とある魔術の鈴科百合子   作:稜の幻想日記

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第8話

 キッチンからは、まな板を叩く軽やかな音が響いていた。
上条が手際よく野菜を刻み、鈴科はその横で鍋の火加減を見ている。

 

 鍋の中では彩り豊かなにんじんと、狐色に炒められた玉ねぎが静かに煮えている。その甘い香りが、ゆっくりと室内へと広がっていく。

 

「オイ、本当にこの火加減でいいのか? 焦げるぞ」

 

「大丈夫だって。こんくらいなら焦げねーよ」

 

「信用できねェな……ま、焦げたらテメェが全部喰えよ」

 

 鈴科がふっと鼻を鳴らすと、上条は苦笑しながら肉のパックを取り出した。調理中でも二人のやり取りは相変わらず淡々としていて、けれどどこか穏やかな空気が流れていた。

 

 リビングのソファには、インデックスがひとり腰を下ろしている。
さっきまで微笑んでいたその顔に、どこか落ち着かない色が浮かび始めている。

 

 右手で膝を撫でるようにしていたかと思えば、ふと立ち上がって窓際に歩いていき、また戻ってきて、今度はクッションを抱きしめる。その繰り返し。

 

 ちらちらとキッチンの方を見ては視線を逸らし、何かを言いたげに唇を動かしかけては、すぐに閉じる。

 

 それに気づいたのか、上条がふと包丁の手を止め、インデックスに声をかけた。

 

「おい、大丈夫か? 顔に“そわそわしてます”って書いてあるぞ」

 

「……なんでも、ないもん」

 

 インデックスは慌てて目を逸らしたが、その動き自体が「なんでもある」ことを如実に物語っていた。

 

 指先がソファの布をそっと掴んでいることに、本人だけが気づいていなかった。

 

 

 

 上条は包丁を置くと、やれやれというように笑う。

 

 

 

「……倒れてたんだからさ。ゆっくり休んでろよ」

 

「でも……二人が料理を作ってるのに私だけ何もしないのは……」

 

 言いながら、インデックスは足元を見つめるように視線を落とす。声はか細く、どこか申し訳なさそうだった。

 

「その気持ちはありがたいけどさ、今はこっちに任せてくれ。ほら、うまいカレー作るから。そっちでのんびり座っててくれよ」

 

 その言葉に、インデックスはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

 

「……うん。ありがとう」

 

 再びクッションを抱き、今度は静かにその場に落ち着いた。薄く微笑むその顔に、先ほどまでの落ち着かなさは見えなくなっていた。

 

 調理の音と、時折交わされる言葉だけが部屋に響く。

 

 鈴科は鍋を一度覗き込み、上条に手渡されたルウを半分に割って放り込んだ。

 

 カレーの香辛料が湯気に溶け、鼻腔をじわりとくすぐる。咽喉の奥に生唾がこみあげた。

 

「……これでいいのか?」

 

「おう。あとは混ぜてとろみが出るまで煮るだけ」

 

 お玉でぐるぐると鍋の中をかき混ぜながら、鈴科は湯気の向こうをぼんやりと見つめる。こうして料理をしているだけなのに、どこか妙な安堵感があった。

 

 自分がキッチンに立ち、誰かのために飯を作っている──
そんな時間が、こんなにも心地いいとは思っていなかった。

 

「……出来たか?」

 

「うーんもう少しトロミを付けたいかな。ちょっと味見してみるか?」

 

 上条がスプーンを差し出すと、鈴科は少しだけ眉をしかめながらも受け取った。

 

 ふーっと息を吹きかけ、一口だけ。

 

「……悪くねェな」

 

「だろ? これでも上条さんは料理が得意なんだぞ」

 

「まァ……ギリギリ合格だな」

 

 二人のやりとりに、リビングのソファからインデックスの笑い声が漏れる。

 

 三人分の皿を並べ、ルウをご飯の上にゆっくりと流し込む。立ちのぼる湯気が、空腹をいっそう刺激する。
上条が手を合わせながら声をかける。

 

「よし、それじゃ──いただきます!」

 

 スプーンを手に取ったインデックスが、目を輝かせながら最初の一口を口に運ぶ。

 

「……あつ、でも、おいしい……!」

 

 その笑顔に、上条も鈴科も目を細めた。
ただ静かに、こんな時間がもっと続けばいいと思っていた。

 

 ──その瞬間だった。

 

 インターホンの電子音が、部屋に響く。
 三人の手が、わずかに止まる。

 

「……誰だ、こんな時間に」

 

 玄関に向けて歩き出した上条の背を、鈴科とインデックスが無言で見つめていた。

 

 ドアスコープを除いた彼の顔が、一瞬だけ強張った。

 

 空気が、少しずつ張り詰めていく。

 

 ドアノブに手をかける直前、上条は一度だけ息を整える。
そして、ゆっくりと扉を開けた。

 

 

 

「……っ」

 

 ドアの向こうにいたその人物を見た瞬間、上条の目がわずかに見開かれる。

 

 

 

 つづく

 

 




次回あいつがくる
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