キッチンからは、まな板を叩く軽やかな音が響いていた。 上条が手際よく野菜を刻み、鈴科はその横で鍋の火加減を見ている。
鍋の中では彩り豊かなにんじんと、狐色に炒められた玉ねぎが静かに煮えている。その甘い香りが、ゆっくりと室内へと広がっていく。
「オイ、本当にこの火加減でいいのか? 焦げるぞ」
「大丈夫だって。こんくらいなら焦げねーよ」
「信用できねェな……ま、焦げたらテメェが全部喰えよ」
鈴科がふっと鼻を鳴らすと、上条は苦笑しながら肉のパックを取り出した。調理中でも二人のやり取りは相変わらず淡々としていて、けれどどこか穏やかな空気が流れていた。
リビングのソファには、インデックスがひとり腰を下ろしている。 さっきまで微笑んでいたその顔に、どこか落ち着かない色が浮かび始めている。
右手で膝を撫でるようにしていたかと思えば、ふと立ち上がって窓際に歩いていき、また戻ってきて、今度はクッションを抱きしめる。その繰り返し。
ちらちらとキッチンの方を見ては視線を逸らし、何かを言いたげに唇を動かしかけては、すぐに閉じる。
それに気づいたのか、上条がふと包丁の手を止め、インデックスに声をかけた。
「おい、大丈夫か? 顔に“そわそわしてます”って書いてあるぞ」
「……なんでも、ないもん」
インデックスは慌てて目を逸らしたが、その動き自体が「なんでもある」ことを如実に物語っていた。
指先がソファの布をそっと掴んでいることに、本人だけが気づいていなかった。
上条は包丁を置くと、やれやれというように笑う。
「……倒れてたんだからさ。ゆっくり休んでろよ」
「でも……二人が料理を作ってるのに私だけ何もしないのは……」
言いながら、インデックスは足元を見つめるように視線を落とす。声はか細く、どこか申し訳なさそうだった。
「その気持ちはありがたいけどさ、今はこっちに任せてくれ。ほら、うまいカレー作るから。そっちでのんびり座っててくれよ」
その言葉に、インデックスはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……うん。ありがとう」
再びクッションを抱き、今度は静かにその場に落ち着いた。薄く微笑むその顔に、先ほどまでの落ち着かなさは見えなくなっていた。
調理の音と、時折交わされる言葉だけが部屋に響く。
鈴科は鍋を一度覗き込み、上条に手渡されたルウを半分に割って放り込んだ。
カレーの香辛料が湯気に溶け、鼻腔をじわりとくすぐる。咽喉の奥に生唾がこみあげた。
「……これでいいのか?」
「おう。あとは混ぜてとろみが出るまで煮るだけ」
お玉でぐるぐると鍋の中をかき混ぜながら、鈴科は湯気の向こうをぼんやりと見つめる。こうして料理をしているだけなのに、どこか妙な安堵感があった。
自分がキッチンに立ち、誰かのために飯を作っている── そんな時間が、こんなにも心地いいとは思っていなかった。
「……出来たか?」
「うーんもう少しトロミを付けたいかな。ちょっと味見してみるか?」
上条がスプーンを差し出すと、鈴科は少しだけ眉をしかめながらも受け取った。
ふーっと息を吹きかけ、一口だけ。
「……悪くねェな」
「だろ? これでも上条さんは料理が得意なんだぞ」
「まァ……ギリギリ合格だな」
二人のやりとりに、リビングのソファからインデックスの笑い声が漏れる。
三人分の皿を並べ、ルウをご飯の上にゆっくりと流し込む。立ちのぼる湯気が、空腹をいっそう刺激する。 上条が手を合わせながら声をかける。
「よし、それじゃ──いただきます!」
スプーンを手に取ったインデックスが、目を輝かせながら最初の一口を口に運ぶ。
「……あつ、でも、おいしい……!」
その笑顔に、上条も鈴科も目を細めた。 ただ静かに、こんな時間がもっと続けばいいと思っていた。
──その瞬間だった。
インターホンの電子音が、部屋に響く。 三人の手が、わずかに止まる。
「……誰だ、こんな時間に」
玄関に向けて歩き出した上条の背を、鈴科とインデックスが無言で見つめていた。
ドアスコープを除いた彼の顔が、一瞬だけ強張った。
空気が、少しずつ張り詰めていく。
ドアノブに手をかける直前、上条は一度だけ息を整える。 そして、ゆっくりと扉を開けた。
「……っ」
ドアの向こうにいたその人物を見た瞬間、上条の目がわずかに見開かれる。
つづく
次回あいつがくる