ーーー腕撓骨筋裂傷、前腕及び撓骨に亀裂。その他筋骨にも深いダメージがあるので、しばらくは動かさないこと。
以上が俺の診断結果である。我ながら酷い。
あの後おじさんがヨシノシティにあるポケモンセンターに連絡し、ヒメグマは事無きをえた。リングマも一応検診された後、ヒメグマ共々森へ帰って行った。
のはいいが、ジョーイさんに腕の怪我について相談したら即効治療室行きになってしまった。なんてこったい。
治療は非常に首尾よく行われた。しかし薬品は傷口に沁みるわジョーイさんのお説教は心に沁みるわで色々と辛い。まあお陰で化膿もせず蛆もわかなかったので良しとする。
さて。
一通り記したところで重大発表がある。
「僕はウツギ。ポケモン博士……まあ、平たく言うと研究家として働いているよ」
なんとこのおじさん、ポケモン金銀(HGSS)においてのキャラクター、『ウツギ博士』だったのだ。ただのハイキング中のおじさんにしては何処かで見たような覚えがあったので妙に納得した。
今日はコガネシティに私用があったとのこと。
よって現在地はウツギ研究所だ。かなりの資料が床に散らばっている。おじさん改めウツギ博士はそれらをテキトーに片付けると、俺とアマタを椅子に座るよう促した。
「きみの名前は?」
「……名前………」
言葉が詰まる。
そういえば、こちらの世界での俺はどういった存在なのだろう。こちらの世界に自然発生(と表現すると何だか無機質な感じがするが)したのだろうか。それとも今は一時的にこの肉体を『俺』という魂がのっとっているのだろうか。
「ああ、無理をしなくてもいい。ゆっくりでいいよ」
ウツギ博士が俺に言う。別に無理などしていないが、もしかすると心配をかけるような仕草をしていたのかもしれない。
しかし名前についてはどうしよう。悩むのは苦手なので、この際向こうの世界での名前を名乗ってしまおうと思う。
「前に居たところでは『ナユタ』って呼ばれてました」
一応『前に居たところ』と濁しておく。後々こちらの世界での本名がわかったら何て説明すれば良いかわからないし。だが少し引っかかったのかウツギ博士の顔が顰められる。
「『前に居たところ』?」
「ぼく、は、一時期遠いところに住んで居まして。でも……」
畏まって自分のことを『ぼく』なんて呼ぶのは実に二十年ぶりである。高校受験の面接でさえ『私』が一人称だったしな。加えて俺は嘘をつくのが下手くそなので、流暢に嘘が言えずやはり言葉が詰まってしまう。
「………ごめん、嫌な質問をしてしまったね」
「いえ。平気です」
博士の哀れむような声音に泣きそうになる。俺はどちらかと言うと他人と接触するのが苦手なので致し方ない。そこ、言い訳とか言わない。
「そうなると、ジョウトに来たことに理由はないんだ?」
「はい」
俺の気持ちを汲んでくれたらしい博士は見た目通り心優しいおじさんだ。アマタはそんな俺をじとーっと見つめている。いいだろ、少しくらい他人の優しさに感動したって。
「それじゃあね、きみに……いや、きみとアマタくんに依頼したいことがあるんだけど」
依頼?
耳慣れない言葉に首を傾げた。アマタを見ると、彼にも心当たりは無いらしい。頭にはてなマークが浮かんでいる。
「単刀直入に言おう。『助手』になって欲しいんだ、きみたちに!」
助手。助手? そう、助手。
ーーーって、
「助手……?」
驚きのあまり語尾が小さくなる。デジャヴだ。いやしかし、助手になる? この俺が?
因果関係が掴めなかった。俺のどこをどう見たらそのような考えが浮かぶのだろう。博士には悪いが目の付け所がおかしいとしか思えない。
困惑する俺に博士は続ける。
「アマタくんを見た限りかなり強いでしょ? 僕、そういうのを見極めるのは得意だからさ」
「はあ。……よかったね、アマタ」
「くおんっ」
博士に褒められてご満悦のアマタ。俺が祝福してあげると、頬を朱に染めたままそっぽを向いてしまった。このツンデレめ……ではなく。
ならアマタだけでも良いのではないか? アマタは利口だし、力もある。素直に言うことを聞く良い子かと質問されれば唸ってしまうものの、おだてれば木に登ってくれると思う。
俺がついて行っても足手まといにしかならないだろう。以上のことから断ろうと口を開きかけたが。
「それにさっきのリングマを鎮めたのはきみだよ、ナユタくん! 冷静な判断力、知恵、ポケモンとのコミュニケーション能力……。トレーナーとしての資質も経験も充分ある」
この博士、やはり目の付け所がおかしい。何を思って俺を冷静と見たのかがさっぱりわからなんだ。実はズレている人なのかもしれない。
そもそも経験ってなんのこっちゃ、だ。ポケモン歴が長いと滲み出てしまうのかもしれない。オーラ的な物が。
とりあえず「はあ」とだけ返事しておく。
「無茶振りなのはわかってる。けど、お金や生活必需品なんかはこっちで工面するから……」
お願い♡
そう言いたげな瞳である。良い年したおじさんがする目ではないことは確かだ。
しかしここまで懇願されると断りにくい……。
ーーーいや、むしろチャンスか。
しばらくはこちらで暮らすことになるはず。金はかかるが小さな子供を雇ってくれる物好きなどなかなかいないし、独り身だと色々大変である。一人暮らし期間15年を突破した俺が言うのだから間違いない。
となれば、博士の助手として働くのが吉だろう。
「……わかりました。いいよね、アマタ」
「うおんっ!」
アマタの元気な返事を聞いた博士の表情がいっそう柔らかくなる。俺自身、胸の奥が煮えるのを抑えられなかった。ワクワクというのはこう言うことなのだと知る。
窓の向こうで茂みを創る草花は明るい光をたたえ、俺達を応援してくれているようだった。あまりの眩しさに俺は目を細める。
だが自然と、頬が緩むのを感じた。
そのまま視線をスライドさせると、博士の襟元に黒く小さな物体を発見。虫だろうか?
不思議に思って博士に近づく。
「博士。糸屑が……いえ、虫が付いていましたよ」
「え? あ、そっか。ありがとう」
指先で黒く物体を摘まんでみる。意外に硬くゴリゴリとした感触なので、虫というよりはゴミに近い。ただ床に捨てるのはマナー違反だと思い、ポケットにしまった。
いやあ、それにしてもワクワクするな。
***
「……ここがウツギ研究所か」
草花が創り出した茂みは深い。故にこの少年の赤髪も目立つことはなく、昏い緑の中に溶け込んでいた。鼻腔に入り込んでくる青臭い薫りに苛立ちつつ、至って冷静に眼前の景色を見据える。ウツギが研究室へ戻ってくるのを確認すると、急遽変更することとなった計画を頭で練り直しながら手元のスコープを覗き見た。
同時にインカムの電源を入れる。ウツギに仕掛けた超小型盗聴器から電波を受信するためだった。
《きみの名前は?》
ウツギの声と周波が一致した。間違いなく彼の声である。
ーーーしかし。
《……名前………》
少年は、思わずスコープを握り潰しそうになった。
『急遽変更することとなった計画』。
その元凶の声が、盗聴器越しながら聴こえたのだ。
かつて己の父が統率していた組織の残党を滅ぼすこと。
それが少年の目的である。
父は3年前、行方をくらませた。原因は父の『弱さ』にある。たった1人の子供に組織そろってやられたのは、父が弱いからだ。
父が弱くなければ。
父が強ければ。
自分がもっと強かったならーーー
自分は、父に捨てられなどしなかった!
『強さ』に固執した少年は、『弱さ』の、父の幻影である組織を潰さねばならないと考えた。
必要なのは強いポケモン。比類なき強さを有する、最強のポケモンだ。
そこで少年はとある噂を聞きつける。
『かのウツギ博士に、コガネシティにて強いポケモンを3体受け渡される』と。
強いポケモンとは極めて抽象的な言葉だった。だが父より授かった偵察技術で噂の真偽を確かめたところ、白であることが判明した。
3体とはチコリータ、ヒノアラシ、ワニノコだという。どれも育てれば強力なポケモンに進化するらしい。
ただ、強奪すればジュンサーやポケモン学会に目をつけられる可能性は高い。なるべく目立たず、隠密にこなす必要がある。如何にすれば良いか。答えは簡単であった。
『ウツギの殺害』、である。
よってウツギが使うとされる林道に罠を仕掛けた。それがあのリングマとヒメグマだった。リングマが餌を探している間、ヒメグマに傷を負わせたのは少年だったのだ。
上手いことウツギがリングマにやられた後、少年がポケモンを盗んでしまおうという計画を企てていた。実際物事は円滑に進んだ。後一押し、そう言えるところまでは行ったはずなのだ。
だというのに‼︎
《前に居たところでは『ナユタ』って呼ばれてました》
ナユタと名乗るこの男が、少年が練った計画をいとも簡単に打ち破ってみせた。
本来なら喉笛でも掻っ切ってやるところだが奴の連れているリオルは相当の手練れである。一所作に無駄がない。丸腰で行けば返り討ちになるだろう。
傍に過ぎて行く時間。どうやらウツギはナユタを助手にする気らしい。
少年はここまで誤算が生じるなど思っていなかった。これも誤算だ。
何もかもあのナユタとかいう男のせい。
少年の瞳に炎が宿る。もはやナユタに復讐する事以外には消火できない、怒りの炎が。その為にも早くポケモンを盗らねばいけない。
と、少年が再びスコープを覗いたその時だった。
かちん。
音が鳴りそうな程正確に視線が合う。
磨き抜かれた黒曜石よりも黒く、しかし輝きを失った目玉。少年の瞳とそれが一直線で繋がったという事実。
あの父ですら少年が本気で身を隠せば探し出せなかった。
だが、この、ナユタ、とかいう……男は。
ナユタの目玉が細まる。
ぎゅっと絞られた深潭。
3年、いやそれよりもずっと昔。
これと同じものを見た。
「ひっ……」
少年は小さく悲鳴を上げた。
まだ自分が一桁だった頃に大きな失敗をした。
「と、……とう、さん……」
父ーーーサカキがこんな風に目を細めたのだ。あれこそが我が父サカキの恐ろしさの片鱗を味わった瞬間だった。
そんな少年を見てナユタは不敵な笑みを浮かべると、
《博士。糸屑が……いえ、虫が付いていましたよ》
ブチッというノイズが走る。
ナユタがウツギの盗聴器の存在に気付いたらしい。
『虫』とは盗聴器自体ではなく、少年を表しているのだと気付く。
ーーーナユタはサカキに似ている。
だがそれが何だ。サカキは『弱さ』の結晶。『ロケット団』も、ナユタも。全てはサカキの幻。『弱さ』の塊だ‼︎
『弱さ』は要らない。粛清しなければならない。
それこそが少年に課された使命なのだ。
「………ぶっ潰してやる……」
少年の瞳には再度炎が宿る。次こそは誰にも消火できない、宿命と決意の炎だった。
『シルバー』。
そう名付けられた少年は、後にナユタのライバルになる。
アマタとシルバーは同じようなもんです。
シルバーって名前は悩みました。色々思案してみましたが、やっぱりデフォルトっぽいこの名前になったのです。HGSSにてサカキさんの息子確定していたので、この設定でも大丈夫ですよね?
ちなみに、うちのシルバーさんは熱しやすく冷めにくい性格です。サカキさんのことは3年前に『父さん』→『親父』へと呼び方が変化いたしました。