とある魔術の鈴科百合子   作:稜の幻想日記

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第5話

 朝靄がまだ残る薄明かりの空。鈴科は屋上の冷たいコンクリートに立ち、遠くの街のざわめきをかすかに聞きながら、視線を一点に集中させていた。

 

 静寂を破るように、軽やかな足音が近づく。

 

 鈴科はゆっくりと顔を上げた。

 

 

「……用があるなら、菓子折り持って来やがれってんだよ」

無表情のまま、鋭く尖った声が空気を切り裂く。

 影が動き、長い黒髪をポニーテールに結った女が姿を現す。

 彼女はTシャツに、片方の裾を根元まで大胆に切り落としたジーンズを穿き、腰には特徴的なウエスタンベルトが光っていた。

 

 

 

「あなたが……あの子を保護した方ですか?」

 

 

 

 神裂火織は凛とした声で告げる。

 

 その口調は常に丁寧ながらも、揺るぎない決意と覚悟を纏っていた。

 

 

 

 鈴科は鼻を鳴らし、冷たく返す。

 

 

 

「教えねェよ」

 

 

 

「私は神裂火織。に所属しています」

 

 言葉は簡潔だが重みがあり、敵に対しても礼を欠かさない。

 

 

 

「……鈴科。別に覚えなくてもいい」

 

 

 

 視線が鋭く交差する。

 

 互いに名乗りを終え、緊張の糸が張り詰めた。

 

 

 

「どんな犠牲を払ってでも、あの子を連れ戻します。警告はここまで。すぐに引き渡しなさい」

 

 

 

 神裂の声は冷静でありながらも、絶対に譲らない意思が宿っている。

 

 

 

 鈴科は深く息を吐き、鋭い目で応じる。

 

 

 

「オレは一応“学園都市最強”を名乗ってンだ。てめェが何者だろうと、ここは通さねェよ」

 

 

 

 無言のまま、張り詰めた空気は戦いの前の静寂へと変わる。

 

 

 

 神裂はゆっくりと構えを取る。

 

「ならば、覚悟はできているようですね」

 

 彼女の声は静かだが、その奥に揺るぎない自信が満ちていた。

 

 

 

 片手で腰のウエスタンベルトに手を伸ばし、七天七刀の一振りを抜き放つ。

 

 細く鋭い刃が光を反射し、彼女の動きをさらに引き締めた。

 

 

 

 鈴科の眼光がより鋭くなる。

 

「てめェの力がどれほどか知らねェが……格の違いを教えてやンよ」

 

 

 

 屋上の冷気が二人の間で震え、交錯する。

 

 鈴科は計算された角度で石を飛ばし、神裂は一瞬の隙もなく、まるで舞うような動きで七天七刀を振るう。

 

 

 

「その程度の小手調べ、通用しません……よっ!」

 

 

 

 その一喝と共に繰り出された攻撃は、ただの力押しではなく、長年鍛え抜かれた技の結晶だった。

 

 

 

 鈴科はその動きを凝視しながらも、ぎりぎりで躱す。

 

 しかし遂に神裂の斬撃が空気を裂く。

 

 

 

 細く鋭い刀身が、鈴科の肩先へ一直線に迫る。だが──

 

 

 

「……チッ」

 

 

 

 斬撃が届く寸前。手応えは、確かに“そこ”にあったはずだった。

 

 

 

 しかし刃は何も捉えない。

 

 

 

「な……っ!」

 

 

 

 次の瞬間、背後で金属音のような反響が響く。

 

 振り返れば、先ほどの斬撃が進むはずだった軌道上のコンクリートが抉られ、粉塵が舞っていた。

 

 

 

「──悪ィな。触れる前に跳ね返させてもらったぜ。これがオレの能力、ベクトル反射。オレの体に向かってくる運動は、全部“自動で”反射されンだよ。たとえお前の刃が神速だろうと関係ねェ」

 

 

 

 神裂の瞳がわずかに見開く。

 

 

 

「……自動で反射?」

 

 

 

「オウよ。こっちが意識しようがしまいが、オレに向かってくる運動ベクトルは、全部“反射”されるってワケだ。物理的な衝撃だろうが熱だろうが音波だろうが関係ねェ」

 

 

 

 そう言いながら、鈴科は首筋を指先で掻いた。気怠げな仕草。だが、その姿はまるで壁のような絶対性を背負っていた。

 

 

 

「触れもしない斬撃を……」

 

 神裂は呟くように言う。

 

「……“知覚”し、“反射”していたというのですか」

 

 

 

「反射すんのはオレじゃねェ、“ここ”だ。ベクトルの制御も防御も、全部頭の中で自動計算してくれてンだよ。てめェが剣を抜いた瞬間には、もう“終わってる”」

 

 

 

 鈴科は笑う。だがその笑みには侮りも慢心もない。

 

 ただ純粋に──この世界の“理”を掌握している者の余裕だった。

 

 

 

 神裂は無言のまま目を閉じる。

 

 静かに呼吸を整え、刃を逆手に構える。

 

 

 

「……なるほど。では、今度はあなたの演算を“欺く”」

 

 

 

 その宣言と同時に、神裂が地を蹴った。

 

 

 

 風が悲鳴を上げる。

 

 瞬間移動と見紛う速さ──まさしく“聖人”の身体能力。

 

 

 

 だが──

 

 

 

 キィン! 

 

 

 

 またしても、神裂の刀は何も捉えることなく弾かれる。

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 

「あのなァ、どンだけ速く動こうが……こっちには“最初から”、てめェの動きは“見えてンだよ”」

 

 

 

 コンクリートに立つ白い影が、ゆっくり一歩前に出る。

 

 鈴科の足元には何もない。だが空間そのものが、歪んだような圧を放っていた。

 

 

 

「ベクトルはどこにでもある。てめェが足を踏み出した瞬間の“摩擦”すら、オレには十分な情報なんだよ」

 

 

 

 神裂の眉がわずかに寄る。

 

 

 

「そんな……たとえ光速に近づいたとしても?」

 

 

 

「試してみろよ。けどよ、今度は“立ってる”だけじゃ済まねェかもなァ?」

 

 

 

 にやり、と。

 

 白い髪を揺らしながら、鈴科が口角を吊り上げた。

 

 

 

「オレを突破したけりゃ、運動そのものを“この世から消す”方法でも考えな」

 

 

 

 神裂火織。魔術サイド随一の剣士。

 

 その剣は世界の理すら断ち切るほどの速さと精度を誇る。

 

 

 

 だが──それでも。

 

 

 

「“学園都市最強”は、伊達じゃねェんだよ」

 

 

 

 再び静寂が戻る。

 

 だがそれは、決して平穏の静けさではない。

 

 

 それは──

 

 理と理が拮抗する、ほんの束の間の沈黙。

 

 そして次の瞬間、再び雷鳴のような激突が始まろうとしていた。

 

 

 

 神裂が先に動いた。

 

 

 空気が破裂し、風が軋む。

 

 人間の域を超えた剣速──まさに“聖人”の領域。

 

 斬撃が閃光のように奔ったその瞬間、再び“何か”に弾かれるようにして神裂の体が跳ね返る。

 

 彼女は後方へ飛ばされ、膝をつく。

 

 だが、その目には驚愕も焦りもない。

 

 むしろ──鋭い光が宿っていた。

 

「……今ので確信しました」

 

 静かに、だが確かな強さを持って、神裂が言葉を紡ぐ。

 

「あなたの反射は絶対じゃない。たとえ一瞬でも、あなたの反応は“揺らいだ”。完全な自動なら、反応が遅れることなどありえないはずです」

 

 鈴科の目が細くなる。わずかに口元が吊り上がる。

 

「チッ……言ってくれるじゃねェか」

 

 

 

「確かにあなたは“最強”かもしれない。でも、完璧ではない。そこに光はある。私はそう信じています」

 鈴科は肩を竦める。

 

「……だから何だってンだよ。見つけた“揺らぎ”ひとつで、オレに勝てるってワケじゃねェだろ?」

 

 

 

「確かにこのまま続けても、決着はつかない」

神裂の声は穏やかだった。けれど、その奥にある覚悟は変わらない。

 

 

「ですが、あなたも私を倒すことはできない。私も、あなたを超えられない。だから今日は引きましょう」

 

 

 そう言って、神裂はゆっくりと刀を鞘に戻し、無言のまま屋上から飛び降りる。そして、最後に一言だけ残した。

 

「……次に来るときは、もう少し“精度”を上げてきます。今度こそ、あなたを超えるために」

 

 鈴科は答えなかった。

 

 ただひとつ、空を仰ぐようにして、小さく呟く。

 

 

「……クソッたれな朝だぜ、ホントに」

 

 

 戦いの痕だけが、朝霧の中に静かに溶けていった。




んごごごご
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