ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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世界を整える
29 コンパートメントでの出会い


 

 窓の外の景色は、いつの間にか街並みからのどかな田舎へと移り変わっていた。煤けたレンガや建物の影は消え、代わりに、鮮やかな緑の丘がなだらかに連なっている。丘の向こうには、ぽつぽつと白や黒の点が見えた。距離がありすぎて判別はできないが、放牧されている羊か牛だろう。

 

 ホグワーツは、たしか随分と辺鄙な場所にあったはず。きっと、到着まで、まだ時間はかかりそう。

 

 列車がガタンと揺れた。──次の瞬間、座席越しに鈍い衝撃が伝わり、思わず呻く。……クッションが薄くて、跳ねるたびに、身体に負担がかかるのがはっきりわかる。

 

──このまま数時間は、少し厳しいかな。

 

 『におい』と呼ばれる未成年の追跡が、いつから有効になるのかは正確には知らない。ホグワーツに入学してからなのか、それとも入学前からなのか。朧げな記憶の中で、確か──入学前の汽車の中でハーマイオニーが魔法を使っている描写があったような気がするし、多分、大丈夫だろう。

 

 そう判断して杖を膝の上で軽く持ち直し、座席に向けて小さく振る。

 煎餅のように薄く硬かったクッションがふわりと波打ち、かすかに膨らんだ。腰を下ろしてみれば、程よい柔らかさになっていた。──よし、これで移動中の負担は減るわね。

 

 私は静かに息を吐き、トランクを開けた。革と紙とインクの匂いが広がる。新しい教科書特有の、少し乾いた匂いだ。

 

 教科書を開く。勉強をするのはマールヴォロに「最上であれ」と言われたから、というわけではない。──確かに、あの言葉が頭の片隅に残っているのも事実だけど。成績優秀の方が将来的に、色々と都合がいいだろう。

 

 勉強自体は嫌いじゃない。早めに教科書を揃えて予習も済ませてあるし、一年生の範囲なら特に問題はないだろう。むしろ、きちんとやれば優秀な成績は取れる。

 もうとっくに意識は成人しているから、知識の吸収も整理もわかっている。

 

 厄介なのは、魔法史だ。

 

 元の世界で言えば、歴史や政治、社会に近い科目。この世界での生活もそれなりに長くなったけれど、固有名詞や地名は依然として馴染みにくい。

 ページをめくるたびに現れる知らない名前が、どうにも頭に定着しない。

 

 それでも、避けては通れない。

 

 私は本を開き、魔法史の教科書に視線を落とした。列車の揺れに合わせて僅かに揺れる文字を追いながら、意識を集中させようとしたとき──。

 

 トントン、と控えめなノックの音がした。

 出鼻を挫かれる、ような気になりつつ視線を上げる。

 

 

「どうぞ」

「す、みませんっ! あ、あああのっ――ここ、あ、空いてますか? 他は満員で……」

 

 

 吃り、遠慮がちに開かれた扉からそっと顔を出したのは、疲れた顔をした少女──マリア・プリンスだった。

 目の下に隈があり、髪の毛もぼさぼさ。入学前からかなりくたびれた様子の彼女は、カーテンのような前髪の隙間からチラリと視線をあげた。

 目があった瞬間、「ひゅっ」と息を呑んだのが聞こえた。マリアもまさか座っているのが私だとは思っていなかったの、激しく狼狽し、視線を泳がす。……かなり緊張しているらしい。

 それでも意を決したようにぐっと唇を噛むと、勢いに任せて口を開いた。

 

 

「あっ! あ、あの、わ、私──この前……」

「マリアでしょう? もちろん覚えているわ。──どうぞ、入って」

 

 

 笑って空いている向かい側を指差せば、マリアはぱっと表情を明るくして「ありがとう」とはにかんだ。……控えめな笑顔が可愛い。ちゃんと顔出して背筋伸ばせばいいのに。

 

 マリアは重そうなトランクを網棚へ乗せるために懸命に持ち上げようとしているけれど、その白い細腕ではどう考えても無理だろう。といっても、私もそんなに力がある方じゃないのよね……マリアより背は低いし。

 

 

「他に誰も来ないと思うし……下に置いたらどう?」

「あ、ああっ! そうよね、わ、私ったら……」

 

 

 びくり、と肩を震わせて、マリアは額の汗を手の甲で拭いた。トランクを客室の隅へ押しやる動作はどこか『怒られないように』気を張っているように見える。

 

 そして座った途端、背を丸めて身を縮め、私をちらちら見た。目が合うと慌てて逸らして、また見て、また逸らして──それを繰り返すたび、赤みが耳や首筋まで広がっていった。

 まるで「見たいのに見てはいけない」と自分に命令しているみたいで、私は耐えきれず、小さく吹き出す。

 

 

「ふふ……どうしたの? そんなに固くならなくていいのに」

「あっ! そ、その──え、ええっと、きょっ、今日は、い、いい天気ねっ」

 

 

 マリアが慌てて絞り出した声は上擦り、途中でひっくり返っていた。

 かなり勇気を出したのに、うまく言えなかったことが焦りを呼び、その焦りがさらに吃りを強くする。──まさに、悪循環だ。

 恥ずかしさに耐えきれないのか、真っ赤だったマリアの顔はみるみる色を失い、白を通り越して青ざめていく。

 ……そこまで緊張しなくてもいいのに。自尊心も肯定感も、きっと驚くほど低いのだろう。私はこの子の事をよく知らないけど、優秀な兄がいるって言ってたっけ?

 気がつけば泣きそうな顔になってるし、落ち着かせてあげないと。

 

 

「……ふふ、そうね。入学に相応しい天気だわ」

 

 

 わざとゆっくり、落ち着いた声で返して、笑いかける。

 マリアは『怒られない』とわかったのか、信じ難いと言うように目を見開き──次の瞬間には引き攣った表情を緩めた。多分、今まで注意されたり怪訝な顔をされたり、笑われることばかりだったんだろう。

 マリアは安心したように肩の力を少しだけ抜いて、ぎこちないけれど、ほっとしたように小さく微笑んだ。

 

 空気が軽くなった時、再び扉がノックされ、開いた。

 

 

「失礼致します。こちら、空いてますか?」

 

 

 扉の隙間から差し込む光に、プラチナブロンドがさらりと揺れた。

 私と目が合った瞬間、現れた少女の整った顔立ちがひまわりみたいにぱっと明るくなる。こちらが何か言うより早く、彼女は迷いなくコンパートメントに入り、空いていた私の隣へ腰を下ろした。

 

 

「まあ! お久しぶりですわ! わたくしのこと、覚えていらして?」

 

 

 ずい、と身を乗り出し、キラキラした瞳で覗き込んでくる少女──アニエス・ロジエール。

 会ったのは一度きりだけど、もちろんしっかり印象に残っていた。

 

 

「ええ、アニエスでしょ? 久しぶりね」

「ふふっ、会えて嬉しいですわ。ご一緒してもよろしい?」

「私は大丈夫よ」

「わ──私も」

 

 

 マリアはアニエスの勢いに押されるように、少しおどおどしながら頷いた。そのまま背筋を伸ばして座り直すけれど、落ち着かないのは隠しきれないらしい。

 膝の上にそろえた両手が、行き場を失ったように重なり合う。指先がそっと擦れ合って、ほどけてはまた絡み、もじもじと小さく動いていた。……本当は嫌だったのかな。

 マリアの心境に気付かないのか、気にしていないのか、アニエスは嬉しそうににこにこと笑いながらポケットから杖を出し軽く振った。

 

 

「あら、トランクがたくさん。……ウィンガーディアム レヴィオーサ」

 

 

 杖先から銀色の光が出て、入り口に置かれていた彼女のトランクと、私とマリアのトランクを包む。ふわりと浮かび上がった三台のトランクは、それぞれきれいに網棚におさまった。

「すごい……」とマリアが思わず漏らした感嘆に、アニエスは誇らしげに胸を張る。

 

 

「わたくし、ずいぶん勉強いたしましたの。……リリス、あなたに追いつきたくて。あの日、素晴らしい魔法を見せてくださったでしょう? あれが忘れられませんの」

「ええと……ありがとう」

 

 

 私に、と言われるとは思っていなかった。

 あの日私が使ったのは、確かフェルーラで、派手な魔法じゃない。全く大した事はないけれど──美しい海色の目をキラキラと輝かせているアニエスは可愛いし、悪い気はしないからいいか。

 

 アニエスは今度はくるりとマリアへ向き直った。

 

 

「マリアも、いくつか魔法が使えるようになりました?」

「え、あ……」

 

 

 不意に話題を振られたマリアはびくりと肩をすくませ、視線をあちこちに泳がせた。数秒喉の奥で言葉を探したあと、小さく首を振る。

 

 

「ううん、全然できてない……薬草は、覚えたけど……」

「まあ、ジェイク先生に叱られますわ。あなたったら、昔から薬草にしか興味ありませんでしたものね……」

 

 

 大げさにため息をつき、やれやれと首を振るアニエス。マリアはまだおどおどしているのに、口だけは少し尖らせ、「だって、楽しいもん」と小さく抗議した。

 アニエスの『ジェイク先生』や二人の会話から推測すると、やっぱり純血一族は早くから魔法の勉強を始めているみたいね。

 

──それより、この二人って知り合いなんだ。思っていたより近い距離の。

 

 マリアはアニエスに対しても萎縮しているように見えるけれど、よく見ればしっかり目を見て話しているし、言葉は吃っていない。共通話題の『ジェイク先生』が出るあたり、意外と交流が深いんだろう。

 

 性格が正反対だから、噛み合わないんじゃないかと少し心配していたけれど、マリアはちゃんと受け答えしていた。

 

 二人のやり取りをついまじまじと眺めていると、視線に気づいたのか、二人が同時にこちらを向いた。

 

 

「どうされました?」

「ど、どうしたの?」

「二人は知り合いなのかな、って思って」

「ああ──はい。従姉妹ですわ」

 

 

 さらりと言い切ったあと、アニエスは思い出したように付け足す。

 

 

「……それから、ジェイク先生は、わたくしたちの家庭教師でいらっしゃるの」

 

 

 アニエスはにこりと笑う。マリアもこくん、と小さく頷いた。

 

 従姉妹──ロジエール家とプリンス家が。

 どちらも純血の家系だし、血筋がどこかで繋がっていても不思議じゃない。純血一族は、思っている以上に狭い世界だって聞く。

 

 ……ただ。

 アニエス・ロジエールも、マリア・プリンスも、原作の記憶には引っかからない。少なくとも、私が知っている『ハリー・ポッター』の物語の中では、名前を見た覚えがなかった。

 

 私が単に忘れているだけ? 

 それとも、家系図の端に小さく載る程度で、物語に登場しなかっただけ?

 

 ……まあ、二人とも女だもの、姓の継承権は無いだろうし。それほど気にしなくていいのかな。

 

 

「そういえば……その……リリスは……」

 

 

 アニエスは、ふと思い出したように口を開きかけて——そのまま言葉を飲み込んだ。さっきまで迷いなく喋っていたのに、今は唇の端がわずかに固い。

 躊躇い。そんなもの、この子にもあるんだ、と私は瞬きをひとつする。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 促すと、アニエスは小さく息を吸った。視線を一度だけ落としてから、恐る恐る顔を上げる。

 

 

「あの……差し支えなければ、なんですけれど……」

 

 

 そして、声をほんの少しだけ細く硬くして続ける。

 

 

「……リリスは……あの、ゴーント家で、いらっしゃるの?」

 

 

 アニエスの問いが落ちた瞬間、コンパートメントの空気が、ほんの少しだけ硬くなるのがわかった。

 向かいのマリアも、膝の上で指先をきゅっと絡めたまま私を見つめている。聞いていいのか迷う顔と、隠しきれない興味が、同じ場所でせめぎ合っていた。

 

 

 ()()、ゴーント家。

 それは、()()ゴーント家にだけわかる、含みを持たせた言葉だった。

 

 アニエスは、今さら言葉を引っ込められないと悟ったみたいに唇を噛んだ。さっきまでの明るさは途端になりを潜め、真剣さと緊張──それと、畏れのようなものが目に宿る。

 

 私は、その視線を受け止めたまま、落ち着いたまなざしで頷いた。

 

 

「──ええ、私はリリス・ゴーントよ」

 

 

 簡単な肯定なのに、二人の肩が小さく跳ねた。

 驚きと、どこか好奇心似たものが混じっている。——“まさか”と“やっぱり”が、同じ顔の中に並んでいるみたいだった。

 

 私は足を組み、窓枠に頬杖をつき、少しだけ首を傾げる。

 

 

「でも……どうして、そんなことを聞くの?」

 

 

 目だけをほんの少し挑戦的にして、二人を見れば──私の雰囲気が変わったことを感じた二人は息を詰める。

 

 

「私、周りに純血の知り合いが一人もいないの。……ゴーント家は──今、どんな噂が流れてるの?」

 

 

 その瞬間、アニエスがごくりと喉を鳴らしたのが聞こえた。

 マリアはもっと露骨で、目を逸らして膝の上の指先をもじもじと擦り合わせている。──知っている。けれど、本人に向かって言うのは怖い。──そんな戸惑いが、頬の赤さと気まずさに滲んでいた。

 

 こんな子どもでも知っている『ゴーント家』は、純血一族の中でどんな噂が囁かれているのか。……まあ、碌なものではないのは確かね。

 

 ゴーント家が財政難から脱却し、そこそこ『まとも』になったのもここ数年の話。

 そもそもゴーント家と──マールヴォロとモーフィンと──交流のある純血一族なんて知らないし、私がリリスになってから一度だって訪問者と手紙は来なかった。彼らに友達と呼べる存在も無く、親戚はいてもきっとほとんど絶縁していて便りもないんだろう。

 

 由緒正しい純血貴族であるペベレル家の血筋のゴーント家。スリザリンの最後の末裔のゴーント家。──これはマールヴォロが口煩く私に言っていた事だ。

 尤も、その後は「この高貴な血に汚い血を混ぜやがって」と続き、唾を吐かれていたけれど。

 

 

 ミルデン横丁のパブにいる魔法使いたちは、私たちがゴーントだと知っていても、せいぜい『変わり者の一家』くらいの扱いで終わる。純血貴族の序列だとか、ゴーントという名の重さだとか──そういうものと無縁の人たちばかりだ。

 

 あの家では、外から見るゴーント家の情報が全く入ってこなかった──ホグワーツに行く前に知るいいチャンスかもしれない。

 

 

「教えて?」

 

 

 わざと覗き込むように見つめる。

 

 私はトムに似て──この場合、父のリドルに似てと言うべきかもしれないけれど──息を呑むほどの見た目だ。同性であっても私の美しさに見惚れた二人の頬が、ほんのりと色付く。

 ……それに、この子達の“仲良くしたい”という好意も、利用している。

 

 

「えっと、その……」

 

 

 私の視線に促され、マリアが口を開きかけて、すぐに閉じる。

 焦って、さらに吃ってしまいそうなのか、何かを言おうと口を開いては閉じるを繰り返した。そのじれったい様子に、アニエスが耐えきれなくなったらしい。小さく息を吸って、覚悟を決めたように背筋を伸ばした。

 先ほどみたいな軽やかさはない。けれど、貴族の子が身につけた“礼儀”は、こういう場面にしっかりと現れるのか──その姿勢に、からかいも侮りもない。

 

 

「もし失礼がございましたら、お許しくださいませ」

 

 

 言葉は丁寧で、けれど視線は私の表情を必死に探っている。私が頷けば、アニエスは唇を下でほんの僅かに湿らせて口を開いた。

 

 

「ゴーント家は——英国魔法界で最も古く、最も孤高で、閉鎖的な純血一族……だと聞きますわ」

 

 

 そこで一度、アニエスは言葉を噛んだ。

 次の瞬間、列車がカタン、と小さく跳ねて──ごおん、と耳の奥まで響く轟音が走る。窓の外がいきなり暗くなり、トンネルに入ったのだと遅れて気づいた。

 ガラスが微かに震え、コンパートメントの空気までどこか重く感じる。プラチナの髪も頬の赤みも、暗がりに呑まれて輪郭だけになる。窓ガラスに写った私の目は灰色の中に微かな赤を宿していて、それを見たアニエスは微かに声を震わせる。

 

「それで?」と優しく促せば、アニエスは私から視線を逸らさないまま言葉を続けた。

 

 

「──ゴーント家は、純血を保つために、同じ血筋の者とばかり婚姻を重ね……血を濃くし続けた、と。その結果……代を重ねるほど、心や身体が不安定な方が増え……仕事に就けず、暮らしも立ちゆかなくなり──」

 

 

 声が少しだけ小さくなる。言い切るのが忍びない、という顔だ。

 けれど、アニエスは逃げない。礼儀として、ここまで言うのなら最後まで言うべきだと分かっている目をしている。

 

 

「──滅びゆくのだと」

 

 

 そこで、ほんの少し間が空いた。

 列車の揺れが、妙に規則正しく耳に入る。外では誰かが笑っている。別のコンパートメントでは、初めての出会いに浮かれる声がする。けれどこの中だけは──どこか、別世界のよう。

 

 

「──でも同時に、畏れられてもいる、と。……血への信念、執念だけは……揺るがない家だと。滅びゆくとしても、畏怖の念を抱かずにはいられない……そんな噂ですわ」

 

 

 アニエスは息を整え、最後に言葉を押し出した。

 

 

「かつて……ゴーント家は……忘れられていく一族……そう囁かれておりました」

 

 

 “忘れられていく”。

 ああ、確かにその通りだ。

 どの一族よりも古い歴史を持つゴーント家。あのペベレルを祖先とするサラザール・スリザリンの由緒正しい血筋。

 それなのに名が表にも裏にも出てこなくなり、救いの手も拒絶し、魔法界の中で孤立し──ただ、忘れられ、滅びていく。

 

 

 私は、笑った。

 喉の奥で、乾いた小さな笑いが鳴る。自分でも驚くくらい、自然に出た。

 

 

「なるほど」

 

 

 その反応だけで、二人の顔色が変わる。

 アニエスは謝る準備を整え、マリアはますます縮こまった。まるで、今にも叱られるのを待つようで──けれど、次に口を開いたのはマリアだった。

 

 

「で、でも……さい、最近……」

 

 

 一度、唾を飲み込み、やり直す。

 

 

「……変わってきたって、聞いて……みんな、気に、してて……その、色々……」

 

 

 その『みんな』は他の純血一族のことだろう。知能も伝手もなく落ちぶれ破滅を待つだけだったゴーント家がどうやって再起したのか──マリアの『色々』には、たくさんの人々の感情や思惑が込められているのだろう。

 

 

「リリスは……本当に……?」

 

 

 空気が微かに唸る音だけが響く。

 私は返事の代わりに、髪を肩の後ろへ流し──ゆっくり頷く。

 

 

「ええ」

 

 

 短い肯定に、二人の瞳が揺れた。

 アニエスは息を止め、マリアは指先をぎゅっと握り直した。

 私はそのまま、皮肉の一滴を混ぜるように口角を上げる。

 

 

「貧困と狂気に沈んで、忘れられていく。嘲笑の的で、時々は畏怖の的。……過去の名門の、ゴーント家よ」

 

 

 言い切った瞬間、アニエスがぱっと顔を赤くして狼狽えた。

 自分が言わせてしまった、みたいな顔だ。貴族の子の礼儀が、今度は彼女自身を責めている。

 

 

「ち、違……! 気分を害してしまったのなら、申し訳ありません! わたくし、そんなつもりでは──」

「大丈夫、気にしていないわ。アニエスの言葉はきっと事実だもの」

 

 

 私はあっさり遮る。責めたいわけじゃない。私自身、そう思っているからだ。

 世間一般の評価は、アニエスの言う通りなのだろう。

 

 だからこそ──私はここにいる。

 

 列車の揺れと遠くの笑い声、通路を誰かが走り、扉がどこかで閉まる音が別の世界の出来事のように聞こえた。

 

 

「……でも、ゴーント家は“忘れられ、滅びゆく一族”にはならないわ」

 

 

 その瞬間、二人の呼吸が揃って止まった気がした。

 アニエスどこか恍惚とした表情で小さく頷いた。その目には隠しきれない憧れの色が浮かんでいる。マリアは胸の前で指を組んだまま、まるで祈るように私を見つめた。

 

 

「私が、変えるもの。ゴーントという名を、イギリス魔法界で──誰もが無視できない名にしてみせるわ」

 

 

 言い切った直後だった。

 トンネルの壁に押し潰されるみたいに重かった轟音が、ふっと途切れる。

 次の瞬間、窓の向こうが裂けるようにひらけて、光がなだれ込んできた。

 

 突然の眩しさに目を細めたが──二人は少しも表情を変えず、私をただ見ていた。

 

 

「──そのために、私は来たの」

 

 

 トムを、ひとりぼっちの“愛を知らない少年”にしないために。

 これから私たちが繋いでいくゴーントという名を、呪いじゃなく誇りだと思えるように。

 

 そのために、私は生きているのだから。

 

 

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