とある魔術の鈴科百合子   作:稜の幻想日記

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第6話

 朝靄がまだ窓の外に薄く残っている。

 その気配を裂くように、鈴科はベランダの手すりを越えて、静かに屋内へと滑り込んだ。

 

 窓ガラスがわずかに揺れただけで、音はしない。

 白い影は、何事もなかったように部屋の空気に馴染んでいく。

 

 「──戻ったぞ」

 

 その低い声に、ソファの上で小さくうずくまっていた銀髪がぴくりと動いた。

 

 「無事だったんだ……」

瞳には安堵と、ほんの少しの不安が混ざっている。

 鈴科は淡々と部屋の中に入ると、目もくれずキッチンへ向かった。

 水の音が響く。

 

 「怪我……してない?」

 

 その問いにはすぐに答えず、鈴科は黙ってもう一口水を飲んだ。

 

 「してねェよ。そう簡単に、やられてたまるかってンだ」

 

 それでもインデックスは、じっと彼を見つめていた。

 心配そうに、でも無理には踏み込まずに。

 

 鈴科は観念したように小さく息を吐いて、ソファへ腰を落とす。

 インデックスも静かにその隣に座った。

 

 「……本当に、無理しないでね?」

 

 「オレが誰だと思ってンだよ。学園都市最強だぜ?」

 

 「最強でも、痛いのは痛いし、つらいのはつらいんだよ」

 

 静かな部屋に、その言葉だけがやけに優しく響いた。

 

 鈴科は何も言わず、目を閉じる。

 

 「でも、ちゃんと帰ってきてくれてよかった」

 インデックスがそう呟いたあと、少しだけ間があった。

 

 鈴科は目を閉じたまま、返事をしなかった。ただ、深く息を吐いて、背もたれに体を預ける。

 

 その静けさの中で、インデックスがぽつりと口を開いた。

 

 「……そういえば、あなた、まだ名前……教えてくれてないよね?」

 

 その声に、鈴科の眉がほんのわずかに動いた。

 

 「名前、知らないままなのに……守ってくれたんだよね」

 

 その言葉には、非難の色も探るような気配もなかった。ただ純粋な感謝と、少しの寂しさ。

 

 鈴科は目を開き、天井を見上げたまま、低く呟いた。

 

 「……教える理由がねェだろ。どうせ明日にはバラバラだ」

 

 「ううん。そんなふうに言わないで」

 

 インデックスは静かに首を横に振る。

 

 「だって私は、今日あなたに守ってもらった。それは消えないよ。名前も知らないのに、ずっと心配してた」

 

 言葉は小さいが、しっかりしていた。まっすぐな想いが込められている。

 

 鈴科は口元を引きつらせ、視線を逸らした。

 

 「……別に、オマエのために戦ったワケじゃねェ」

 

 「うん、それでもいいよ」

 

 にこりと笑うインデックス。その笑顔は、どこか不思議な重みがあった。

 

 「でも、私は知りたいな。名前。あなたのこと」

 

 沈黙。数秒の間のあと、鈴科は少しだけ口を開く。

 

 「……鈴科、だよ」

 

 「え?」

 

 「それで呼びたきゃ、勝手に呼べ。……オレから言うのは、これっきりだ」

 

 そう言ってそっぽを向く鈴科に、インデックスはまた小さく笑って、優しく返した。

 

 「……うん。ありがとう、鈴科」

インデックスは、まるで宝物を受け取ったかのように、そっとその名前を繰り返す。

 

 

 「少し寝る」

 

インデックスはそっと頷き、膝の上に置いた手を見つめたまま、小さな声で応じた。

 

 

「おやすみなさい」

 

 

 鈴科はそれ以上何も言わず、背もたれに深く体を預ける。まぶたを下ろす動作は、どこかぎこちなく、それでも確かに“安心”の中に身を置こうとするものだった。

 

 窓の外では、薄い朝靄が少しずつ晴れてゆく。どこか遠くで鳥が一声鳴いた。世界は、ようやく目覚めの気配を見せ始めている。

 

 静かに、そして確かに時間が流れていた。

 

 インデックスは横目で、眠りにつこうとする彼の横顔を盗み見る。

 

 疲れ切ったまなざし。眉間には、わずかに刻まれた苦悩の皺。けれど、どこか落ち着いたようにも見えた。

 

 “ほんとは、すごく疲れてるんだね……”

 

 そんな言葉を、喉の奥でそっと飲み込む。

 

 そっと立ち上がり、毛布を取りにいく。ベッドの端から引っ張り出したそれを、鈴科の肩へそっとかけた。

 

 彼は起きなかった。ただ、ほんのわずかに身じろぎをしただけで。

 

 インデックスは、鈴科の隣にそっと腰を下ろす。彼の呼吸が落ち着いているのを感じながら、自分の膝に視線を落とした。

 

 言いたいことはいろいろあった。聞きたいことも、たくさんある。けれど、それを今言うのはきっと違う。そう思った。

 

 「……また、話せるといいな」

 

 誰にともなく呟いたその声は、朝の光の中で小さく揺れた。

 

 そして、彼女もまた、背もたれに体を預けて、まぶたを閉じた。

 

 わずかに開いた窓から入る風が、ふたりの髪をそっと撫でていく。

 

 ──互いにまだ名前しか知らない。

 でもそれだけで、少しだけ、心が繋がった気がしていた。

 

 世界のどこかで、今日もまた非日常が牙を剥こうとしている。

 それでも今この瞬間だけは、守られた静けさの中にいた。

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