さて、杖も手に入ったし、ある程度の魔法を使えるようになった。
もうすぐトムを迎えにいける!あの小さくて可愛い、リリスの弟!あの灰色の瞳をした、私と同じ顔をした弟が──この、ゴーント家に。
この、ゴーント家に。
この、腐りかけた小屋みたいな、家に。
「……無理」
無理無理無理。こんな汚いところに迎え入れるわけにいかないでしょ。魔法使いなら掃除くらい魔法を使って当たり前にするべきでしょ!
朝、私は床に胡座をかいて座り、埃まみれの天井を見つめた。隙間から蜘蛛が糸を垂らしてぶら下がっている。はい、アウト。
玄関のドアは斜めに曲がっていて、開け閉めの度にぎいぎいと音がする。アウト。
窓はひび割れて曇っているし、なんか臭い。アウト。
部屋の隅でモーフィンが酒を飲んでいるのもアウト。お祖父様が口を開くたびに汚い歯を見せてくるのもアウト。
台所は最低限綺麗になって……いや、マシってだけでよく見たらボロいしひび割れてるしアウト。そこもかしこもアウト。アウト。アウト。
「お祖父様、伯父様」
「なんだァ?」
「家を綺麗にします」
「──はぁ?」
「この家をどうにかしなきゃならないわ、トムが埃食べて病気になったら大変だもの」
私は立ち上がり、服の袖をぐいっとめくった。マールヴォロは嫌そうな顔をして酒瓶を掴んで寝室に引き込んだ。マールヴォロは──お祖父様は、リリスが私になってから、ずっとこうだ。……ま、文句と、暴力が飛んでこないだけましね。
「伯父様も手伝ってくれるわよね」
「なんで俺が──」
「ね?」
にっこりと笑う。一瞬だけ、モーフィンの目が泳いだ。
途端に家がガタガタと鳴り、居間で寛いでいた蛇がモーフィンに対して「手伝ってやれよ!」「姫様の願いだぞ!」と口々に叫んだ。モーフィンは嫌そうな顔をしながら「チッ」と舌打ちをしてのっそりと立ち上がった。
「何この木?もう全部切るわ!」と叫びながら杖を振り適当にざっくざっくと枝を剪定した。枝や葉っぱは時々燃やして片付ける。
まだまだ家を覆い隠すように伸び放題の木があった。木だけじゃなくて雑草やイラクサやよくわからない木の実がなってるのもあった。もういい!全部切って切って切り尽くしてやる!
「壁も酷い!なにこの苔!?伯父様?ブラシは!?──ないの!?」──仕方がないので、箒に魔法をかけて自動で苔を擦るようにしてみた。かなり手強かったけど「スコージファイ」と「エバネスコ」の併用でなんとかこそぎ取れて、煉瓦が見えた。
屋根瓦もほとんど落ちていたから、「レパロ」で修復できる分はして、足りない分はモーフィンが石を瓦に変化させた。ひび割れたまま放置されていた窓も「レパロ」と「スコージファイ」を繰り返す。魔法使いなんだから壊れたら直しなさいよ!
あ、そういえば裏に畑があったわ。これを世話するの、リリスの仕事だったのよね。……まだ幼すぎて、水をあげて雑草をちまちま抜くくらいしかできなかったけど、うん。とりあえず育ってそう。後で肥料買ってこないと。玉ねぎとジャガイモとにんじん、後はローズマリー、タイム、パセリ、セージ。別の植木鉢にミントね。よく使いそうなのはまあまあ揃ってそう。……でも、虫食いが多いから、魔法でどうにかできないか探してみないと。
庭や畑の雑草をあらかた消して、ついでによくわからない割れた植木鉢や壊れたら道具も全部消した。モーフィンが「あ、それは」とか呟いていたけど、大切なものならこんなところに置いてないでしょ?
「伯父様!なんで蛇を扉に打ちつけているの?」
「……そりゃあマグル除けだ」
「趣味が悪すぎるわ!」
流石のトムも、干からびた蛇が扉にぶらさっていたらドン引きだろう。私でも嫌な気持ちになる。ぱっと取って燃やしたら「ああ……」と寂しそうな声を出した。
「伯父様。魔法のマグル避けは使えますか?」
「まあ……そりゃあ」
「今すぐこの一帯にかけてください」
「……」
モーフィンはめんどくさそうに杖を振った。透明の薄い膜のようなものが、家の周りをぐるりと包んだのが分かる。空気が少し、変わった気がした。
無言魔法でマグル避け使えるくらいだし、やっぱり素質はあるのね。
「扉や家具もあらかた直しましょう。それと、歯を生やす薬とかある?」
「あん?確か本に書いてあったような……」
「じゃあ。家の中の片付け私がするから、今すぐ調合してね」
「なんで」
「そんな汚い歯じゃ美味しいご飯も食べられないわよ!」
「けっ!美味しいご飯、なんて誰も作らねぇだろうが」
嫌そうに唾を吐くモーフィン。すぐに私は片眉をあげて地面に吐かれた唾を消し去り、腰に手を当ててモーフィンを睨み上げた。
「材料さえあれば、私が、作るわ」
「はぁ?……お前、作れンのか?」
「まあね」
日本でもイギリスでも、大きく変わらないだろう。今まで料理──と呼べるかわからないが、パンやスープはモーフィンが悪態を吐きながら作っていた。材料を入れただけのザ・素材の味!な料理も悪くないけど、美味しいか美味しくないかで言われたら──察しの通り、まずい。
だから私、リリスは痩せてるし、モーフィンとマールヴォロは酒と塩分と脂質の多いつまみばっか食べてるから手足は痩せてるのに腹だけ出てるし。肌は汚い。
「──はっ!そうよ。浴室も掃除しなきゃ!伯父様、わかりましたね?後で私が髪を切るから、ぜっ、た、い、に!歯を生やす薬を作って飲んで!」
私の剣幕に押されたのか、モーフィンは渋々頷いた。
早朝からリフォームと大掃除を行った結果。
家はかなり見違えたと思う。少なくとも掘っ立て小屋には見えない。まあ──ぼろいのは、ぼろいけど。
屋根瓦は全て揃っているし、煉瓦造りの壁も見えた。家を覆い隠すように茂っていた木も剪定されて、太陽がぽかぽかと家を照らしているから、もう壁が苔むすことはないだろう。
家の中もレパロで直せる部分は全部直して、ガタガタした机や椅子はぐらつかずに座れるようになり、ソファの綿は、草を綿に変化させて詰め直した。
埃と砂まみれだった床や壁も綺麗に魔法で磨き上げて、好き勝手這っていた蛇たちはケージをつくりそこにいれた。──蛇は不満そうだったけど、糞尿がその辺につくのは嫌だ。
ついでにメローピー……母さんのまだ捨てられていなかった服をいくつか見つけたから、その中の「これはいらないな」という薄紫色のワンピースをカーテンに、白いスカートを汚い肘掛け椅子のカバーにした。もちろん浴室、台所、私とトムの部屋も片付けた。
モーフィンとマールヴォロの部屋はそのままだけど、まあ。いい大人なんだし、片付けたければ自分でするでしょう。
綺麗になった窓を開けて、外からの空気を呼び込む。昨日までは木々が空気を止めていて澱んでいたけれど、心地よい爽やかな空気が入り込んで、居間のどんよりとした匂いや湿気を取り払ってくれた。
モーフィンは綺麗に片付いた居間をぐるりと見渡し、汚れの少ない肘掛け椅子に座る。表情はむっつりしているが、本人も「悪くない」と思っているのだろう。嫌だったら自室に篭ったり私が片付けるの止める筈だしね。
「薬はできたの?」
「ああ」
机の上に、ひび割れたゴブレットを置いた。そこには紫色のとろりとした液体が入っていてなんとも不味そうな匂いが漂っている。
早く飲まないの?と見上げてみたら、モーフィンはふてぶてしい表情で目を細め、口先を上げた。
「お前の作る料理がうまかったら、飲んでやる」
「……ふぅん」
目を細め、にやりと笑う。きっと私もモーフィンと同じような表情をしているのだろう。
「伯父様、お薬の口直しのチョコレートでも探してきたら?」と言いつつ、台所の前に立つ。棚の一番下に押し込んでいる食材の貯蔵庫──というかただの木箱を確認する。中には畑にあったのと同じ野菜と、少しの干し肉。瓶の中には塩、胡椒、砂糖に乾燥ハーブ。
「ん?」
その箱を引き出せば、後ろに何かが落ちていることに気づいた。埃と蜘蛛の巣がついたそれを掴みあげる。──それは、分厚い革張りの本だった。ざらついた表紙を撫でれば、『ゴーント家の料理帳』と薄い文字が現れた。
(ゴーント家のレシピノート。……メローピーだけじゃないわね。かなりの年代ものだわ)
パラパラとめくると、古いインクの香りがして、見慣れない文字が並んでいた。何度も書き足したらしく、違う筆跡が重なっている。油の染みと匂いで、何度も使われたことだけはわかった。
ゴーント家に嫁いだ女が、代々書き残したものなのだろう。きっと、こんなのがあるなんて──モーフィンとマールヴォロは知らないんだろうな。
(丁度いいわ。正直に言うと、この時代のイギリスの家庭料理なんて知らないし、これを使おう。)
つくるのは今ある材料でなんとかなりそうな『じゃがいもの煮込み』だ。
調理台は大人の高さに合わせて作られていて、背の低い私には届かないが、洗い物はリリスの仕事だったから、がたがたする台が用意されていた。
杖を振ってガタつきを直して台に登り、服の袖を上げて冷たい水で手を洗った。
鍋を火にかけ、水を張る。冷たい水に触れるたび、指先が少し痛む。──うーん、お湯出るようにしたい。後で魔法調べなきゃ。
玉ねぎを刻むと目に染みてぱしぱしと瞬きをする。ああ、包丁研ぎ直すの忘れてた!料理終わったら器具の見直しもしないとダメね。
小さく角切りにした人参を加え、じゃがいもは少し大きめに切る。全部鍋に放り込み、塩をひとつまみ。
木のスプーンで底からゆっくり混ぜると、水面が濁って温度が上がり始める。人参と玉ねぎの甘い匂いが立ち上るのを、私は深く吸い込む。干し肉も入れておこう。なんの肉かわからないけど。
少し火が熱くて、窓を開けた。心地よい風がふわりと入ってくる。
ページの余白に「混ぜすぎると芋が崩れる」と走り書きがしてあった。細く、少し震えた文字。──メローピーかな?
鍋が煮立ったところで灰汁をすくう。使い古したおたまの底が欠けていて、鍋肌を擦る音が耳に触るけれど、気にしない。
「──よし」
私はハーブを砕いて指先で散らした。瓶の中に少しだけ残っていたローズマリーが香りを立てる。元のレシピにはないものだけど、なんか干し肉がちょっと獣臭いから、これでマシになるといいけど。
胡椒も振る。古い瓶を振ったらドバッと出てしまいそうになり、瓶の口を指で塞ぎながら慎重に。
小麦粉を少し水で溶いて加えると、とろみがつき始めた。かき混ぜすぎないように、鍋の中で沈んでいるじゃがいもの角が崩れないように。
ゆっくり、そっと、優しくかき混ぜる。
うんうん、いい感じね。まあ簡単なレシピだし、このくらい前世で普通に生きてきたなら作れるわ。
もういいだろう、と杖を振り火を落とす。鍋の中の小さな泡がぱちん、と弾けて消える音がした。
味見をすると、優しい塩味の中に玉ねぎの甘さと胡椒の辛みが広がった。じゃがいもはホクホクとして柔らかく、ローズマリーの香りがほんのり鼻に抜けた。
……私、料理上手だわ!少なくとも、この三年間リリスも、私も食べたことがないほど美味しい!
……モーフィンの味付け、本当に適当だったのね。
ライ麦パンも、あったし。薄くスライスして……えーと、確かレシピ本に「ラードつけて食べると良し」って書いてあったわね。ライ麦パンのレシピも書いてあるし、今度作ってみようかな。買うと高いし。
杖を一振りすれば、皿に入ったスープ、パンの入ったカゴ、酒瓶、ティーポット、ラードが入った小皿、スプーンがふわふわと机に飛んでいった。
「伯父様、できたわよ!私、お祖父様に声をかけてくるわね」
「……」
モーフィンは肘掛け椅子から立ち上がると、どしんとダイニングチェアに座り、背を曲げたままスプーンを掴んだ。そのままふんふんと犬のように匂いを嗅ぎ、片眉を上げる。
ずず、と啜る音が後ろから聞こえてきた。
「お祖父様!夕飯ができましたよ!早く食べないと冷めちゃうわ!」
「──うるさい!聞こえておるわい!」
どんどんと扉を叩けば、苛立ちながらマールヴォロが現れた。すぐに見違えるように片付いた部屋に気づくと目を剥いて唖然とした。
唇がわなわなと震え出して、また怒鳴るのか、めんど臭いなぁと一歩離れる。
息を吸い込み、怒号を放とうとした時──。
「──うめぇ」
ぼそり、と呟かれた言葉が、マールヴォロの怒号を押し留めた。
振り返ると、モーフィンが背を曲げ皿に顔を寄せ、飢えた犬のようにスープがっついているのが見えた。
マールヴォロはその様子に毒気が抜かれ、怒りを放つタイミングを失ったらしい。──それとも、部屋に漂う優しくて美味しい匂いと、モーフィンが夢中になって食べる姿に、食欲をそそられたのかな?
マールヴォロは無言で私を押し退け、のしのしと肩を揺らせて歩きダイニングチェアに座る。その椅子がガタついてない事に気づかず、スプーンを持って一口。──重い瞼が、わずかに震えたのが見えた。
マールヴォロは「美味しい」とは言わなかった。ただ、今までの料理とは雲泥の差であるスープを作ったのが、彼に取って受け入れ難い私である事に気づきながら──食べることをやめられない。
そんな二人の姿を見て、胸の中にずっとあった重い気持ちが少しだけ軽減した。
(ああ、リリスが、ほんの少しだけ彼らを許したんだわ)
まさに、飢えた子供のように皿を傾かせて夢中で食べる二人の姿を見て、私は微笑んだ。
大鍋一杯作ったスープは余ることなく綺麗さっぱり空っぽになり、「歯があればお肉料理も美味しく食べられるわよ」の私の言葉に、モーフィンは無言で歯生え薬を飲んだ。