ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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33 手袋はどこ?

 

 十一月のホグワーツは、寒さが静かに増していく。

 地下のスリザリン寮に至っては、湖の冷えが石壁に染み込み、息を吸うたび胸の奥がひやりとするようだった。

 

 朝の談話室は、特にひどい。

 暖炉の火は燃えているが、夜のうちにすっかり冷やされた談話室はまだ心地いい場所とは言えず、床から靴裏に伝わる冷たさも一層厳しい。

 アニエスが白い息をひとつ吐いて、淡い緑のカーディガンの前をしめた。毛糸は上質で、触れるだけで指先が柔らかく温まるような質感だ。

 暖炉の火は煌々と燃えているが、談話室全体が温まるまで時間はかかるだろう。

 名家の純血一族として、身だしなみを整え気品を保つのは当然の事である。冬だからといって油断し、荒れた醜い手を見せるわけにもいかない。指先まで気を配ってこその、貴族である。

 その振る舞いが身に染みているアニエスは、ふとマリアが寒そうに手を擦り合わせているのを見てぱちり、と目を瞬かせる。

 

 

「……マリア、手袋はどうしました?」

 

 

 マリアは、ぎくりと肩をすくめた。

 膝の上で、素手の指をきゅっと握る。寒さと緊張で、爪先が少し白い。 

 

 

「手袋は……その……どこかで……」

 

 

 言いかけて、言葉が細く切れた。

 リリスは、マリアの視線が机の縁を彷徨い続けるのを見ていた。落とした場所を頭の中で辿ろうとしているときの、あの迷子の目。

 

 アニエスは、マリアの指先を一瞬見つめると、すぐに結論へ向かった。

 

 

「あら。なくしたのなら、ご両親に連絡をしたほうがよろしいですわ。新しいものを送っていただけば……」

 

 

 善意だった。

 善意だからこそ、マリアはさらに小さくなる。

 

 

「それは、無理……」

 

 

 喉の奥に、言葉が引っかかったようなか細い声だった。アニエスが瞬きをして、続けようとする前に、リリスが口を挟んだ。

 

 

「今すぐじゃなくてもいいわ。まずは探しましょう」

「……そうですわね。探すほうが早いかもしれません」

 

 

 マリアはほっと息を吐く代わりに、肩に力を入れたまま、曖昧に頷いた。

 マリアは、両親にとって出来の悪い子であった。兄の方が要領がよく、知能も高く、人付き合いもできる。マリアは極度のあがり症であり、人見知りが激しい。そんなマリアに対し、両親はかなり厳しくあたっていた。──もちろん、純血たるもの。という彼らなりの正義ゆえなのだろうが。

 手袋をなくした、だなんて言えば、また煩く叱られてしまう。それを恐れていたマリアにとって、リリスの「探そう」という言葉は何よりもありがたかった。

 

 

「最後に覚えているのはどこなの?」

「え……ええと……み、三日前、薬草学の温室ではあって……温室、暑かったから外して、ポケットに入れてたけど……か、帰ってきたら無くて……」

 

 

 三日前、という言葉にリリスとアニエスは難しい顔をした。

 気づいた時に言ってくれたなら、すぐに引き返して探せたのに──そう言いたい気持ちは二人にもあったが、どうにもならない事をせめても変わらない。

 リリスは「じゃあ、行きましょう」と二人へ声をかけた。

 

 

 

 寮を出て、石の廊下を歩く。

 壁の松明が揺れ、湿った冷気が足元を撫でる。マリアは袖を引き下ろし、指先を隠すようにして歩いた。

 リリスは歩幅を自然に合わせながら、淡々と提案していく。

 

 

「まずは温室ね。通った廊下も見て。薬草学の次が呪文学だったから、呪文学の教室も。一応、図書館も探しましょう」

 

 

 二人はこくりと頷き、足元や廊下の端へ視線を落とす。

 落とし物なんて、あるはずのない場所にこそ転がっているものだ。きょろきょろと周囲を確かめながら、三人はゆっくりと歩みを進めた。

 

 

 しかし、教室にも、図書館にも、手袋はなかった。

 そしてマリアの顔色は、時間が経つほどに──探すほどに青くなる。

 

 

「……ごめんなさい……わ、私が、だめで……」

 

 

 謝罪が先に出るのは、マリアの癖だ。

 叱られる前に、自分の叱責で終わらせようとする、癖。

 

 

「駄目じゃないわ。無くしたものは仕方がないもの」

「そうですよ、マリア。……でも、もう少し早くいってくだされば……」

「う、うん……そうだよね……」

 

 

 アニエスの一言に、マリアはがっくりと肩を落とす。リリスは下がった彼女の肩を優しく撫でながら「次からそうしましょう?」と励ました。

 

 

 

 最後の手段として、三人は管理人室へ向かった。

 石段を降りるほど、空気が重くなり、古い木と洗剤と、鉄の匂いが混ざってくる。

 

 管理人は不機嫌そうに目を細めたが──学校一の美少女と名高いリリスの顔を見ると、露骨ではない程度に態度を整えた。それに気づいたマリアとアニエスはちらりと視線を交わし肩をすくめる。

 

 

「あの、手袋の落とし物ありませんか? 濃い紫色のものなんですが」

「落とし物? うーむ。今週は増えとるが、手袋は見とらんな」

「本当に……ありませんの?」

 

 

 あまりに管理人があっさりと答えるもので、ついアニエスがもう一度声をかけた。途端に管理人は不愉快だというように鼻を鳴らす。

 

 

「ないものはない」

 

 

 そう言い切り、扉が勢いよく閉じられた。

 三人は視線を交わし、仕方がない、別の場所を探そう──と踵を返したその時。

 

 

「手袋の話ですかい?」

 

 

 すうっと冷たい風が差し込み、目の前にゴーストが現れた。

 三人ともゴーストの存在は慣れているが、ゴーストが出す冷気には慣れていない。──それに、この寒い時期は夏よりも冷気が強く感じられ、三人とも体をぶるりと震わせた。

 

 その震えを、『怖がらせる事ができたのだ』と受け取ったゴーストは嬉しそうににんまりと笑いながら、三人の前でふわりと一回転する。

 

 

「似たような手袋なら見ましたよ。中庭でね。ほら、石のベンチのあたり。誰かが投げたのかと思った」

「中庭……!」

 

 

 マリアが息をのむ。

 初めての手がかりに、三人はすぐに中庭へ向かった。

 

 

 中庭は、雪が積もり真っ白になっていた。

 噴水は枯れ、石のベンチには誰もいない。

 吐く息は白く解けていき、リリスは寒さから首に巻いていたマフラーを鼻先まで押し上げた。

 マリアは肩をすぼめ、寒そうに手先を丸めている。流石に城内なら耐えられる寒さも、外に一歩踏み出せば突き刺すような痛みをもって襲ってくる。

 リリスは辺りを見回し、枯れた落ち葉を見つけるとそっと手に取った。

 何をするんだろう、と見ている二人の前で、リリスはポケットから杖を出し、呪文を唱える。

 ぽん、と小さな音と共に落ち葉が透明な瓶へと変身した。

 リリスはもう一度杖を振り、青い炎を瓶の中に入れる。

 

 

「これで、指先を温めた方がいいわ。霜焼けになったら……痛いものね」

「あっ──あり、がとう」

 

 

 手渡された瓶をマリアは両手で包み、心の底から感謝を伝えるように言った。暖かさで、指先がじんわりと熱を持ち解けていくようだ。

 

 

「石のベンチのあたり、って……ここね」

 

 

 リリスは雪が積もっているベンチに向かって杖を振る。雪を吹き飛ばしたが、はらはらと飛んでいったのは白い雪だけで、石のベンチの上には手袋はなかった。

 

 落ちてしまったのだろうか、と三人は雪を吹き飛ばし、溶かし、探したが──。

 

 ない。

 あるのは、濡れた葉と、冷えた石。

 

 

「……ない……」

 

 

 マリアの声が消え入りそうになる。

 

 

「やっぱり、わ、私……駄目ね……」

「マリア」

 

 

 リリスが名前を呼んだ。

 

 

「“ない”って決まったわけじゃないわ。もう少し探しましょう。下にないのなら──……」

 

 

 リリスは視線を上げる。

 中庭にある木は、どれも葉を落としている。枝は雪の重みでしなり、その中に紫色は見当たらない。

 

 ただ──リリスは一本の木で目を止めた。

 視線の先、目線より少し高い位置にある古い木。その幹に、不自然なほど滑らかな闇が口を開けていた。

 それは長い年月をかけて穿たれた、自然の巣穴だった。もしや、とリリスは音を立てないように近づき、そっと覗き込む。

 ランプも魔法灯もない闇の奥で、微かな動きがあった。

 

 小さな身体がいくつも、折り重なるように寄り添っている。

 灰色や茶色の毛並みをしたリスたちが、互いの体温を確かめ合うように身を密着させ、わずかに震えながら息を潜めていた。

 

 団子のように丸まり、何匹ものリスが巣穴の奥で寄り集まり、凍える寒さをやり過ごしている。

 そして、その温もりの中心に──。

 

 

「あ……」

 

 

 後ろから覗き込んだマリアが、小さく声を漏らした。

 

 毛皮の間に挟まれるようにして、見覚えのある布が覗いている。

 深い紫色の、マリアの手袋。

 

 リリスは一瞬、手を伸ばしかけたが、すぐに手を引いた。

 

 

「……取る?」

 

 

 けれど、その言葉に、マリアはすぐ首を振った。

 

 

「……ううん。ここは……寒いから……」

 

 

 小さな声だったが、そこに迷いはなく、マリアの横顔は明るい。

 マリアの言葉は拙いが、そこには、はっきりとした選択があった。

 

 

「……リスが、あたたかいなら……いいの」

 

 

 その瞬間、巣穴の中で、リスの一匹がわずかに身じろぎをした。手袋の布が、さらに深く包み込まれる。

 

 

 アニエスは目を丸くした。彼女がまさか手袋を諦めるとは思わなかったのだ。

 ゆっくりと息を吐き、マリアの横顔を見る。その視線が、ほんの少しだけ柔らかくなる。

 

 

「まあ……あなた、やさしいのね」

「や、やさしくない……ただ……」

「いいえ。やさしいですわ」

 

 

 アニエスはそう断言してから、すぐに別の現実を整えに行く。

 

 

「でも、明日からの手袋はどうなさるの?」

 

 

 問われた瞬間、マリアの肩がまた縮む。

 リリスはその沈黙に、答えが含まれているのを見た。

 

 

「ク、クリスマスまで我慢する。プレゼントに頼むから……」

「なら、それまではこの炎で凌ぎましょう。毎日温かい炎を出すわ」

 

 

 リリスの言葉に、マリアの目が揺れる。

 それは「また迷惑をかける」の揺れで、「助かる」の揺れでもあった。

 

 暫く迷っていたマリアは、リリスの優しい眼差しに促され、「ありがとう」と頷く。

 

 

「ねえ、マリア。あなたが“いいの”って言えたの、すごいことよ」

 

 

 リリスの言葉に、マリアは、え、と小さく声を漏らす。そしてぽかんと口を開き──すぐに頬を赤く染め、褒められることに慣れていない顔を見せた。

 

 アニエスも「そうですわ!」と大きく頷き、笑う。

 

 マリアは耳まで赤くして、俯いた。

 けれど俯き方は、最初のように怯える形ではなく──照れた形だった。

 

 

 

 帰り道。

 中庭の冷え込みは相変わらずだったが、三人の足取りは少し軽い。

 マリアは暖かな瓶を握り、アニエスは次の手袋の素材について真剣に考え始め、リリスはふたりの会話を聞きながら、巣のことを思い出していた。

 

 きっと、あのリスはいつもよりも暖かな夢を見てこの冬を越すのだろう。それが、少女の優しさだと知らぬままに。

 

 

 

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