ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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30 真実と嘘

 

 

 私とマリアとアニエスは、三人そろってスリザリンに組み分けされた。

 帽子が名前を叫ぶたび、大広間の空気がぱちりと音を立てて切り替わっていく。歓声、拍手、椅子を引く音。

 緑と銀の長卓へ向かう足取りは軽いし、想像以上にスリザリン生の雰囲気は穏やかだ。……もっと殺伐としていると思ったけど。

 

一年生の組み分けが終わると、ディペット校長が立ち上がる。歓迎会の前に、簡単な祝辞があるのだろう。

 形式ばった「入学おめでとう」から始まった言葉は、校長らしく丁寧で、校長らしく長い。生徒の半分は真面目に聞かず、隣同士でひそひそとおしゃべりに夢中になっていた。

 

 私の前にはマリアとアニエスが座っている。二人とも最初はきちんと校長の方へ体を向けていたのに、あまりの長さに飽きたらしく、いつの間にか肩を寄せ合い、こそこそ会話を楽しんでいる。アニエスは笑いを噛み殺すのが下手で、マリアはそれを必死に止めようとしている。……妙に微笑ましい。

 

 

「──さて、それでは歓迎会の開始だ!」

 

 

 ようやく締めの一声が落ちた瞬間、大広間がわっとざわめく。

 次の瞬間、空っぽだった金の大皿に料理が現れる。湯気がふわりと立ち、肉の匂いが一気に押し寄せてきた。朝から長時間ホグワーツ特急に揺られてきた生徒たちは、当然みんな空腹で、カトラリーが一斉に鳴り、皿が動き、笑い声が跳ねる。

 

 ローストビーフ、ローストポーク、ソーセージ、ベーコン、ステーキ、ポテトにフライ、温野菜、スープ、シェパーズパイ。

 どれも山盛りで、あたたかな湯気がたっぷり浮いている。

 

 うーん、歓迎会というからもう少し豪華な料理を期待したけれど、普通の料理ね。それも結構重めのものばかり。野菜は気持ち程度で肉が堂々と主役を張っている。

 肉も嫌いではないけど……そう考えながら具沢山のチキンスープをレードルで一掬いして、そっとスープカップに入れる。ふわりといい匂いが漂っているし、一口飲めばすぐわかる……結構手間掛かっているわね、野菜や甘くて柔らかいし、肉もほろほろで美味しい。

 

 

「美味しいですわね」

「ええ、そうね」

 

 

 ローストポークを食べていたアニエスが、にこにこと嬉しそうに言う。頬がほんのり上気していて、目がいっそう海色に澄んで見えた。

 

 

「本当に……一緒の寮でよかったですわ」

 

 

 アニエスがフォークを置き、ほっとしたように笑う。

 アニエスもマリアも、スリザリンが好む“正しい家柄“だからだろう。顔見知りも多いらしく、何人かの視線が二人へ向かっているのがわかる。あれは品定めというより、こちら側かどうかの確認の視線だろう。

 

 

「そうね。嬉しいわ」

「う、うん。スリザリンには、……に、兄さんもいるし」

 

 

 マリアは周りからの視線に気づくと背を丸め、目立たないように小さくなった。

 

 上級生らしい男子の集団が、こちらを見ている。その中の一人が、マリアとどことなく似ている。……きっとあの子が兄なんだろう。

 彼はマリアを見て、ほんの少しだけ安堵した顔になった。けれど、隣の友人に何か言われるのが嫌なのか、すぐにわざとらしく視線を逸らしてしまう。──守りたいのに、守っていると見られたくない。そういう年頃の、あの不器用さがなんだか微笑ましい。

 

 私はスープをもう一口飲んで、そこには触れないまま会話を続けた。本人が縮みたがっている時に、わざわざ明るい場所へ引っ張り出す必要もない。

 

 

「そういえば、リリスはどの授業が一番楽しみですか?」

「私?」

 

 

 アニエスは上品にローストビーフを自分の皿に取り分けながら、さらりと聞いてくる。

 うーん、どの授業も楽しみなのよね。あの家で魔法を教えてくれるのは本で、ちゃんと教わったわけじゃない。モーフィンが気まぐれに教えてくれることもあったけど、モーフィンの教え方って癖があるし……。

 

 

「変身術、かしら。理論と実践がきちんと繋がっているでしょう?」

「まあ……さすがですわ」

「す、すごい……」

 

 

 二人の反応に、私は肩をすくめた。

 そんな高尚なことを言ったつもりはない。……少し“持ち上げられすぎ”な気がする。コンパートメントでのやり取りが、尾ひれをつけて残っているのかもしれない。

 

 

「マリアは?」

「えっ……わ、私は……やっぱり、薬草学……」

 

 

 声は小さいけれど、はっきりと言い切った。

 マリアは視線を落とし、スープの中の野菜をそっとすくいながら続ける。

 

 

「……植物なら、ちゃんと……気持ちが、わかる気がするの……」

「ホグワーツの薬草園は立派と聞きますわ。楽しみですね!」

「うん……」

 

 

 マリアはスープカップを両手で包んだ。温かさが掌から伝わって、緊張が少しだけほどけたのだろう。頷き方が、さっきより柔らかい。

 

 

「アニエスは?」

「わたくしは……呪文学、ですわ」

 

 

 少し胸を張って、アニエスは言った。

 

 

「言葉ひとつで魔法の性質が変わるなんて、とてもロマンがあると思いません?」

「ええ。正確さも、美しさも必要な分野ね」

「……む、難しそう……」

 

 

 マリアの率直な一言に、アニエスがくすりと笑った。

 

 

「大丈夫ですわ。私たちと、一緒に勉強しましょう?」

「……う、うん」

 

 

 “私たち”という言葉はごく自然なものだった。

 私はあえて指摘しない。輪に入れてくれるのなら、それでいい。二人とも可愛らしいし、頭も悪くなさそうで、話していて疲れない。

 

 

──同じ寮で、同じ食卓を囲んで、同じ授業を楽しみにする。

 

 

 あの村では同年代の魔女がいなかった。

 私は友達がいなくても、困ることはなかったし、悲しむこともなかった。

 

 けれど、今二人がそばにいると考えると──不思議と胸の奥が少し温かい。

 私の中のリリスが、初めての友人に心を弾ませているのかもしれない。

 

 

「……これから、よろしくね」

 

 

 そう言うと、二人は少し驚いてから、同時に頷いた。

 

 

「こちらこそ」

「よ、よろしく……お願いします……」

 

 

 キャンドルの火が揺れて、金の食器がきらりと光る。笑い声の波が大広間を撫でていく中で、私たちは顔を見合わせて、ふっと笑った。

 

──その時だった。

 

 

「そういえば、君たちはどこの子だっけ? 純血一族かい?」

 

 

 会話の隙間に、唐突に声が差し込んできた。明日の天気でも確かめるような軽さで、でも視線だけは妙に正確に私たちの輪の中心を射抜いている。

 声の主は、上級生らしい少年だった。制服を慣れたように着崩しているがだらしなさはない。

 

 アニエスとマリアが、揃って少し驚いたような顔をしたが「ロジエールですわ」「プリンスです」と言い慣れているようにすぐに答えた。

 

 

「君は?」

 

 

 問いが、次は私に向かう。

 

──どうしようかな。

 

 ここで純血だと嘘をつくのは、長い目で見れば悪手だ。後から綻びが出たときのデメリットが大きすぎる。

 けれど、正直に言えばいい、というほどこの寮が優しい場所とも限らない。雰囲気は柔らかいし、殺伐とはしていない。今までの中でマグル生まれや半純血を揶揄うような会話は聞かれない。……でも、初対面の一言目で純血どうかを問うのだから、ある程度は私が想像している通りのスリザリンらしい思想もあるはず。

 私はまだ、この時代のスリザリンを知らない。純血でないと決めつけられて目をつけられるのは、面倒だし危険だ。

 

 私は背筋をすっと伸ばし、上級生の視線を受け止める。

 薄く微笑めば、彼の頬が面白いくらい赤く染まった。値踏みするみたいに、視線がゆっくりと上から下へ滑る。品のないほど露骨ではないけれど、遠慮はない。

 

 

「私は、リリス・ゴーントです、先輩。……ゴーント家を、ご存知でしょう?」

 

 

 一年生らしく、控えめで、愛らしく。

 それでいて、自分の家に誇りを持っているように。

 上目遣いの角度まで計算して微笑めば、上級生はごくりと喉を鳴らした。

 

 

「あっ──ああ、君がゴーント家の……僕はパーキンソンだ。パーキンソン・ウォルト、五年生だ。何かわからないことがあったらいつでも聞いてくれ」

「ありがとうございます」

 

 

 微笑んだまま返すと、彼は面白いほど照れて、慌てて胸を張った。

 ……可愛い。扱いやすい、という意味で。

 

 そのまま彼は、もう少し何か言いたげに口を開きかけて、結局なにも言えずに引っ込めた。視線だけが名残惜しそうに私の方を熱っぽい目でちらちらと何度も向いている。

 

 私はスープを一口飲み、何もなかったように、気付いていないふりをしてアニエスとマリアとの会話へ戻った。

 

 

 

 

 最後のデザートまで綺麗に生徒たちの胃に収まった頃、机の上の金皿はすべて消えた。

 歓迎会が終わればすぐに就寝時間だ。明日は平日で授業があるし、早く部屋へ行くに越したことはない。

 

 私たち一年生は、スリザリンの監督生に先導されて大広間を抜けた。

 廊下には肖像画や風景画が並び、絵の中の人たちは興味深そうに私たちを見て、手を振ってくる。どこかの老婦人が「姿勢が悪い!」と怒鳴ったけれど、監督生は完全に聞こえないふりをした。

 

 ホグワーツに好き勝手に浮遊しているゴーストたちが、すうっと私たちの頭上を通り過ぎる。

 けれど、スリザリン生は魔法界の空気に慣れているのか、誰も悲鳴を上げたりはしない。きっとマグル生まれがいたら、目を見開いて固まるだろうに。

 

 地下へ続く大階段を降りていくと、空気が変わった。湿り気を含んだひんやりとした冷気が、肌に張りつく。

 監督生の靴音だけが規則正しく響いて、私たちの足音は控えめに追従する。

 

 階段の下には、扉がなかった。

 冷たい石壁が続いているだけの行き止まり。

 

──けれど。

 

 監督生が壁に近づくと、石の中から巨大な石像の蛇がするすると浮かび上がった。

 蛇は体をくねらせながら壁を這い、その動きの軌跡に沿って、扉の輪郭が生まれていく。

 

 

「この蛇はスリザリン生にしか反応しない。この蛇に合言葉を言えば扉は開く──今月は、“マーリンの夢”」

 

 

 監督生が言い終えると同時に、扉がぱっと開いた。

 「合言葉を忘れないように」と告げて、監督生はそのまま先へ進む。

 

 扉の向こうに広がっていたのは、スリザリン寮の談話室だった。

 高い天井まで届く大きな窓の向こうは、夜の空ではなく、湖の底の青。

 水の重みをそのまま光にしたような色が差し込んで、時々、こぽり、と泡が浮かぶのが見える。夜でもぼんやり明るいのは、きっと魔法だろう。

 

 壁のランプの炎も碧色で、談話室全体が静かな湖畔の地底のように冷たく、そして美しかった。

 肘掛け椅子やソファ、テーブルには繊細な彫刻が施されていて、上品で、学生の談話室にしては場違いなほど整っている。

 

 監督生が、男子は男子寮、女子は女子寮へ向かうように指示した。

 食事で満たされ、長旅の疲れを思い出したのだろう。一年生たちは素直にそれぞれの扉へ向かう。

 

 女子寮の先は、地下牢を思わせるひんやりした空気がさらに濃くなった。廊下が内側に湾曲していて、部屋が円形に配置されているのがわかる。

 扉の前には小さな紙が貼られていた。そこに書かれているのが、七年間を共にするルームメイトの名前──そういうことだ。

 

 

「──あ」

「まあ!」

「よ、よかった……」

 

 

 三番目の扉の紙に書かれていたのは、私とアニエスとマリアの名前だった。

 

 他は四人部屋らしい。三人なのは、単純に余ったのだろう。

 一年生の女子は、私たち以外に四人。合計七人しかいないらしい。男子が多かったのは偶然か、それともこの年の流れか。

 

 

「私たち同室ですわ! よかったですわね」

 

 

 アニエスが嬉しそうに言いながら扉を開ける。

 室内には、深い緑色のビロードのカーテンを垂らした天蓋付きベッドが四台並んでいた。空いている一台が、妙に“余白”として目立つ。

 それぞれのベッド脇にはトランクが置かれていて、すでに部屋が私たちを受け入れる準備をしていた。

 

 

 部屋に入り落ち着くと、さすがに疲れが一気に表に出た。

 長い一日だったのだ。組み分け、歓迎会、初めての寮、初めての人間関係──身体より先に、頭の方が限界を訴えていて、ぼんやりとしてきた。

 

 アニエスは手早くトランクを開け、慣れた動作で夜着を取り出した。

 マリアもそれに倣い、少しもたつきながらパジャマに着替えている。二人とも、眠いのだろう、あくびを噛み殺すのに必死だ。

 

 私はその様子を横目に、ベッドには向かわず、机の椅子を引いた。私には、まだ寝る前にやらなければならないことがある。

 

 椅子に腰を下ろした私を見て、アニエスが不思議そうに首を傾げる。

 

 

「……リリス? どうなさいましたの?」

「ね、寝ないの?」

 

 

 マリアも、ぱちりと瞬きをしてこちらを見る。

 私はトランクから便箋と封筒を取り出し、机の上にそっと並べた。

 

 

「弟に、手紙を書くの」

 

 

 それだけで、二人は納得したみたいに息を吐いた。

 

 

「まあ……素敵ですわね」

「……うん。大事……」

 

 

 二人とも、トムのことを思い出したのだろう、ふわりと優しく微笑み頷くと、深く踏み込まずにベッドに腰をかけた。

 

 

「じゃあ……おやすみなさい」

「お、おやすみ、リリス」

「ええ、おやすみなさい」

 

 

 二人はそれぞれベッドに入り、天蓋のカーテンを引く。布の擦れる音が落ち着き、部屋はゆっくりと夜の気配に沈んでいった。

 

 私は杖を振って、部屋の明かりを落とす。

 闇が広がり、最後に残ったのは、机の上のランプの灯りだけ。小さな光が、便箋と羽ペンをやさしく照らしている。

 羽ペンを握ったまま、私はほんの一瞬だけ手を止めた。

 

 ……トムは、今ごろどうしているだろう。

 

 もう、寝ているだろうか。

 急に静かになった家で、寂しさを持て余してはいないだろうか。

 モーフィンは、相変わらずぶっきらぼうにしているだろうし、マールヴォロは何も言わず、偏屈なまま、ただ椅子に座っているのかもしれない。

 あの二人と、うまくやれているだろうか。

 食事は、ちゃんと取れている?

 眠る前に、変なことを考えていない?

 

 胸の奥に、じわりと小さな痛みが走る。

 一年。離れるのは一年間だけとはいえ、やっぱり長い。

 

 私は息を整え、便箋に視線を落とした。

 ゆっくりと、手紙を書き始める。

 

 

 

『 親愛なるトムへ

 

 無事にホグワーツに着いたわ。

 長い汽車の旅だったけれど、思っていたよりも悪くなかったの。窓から見える景色がとてもきれいだし、コンパートメントでのお喋りも、とっても有意義だったわ。

 

 組み分けでは、スリザリンだったの。伯父様達が気にしているかもしれないから、伝えてくれる?

 寮の談話室は湖の底みたいで、静かで、少し冷たいけれど……嫌いじゃない。きっと、来年トムも気にいると思うわ。

 

 同室の子が二人いるの。

 アニエスとマリアよ。教科書を買いにダイアゴン横丁に行った時に会った二人だったの! すごい偶然よね、覚えてる?

 二人とも悪い子じゃないわ。少し緊張しているみたいだけど、優しくてかわいいの。

 

 トム、あなたは、どうしてる?

 

 私は──少し、寂しい。

 いつも寝る前に、あなたが入れてくれる紅茶を飲みながらゆっくり話をする時間がないし、何より隣にあなたがいない。……それに慣れるまで、時間がかかりそう。

 

 またすぐ、手紙を書くわ。

 

 リリスより 愛を込めて』

 

 

 最後の一行を書き終え、私はそっとペンを置いた。

 インクが乾くのを待ちながら、胸に溜まっていた寂しさや不安が少しずつ静まっていくのを感じる。思いを形にすると、客観視できるからだろう。

 

 ふ、と顔を上げる。窓の向こうは真っ暗で──だけど、部屋のランプの灯りを受けて、時々魚の鱗がきらりと輝いていた。朝になれば美しい湖底がみえるのだろうか。

 

 

 便箋を丁寧に折り、封筒に入れ、宛名にトムの名前を書いた。

 送るのは明日の朝一番にしよう。

 

 ランプの光だけが残る部屋で、私は封筒を机の上にそっと置き、すぐにパジャマに着替える。

 もう寝てしまった二人を起こさないように、そっと自分のベッドに入り、カーテンを閉めた。

 

 闇が静かに私を包む。毛布は柔らかくて心地いいけれど、知らない場所の匂いがした。

 部屋には、アニエスとマリアの気配と、穏やかな寝息。

 

 明日から始まる日々のことを、少しだけ楽しみにしながら、私は目を閉じた。

 

 

 

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