ゴーント家の長女、弟を溺愛する。   作:八重歯

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38 クリスマス休暇4

 

 

 クリスマス休暇も、今日で終わり。

 明日の朝には、家を出てホグワーツへ向かわなければならない。

 トムもそれを理解しているからか、残りの休暇が片手で数えられる程になった頃から、少しずつ、少しずつ静かになっていた。

 

 冗談も言うし、蛇たちに向ける声も穏やか。何も変わっていないように振る舞うけれど、その笑顔はほんの僅かに強張り、どこかぎこちない。

 

 ふとした時に視線を感じて顔を上げると、黙ってこちらを見ているトムとよく目が合う。

 目が合うとすぐに笑うけれど、寂しさが後ろに隠し切れていない。

 それに、蛇からの密告で「クリスマス休暇が終わらなければいいのに」と呟いていたと知っている。

 

 

 私は朝からまた『私の味』を残していけるように、台所に立っていた。

 燻製肉をいくつも吊るし、香りが移るまで時間をかけ、ジャムを瓶に詰め、布巾で丁寧に縁を拭い、きっちりと蓋を閉める。

 まあ、燻製肉はモーフィンが酒のつまみにすぐに空っぽにしてしまうでしょうけど。

 

 今回は、それとは別にドライフルーツとナッツをたっぷり練り込んだ重たいフルーツケーキも焼いた。

 新しい教科書を机に広げて予習をするあの子の横に甘いものがあれば、ほんの少しだけでも寂しい気持ちが紛れるかもしれないから。

 

 

「さて……」

 

 

 保存食の用意は終わったし、部屋の掃除も完璧。今日の晩ご飯の仕込みも済ませた。

 いつもなら、この後は読書の時間だ。

 本を開けば、きっと物語に没頭できるだろう。──けれど、今日は。

 

 

「トム」

「どうしたの?」

 

 

 ケージの前に座り、蛇たちに餌を与えていたトムは、呼ばれた瞬間に立ち上がった。……私が台所にいる間、ずっと寂しそうな顔でチラチラと見ていたとは思えないほど、その表情は穏やかだ。

 

 

「ちょっと散歩に行かない? 雪も止んでいるし、空も晴れているから」

「うん、いいよ」

 

 

 迷いのない即答だった。

 トムは手に持っていた蛇の餌が入った麻袋を籠の中に戻す。餌を食べ損ねた蛇たちの不満げな声を軽く受け流しながら、「コート、取ってくる」と声を弾ませ急ぎ足で階段を駆け上がって行った。

 そんなに急がなくても、散歩をする時間はたっぷりあるのに……近くを散歩するだけでも、トムは十分嬉しいらしい。

 

 少しするとトムが二人分のコートとマフラーと手袋を持ってきた。「ありがとう」と受け取れば、トムはただ嬉しそうに笑って頷く。

 

 

「伯父様。昼前には戻るわ」

「あァ」

 

 

 すでにウイスキーの瓶の半分ほどを空にしたモーフィンのその声は、今にも眠りに落ちそうなほどぼやけていた。

 トムと顔を見合わせ、「仕方のない人ね」と笑い合うのも今日が最後。

──そう思うと、胸の奥がきゅっと縮んだ。

 

 

「行きましょう」

「うん」

 

 

 マフラーをしっかり巻いた私たちは、銀色の世界へと繰り出す。

 

 扉を開けた瞬間、外気が一気に流れ込んだ。

 

 暖炉と魔法で温められていた身体が、鋭い冷気に触れた途端に震え、肺の奥まで冷たい空気が刺さるように入り込む。

 

 

「寒っ……」

 

 

 思わず声が漏れる。

 吐き出した息は濃く白く、ゆらりと漂い、すぐに溶けて消えた。

 

 思ったよりも寒い。今日は久しぶりに青が見えているいい天気だから──と思ったけど、やっぱり雪国ね、寒いものは寒い。

 手袋をつけているけれど、指先がじん、と痺れ、耳の先が痛くなるほど空気が冷たい。

 

 でも、その冷たさすら美しいと思えるほど、世界は澄み切っていた。

 

 空は、いつもより深い青色だった。

 雲は薄く、陽光は鋭く、雪の上に反射して、目を細めなければならないほどに眩しい。

 地面は一面の白だ。

 踏みしめるたびに、きゅ、と乾いた音がする。圧縮された雪が、足裏の下でわずかに沈み、細かな氷の粒が光を弾いてきらきらと瞬く。

 溶けかけた部分は、水晶のように透き通り、太陽の光を抱き込んで、小さな虹を宿していた。

 

──綺麗。毎年見てるはずなのに、一段と美しく見えるわ。

 

 ああ、でも。トムは、それほど寒さに強くない。

 外の世界は美しいけれど、出てきたことを後悔していないだろうか? と少し不安になり隣を見上げると、トムは──また、私を見ていた。

 

 灰色の瞳が、冬の光を映して明るく澄んでいる。

 白い息が唇からこぼれ、寒さに染まった頬と鼻先が淡く赤い。

 私と目が合った瞬間、目元がゆっくりと緩んだ。

 

 

「行こう、姉さん」

 

 

 その声は、いつもより少しだけ弾んでいて、いつも通りに、優しい。

 

 

「……ええ、そうね」

「転ばないように気をつけてね」

「ふふっ、大丈夫よ」

 

 

 白の世界に二人分の足跡を残していく。

 一つは少し大きくて、一つは少し軽い。

 足を上げるたび、雪が靴底にまとわりつき、僅かな重みを残してから、ぱらりと解ける音を立てた。

 時々風が吹いて、木の枝に積もった雪がハラハラと崩れた。

 

 

 行き先を言わなくても、自然と足は森の方へと向かう。

 

 村の方には行かない。

 あそこはマグルの村で、あそこにいる人たちはみんな他人のゴシップニュースに飢えている。

 あの石畳の通りには、昼間でも半分閉じられたカーテンが揺れていて、硝子の向こう側からこちらを測っている。

 この町で最も裕福な家のリドル家は、横柄で傲慢だと有名だ。村人を見下しているから、村人に疎まれ嫌われている。

 そのリドル家──トム・リドル・シニアとの血縁を感じさせる外見の私たちが村に行けば、きっと刺激と話題を求めて卑属な顔で近づく。

 せっかくの休暇中に、わざわざ彼らの明日の朝のスクープになる必要はない。

 

 

 家から少し離れ、森へ足を踏み入れる。

 

 木々はすべて雪をまとい、枝の一本一本が白く縁取られている。重たく積もった雪が陽光を反射し、森全体がほの青く、やわらかく光っていた。

 

 森の奥へ進むほど、人の足跡は消え、私たちのものだけがまっさらな白の上に刻まれていく。

 

 空気は、家の前よりもさらに冷たい。

 けれど、森の中は風が遮られて、どこか静謐で、世界から切り離されたような感覚があった。

 

 枝から、はらり、と粉雪が落ちる。

 そのたびに、きらりと光が弾け、まるで妖精でも潜んでいるように瞬く。

 

 

「……綺麗ね」

 

 

 思わず零すと、隣でトムが小さく頷いた。

 灰色の瞳が、森の光を映して淡く揺れている。

 白い息が重なり、すぐに溶けていく。

 しばらく並んで歩いてから、私はふいに足を止めた。

 そして何も言わず、しゃがみ込む。

 

 

 雪はさらさらとしていて、指先で触れるときしむような感触がある。掌で丸めると、ぎゅ、とかすかな抵抗を返してきた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 すぐに、心配そうな声が落ちてくる。

 顔を上げれば、トムが覗き込んでいた。眉を寄せ、灰色の瞳にほんの少しの不安を浮かべて。

 

 その胸元へ、私は軽く雪玉を放った。

 

 ぽす、と柔らかな音。

 白い粉が弾け、黒いコートに淡く散る。

 

 

「わっ」

 

 

 驚いた声が森に溶ける。

 トムは目を丸くして、自分の胸元と、私とを見た。あまりに珍しい表情に、私はつい堪えきれず──。

 

 

「あははっ!」

 

 

 笑ってしまった。

 喉の奥からこぼれた笑いは、思っていたよりも高く、明るく森の中に反響する。

 

 トムは一瞬呆然として、それから、ゆっくりと口先を上げた。トムと雪合戦をして遊んだのなんて、何年前だろうか? トムが五歳のときにしたのが最後かもしれない。

 喉の奥で笑いをこぼしながら、また雪玉をつくる。トムは胸元についた雪を軽く払いながら、一歩下がった。

 

 

「姉さん……」

 

 

 呟いたその声は、抗議の形を作っていたけれど──どこか嬉しさが乗っていた。

 トムもしゃがみ込み、雪を両手ですくう。指先が素早く動き、器用に丸める。ぎゅ、と一度力が込められたそれは、「あっ」と思う前に、トムの笑顔と共に私の肩へと飛んできた。

 肩に当たった雪玉が砕け、冷たい粉が頬へ跳ねる。

 

 

「きゃっ」

「ははっ!」

 

 

 声を上げる私に、トムが小さく笑う。

 

 

「やったわね……えいっ!」

「わ!──ははっ!」

 

 

 強く固めない雪玉は、当たっても小さく崩れるだけで、痛みはほとんどない。

 砕けた白が頬や髪、首元にふわりと散り、私たちは子どもの頃へ戻ったみたいに、声をあげて笑った。

 

 その笑いは澄んだ空気に吸い込まれ、森の奥へと軽やかに跳ねていく。

 こんなふうに、何も考えずに雪を投げ合える時間が、あとどれほど残っているのだろう。

 胸の奥に小さな棘のような思いが触れたけれど、私はそれを振り払うように、次の雪をすくい上げた。

 

 木の陰へ駆け込んで、後ろへ回り込んで、しゃがみ込んで──。

 

 その時、枝先に積もっていた雪がはらりと崩れ、粉雪が静かに降り注いだ。

 白は私たちの睫毛や肩にとまり、トムの黒髪の上にもやわらかく散る。

 

 雪を払おうと首を振って笑うトムの仕草が、冬の光をまとって、どこか現実離れした色を帯びていた。

 

 

「ふふっ」

「姉さん、笑いすぎ」

「あなたもでしょう」

 

 

 言い返しながら、マフラーを少し緩めた。

 走って、笑ったからか、体の内側からじんわりと火が灯るように温かい。頬が熱を持ち、呼吸が浅く早くなる。

 

 息を整えるために、私は雪の上へ腰を下ろした。新しい雪玉を作っていたトムが、私の様子を見てすぐにくすくすと笑いをこぼし、遠くに雪玉を投げ捨てる。

 

 ああ、ちょっと疲れた。

 この休暇中、家の中にこもりっきりだったから、体力が落ちたのかもしれない。

 

 ふう、と息を吐く。

 もう少し休憩したかったけれど、コート越しにじわりと雪の感触が滲んできた。これ以上ここに座っていると、お尻が濡れてしまう。

 立ち上がろうとした瞬間、視界に手が差し出された。

 

 

「姉さん」

 

 

 紺色の手袋は、溶けた雪で湿って濃い色になっていた。

 はしゃいだからか、鼻先と頬がいつもよりも赤く、白い息が途切れ途切れに吐き出されている。

 

 私はその手を取る。

 引き上げられる感覚は思いのほか強く、足元の雪が崩れた拍子に、身体が前へ傾いた。

 

 

 あ、と思った次の瞬間には、トムの腕が腰を支えていた。

 雪の匂いに混じって、コートの奥の温かい匂いが近い。互いの胸が触れそうな距離で、こぼれた吐息の早さと熱さが、雪の冷たさを忘れさせる。

 

 ぱっと視線を上げれば、思ったよりも距離が近くて、半分溶けかけた雪がトムの前髪を濡らしているのがしっかりと見えた。

 白い息が重なり合い、ゆっくりと混ざる。

 

 トムの瞳が、すぐ目の前にある。

 灰色の奥で、光が揺れた。

 頬はまだ赤く、呼吸はわずかに荒い。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 私は指先に力を込めてそう言うと、コートについた雪を払うために──そう逃げ道を作って──さりげなく視線を外す。

 息を呑んだ音と、それをごまかすための「ううん」という声が降ってきたけど、まだ視線は上げない。

 

──びっくりした。

 

 白銀の世界に立つトムは、あまりにも現実離れした美しさで、胸が苦しくなるほどだった。

 

 熱っぽく赤く染まった頬と、潤んだ瞳も、なんだか……ちょっと、隠していたいけないものを、至近距離で見てしまったような恥ずかしさがある。

 

 少しだけ間を置いて──鼓動を落ち着かせてから、私はようやく顔を上げた。

 

 トムはもう、ほんのわずかに熱の名残を残しながらも、表情を整えていた。

 

 

「……行こうか」

 

 

 先に言ったのは、トムだった。

 声は落ち着いているけれど、さっきよりほんの少し低い。

 私は頷き、マフラーをきゅっと締め直す。

 

 手は握ったままだった。

 誰も見ていないし、外す必要もない。

 互いの手袋は雪で湿っているけれど、その冷たさや不快さは全くない。

 

 

「ええ。凍えてしまう前に、歩きましょう」

「姉さんの方が寒がってるじゃない」

「トムのせいよ。雪玉、三回は当てたわね?」

「二回だよ」

「三回」

 

 

 軽く言い合いながら、私たちは並んで歩き出す。

 

 森の奥へ続く道は、陽の角度が変わったせいか、さっきよりも光が強く差し込んでいる。枝に積もった雪がきらきらと反射して、まるで細かい硝子片を無数に散らしたように、足元まで淡い輝きを落としていた。

 

 歩くたびに、足跡が増えていく。

 白い地面に、二人分の軌跡が並ぶ。ときどき私の足跡がわずかに乱れ、その隣にすぐ、トムの足跡が重なる。

 

 さっきの距離の近さが、まだ身体のどこかに残っている。

 腰に回された腕の感触が、雪の冷たさとは別の温度で、じんわりと沁みている。

 

 黙っているのも──なんだか気まずくて、けれど何を言えばいいのか分からなくて、私は空を見上げた。

 

 

「……綺麗ね」

 

 

 白い息が、言葉と一緒にほどける。

 トムもつられるように空を見上げた。

 

 

「うん。……ホグワーツの冬も、こんな感じ?」

「もっと広くて、もっと高いわ。湖も凍るし、城の窓から見る雪は、ここより少しだけ寂しい」

「寂しい?」

「ええ。……きっと、あなたがいないからね」

 

 

 アニエスとマリアのそばにいる事に不満はない。彼女たちは優しくて愛らしくて、いい友人だ。──だけど、彼女たちが真の友愛を示してくれるのに、私はそれを心から返せない。一歩引いて、静かな瞳で観察している私がいるのも事実。

 ホグワーツでは、綻びを見せないように、完璧であるために、ずっと緊張しているからかもしれない。

 

 トムといるときは、そんな私から解放される。だから、つい──甘えちゃうんだろう。だめね、私の方がうんとお姉さんなのに。

 

 

 トムは少しだけ黙ったが、立ち止まらなかった。ただ、握られた手に優しく力を込めただけ。

 

 

「じゃあ、来年は寂しくないね」

 

 

 その声音には、雪合戦をしていたさっきまでの子どもっぽさはない。

 それは、約束を確かめるような、真面目な響きだった。

 

 私は横目でトムを見る。

 雪を踏む横顔は、まだ幼さを残しているのに、その瞳の奥には確かな大人の色があった。

 

 

「そうね。来年は一緒に歩けるわ」

「迷子にならないように、ちゃんと手を引くよ」

「まあ、頼もしいこと」

「本気だよ」

 

 

 その言葉に、私は小さく笑う。

 さっきまでの空気が、少しだけほどける。

 

 肩が、時折触れては離れ、離れてはまた近づいた。

 雪の反射で白く染まる世界の中、二人の影だけが淡く伸びて、静かに重なったり、離れたりを繰り返している。

 

 

 この冬は、もう終わる。

 明日、私は城へ戻る。

 高い塔と石の廊下と──張りつめた視線の中へ。

 トムはこの森と、あの家と、寒い雪景色の中に残る。

 

 

「姉さん」

「なあに?」

「……今日は、楽しいね」

 

 

 柔らかく、大切な思い出を語るように言われたその言葉に、胸がじんわりと暖かくなる。

 

 

「ええ、私もよ」

 

 

 そう答えると、トムは満足そうに頷いた。

 

 森の出口が、ゆっくりと見えてくる。

 遠くに家の屋根がのぞき、煙突から細い煙が立ちのぼっている。

 

 白銀の世界の中で、私たちは並んで歩く。

 笑いすぎて少し掠れた声と、まだほんのり熱を帯びた頬のまま。

 

 私はそっと、歩幅をもう一度トムに合わせた。

 

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