金の匂いがした。 ただし、それは通貨の臭気ではない。もっと純粋で、もっと熱を帯びたもの。 それは、何かを成し遂げようとする者たちが放つ――志という名のエネルギーだった。
アビドスの地下、崩れかけた廃墟街の一角にある元ゲームセンター――いまや《アナハイム・エレクトロニクス》と名乗る企業の本拠地から、その熱は立ち上っていた。
「また爆発音か……まるで戦場、いやゲヘナだな」
私は分厚い帳簿を抱え、瓦礫の山を踏み越えて進む。 その足取りに迷いはない。 ティーパーティー財務局に所属していた日々、私はあらゆる混乱と破壊を見てきた。 そして、数多の政治的謀略の中を泳ぎ切ってきた。
だが――私は、そこに限界を感じていた。
かつて、私は信じていた。 守るべきは、伝統であり、秩序であり、利権だった。 既得権益の防衛こそが正義であり、それが多くの人間を救う最善策だと。
だが。
「……正義とは、時に鈍くなるものだな」
あの最後の会議。 友人が提出した『ティーパーティーの不正内部告発』を、自分の手で葬り去った瞬間、私は悟った。 この手で守ってきたのは未来ではなかった。 ただ“壊れないこと”を守っていたに過ぎなかったのだ。
それから、私はトリニティを去った。
無論、進路など無い。 だが、それも良いだろう。今までの私は、道を選びすぎていた。 次は、“道なき場所”を歩いてみようと、ふと思ったのだ。
──そして出会った。 《アナハイム・エレクトロニクス》という、アビドスの未だ名も無き企業を。
SNSの片隅に、実に雑な求人広告が転がっていた。
《爆発OK!未経験歓迎!試作品売れました!》
誰が応募するか、と思いながら、その文言に妙な胸の高鳴りを覚えていた。 この不条理と悪意に満ち溢れたキヴォトスという暗い大海に、たった一隻の小舟で乗り出そうというバカ共がいるらしいのだ。 アビドスという忘れ去られて久しい死んだ土地に、まだ芽吹こうとする新芽があるのだと。
だから私は、その舟に乗りたいと思った。
新芽を摘むことを生業としてきた私が、その新芽を守ろうなどと実に滑稽かもしれないが…
これは賭けだ。 だが、私は数多の政争で、もっと無謀な賭けをしてきた。 ならば、今度は――理想に賭けてみても、罰は当たるまい。
アナハイム本社のドアを開けると、爆煙とともに、黒髪の少女が飛び出してきた。
「わあ!? また燃えてる!? 博士、やめてって言ったじゃん!!」
……社長か。 この少女が、裏月ビスト――元アビドス高等学校の生徒で、今や一企業の代表だという。
小柄な体躯に、不釣り合いなほど真っ直ぐな目。 その奥に、確かな意思を宿している。 無謀だが、愚かではない。 それが第一印象だった。
なるほどーー
「失礼、初対面でこんな場所に踏み込むのは、礼を欠くこととは存じているが……」
私は帽子を軽く外し、最敬礼した。
「本日、貴社の面接に伺わせていただきたく参上した。五十嵐ゴプヌ――ここに来る前は、トリニティで財務局をやっていた」
「……え? えっ?」
目を白黒させる社長を前に、私は新鮮な表情だとニンマリにやける。
面白くなってきたじゃないか、まずは雇ってもらえるかどうかだ。
ーーーーー
その日の夜、当てがわれた帳簿を見ながら私はふと思い返していた。 なぜ、私はここにいるのか。 なぜ、この爆発と混沌に満ちた地下企業に身を投じたのか。
その答えは、もう明確だった。
私は、“自分が変わりたい”と思ったのだ。
生徒会という権力の中心にいた私が、保身ではなく挑戦を望むようになった。 それは、裏月ビストという少女の在り方が、あまりに眩しかったからだ。
無謀だ。未熟だ。だが、純粋だ。
その純粋さを、守るのではなく、育てたいと思った。
「……ならば、私の手腕、存分に使ってもらおう」
帳簿を閉じ、私はペンを置く。
あとは、計画を練るだけだ。 爆発と技術だけでは企業は成り立たない。 そこに数字と理論、未来への道筋を重ねることで――《アナハイム・エレクトロニクス》は、真に空へと翔ける企業になる。
「人が動き、金が動き、そして世界が動く。ならば、私の使命はまだ終わっていない」
もう一度、この力を使うのだ。 守るためではない。 築くために。
そしてその先には、必ず新たな“景色”が待っていると、私は信じている。
感想をくれると、筆者がうっひょひょい拳を披露するよ!