ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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32 静かな興味

 

 

 十月のホグワーツは九月の名残をわずかに引きずりながらも、確実に秋へと傾き始めていた。

 朝の回廊には冷えが宿り、窓際の石はひんやりとした感触を返すようになった。

 

 一年生たちも、ようやくこの城で生きる術を身につけ始めている。

 宿題の分量と締切の感覚。迷いやすい階段の癖。どの時間帯なら談話室が空いているか。

 要領のいい生徒たちは、どうすれば無理なく、波風を立てずに過ごせるのかを掴み始める頃だった。

 

 変身術の授業が終わった教室には、まだインクと羽ペンの匂いが残っていた。

 羊皮紙をまとめる音、椅子を引く音、次の授業へと急ぐ足音が重なり合い、空間はゆっくりと日常へ戻っていく。

 

 リリスはマリアとアニエスと並び、その流れに交じって扉へ向かっていた。

 

 ──その時。

 

 黒板の前で羊皮紙を整えていたダンブルドアが、ふと手を止め、顔を上げた。

 

 

「……ミス・ゴーント。少し時間はあるかな?」

 

 

 声は穏やかで、呼び止めるというより、静かに名を呼んだだけに近い。

 リリスは即座に足を止め、振り返った。

 

 アニエスとマリアに小さく「先に行っていて」と囁くと、二人は一瞬ためらいながらも、ちらりとダンブルドアを見てから扉をくぐる。

 

 教室に残ったのは、二人だけだった。

 

 

「先生。ご用件でしょうか」

 

 

 礼儀正しく、過不足のない声。

 十一歳の少女としては、整いすぎているほどの落ち着き。

 

 ダンブルドアはそれを咎めるでもなく、ただ静かに受け止めた。

 

 

「今日の課題についてだよ。君の変身は、とても正確だった」

 

 

 褒め言葉には余計な含みがなく、教師として事実を述べる声音だった。

 リリスは少し驚いたように目を見開き、それからすぐに姿勢を正す。

 

 

「ありがとうございます。──ですが、まだ安定していません。速度を優先すると、本質がわずかに揺れてしまいます」

「ほう……」

 

 

 ダンブルドアの眉が、ほんのわずかに動いた。

 

 一年生がマッチを針に変えられるだけでも十分だというのに、彼女は針“らしさ”に納得していない。鋭さ、冷たさ、重心の位置──そうした細部まで、既に意識している。

 

 

「素晴らしい。一年生で、そこまで自分の癖を把握している生徒は多くないよ」

「ありがとうございます。家で、本を読む時間がありましたので」

 

 

 嘘ではない。──だが、すべてでもない。

 リリスは視線を上げすぎず、ダンブルドアを真っ直ぐ見つめる。ただ、挑戦的にはならない角度を心がけた、優等生に見えるように、“好ましい生徒”として最適な距離を測る。

 

 ダンブルドアは椅子に腰を下ろし、指を組んだ。

 

 

「君は、授業中にあまり手を挙げないね。どうしてかな? 加点のチャンスでもあるのに」

「……必要があれば、答えます。でも、前に出る必要はないと思っています」

「なぜ?」

「目立ちすぎると、時に──嫉妬を生みます」

 

 

 リリスは、ほんの少しだけ肩をすくめてみせた。

 子どもらしい仕草を、あえて添える。

 ダンブルドアは、面白そうにくすりと笑った。

 

 

「賢明だ。だが……」

 

 

 言葉を切り、リリスをじっと見る。

 その視線は鋭いが──疑念ではなく、観察だった。

 

 

「君は“安全な振る舞い”を知りすぎているね」

 

 

 リリスの睫毛が、ほんのわずかに揺れた。

 それは一瞬で消えたが、ダンブルドアは見逃さなかった。青い瞳が、すっと測るように細まる。

 

 

「褒め言葉として受け取りますね。先生」

 

 

 柔らかな微笑みと、模範解答のような返し。

 

 

「もちろんいいとも。ただね……」

 

 

 ダンブルドアは、少しだけ声を落とした。

 

 

「子どもというのは、もっと失敗したがるものだ。褒められたい、勝ちたい、驚かせたい。そういう衝動が、先に立つ」

 

 

 沈黙が落ちる。

 リリスは一拍置き、考えるふりをして視線を伏せた。

 

 

「……私には、必要ではないかもしれません」

 

 

 正直な言葉だが、理由は悟らせない。

 リリスが視線を上げ、灰色の瞳と、澄んだ青の瞳が、互いの内側を測るように向かい合った。

 

 

「……なるほど」

 

 

 少しの沈黙後、ダンブルドアはゆっくりと頷いた。

 

 

「君はとても優秀だ。礼儀正しく、思慮深く、教師としては申し分ない生徒だよ」

 

 

 その言葉に、リリスは胸の奥で小さく息をついた。──ダンブルドアは、最も優れた魔法使いの一人である。……彼に、目をつけられたくはなかった。

 

 今、ダンブルドアにとって、自分はただの優秀で控えめなスリザリン生でしかないはずだ。

 ゴーント家の過去をダンブルドアが知っていたとしても、知られて本当に困ることはない。

 ただ、今話しかけてきた──警戒はしつつも、まだ敵視はされていないはず。

 

 彼が、リリスの思う“ダンブルドア”ならば、自分の事を観察する事はあれ、直接手を下す事はないだろう。

 ダンブルドアは、生徒──人の可能性を信じる。才能や異質をすぐさま危険だと判断する事はなく、行動を起こすまで本人の意思に委ねる。そういう人だと、リリスは考えていた。

 だからこそ、リリスはまだ、ダンブルドアに対して大きく警戒はしていない。リリスは優秀すぎるが、何も行動に起こしていないからだ。

 

 

 ダンブルドアは悪い人ではない。

 むしろ、リリスは──ダンブルドアのことを好ましく思っていた。

 

 

 それでも、もし、ダンブルドアがリリスの──そして、トムの──障害となるのならば、その感情に蓋をし、すぐさま対処しなければならないとも、感じている。何よりも優先すべきは、トムなのだから。

 

 

 今はまだ彼から疑いの気配はない。

 気配がないことがいい事なのか、それとも悟らせないようにしているのか──今、その判断はできない。

 リリスでも、やはり、ダンブルドアを測ることはできなかった。

 

 

「ありがとうございます。先生」

 

 

 今はまだ何もしていない。

 良き生徒として振る舞っていれば問題はないはず。

 そう判断したリリスは、嬉しそうに微笑んでみた。

 

 

「──ただ、一つだけ、覚えておいてほしい」

 

 

 ダンブルドアは立ち上がり、ゆっくりと距離を詰めると、リリスの目線まで身をかがめた。

 

 

「計算で作った静けさは、いつか疲れる。……君がもし、取り繕わなくていい場所を見つけたら……そこでは、少し不格好でも構わないんだよ」

 

 

 それは忠告ではなく、助言だった。

 リリスの姿は──どこか、過去の自分を見ているようだった。

 全てに気を張り、整えようと必死で、完璧を求め、周りを警戒していたころの自分。

 本音を吐ける場所が無く、内に籠り続け、卒業後に溢れ出してしまった──溢れさせられた、というべきかもしれないが──そんな、自分。

 

 リリスは一瞬、言葉を失い──それから、静かに微笑んだ。

 

 

「……心に留めておきます」

「うん。……引き止めて悪かったね」

「いえ。失礼します」

 

 

 リリスは礼儀正しく頭を下げ、教室を後にした。

 

 扉が閉まったあとも、ダンブルドアはしばらくその場所を見つめていた。

 

 

「……さて」

 

 

 誰にともなく、穏やかな声で呟く。

 

 

「彼女の心を、先に覗くのは誰だろうね」

 

 

 その声には、警戒よりも、わずかな興味と──期待が混じっていた。

 

 

 






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