ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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34 味方の沈黙

 

 

 魔法の灯りが落とされ、部屋はゆっくりと夜の色に沈んでいった。

 

 手袋の一件で冷たい空気の中を歩き回った疲れが、じんわりと体の中に広がっている。

 アニエスは髪をほどき、櫛で丁寧に整え終えたところでベッドの縁に腰を下ろしている。眠気は隠しきれないが、背筋だけは自然と伸びていた。

 マリアはもうパジャマに着替えベッドに寝転びながら毛布の端を指先で掴み、ぼんやりと天井を見上げている。

 

 リリスは机の椅子に座ったまま、しばらく動かなかった。

 

 

 ランプの灯りが、彼女の白い指先と便箋を照らしている。

 トムに返事を書く、いつもの時間。けれど今夜は、まだペンを取る気になれなかった。

 

 

 胸の奥に、小さな感情が引っかかっている。

 今日一日、三人で過ごした時間。中庭の冷たい空気、マリアの手袋、寄り添う小さな命たち。

 

 

──この子たちには、そろそろ伝えておいた方がいい。

 

 

 いま言うのが最も安全だ、と考えた。

 彼女たちは、もうリリスを“友人のリリス”として受け取っている。

 いまなら、何を知っても、拒絶より先に情が立つだろう。

 

──何より、二人は十一歳の少女だ。

 純粋で、思い込みが強く、信じると決めた相手を守ることに酔える年頃だ。選ばれた秘密は、彼女たちを誇らしくし、誇らしさは、強固な沈黙を生むだろう。

 

 リリスはランプの光に指をかざし、自分の爪の薄さを見た。

 子どもの手だ。細くて、頼りなく見える。──しかし、その内側には、成人の思考が静かに座っている。

 

 

「……ねえ」

 

 

 その声は低く、穏やかだった。

 アニエスが顔を上げ、マリアもゆっくりと視線を向ける。

 

 

「どうしましたの?」

「……なに?」

 

 

 二人の声には、警戒はない。ただ、続きを待つ気配だけがある。

 リリスは一度、小さく息を吸った。真剣な話をする、と彼女たちに知らせるために、わざとほんの少しだけ間を置いた。

 

 

「二人に……話しておきたいことがあるの」

 

 

 ただそれだけで、空気が少し引き締まった。

 アニエスは櫛を脚の上に置き、指先を揃えて膝に乗せる。

 マリアは毛布の上で指を握りしめ、体を起こした。怖がっているのではなく、失敗したくないのだろう──聞き逃したくない、とも言える。

 

 

──言葉を選ばなければならない。

 

 

 リリスはそっと唇を舌先で舐め、微かに湿らせた。

 

 言葉を選ぶ。選び抜く。事実のすべてではなく、必要な事実だけを。哀れみは人を引き寄せるが、それだけでは軽く見られる。誠実さは信頼を買うが、誠実さだけではきっと守れない。

 リリスが欲しいのは、同情ではない。

 

──沈黙だ。“味方の沈黙”。

 

 

「……私ね。純血じゃないの」

 

 

 一瞬、静寂が落ちた。

 アニエスは驚いたように瞬きをし、マリアは小さく息を呑む。

 

 

「父が……マグルなの」

 

 

 声は、落ち着いていた。

 自分でも不思議なほど、感情は荒れなかった。

 荒れる必要はない、涙を誘う必要はないのだ。

 欲しいのは慰めではなく、彼女たちの口を閉ざす決意なのだから。

 

 

「母はゴーント家の人間だけど……父と駆け落ちして、私と弟を産んで……亡くなったわ」

 

 

 説明は短く、必要なことだけ。

 全てを明かす必要はない。それでも、嘘は言わない。

 

 母の死を語る言葉の端に、リリスは影を少しだけ残し、目を伏せた。

 

 

「父は、私たちをゴーント家に預けたの。……もう二度と関わらない、と言って。……だから……私は半純血なの」

 

 

 言い切ると、部屋の空気がほんの少し揺れた。

 

 アニエスの唇がわずかに開きかけ、すぐに閉じる。

 マリアは視線を落として、毛布の縁をつまむ指を強くした。

 

 

「二人に黙っているのが……少し、苦しくなって」

 

 

 リリスは視線を上げる。

 無理に笑わない。ただ、正直な顔で、じっと二人を見つめた。

 

 

「一緒に過ごして、今日も、一緒に探して……あなたたちのこと、大切な友達だと思っているから。大事なところを伏せたままなのが、嫌だったの」

 

 

 沈黙が落ちる。

 しかし、それは拒絶の沈黙ではなかった。

 

  最初に動いたのは、アニエスだった。

 ベッドから立ち上がり、一歩、リリスに近づく。

 

 

「……それでも。リリスは、リリスですわ」

 

 

 飾りのない言葉だった。

 それは貴族の判断ではなく、友人としての決断。

──それが、リリスが最も望んでいるものだった。

 

 

「今日一緒にいたのも、マリアの気持ちを大事にしたのも、あなたですもの。血がどうであれ、それは変わりません」

 

 

 マリアも、小さく頷いた。何度も、何度も。

 

 

「リリス……」

 

 

 マリアは毛布を掴んだまま、そっとベッドから降りてリリスの元へと駆け寄る。アニエスの隣に並び、「自分もそうだ」と見せるために。

 

 

「……言ってくれて、ありがとう。……嬉しい」

 

 

 マリアは少しだけ微笑んだ、顔を強張らせるリリスを、安心させようと──いつも、自分がしてもらって、心が震えるほど、嬉しいから。

 

 マリアの中に、秘密を託された喜びや選ばれたという甘さがじわじわと広がっていく。秘密を打ち明けられるほど、自分にも価値があると証明されたような──幼い快感だった。

 

 

 リリスは二人の反応に、ほっと表情を緩め、肩にこもっていた力を抜く。安堵したのは、確かだ。

 だが、同時に、どこか冷静な部分が、この反応を静かに受け止めているのも、確かだった。

 

 

「……でも」

 

 

 リリスは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。

 彼女たちの“特別な沈黙”を得るためにはもう一つ甘美な夢を見せなければならない。

 

 

「このこと……まだ、広めたくないの。今は、まだ……知られるのが、少し怖くて」

 

 

 ほんの僅かに、声に震えを滲ませる。

 アニエスとマリアは、ぐっと胸を熱くし──すぐに頷いた。

 

 

「もちろんですわ。これは、あなたが私たちに話してくれたことですもの。わたくしたちの胸にしまっておきます」

「……誰にも、言わない。大丈夫」

 

 

 その言葉には、確かな決意が込められていた。

 リリスはそれを聞いて、ゆっくりと顔を上げる。

 

 灰色の彼女の瞳に、涙の幕がはりランプの光を浴びてキラキラと輝いていた。

 形のいい眉が下がり、それでも口元は嬉しいと笑みの形を作っている。

 

 美しさと、儚さが混ざったその表情に、マリアとアニエスは息を呑む。──この人を、守りたい。そう、自然と思った。

 

 リリスは、そっと二人の手を取る。

 

 

「アニエス、マリア……ありがとう」

 

 

 その声は静かで、深かった。

 ランプの灯りが三人の影を重ね、柔らかく揺れた。

 

 

 

 

 天蓋の向こうで、夜がゆっくりと満ちていく。

 アニエスはベッドへ戻りながら、どこか誇らしげな秘密を持つ者の顔をしていた。

 マリアはベッドの中で、毛布を握りしめたまま、小さく息を吐く。安心と、嬉しさと、そして──頼られる甘美さを知った吐息だった。

 

 二人とも、善意から守ると決めている。それが何よりも強い。善意の沈黙は、脅しで作られた沈黙よりずっと長持ちする。

 

 

 それを、リリスは知っていた。

 

 

 リリスはベッドに横たわり、目を閉じる。

 胸の奥にあるのは、罪悪感でも、達成感でもない。もっと淡い、けれど確かな手応えだった。

 

 

──これでいい。

 

 

 守るために選んだ言葉。初めから信じてくれると分かっていた相手。嘘はつかない、真実は、伝えない。

 

 それは冷酷さではなく、生き残るための手段だった。

 

 

 窓の外で、湖の底の青い光が静かに揺れ、ランプの光を受けた魚の鱗が輝く。

 水の中は、外の音をとおさない。どれだけ風が荒れていようとも、雨が降っていようとも、この場所は変わらず平穏だった。

 

 リリスは、机の上に残ったままの便箋を思いながら──そっと口先を上げた。

 

 

 

 

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