数学者レオニダス・ホイターに転生した大学生、彼の功績を再現しなければ人類史が変わるので必死に再発見します 作:紫 和春
コラオル暦1710年8月6日。カタリナ嬢の授業を受け持って以来の、最大の山場を迎えていた。
すでに雨宮は、小テストを使った課題で2敗している。今日中に何かしらの手を打たなければ、カタリナ嬢は雨宮のことを学院から追放するように仕向けると明言している。それだけは何としても避けなければいけない。
「それで、今日はイリナに任せる、で大丈夫だよね?」
「うん。何とかなるように頑張るわ」
しかし、雨宮はどこか不安げである。
(イリナは何か秘策を持っているのかもしれないけど、あのお嬢様のことだからなぁ……。すでに理解している分野をお出ししたら、かなりマズい方向に動くかも……)
不安は尽きない。しかし、今は他に方法がないのも事実だ。
そしてその時はやってくる。
「おはようございますわ」
カタリナ嬢が扉を開けて、研究室に入ってくる。もちろん、後ろにはアリーがいた。
「おはようございます、カタリナお嬢様」
「今日もテストするんですの?」
「いえ。今日は趣向を変えて、彼女の授業を受けてもらいます」
そういってイリナの方を見る。
「イリナ・ザルビアです。初日にお会いしたのを覚えていますでしょうか?」
「あなたね、覚えていますわ。それで、あなたが何を教えてくれるのでしょう?」
「それは実際に授業を始めてからのお楽しみです。ではこちらに来てください」
そういってイリナは、いつも自分が研究する際に使用する机へと案内する。カタリナ嬢は彼女に従い、用意された椅子に座った。
「上手くいきますかね……?」
雨宮は小声でヌルベーイに聞く。
「上手くいってほしいけどね……」
こればかりはイリナに任せるしかないだろう。
開始から5分ほど経過したが、遠目から見る限りは何も変わりないように見える。イリナが紙を見せて、何かを説明しているようだが、それがなんなのかはさっぱり分からない。しかしカタリナ嬢は、何も言わずにイリナの説明を熱心に聞いているようだった。
(これ以上、俺がやきもきしていても仕方ないか……)
雨宮は集中を別の方向に向ける。もうすぐで微積分の基礎体系が完成するところなのだ。
研究ノートを開き、論文にしたためるための情報を抜粋していく。すでに登場している極限の概念から、フライミニッツやニュートールが提唱した微積分の概要、そして雨宮の記憶から引きずりだした未来の表記法をこの時代に合うようにして、これを論文として記していく。
こうして1時間ほどで、論文の下書きが完成した。ここから予稿を書いていく。
休憩がてら、イリナとカタリナ嬢の様子を見に行く雨宮。するとそこには、号泣しているカタリナ嬢とそれを慰めているイリナの姿があった。
「え、え? 何この状況……」
「あ、レオ。もう大丈夫になったから」
「何が……?」
「お嬢様の授業の話」
それからイリナは、カタリナ嬢に許可を貰ったうえで、簡潔にカタリナ嬢の身の上話をする。
以前アリーにも言われた通り、カタリナ嬢は四女の末っ子で、どうやっても明るい未来はやってこないことを理解していた。そこで、せめて世界のことを知り、また何かしらの運命に導かれても良いように勉学に励んだという。もし家から追い出されて独りぼっちになったとしても、生きていけるように。
「━━その苦労と寂しさで押しつぶされそうになったときもあったけど、それでも自分が生き残るためにずっと努力をしてきたそうなの。でも結果は、こうして留学という形になってしまった」
「私……! いよいよ家から追い出されるの……!」
そういってカタリナ嬢は泣いている。
「そうか……」
雨宮は一度アリーの方を見る。アリーはちいさく頷いた。
「カタリナお嬢様。少し残酷なお話をしても良いでしょうか?」
「何……かしら?」
グズグズと鼻を鳴らしながら、カタリナ嬢は雨宮のことを見る。
「実は昨日、アリーさんの元に手紙が届いたそうです。カタリナお嬢様の兄、ランガード様が暗殺されたと書かれていました」
「お兄様が……!?」
「えぇ。ランガード様は爵位後継順位1位であり、唯一の後継者です。しかし、亡くなられた今、この爵位を継承できる人物はカタリナお嬢様、ただ一人になります」
「ですが、女性に爵位は継承出来ないはずでは……?」
「それに関しては、当主様が何とかしているそうです」
そこまで話すと、アリーが雨宮の横にやってくる。
「申し訳ございません、お嬢様。この情報を申し上げようにも、私は躊躇ってしまいました。そして、このような形で肉親の不幸をお知らせしてしまったことを、私は深く後悔しております」
そういってアリーは深々と頭を下げる。
「アリー……」
カタリナ嬢は椅子から立ち上がり、アリーのことを抱きしめる。
「大丈夫ですわ。私はこういう時のために勉強してきたのですから」
「お嬢様……」
そういって二人は抱き合う。
(これで解決……なのかな?)
そんな時、研究室の扉がノックされる。
「すみません、レリゴレム辺境伯のカタリナ・カウル・フィードリヒ様はいらっしゃいますでしょうか?」
郵便の配達員が来た。
ヌルベーイが郵便を受け取り、カタリナ嬢に渡す。
その手紙を開いたカタリナ嬢は目を見開く。
「お父様が私のために、王都で婿を見つけてきたそうですわ……! お相手は……、カドーム公爵の五男!」
「おそらく当主様もランガード様の訃報を聞いているでしょう。そのために当主様はお嬢様をレリゴレム辺境伯の当主とするように動いてくださっているのです」
アリーの言葉で、カタリナ嬢は再び大粒の涙を流す。
手紙には、留学は切り上げて直ちに領地へ戻ること、その後爵位を相続し辺境伯の当主となること、それに伴い、公爵家の男子と結婚することが書かれていた。
この知らせを聞いたカタリナ嬢は、いても立ってもいられずに、その日の内に学院を飛び出したそうだ。
「これで一件落着ですかね」
「そうだねぇ。ホイター君にとっては、かなり心臓に悪い数日間だったと思うけどね」
「いや本当ですよ。寿命が縮むかと思いました」
「でもレオなら大丈夫って思ってたから」
「それ本心か……?」
こうして、ちょっとした騒動は、なんとか丸く収まったのであった。