りはなく、ふわりと温かな笑みを向けてくれた。

 

 

「ホグワーツの制服ローブの採寸かしら?」

「はい、九月に入学するんです」

 

 

 そう答えると、店長は「まあ、それはおめでとう」と柔らかく目を細めた。

 

 

「ここで必要なものは全部揃いますよ。……そこの坊ちゃんもかしら?」

 

 

 入り口付近で布地の棚を眺めていたトムが、声に気づいてこちらを見る。トムはいきなり話しかけられた事に少々戸惑いつつ、小さな声で「いえ」と否定し首を振った。

 

 

「私の弟なんです。来年、お世話になると思います」

「あら、そうなの。お姉さんとお買い物だなんて、素敵ね」

 

 

 店長がにっこり笑いかけると、トムはほんの一瞬だけ動きを止め、すぐに外向きの微笑を作り「はい」と答える。丁寧で礼儀正しい微笑みと答えに、店長は満足げに頷く。

 ……意外と、トムって人見知りするのよね。とても頭がいいからこうやって完璧に外面を取り繕うことができるけど、どう見ても作った微笑みだった。

 

 

「さあ、こちらへどうぞ。──ああ、ちょうど、もう一人丈を合わせているところよ」

 

 

 店の奥には、踏台と大きな全身鏡が二つ並んでいる。他の魔女の仕立て師が、ローブの裾に長いピンを手際よく打ち込んでいる最中だった。

 

 暮らしている村には同じ年頃の魔法使いは居ないし、なんだか少し新鮮だ。私は店長に言われるままにコートとマフラーをとって棚の上に置き、隣の踏台の上に乗りながら、鏡越しにその女の子をチラ見──いや、盗み見していた。

 

 

 身長は私よりも高い。

 肩の下までふわりとうねった濃い茶色の髪は、まるで夜の波のように柔らかい。前髪に半分隠れた黒い瞳は、垂れ目がちで少し儚げだ。

 

 観察していると、その視線に気付いたのか女の子もまた、鏡越しに私を見てきた。──おっと。変に思われちゃうかな。

 とりあえず、にこりと笑いかけて見ると、女の子は驚いたように前髪の奥の目を見開き、きゅっと薄い唇をつぐむ。驚いたように瞬きをして、すぐに俯く。数秒後にはまた、小鳥のようにそっとこちらを見てくる。

 

 ……可愛い子だわ。

 

 

「あ、あの……あ、あなたもホグワーツ?」

 

 

 おずおずとかけられた声は、緊張のせいかほんの少し震えていた。

 

 

「ええ、九月に入学よ」

 

 

 店長の「手を横に伸ばしてね」の声に従いながら、返事をすれば、女の子はまた唇を噛んで視線をうろうろと彷徨わせだした。

 採寸しているローブからチラリと見えている白い手が、ぎゅっと拳を握る。ひどく緊張しているけれど、どこか決意を滲ませた顔で、女の子は少々引き攣った笑みを浮かべた。

 

 

「あ……わ、私も、なの。つ、つつ、次っ、入学で……ッ」

 

 

 口元はたしかに笑おうとしている。──けれど、その笑みはまるで「長い間、笑ったことがありません」と訴えるようにぎこちなく、張りついたみたいに引き攣っていた。

 言葉もひどく吃ってしまい、声を出すたびに頬が赤くなったり青くなったり、今にも涙が滲みそうに目元が揺れていた。

 その不器用な必死さに私が思わず目を瞬いたのを見て、少女はハッとしたように唇を噛み、ぱたんと視線を落とした。

 

 

 店長と店員は忙しなく動き回り、床を靴底が打つ軽い音と、宙に浮いた鋏が布を切り揃える音だけが店内に心地よく響いている。

 その静けさの中で、私は鏡越しではなく、彼女の方へとそっと顔を向けた。

 

 

「私、リリス・ゴーント、あなたは?」

「あ──」

 

 

 その途端、俯いていた女の子はパッと顔を上げ、鏡の中で視線が合わないとわかるとすぐにこっちに顔を向ける。

 

 

「わっ、わたっ……私、マリア。マリア・プリンス」

「マリア……私、田舎の村に住んでいて同じ年頃の魔女の知り合いが居ないの。仲良くしてくれたら嬉しいわ」

「ッ……! わ、私も──」

「こらこら、動くと針が刺さって危ないですよ」

 

 

 マリアはぱっと表情を明るくしたが、はしゃぎすぎて店員に注意され、慌てて前を向き、しゅんと肩を落とした。

 

 こういう子、今まで身近にいなかったから新鮮だ。トムはあんなに大人びているし……でも、昔のトムはマリアみたいに、気持ちがそのまま顔に出ていたっけ。

 

 ふっと笑ってしまうと、マリアは鏡越しにちらりと私を見て、声を出さずにぎこちなく微笑み返してきた。

 

 採寸の間はどうしても暇だし、同い年の子と話すのは新鮮だ。せっかくだし、もう少し話をしてみようかな──。

 

 

「……私、ホグワーツについてあまり詳しくないの。……あなたはどこの寮が良いとか、あるの?」

「え、えっ……私、は……私の、家族はみんなス、スリザリンで……」

「まあ、そうなの? じゃあ同じ寮かもしれないわね」

 

 

 スリザリン気質がこの子にあるのかは、正直わからない。マリアのことをまだよく知らないし──ただ、“家族みんなスリザリン”というのなら、きっと純血の、伝統的な家系なのだろう。見た目の印象とは少し違うけれど。

 

 私自身がスリザリンに入るのかもまだ分からない。けど、ゴーント家だし、血筋的にはスリザリンの流れを汲んでいるわけで……自分の気質を考えても、あの寮に選ばれる可能性は高い気がする。

 

 

「……そ、そうだったら、いいな。……でも、わ、私は、兄さんみたいに賢くないから……」

「あなたはあなたよ、マリア」

「……」

 

 

 マリアは少しだけ元気づけられたように微笑んだ。

 

 

「さあ、終わりましたよお嬢さん」

 

 

 先に採寸を終えたマリアが、店員に「はい、降りていいですよ」と声をかけられ、慌てて踏台から降りた。

 その仕草はどこか名残惜しそうで、まだ私と話したいのだというのが一目で分かる。鏡越しに、そして直接こちらを、ちらちらと窺っていたけれど店員に「こちらへ」と促されれば逆らえないらしく、肩を落としたまま、とぼとぼとカウンターへ向かっていった。

 

 私も前を向き直り、動かないように姿勢を整える。

 布がするりと肌をかすめ、ピンがカチ、カチ、と留められていく音が耳に心地良い。

 

──からん。と、軽いベルの音がして、視線だけ鏡へ向ける。

 袋を受け取ったマリアが、扉を押し開ける直前、またこちらを見た。

 

 目が合うと、彼女は胸の前で小さく、ぎこちなく手を振った。

 思わず、鏡の中の自分のローブの端から手を出してひらりと振り返す。

 

 するとマリアは、ぱっと表情を緩め、ほっと肩の力を抜いて──今度は先ほどよりも嬉しそうに、手を振りながら外へ出ていった。

 

……トムとはまた違った可愛らしさね。この年頃の女の子ってこんなにピュアだったかしら?

 

 

 少しして私も採寸を終え、ローブやシャツを購入した。すぐに待っていたトムが近づいてきて、大きな紙袋に入った服を受け取る。

 

 

「ありがとう」

「ううん」

 

 

 トムは首を小さく振り、穏やかに笑ってトートバッグにしまった。……あれ?

 

 店長に「丈が合わなくなったら来てね」と言われ店を出て、数歩歩いたところで、私はふと足を止め、半歩後ろにいたトムへ向き直った。

 

 

「トム」

「どうしたの?」

 

 

 トムも立ち止まり、首を傾げる。

 その顔をじっと見る。なんとなく、さっきから違和感があった。

 

 

「ちょっと、こっち向いて」

 

 

 そう言って、つん、と指先で白い頬をつつく。

 トムはまばたきをして固まった。

 

 

「な、何……?」

「どうして、拗ねてるの?」

「──……」

 

 

 言い返すこともできず、トムはぴしっと表情を止めた。

 

 ほら、図星。

 

 トムは昔よりずっと表情が柔らかくなったし、優しい顔も覚えた。けれど、外では“きちんとした弟”でいようとする癖があるから、拗ねた時ほど逆に不器用に隠す。

 でも、何年も一緒に暮らしてきたんだもの。あの微妙な口元の固さや、目の泳ぎ方の癖なんて、全部知っている。

 

 黙ったままのトムの言葉を待ちながら、その同じ色をした目をじっと見つめる。

 するとトムは、観念したように一度だけ小さく息を吸い──ほんのわずかに、目尻を緩めた。

 

 その微かな変化は、他人なら見落としてしまうほどのものだった。

 けれど、私にはすぐに分かる。拗ねている時のトムの、あの子どもっぽさが一瞬だけ滲む。

 

──その瞬間だった。

 

 横を、買い物袋を提げた魔女たちが談笑しながら通り過ぎていく。

 トムはハッとしたようにまばたきをし、首を僅かにすくめ──一瞬でいつもの整った無表情へ戻った。

 

 

「……こっち」

 

 

 低い声でそう囁き、私の手をそっと取る。

 その動作だけは幼いくせに、不思議と急かすような強さがあった。

 トムは一度だけ周囲を見回し、何も言わずに私の手を引いた。人通りの少ない脇道へ入ると、表通りのざわめきがすっと背後へ遠ざかる。石畳の冷たさと、古びた煉瓦の匂いだけが残った。

 

 ようやく足を止めたトムは、離さず握っていた私の手をそっと離し、私に向き合う。私の目が話し出すのを待っているとわかると、言いたくないけど言わざるを得ない、というように口先を、むに、と尖らせた。

 それはまぎれもなく、トムの“甘え”が顔を出した瞬間だった。

 

 

「……姉さんが、僕の知らない人と仲良くしてるのを見ると……落ち着かないんだ。本当に、僕を置いてホグワーツに行くんだって……そう、思って」

 

 

 その声は小さくて、言いながら自分でも恥ずかしいのか、マフラーの端を指でいじって、視線が落ちていく。普段の大人びた態度なんてどこへやら、本当に年相応に幼く見えた。

 

 

「私に友達ができるのが……嫌なの?」

「……だって……」

 

 

 その一言に、胸をぎゅっと掴まれた。かわいい。滅多に使わない、年相応の、子どもみたいな言葉。そんな弱音を言うなんて──よほど堪えていたのね。

 

 にやけそうになる口元をどうにか押し留めながら、私は両手を伸ばし、トムの冷えた頬をそっと包み込んだ。指先に触れる肌が、思ったよりもひんやりしていて、それだけで抱きしめたくなる。

 

 

「大丈夫。私に友達ができても──一番は、あなたよ?」

 

 

 ゆっくり言葉を落とし込むように告げれば、トムのまつげが小さく揺れた。

 

 

「……本当……?」

「ええ。だって、私のたったひとりの弟だもの」

「……姉さん……」

 

 

 トムはほっと吐息を漏らし、私の手の上に自分の手を重ねた。その仕草があまりにも慎ましくて、触れた温度がわずかに震えていて──胸が、じん、と熱くなる。目を閉じ、擦り寄るように「……ン」と喉の奥で鳴らす声が、甘えるという行為にまだ慣れていない感じで、たまらなくいじらしい。

 

 私はそっと手を下ろし、息を整えた。

 

 

「買い物続きだったし……少し休憩しましょう? さっきの角を曲がったところに、ホットチョコレートの屋台があったわ」

 

 

 トムは目を開けた。まだほんのり不安が残っているのか、私の手を握ったまま離さない。その指が、かすかな力で縋るように絡む。

 

 

「……マシュマロ、入ってるかな……?」

 

 

 その声は、いつもの自信に満ちたトムのものではなく、ただ「甘いものを姉さんと飲みたい」だけの、幼い少年の声だった。

 

 私は軽く笑って、繋いだ手をそのままにした。

 

 

「きっと入ってるわ。甘くて、ふわふわのやつがね」

 

 

 トムは安心したように息を吐き、私にだけ見せる子どもっぽい動作で、そっと私の指を握り返した。

 

 

 甘えるように繋いでいた手も、大通りに出ればトムは名残惜しそうに最後に指先を絡めて、そっと離した。幼児ならともかく、十を超えて姉と手を繋いでいる場面を人に見られたくはない、そういう微妙なお年頃なんだろう。成長が嬉しいような、少し悲しいような。

 

 私たちは並んで歩き、甘い匂いを漂わせる屋台へと近づく。丸眼鏡をかけた魔女は湯気の奥から「いらっしゃい」と気さくに話しかけた。

 

 

「ホットチョコレート、二つお願いします」

「はいはい。二シックルだよ」

 

 

 言われた金を渡せば、魔女は杖を振り、チョコレート色の丸くて大きな壺の中からリボンのようにホットチョコレートを取り出し、紙コップの中に注ぐ。隣にあるガラス瓶にみっちりと詰められたパステルカラーのマシュマロが、三個ほどふわりと浮かび、ぽちゃんとホットチョコレートの中に沈んだ。

 

 トムはそれを両手で受け取り、屋台から少し離れた軒下の方へ目配せをする。先に向かうその後を追い、煉瓦壁に背を預けながら紙コップを一つ受け取った。

 

 

「いい匂いね」

「うん。……あつっ」

「ふふ、火傷しないようにね」

 

 

 頬にあたる暖かな湯気と、甘い匂いが疲れた体にじんわりと広がっていく。家ではクリスマスとか、本当に寒い日にしかホットチョコレートは作らないけれど、ジンジャーが体を芯から温めてくれるし、もうちょっとつくろうかしら。マシュマロもいいけど、甘さ控えめの生クリームも捨てがたいわ。

 

 ホットチョコレートをほとんど飲み終えつつそう考えていると──。

 

 

 ──どさっ。

 

 

「きゃっ……!」

 

 

 突然、雪の上で何かが派手に倒れる音がした。思わず視線を向けると、色とりどりの買い物袋が雪の上に散乱し、その中心で女の子が尻もちをついていた。

 

 

「いたたた……。ああ、またやってしまいましたわ……!」

 

 

 黒いモコモコの帽子の下から、金糸のような髪がふわりとほどけている。厚手のマントの裾は濡れ、足元を見ると──どう見ても雪道には向いていない、細いヒールのブーツ。

 

 立ち上がろうとしても足を挫いたらしく、女の子は痛そうに顔を歪め、小さな声で呻いていた。

 私は空になった紙コップを近くのゴミ箱へ投げ入れ、そのまま駆け寄った。

 

 

「大丈夫? 手、貸すわ」

 

 

 差し出した手に、少女はぱっと顔を明るくし、感謝の色を宿した瞳で私を見上げた。

 

 

「まあ……! ありがとうございます……っ、いてて……」

「足を挫いたのね。保護者の方は?」

「今日は一人ですの。──本当に、わたくしったらドジで……。もうすぐ入学ですのに、ひとりで買い物くらいできますわ、と言って家を出たのに……お恥ずかしい限りですわ……」

 

 

 私の手を借りて立ち上がった少女は、右足に重心を掛けないようにしながらしょんぼりと肩を落とした。

 喋り方も、所作も、品がある。服もどう見ても上等な高級品。けれど、どこか抜けている。そんな不思議な可愛らしさのある子だ。

 

 

「ちょっと見せて。……ああ、少し腫れてるわね」

「まあ……どうしましょう……」

 

 

 ブーツを脱がせて確認すると、案の定、足首が赤く腫れていた。典型的な軽い捻挫だろう。

 保護者がいないというなら、魔法を使うほかない。

 

 

「……フェルーラ」

 

 

 白い包帯が杖先から飛び出し、彼女の足首をしゅるしゅると巻いた。驚きに目を見開く少女にブーツを履かせてやると、そっと両足で立ち直った。

 

 

「まあっ……! 痛みがありませんわ! ありがとうございます、ほんとうに……──でも、待って。未成年で……しかも、その手つき……もしかして、あなた、まだ入学前の方ですの?」

「ええ、そうよ」

「まぁ……なんて素晴らしい方なのでしょう! わたくし、ロジエール──アニエス・ロジエールと申しますわ」

 

 

 アニエスは慣れた優雅な所作でスカートの端をつまみ、上品に一礼した。その頬はうっすらと上気していて、感激が隠しきれていない。

 

 

「私はリリス・ゴーント。よろしくね」

「ええ、ぜひ……! あっ、あなたも、荷物を──」

 

 

 周りに散らばっていた荷物を集めてくれたトムに、アニエスはぱちりと目を瞬かせ──そのまま固まった。

 

 トムが当たり前のように袋を差し出す。白い指先、背筋の伸びた所作、氷のように澄んだ横顔。

 

 ほんの一瞬、アニエスの頬がぱあっと薔薇色に染まった。

 

 

「あ、ありがとうございますわ……」

 

 

 その声は先ほどよりも一段高く、かすかに震えていた。

 トムはといえば、ただ静かに「いえ」と短く首を振るだけ。まるで何も気づいていないみたいだ。

 

 まあ……トム、かっこいいものね。

 

 誇らしい気持ちが胸に広がる──のに、同時に、胸の奥で小さな火種みたいなものが、ちり、と熱をもった。

 なんだろう、この感じ。嫉妬なんて、そんな子どもじみたものじゃないと思いたい。うん。

 

 けれど、トムを見つめるアニエスの目があまりに真剣で、くるりと巻いた金髪の間からのぞく横顔まで熱を帯びていて。

 

 胸の内が、ほんの少しざわついた。

 ……これじゃあ、さっきのトムと同じじゃない!

 

 

「本当に、助かりましたわ。お礼を差し上げたいのだけれど……時間が──。ホグワーツで、改めてお礼をさせてくださいませ。それでは、ごきげんよう!」

 

 

 アニエスは優雅に礼をしてから駆けだす──その直前、ちらり、とトムだけを振り返った。

 その一瞬で、ますます頬が赤く染まり、慌てて顔をそむけて走り去っていく。

 

 

「転けないように──」

「大丈夫ですわっ!──きゃ、っ……!」

「……気をつけてね」

 

 

 案の定またよろめいたけれど、ぎりぎり踏みとどまり、恥ずかしそうに小さく笑って雪の向こうに消えていった。

 

 私とトムは顔を見合わせる。

 

 

「……絶対、また転ぶわね」

「うん」

 

 

 軽く笑い合いながら歩き出す。

 けれど私の胸の奥には、アニエスが最後に見せた“真っ赤な横目”の余韻がまだ残っていた。

 

 トムをちらりと見上げてみたけれど、その表情はまるで変わらない。アニエスがあれほど頬を赤くしていたのに、この子には届いていないらしい。鈍いのか、それとも本当に関心がないのか……考えれば考えるほど、胸の奥にふわりと甘くてくすぐったいものが灯った。

 

 

「……さて、あとは杖と雑貨ね。もう少しだけ頑張りましょう」

「うん。姉さん、疲れてない?」

「大丈夫よ」

 

 

 答えると、トムはそっと目元を緩めた。その優しいまなざしが、今はたしかに私だけに向けられている──その事実が、胸の奥をじんわりと温める。

 

 わかってる、今だけだって。

 トムは──もう、トム・リドルではない。愛を知らずに、愛を疎む子ではない。だから、きっとホグワーツで真の友だって、恋人だって、できるだろう。

 それまで、このトムの視線を独り占めしたいと思うのは──きっと、私のわがままね。

 

 そんな気持ちを胸にしまい込みながら、私はトムの隣に立ち、雪の音を踏みながら次の店へ歩き出した。

 

 

 

 

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