家は整った。
魔法も大体使えるようになった。
祖父のマールヴォロは相変わらずだけど、モーフィンは浮浪者から不摂生な中年くらいにはなった。
トムと出会って一週間。
準備は完璧ね!
「伯父様、トムを迎えに行きましょう!」
「ああ?もう夜中だぜ?」
肘掛け椅子に座り、酒を飲んでいたモーフィンは顎をしゃくって窓を指しながら怪訝な声をした。そうね、今は夜の十一時。いい子のリリスは寝ている時間だわ。
「トムを攫うんだのもの、暗い方が丁度いいわ、私たちの姿を隠してくれるもの」
私はローブを羽織り、フードを深く被る。
人差し指を唇に当てて目を細めた。
「それに、うるさいお祖父様も寝てるし」
「は。──行くか」
モーフィンは同意するように鼻で軽く笑うと、のっそりと立ち上がり同じような闇色のローブを羽織った。
彼のゴミやフケがついた汚い長髪はさっぱりと短くなり。数の足りていない黄色い歯は、全て揃った白い歯になった。
体型はすぐにはマシにはならないけど、数週間前のモーフィンを知っている人が見たら二度見必須だろう。
モーフィンは私に向かって右腕を軽く曲げる。私が掴んだ途端、その場から姿を眩ました。
足の裏がロンドンの石畳を踏み締める。小雨が降っているけど、足音を消すには丁度いい。すぐにモーフィンが杖を振り、雨避け魔法をかけてくれた。「ありがとう」と言ったが、モーフィンの返事はいつも通り鼻を鳴らしただけだった。
「こっち」と彼のローブを引っ張り夜のロンドンを走る。──ああ!早く迎えに行きたいのに、この体が幼くて、歩幅が狭くて早く走れない!
必死に走っていると、モーフィンは「ちっ」と舌打ちをして私を抱き上げた。いきなりの浮遊感に息を呑み、思わず小さな悲鳴が漏れる。
「何──」
「遅ぇ。俺は早く終わらせて酒が飲みてぇ」
ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らし、モーフィンは私を俵のように抱きながら体勢を低くして走った。
ありがとう、とは言わずに、モーフィンのローブをきゅっと掴む。そのまま「あと2ブロック先」とか「左に曲がって」と指示をすれば、彼は何も言わずに従った。
「ここ!──ありがとう、伯父様」
目当てのウール孤児院の前につき、モーフィンは私をすぐに下ろした。
真っ暗で、灯りはついていない。けれど、どこからか猫の鳴き声に似た、赤ちゃんの泣き声が微かに聞こえた。
「……それで、そいつの部屋は?」
「わからないの」
「あぁ?」
低く苛立ちを含んだ声が頭上から落ちる。
だって、どこの部屋かだなんて教えてくれなかった。まだ三歳なら一人部屋ではないのかもしれない。
「どうするんだよ」と吐き捨てるモーフィンに向かって私は杖を出し、にっと笑った。
「ここは魔女らしくいきましょう。──サーペンソーティア」
黒い杖から蛇が現れる。何度も、何度も唱え、石畳の上には何十匹という蛇が落ち、鎌首をもたげて私を見る。
『──さあ、可愛い私の蛇達。私の匂いと同じ者の居場所を探しなさい。それはあなた達の指導者になりうる器よ』
手を広げ、蛇に命ずる。『行け』と告げた瞬間、濡れた石畳を這う蛇の腹がぬるりとした音を立て、夜の冷気が髪を揺らした。蛇達は壁を這い、わずかな隙間を見つけ侵入した。きっと蛇達は簡単にトムを見つけるだろう。──蛇にとっても、この血は尊いみたいだし。
モーフィンがくつくつと喉の奥で楽しそうに笑うのが聞こえる。ちらり、と見上げれば満足そうに私を見つめる黒い目があった。
少しして、『姫様、ここです』と遠くから蛇の呼ぶ声が聞こえた。
モーフィンと共に孤児院の裏へ周り、蛇の声がするあたりを見上げる。たくさん並んでいる窓の、一つに数匹の蛇が群がっていて『ここです』と何度も掠れた声で叫んでいた。
「三階。……伯父様、この場合ウィンガーディアム レヴィオーサ?それともヴェンタスかしら?」
「俺ならヴェンタスだな」
「そうよね」
互いに杖を持つ。そのまま目配せをして、同じタイミングで勢いよく振り下ろした。私は「ヴェンタス!」と唱えたけど、彼は当然のように無言呪文だった。
舞い上がり、窓枠に足をかける、私は身軽だし幼いから簡単に乗れたけど、モーフィンは危なっかしい足取りで窓枠を掴み、すぐに魔法で開けて中に侵入した。
そっと中の様子を伺う。
そこは、つん、とした消毒液の匂いがする部屋だった。
あかりは広い部屋の入り口にランプが一つだけ。同じような安物のベッドが複数並んでいてその中の一つに、蛇が集まっていた。
モーフィンは無言で杖を振るう。何かキラキラしたものが、蛇のいないベッドに降り注いだ。……マグルの子どもだし、呪ったのかと思ったけど何も変わらない。たぶん、起きないように睡眠魔法でもかけたのだろう。
モーフィンが扉に向かっている間に、私はその膨らみのあるベッドへ近づく。窓から吹き込む冷たい風が、私の髪を揺らした。
「ん──」
鼻にかかったような音がした。
寝返りの音と共に、ぎし、とスプリング音が小さく響く。トムのベッドを這っていた蛇が、彼の丸い頬を舐めた。身じろぎをして、トムの長いまつ毛が震え、ふ、と目が開く。
ぼんやりとしていた目を瞼が何度か隠す。
気配を感じ取ったのか、トムは目を擦りながら体を起こし──びくりと体を強張らせた。
「おはよう、トム」
「あ……」
トムの目は大きく見開かれている。その目には、星屑のような光が散らばっていた。唇が、微かに震えている。ぎしり、とまたスプリング音がして、トムは私に両手を伸ばした。
私はそっとその手を掴む、指を絡ませ、きゅっと握れば、トムは眉を寄せ唇を噛んだ。
「迎えにきたよ。──帰ろう、私たちの家に」
「うん──!」
手が強く、握られる。
私はヴェールのようにかぶっていた毛布ごとトムを抱き上げる。
軽い体だなぁ。身長もそこまで高くないし、痩せてる。私でも、十分横抱きにできる。
蛇達に『好きにしなさい。ついてきたければおいで』と声をかければ、蛇達は躊躇なく私やトムの体に巻き付いた。
トムは怯えることなく私の首に腕を絡ませ、必死にしがみつく。くすり、と笑えば、トムは私の首筋に鼻を寄せて すう、と息を吸い込み、そして長く吐き出した。
その時、扉の向こう──廊下から職員の足音がした。見回りか、それとも何か異変を感じたのか。
モーフィンと視線を交わす。モーフィンはニヤリと笑い無言で杖を構え、扉の脇に身を隠した。
扉が開く。ランプを持った小太りの女性が眠たそうにしながら入ってきて、私を見た瞬間、息を詰めた。
「こんばんは」
風が吹き、黒いローブと白い毛布がはためいた。夜と雨の匂いに混じり、蛇独特の土のような湿気た匂いが部屋に広がる。
職員は蒼白な顔をして叫ぼうとしたその瞬間──モーフィンがさっと前に現れ杖を一振り。
ばちり、と空気が弾ける音がして、女性は扉の前で立ち尽くした。
「お前、何を見た?」
「わたしは……今日、伯父さんと、お姉さんが正式に手続きをして……弟さんを……」
「そうだな」
モーフィンが短く言うと、女性の目が虚ろに揺れ、瞳の焦点が一瞬揺らぎ、顔から血の気が引いた。次の瞬間には、ふわりと笑って「お気をつけて」と呟いた。そのままくるりと周り、何も言わずに扉を閉める。
私とモーフィンは黙って視線を交わし笑った。──きっと、ゴーント家らしい、悪い笑い方だっただろう。正式な手続きなんて、何もしてないし、これからするつもりもない。
──でも、それが魔法族のやり方だ。
「行くぞ」
「うん」
私はトムを抱え直し、窓へ駆け寄る。毛布の隙間から様子を伺っていたトムは、窓から飛び降りた瞬間息を呑み私の首に一層強く縋りついた。
モーフィンがすぐに杖を振るい、私の腕を掴んで一緒に着地する。空気が一瞬にして重くなり、分厚い空気の層を踏み締めたような感覚があった。ゆっくりと、見えない何かに沈むように降りていき、濡れた石畳を踏み締める。
小さな体のトムが、恐々目を開けて私を見上げた。さらり、と落ちた私の髪が、トムの頬にあたる。
私とよく似た灰色の瞳が、雨粒の中で揺れていた。
「寒い?」
「……ちょっと」
「大丈夫、すぐにあったかいお家に帰るわよ」
私は笑って、モーフィンに頷く。
モーフィンが無言で杖を振り、視界がぐにゃりと歪む。姿現しの風が吹き荒れ、夜のロンドンが闇に飲まれる。
──次の瞬間、私たちはあの煉瓦の家の前に立っていた。
掃除をして綺麗になった、私とトムの家。
弟と、リリスのための家。
「着いたわ、トム」
そっと降ろす。
トムは確かめるように地面を踏み締めた。はらり、と白い毛布が地面に落ちる。
一歩、一歩と家に近づく。
「……僕の、家……」
小さな手が私の袖をぎゅっと掴んでいた。
その小さな、震える声を聞いた瞬間、私の胸の奥で何かが、柔らかく溶けた。