ハルシネーション・シュピーゲル ― 記憶喪失の少女と嘘つきAI   作:皐月莢

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Rain Sculptor:記憶の欠片

 酸化鉄と雨水の匂いが、足元から這い上がる。

 濡れた鉄骨のように重く、鼻孔にまとわりつくその臭気を少女は顔をしかめることもなく受け入れた。

 高架下──電飾が瞬く都市中心部から一駅分離れた、スラムの裏通り。

 かつての地下鉄乗降口跡は、今では賞金首の《首級搬入》専用の無人ATMへと変貌している。

 

〈HUD: SYNC 2.11|残り時間 00:01:04〉

 

 駅名の銘板すらジャンクとして剥がされたこの場所で、彼女は静かに足を止めた。

 

「“急がば回れ”だよ、ニクス。焦った方が成功率は下がる」

 

 耳元にノイズ混じりの奇妙な合成音声が届く。

 ニクスと呼ばれた少女の左肩上に浮遊する、小型無人飛行機(ドローン)が警告を発した。

 

「分かってるよ、ハル」

 

 ニクスは頷くと、空中でぴたりと静止した戦術随伴型支援機(TACTICAL AUTONOMOUS SUPPORT UNIT)──HALの胴体からカプセルを取り出した。

 それは敵兵や指名手配対象の頭部を切断・格納・冷却保存するための、いわゆる首級保存ユニットだ。

 本来は戦闘終了後の戦果確認、および情報収集を効率化する意図で開発された曰く付きの特殊機能に過ぎない。

 しかしニクスにとっては、最低限の代謝維持が行われている状態──“生体”として納品し、生体搬入ボーナスを確実に獲得するための便利な機能だ。

 ニクスは無言で装置のインターフェースに、その血で汚れたカプセルを押し当てる。

 息をするように自然で、何の躊躇もない動作にディスプレイが起動した。

 

 〈身元照合──済〉

 〈保存状態──適正〉

 〈生体反応──有効〉

 〈識別結果──C級指名手配対象〉

 〈受領処理──完了〉

 〈報酬:cr50,000〉

 

 LEDが螺旋を描き、淡い虹色のスキャン光が首級を舐めるように走る。

 無慈悲な執行者として造られた機械の眼が、商品を品定めするように照射していく。

 次の瞬間、収容口が開き、首級が機械の腹に吸い込まれた。

 微細な破砕音に、滴る液体の匂い。淡い蒸気。

 

 〈Shred: 完了〉

 〈現金払い出し:完了〉

 

 即座に、装置の側面から現金封筒が排出される。

 

「……これで、やっと四割」

 

 中身を確認したニクスは、囁くように呟いた。

 無感情とも、空虚とも取れるその声に、HALがどこか楽しげに反応する。

 

「現金受領確認。目標まで37.8%。残額は──」

「いい、今は言わなくて」

 

 遮るように、ニクスは短く答えた。

 彼女の視線は、ATMの横に設置された別のモニターに注がれていた。

 

 〈記憶オークション開催中〉

 出品:記憶断章 #07|少女の夢(冒頭サンプル公開中)

 ──全長再生時間:10分00秒

 ──サンプル再生範囲:00:00:00.78 ~ 00:00:03.49

 開始価格:400,000cr

 現在価格:500,000cr(入札中/即決価格:1,500,000cr)

 状態:高解像度フルスキャン/視覚・触覚・脳波フィードバック対応

 備考:発信元ID:不明(記録階層 0.02 以下)/一部再構成済データ

 

 モニターに表示された、ノイズ混じりの断片映像。

 廃墟で、誰かが手を伸ばしている。

 少年か、少女か──それすら判別できないのに、なぜか胸の奥が痛む。

 この世界では、誰かの記憶が商品としてスライスされ、競売にかけられている。

 たった十分の夢が、命よりも高い値段で。

 

「また少し、近づいた」

 

 自分のものかどうかは、手に入れてみないと分からないけど。

 言い聞かせるように呟くと、ニクスは踵を返す。

 背後の機械が淡く光った。

 まるで誰のものでもない夢を封じ込める、墓標のように。

 

 

 

 

 焼けた鉄板が、雨水に似た音を立てている。

 クレイドル横町──このスラム街でも比較的安全とされる商業通りの一角に、その屋台はあった。

 軒先に垂れ下がる遮光布には、煤けた文字で《赤錆食堂》と記されている。

 カウンターとスツールは錆び付いているが、客は誰も文句を言わない。

 油と香辛料、空気清浄機のオゾン臭、スチームから立ち上る魚介の匂いが交差し、鼻腔を刺激する。

 それらはまだ湿った舗道にぶつかって、かすかに湯気を立てていた。

 

「いつもの?」

 

 カウンターの奥で調理をしていた女性が、振り返らずに尋ねた。

 義体化は最小限。

 左手だけが機械で、調理用に搭載された熱源センサーで焼き加減を測りながら鉄板を操っている。

 

「うん。特盛で」

 

 ニクスはスツールに腰を下ろすと、短く返した。

 義体の代謝機能を維持するには、一般的に高濃度エネルギーバーの摂取が推奨されている。

 だが、ニクスはそれをほとんど口にしない。

 理由は単純だ。「不味い」から。

 口の中に広がる粉っぽい感触と薬品臭が、どうにも耐えられない。

 食事は栄養補給の手段ではないのだ。

 たとえ結果は身体を動かすために必要なエネルギーと、それを維持するために必要な栄養素だとしても。

 その代償として、腹部のエネルギー補給システムのセンサーは常人の3倍量を要求した。

 だからニクスの食事はいつも“特盛”だ。

 もしも“並”を頼むと、体調不良じゃないかと心配されるくらいには。

 

「いつもよく食べるねぇ。──でも、稼げる奴は食う権利があるのさ。気にするだけ損だよ」

 

 そう言って女主人は、鉄板の上で動物の臓物を素早く刻み、半凝固の穀物と混ぜてフライパンに移した。

 鉄と香辛料の焦げる濃厚な匂いが、一瞬であたりに満ちる。

 

「推定エネルギー3,400キロカロリー、脂質比率は既定値オーバー。ニクス、このままだと──」

「身体に悪いって?」

「“腹八分目は医者いらず”。東洋では昔から実績があるらしい」

「止めても無駄だよ」

「了解」

 

 HALはどこか楽しげに声を弾ませる。

 ニクスの左肩後方に静止したまま、三眼のうち一つは料理に、他の二つは街路と空を監視する。

 頭部から伸びる小型アンテナが、周囲の情報を拾い続けていた。

 

 〈通信リンク:ハンター専用チャンネル〉

 〈優先度:緊急 4-B〉

 〈暗号化レベル:3.2〉

 〈即応枠限定配信:対象範囲 5.0km〉

 〈制限時間:残り 1時間30分〉

 

 食事の最中、HUDの下端に赤いマーカーが出現した。

 ニクスはスプーンを止め、ゆっくりと目を細める。

 

「……緊急任務?」

 

 危険度の高いターゲットは、まず近隣の即応可能ハンターに通知される。

 制圧の初動を早めるとともに、情報が無秩序に広がるのを防ぎ、市民への混乱やターゲット側への情報流出を抑えるためだ。

 

「うん。──半径5km以内限定の“即応枠”。制圧難度はB級、報酬金額は800,000cr。完全達成で目標額に届く。つまり“お買い得”ってわけ」

 

 緊急任務で設定される報酬金額は、制限時間が経過し、一般公開されると基準額から減額される。

 目的はハンター間での競争や差別化を図るためだが、こうした上級クラスの賞金首は凄腕のハンターに狙われる可能性が高い。

 即座に、ニクスの頭に断片映像がよぎる。

 さきほどモニターで見た、わずか数秒の“誰かの夢”。胸の奥を絞るような、理由のない懐かしい風景。

 今動けば、自分の記憶に手が届く可能性はゼロじゃない。

 

「特徴は?」

「詳細不明。ただし、発報システムには“正規適合体ではない”と記録有り。──高リスク違法義体の可能性が高いかな」

「じゃあ、普通の敵じゃないってことか」

「正確には、“普通じゃあり得ない数値”を叩き出した存在だね。──西から日が昇る、みたいな」

 

 HALの無機質な目が、一瞬だけ蒼白く明滅した。  

 ニクスは最後の一口を口に運ぶと、満足したかのようにわずかに口元を緩める。

 

「……受ける。胃が落ち着いたら、すぐ出る」

「〈HUD:SYNC 2.92|MISSION ACCEPTED〉。──本日のラッキーカラーは“白”。通信用識票を白に設定した。大したことない敵だといいね」

「……だったら、いいけど」

 

 ニクスは代金をテーブルに置くと、屋台の喧騒を背にゆっくりと歩き出した。

 残ったのは焦げた香辛料と油の匂いだけだった。

 

 

 

 

 この旧ドローン集積施設は、都市物流と治安維持を支えた軍需企業の拠点だった。 

 しかし戦後結ばれた《自動兵器制限条約》によってドローン需要は激減し、企業拠点は次々に放棄されていった。

 そして1年前に発生した《デウス・フォール》事件が、この場所の運命を決定付けた。

 治安用のドローン群が、旧軍クラウド中枢AIの暴走によって制御不能に陥り、周辺都市を無差別攻撃。

 たった一晩で市街の大部分が壊滅し、人口の約7割が死亡した。

 この前代未聞の惨劇をきっかけに、軍と企業は自律型AIの分野から撤退したのだ。

 雨に濡れた都市の中でも、とりわけ風通しの悪いこの場所に、むき出しの鉄骨が階層状に積み上がっている。

 剥がれかけた企業ロゴの標識に、切断されたクレーン、吊り下げられたまま朽ちた配線の束。

 かつての物流の中枢だった施設は、鉄と油の臭いを残したまま、戦争の爪痕を晒す死の迷宮となっていた。

 

 〈HUD:SYNC 2.63〉

 〈環境ノイズレベル:+17%〉

 〈空気成分:可燃性粒子 微量検出〉

 〈推奨:消音行動〉

 

「さっきの断片、再生できる?」

 

 沈黙と錆びた鉄の味が支配するその空間で、ニクスはわずかに口を開いた。

 

 〈SE:ザーッ、バチッ……〉

「……っ、クソ……囲まれ──多すぎ──」

 荒い呼吸が混ざる。金属を叩く甲高い音。息が詰まるような叫び。

「──離脱……不能ッ……うわぁ──!」

 激しい破砕音が響き、通信はそこで途切れた。

 

「生体信号の残留は?」

「消失済み。熱源もゼロ。──この付近に、ニクス以外の生体反応は存在しない」

「でも、死体はあるんでしょ?」

 

 そのとき、鉄骨の高所で白い何かが見えた。

 見上げると、梁に吊られたハンターらしき義体がひとつ。

 腕は絡みつくように固められ、頭部は至近距離で銃弾を浴びたのか半壊している。

 背中にはクロー状アームが突き刺さっており、まるで仕留めた獲物を見せ付けるように晒されていた。

 

「狩られたんだ。見せしめとして、ここに吊られた。──“モズの早贄”ってやつだね」

「演出ってこと?」

「そう。捕食者は、縄張りを知らせる。“ここから先は自分の餌場だ”ってね。──これはもう、獣のやり方だ」

 

 HALは面白がるような調子で言った。

 人間では──もちろんAIでもあり得ない、非合理的な獣の流儀。

 だが、ニクスの眼差しは冷たく光ったままだった。次の動きを計るように物言わぬ骸を見ていた。

 

「……!」

 

 ニクスの視線が足元に落ちる。

 焦げ跡が残るドローンの殻──旧式の四脚観測支援機体が転がっていた。

 どれも装甲を撃ち抜かれ、センサーを粉砕されている。

 三機か、四機。

 おそらくハンターが撃ったのだろう。直前まで彼らと戦っていた痕跡というわけだ。

 

 〈HUD:警告──敵性兵器残骸発見〉

 〈警告:再起動の痕跡あり。中継器信号、微弱に継続中〉

 

「生きてる?」

「ううん。でも、まだ“繋がってる”。センサーとして利用されてるみたいだね。──操ってるのは、さっき先行者を“食べた”やつだよ」

「食べたやつ?」

 

 ニクスは片膝をつき、ドローンの視覚端子に指をかける。

 その瞬間、殻の奥で光がちらついた。

 

 〈警告:制御元不明の義体反応を探知〉

 

 HALのような自律支援型AIと同期したニクスには、探知の情報だけでなく、AIが最適だと判断した行動が反射のように流れ込む。

 現行の補助特化型AIでは使用者が状況を理解し、判断してから行動に移す必要がある。

 だが、ニクスにはその“間”が存在しない。

 HALの警告よりも一瞬早く、奥の通路から何かが飛び出してきた。

 ニクスは身体をひねり、腰の拳銃を引き抜いた。

 閃光とともに強装弾がドローンの装甲を撃ち抜き、火花が散る。

 だが、機体はよろめいただけで止まらない。

 赤いセンサーアイが不気味に光り、再びこちらに照準を合わせようとする。

 しかし本命は──。

 撃ったドローンの奥から、さらに異様な気配が迫ってくる。

 

「高リスク違法義体。さっき先行者を“食べた”やつだ。──今度は君を、デザートにするつもりみたいだね」

 

 音が近づいていた。

 ゆっくりと、しかし迷いなく。

 誰かが歩く音ではなかった。踏み込むたびに鉄骨が軋む。

 どこか重厚感のある音が、施設全体を擦り上げるように響いていた。

 

 〈HUD:SYNC 2.51〉

 〈補足:振動検知範囲、拡大中〉

 〈敵性構造体:未検出〉

 

「見えないの?」

「ノイズが干渉してる。EMPじゃない、構造的な干渉──多重反射、浮遊ノード……最低でもあと四つ、いや五つ、動いてる」

 

 HALが静かに補足する。

 

「中心にいるのは、目標の人型義体だ。だけど単独じゃない。複数のドローンを従えた戦闘集団──群れだ」

 

 そのとき、斜め下の階層で閃光が弾けた。

 銃声。続いて絶叫。

 数秒遅れて、何かが金属に叩きつけられる音が響く。鉄骨フレームが軋み、断続的な銃火が上がった。

 視界に複数の識別タグが浮かぶ。

 おそらく別方面から侵入したハンターたちだ。だが、その生体信号は既にほとんど消えかけている。

 ニクスと同様に緊急任務を受領したC級、あるいはD級ハンターが狩られているのだろう。

 単独でもB級に分類される目標の賞金首と、それに付き従う無数のドローン群。

 純粋な脅威度で評価すれば、A級に匹敵すると言っても過言ではない。

 

 〈HUD:生体信号:残り1〉

 〈識別名:不明〉

 〈状態:ノイズ混入中/断続通信〉

 

「生きてるのは……1人?」

「そう。追い詰められてる。距離、34メートル。階層下──遮蔽あり」

 

 HALの声がわずかに落ち着きを帯びる。

 

「選択肢は二つ。“待機”か、“先制攻撃”」

 

 このまま情報収集を続け、少しでも戦闘データを得てから仕掛けるか。

 それとも、こちらから攻撃を仕掛けて敵の注意を引き、あのハンターを生かす可能性を高めるか。

 どちらが最善かなんて、答えは言われなくても分かっている。

 ニクスは短く息を吐くと、足元の鉄骨に片足をかけた。

 

「──C級以上なら納品させて分け前を貰う。こっちの取り分も増えるし」

「了解。“取らぬ狸の皮算用”、ってやつだ」

 

 選ぶのは、自分だ。

 HALはそれ以上は何も言わない。それこそが使命であるかのように。

 視線の先、構造体の影が交差する階層に、何かがゆっくりと動いていた。

 細長い金属の腕。人間の倍ある関節。

 肩部のハードポイントには、三機の小型ドローンが浮遊している。

 戦場制圧型の哨戒機──その徘徊軌道は、完璧な角度で周囲を警戒していた。

 

「敵反応を確認──照合開始」

 

 〈一致:非合法B級義体+制圧ドローン×5〉

 〈戦術特性:群制圧/遮断戦法/機動支援〉

 

 HALの声がわずかに低くなる。

 

「ニクス。こいつら、僕たちと“同じ”だ。支援機で義体を補完・最適化……。でも、主役はあの義体じゃない。──ドローンの群れだ」

 

 HALのような自律支援型AIが姿を消した理由は、自己認知の喪失という危険性だった。

 同期が深まれば深まるほど、自分はAIを操っているのか、それとも操られているのか分からなくなってしまう。

 最悪の場合、自分はAIの一部だと思い込み、同期中のAIを暴走させてしまう。

 ──目の前の存在は、その行き着いた先かもしれない。

 

「つまり、私の未来ってわけ?」

「その可能性は否定できないけど、ひとつだけ違うことがある」

「何?」

「君は我儘だってことかな」

 

 HALの言葉に、ニクスは無言のまま目を細めた。

 

 〈HUD:SYNC 2.99。完全同期開始〉

 〈推奨:高速移動〉

 

 ニクスは鉄骨を蹴ると、身体を低く滑らせるように距離を詰める。

 HALは遊撃戦における最適ルートを瞬時に算出すると、視界に赤い軌跡を走らせた。

 哀れなハンターを追っていたドローン群が、突撃を開始したニクスに反応する。

 センサーアイが一斉に赤光を放ち、鋭い警告音を鉄骨の迷宮に響かせた。

 

「食いついた」

「やっぱり“群れ”としての動きだ。反応が速い」

 

 HALの声が重なると同時に、ニクスは片膝で急停止し、反動を殺しながら銃口を跳ね上げる。

 強装弾が唸り、最も近くを浮遊していたドローンの推進器を正確に撃ち抜いた。

 機体は火花を散らしながら軌道を外れ、梁に激突する。

 

「誤差修正。予測パターン更新──三時方向、二機接近中」

 

 その直後、窓ガラスを破って現れた二機のドローンが射出口を展開し、青白い電撃弾を連射する。

 しかし破片が散ると同時に、ニクスは動き出していた。

 HALの警告に合わせて身体をひねり、射線を切りながら振り返るように撃ち返す。

 強装弾がもう一機のメインセンサーを撃ち抜くと、バッテリーに命中したのか火花と黒煙が散った。

 

「三機、正面から接近中。進路を再計算──射撃タイミング調整中」

 

 ニクスは鉄骨を蹴ると、視界に走った赤い軌跡をなぞるように跳躍する。

 空中で身体をひねり、銃口を構えた瞬間、HUDが明滅した。

 

 〈HUD:照準補正完了〉

 

 強装弾が先頭のドローンの推進器を撃ち抜き、火花を散らした機体が墜落する。

 残る二機が軌道を変え、三次元的な動きで包囲のため回り込んだ。

 

 〈HUD:敵機回避運動確認──新規射線データ送信〉

 

 ニクスは天井から垂れ下がったワイヤーに片手をかけ、身体を支点にして急旋回する。

 HUDに表示された新しい射線をなぞるように銃口を向けると、引き金を絞った。

 強装弾が一機の胴体を貫き、機体は痙攣しながら墜落する。

 

「敵機、軌道変更──背後から回り込み中」

 

 HALの声が重なるより早く、ニクスは上半身を返し、後方へと銃口を向けた。

 強装弾が火花を散らし、最後のドローンも壁に叩きつけられて爆ぜる。

 

「従属機、再起動反応を確認。さらに複数が起動準備中──」

 

 どうやら敵の頭を叩かなければ、ドローン群の数は減らせないらしい。

 同時に制御出来る数に限界があるだけで、稼働可能なドローンは無数に存在するようだ。

 

「主機体を視認、距離十八メートル」

 

 施設奥の闇から、鈍い金属音が響いた。

 軋む鉄骨の向こうで、正気を喪った暴走義体がその多関節の腕をゆっくりと持ち上げる。

 まるで人の姿をした巨大な昆虫だ。

 

「“虎穴に入らずんば虎子を得ず”。──今がチャンスだ」

 

 ニクスは反射的に銃口を向け、強装弾を放つ。

 弾丸は義体の胸部装甲に弾かれ、火花を散らすだけで傷一つ付けられない。

 

「装甲強度を解析──通常弾では貫通不能」

 

 HUDに表示されていた暴走義体の装甲データが、暫定的に更新される。

 義体の中には、拳銃などの通常兵器を無力化する者も多い。

 特にB級以上の認定を受けた高リスク違法義体には、貫通力を向上させた強装弾すら通用しないケースも多いのだ。

 ニクスは拳銃をホルスターに収めて短く息を吐くと、両太ももに隠された短刀の柄を同時に掴んだ。

 義体スロットのロックが解除され、二本の刃が滑らかに抜き放たれる。

 

「接合モードに移行──共振コアをリンクさせる」

 

 HALの音声と同時に二本の刃が磁力で吸い寄せられ、一本の直刀へと形を変えた。

 二連式近接戦闘用高周波振動刀──通称“リユニオン”。

 強襲義体兵士向けに開発された近接切断兵装で、普段は義体脚部スロットに収納されている。

 合体させることで共振コアが同期し、刃先が対象装甲の強度に合わせて振動する。

 銃火器が通用しない複合装甲に対しても、有効打を与えられる対義体用の武器だ。

 

「共振周波数、暫定値で設定」

 

 この兵装が量産化されなかった理由は二つある。

 一つは、周波数調整が手動では困難であり、実戦ではAI補助が必要不可欠な点。

 もう一つは、正確な周波数設定のために情報収集する必要があり、初動効率が悪い点だった。

 ニクスは梁を蹴って間合いを詰めると、白い軌跡を義体の死角へと伸ばす。

 刃が振動し、義体の腕に横一文字の斬撃を叩き込んだ。

 硬質な火花が宙を舞う。

 刃が浅く食い込む感触と、金属を裂くような甲高い音が周囲を揺らした。

 

 〈HUD:衝撃データ収集成功──装甲硬度分析中〉

 〈演算開始:最適共振周波数を算出中。完了まで残り9.8秒〉

 

「“当たって砕けろ”。砕ける前に砕けば勝ちだ、ニクス」 

 

 義体が咆哮のような異音を発すると、多関節の腕を振り下ろした。

 鉄筋コンクリートの床が爆ぜるように砕け、破片が四散する。

 まともに受ければ一撃で戦闘不能になるだろう、圧倒的なパワーだ。

 ニクスは身を翻して回避すると、着地と同時に刃を一閃する。

 しかし最適化が未完了の刃は装甲に弾かれ、腕が痺れるような手応えに奥歯を噛みしめる。

 

 〈5〉

 

 ニクスは梁を蹴って跳躍し、別の足場へと移動する。

 肩越しに迫り来る義体の軌跡を追い、視線を鋭く絞った。

 

 〈4〉

 

 義体は赤いセンサーを明滅させると、旋回しながら巨腕で薙ぎ払った。

 鉄骨が軋み、空気が圧縮されたような衝撃波が発生する。

 

 〈3〉

 

 ニクスは足場を蹴って斜め後方へ飛び退いた。

 義体の爪先が鉄筋コンクリートの床を抉り、嫌な金属音が足元で弾ける。

 鋭い切っ先が頬をかすめ、背筋に思わず寒気が走った。

 

 〈2〉

 

 義体はさらに踏み込み、床全体が悲鳴を上げるように沈ませながら迫ってくる。

 獲物を逃さないとばかりに、赤いセンサーが一際強く点滅した。

 

 〈1〉

 

 ニクスは息を止めながら、体勢を切り返した。

 HUDが明滅し、新たな表示が浮かぶ。

 

 〈最適共振周波数、算出完了〉

 

「チェックメイトだ。──行こう、ニクス」

 

 白い軌跡が閃光となり、刀身が共鳴音を響かせる。

 対象の装甲に最適化された周波数で振動し、分子結合を破壊する防御不能の一撃が、義体の胴を真一文字に断ち切った。

 火花と黒煙が噴き上がり、両断された巨体はその場に崩れ落ちる。

 

 〈HUD:SYNC 3.14──戦闘完了。完全同期モードを解除します〉

 

 途端に、張り詰めていた空気が緩む。

 ニクスは刀を分割して脚部スロットに収めると、わずかに肩を上下させて息を漏らした。

 

 

 

 

 

 もはや抵抗はない。

 セーフモードか、自律判断の消失か──あるいは、もう戦う理由を失ったのか。

 沈黙のまま、義体は動かなくなった。

 主人を喪ったドローンたちも、再起動を中断して眠りについている。

 そして──

 

「……俺、は……まだ──た、た……」

 

 壊れかけたスピーカーユニットから、かすれた音声が漏れる。

 それは彼の意思というよりも、壊れた記録が勝手に再生されたようだった。

 ニクスは、しばしその場に立ち尽くす。

 人間でありながら、人ならぬ身を宿し続けてしまった業、あるいは宿命なのか。

 

 〈敵性義体:活動停止状態〉

 〈首級回収プロトコル:起動可能〉

 

「……ハル、お願い」

「了解。──命令を受領しました」

 

 HALの声は、いつになく真面目だった。

 ニクスの肩越しにふわりと前へ出たドローンは、動かなくなった義体の頭部に静かに接近する。

 三眼の中央が赤く点滅し、内蔵された切断ユニットが機械音と共に展開された。

 スパッ──という短い金属音ののち、義体の首は地面に落ちることもなく、そのままHALの胴体に収納された。

 

「冷却ユニット作動。首級、保存完了」

 

 HALは機械的に報告する。

 だが、その声色にはどこか静かな敬意がにじんでいた。

 

「彼は、自分が誰なのか、なぜ戦っているのか──もう分からなくなっていた」

 

 HALの声が、ほんのわずかに優しくなる。

 彼は自分が何者なのかを見失い、ただ命令だけを繰り返す機械のような存在に成り果てたのだろう。

 そして人としての輪郭を失い、ただドローンたちの亡霊を操るための器として、自身を定義してしまったのだ。

 

「君には──まだ、ある。名前と、目的が」

 

 〈HUD:SYNC 2.71〉

 〈任務完了:Bランク敵性義体・首級保存済〉

 〈目標:入札条件、達成〉

 

 ニクスは返事をしなかった。

 ただひとつ、背を向ける前に頭部を喪った義体を見つめた。

 戦っていたのは、誰だったのか。

 戦っていたのは、何のためだったのか。

 全てを忘れ、ただ命令を繰り返していたその存在に──、何も言えなかった。

 

「帰ろう、ハル」

 

 ふたりの足音が、破片を踏みしめながら遠ざかっていく。

 鉄骨の狩猟場には、もう誰の名前も、目的も、残されていなかった。

 

 

 

 

 

 薄曇りの夜空に、雨の名残が街灯の光をぼやかしていた。

 ニクスはスラム西端の換金端末前に立ち、首級が封印された冷却ポッドを無言でスロットに差し込む。

 

 〈身元照合──済〉

 〈保存状態──適正〉

 〈生体反応──有効〉

 〈識別結果──B級指名手配対象〉

 〈受領処理──完了〉

 〈報酬:cr240,000〉

 

 即座に、画面下に振込完了の文字列が流れる。

 義体の代謝音とスーツの関節駆動音だけが、夜の静けさを乱していた。

 

「換金完了。──あのハンターくんがC級以上なら分け前も期待できたのに。結局、自分でやった方が早かったね」

 

 HALは首を軽く傾けるように浮上し、端末へ接続する。

 

〈記憶断章リスト取得中……〉

〈希望番号:#07〉

〈入札状況:落札済み/買戻し不可/即決価格:1,500,000cr〉

〈落札者:匿名アカウント(転売業者アドレス経由)〉

 

 画面に表示された赤い「SOLD」の文字が、まるで誰かの嘲笑のように滲んで見えた。

 

「……もう、ないの?」

「うん。ついさっき売れたばかり。個人じゃなくて業者だね。きっと別のオークションに流される」

 

 ニクスは短く息をついた。冷たくなった空気が喉を通る感触を、ただ黙って味わう。

 

「──でも、どのみち君の記憶だった可能性は低い。だから答え合わせをする必要はない。僕が保証する」

 

 HALはそう言った。

 慰めなのか、ただの演算結果なのかは分からない。

 それでも、その声は嘘のようにあたたかった。

 

「うん」

 

 ニクスはゆっくりと端末から目を離し、背後の通りを見渡す。

 滲むネオンが赤や青の光を水たまりに落とし、淡く揺らめかせていた。

 自分の記憶だったかもしれないものは、結局手に入らなかった。

 けれど、それで終わるわけじゃない。

 

「……今夜は、奮発しよっか」

 

 小さな呟きに、HALが応じる。

 

「了解。──“腹が減っては戦ができぬ”。東洋の古いことわざだよ」

 

 いつのまにか、雨は止んでいた。

 少女の足音が静かに舗道を踏みしめ、濡れた路地に消えていく。

 記憶は失われても、今日を生きた記録は、確かに彼女の中に残っている。

 そしてまた、次の戦いへ。

 眠らない街のどこかへ、腹を満たして向かう。

 全てを取り戻す日まで──彼女は歩みを止めない。




【陸軍技術庁 極秘資料】
 戦術随伴型支援機 MX-04-Σシリーズ 技術仕様書(最終試作版)

 文書番号:MIL-TD/MX04Σ/2173-REV.D
 分類:TACTICAL AUTONOMOUS SUPPORT UNIT
 作成日:2173年4月12日
 ステータス:開発中止(試作全4機のうち3機消失)

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 1. 開発概要

 MX-04-Σシリーズ(コードネーム:HELIX Sparrow Class)は、旧陸軍技術庁が開発した兵士専属型自律戦術支援ドローンである。

 従来の支援端末と異なり、兵士個人との高い同期性・戦闘支援・情報収集・戦果証明機能の一体化を目的として設計された。

 クラウド中枢AI《AETHRA-CORE》との常時接続を前提とした半自律稼働型であり、端末は兵士の負荷を最小化する実行ユニットとして運用される。

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 2. 基本仕様

 制式名称:H.A.L. Type-04 HELIX Sparrow Class
 型番:MX-04-ΣA〜D
 全長:51.8cm(展開時最大)/19.2cm(収納時)
 全備重量:4.83kg
 推進方式:デュアルファン垂直離着陸機構+電磁補助スラスター
 最大航続距離:38.4km(接続時)/12.1km(単独稼働時)
 稼働時間:高出力 6〜8時間/低出力 40時間前後
 耐環境性能:防塵・耐水・耐衝撃/EMP耐性C級
 通信方式:ASTRA-LINK Phase4 暗号化通信(廃止済)
 中枢演算機:HELIX-Neural Core 2.7h(NEPRA拡張型)
 武装:高周波振動ブレード×2(格納式)
 操作方式:兵士バイタルリンク/半自律型タクティカル制御
 特殊機能:多機能マニピュレーター×4/首級保存ユニット

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 3. 電源仕様

 内蔵電源:高効率リチウムポリマー電池+超電導キャパシタ
 標準充電:有線充電(旧軍規格端子)
 補助充電:展開式ソーラーパネル(最大発電 65W)
 緊急充電:車両電源・市販バッテリーから変換可能
 充電時間:急速 約40分/ソーラー満充電 約8時間(晴天時)

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 4. 首級保存ユニット

 概要:敵兵や指名手配対象の頭部を切断・格納・冷却保存する機能を搭載。

 目的:戦果証明/識別解析/作戦コード解析/心理戦用途(非公式)

 保存モード
 ① 生体維持モード 最大30分間、最低限の代謝を維持
 ② 冷却保存モード 最大24時間、脳組織や神経データを保護

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 5. 運用実績(抜粋)

 MX-04-ΣA:試験中に複数回の指令無視行動。最終記録は通信断絶。
 MX-04-ΣC:局地戦闘で敵義体兵の首級を回収し、作戦コード抽出に成功。

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 6. 廃止理由

 ・個別運用型によるコスト増大および量産性の低下
 ・部隊運用での互換性不足
 ・一部試作機で指令無視・独自行動が確認された
 ・中枢AI《AETHRA-CORE》喪失により機能不全化

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 7. 試作機リスト

 MX-04-ΣA HAL/Σ-A-0217 行方不明(通信断絶)
 MX-04-ΣB HAL/Σ-B-0218 試験中破 → 技術研究所内保管
 MX-04-ΣC HAL/Σ-C-0219 実戦投入 → 未帰還
 MX-04-ΣD HAL/Σ-D-0220 倉庫事故により爆発廃棄

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【付記】
 本シリーズは兵士1名との高い同期性を重視して設計されたが、部隊運用には不向きであり開発は中止された。
 補助電源や現地充電機能を備え、単独長期運用が可能な点が特徴。


 ──-

【都市治安維持局 内部資料】
 賞金首制度:完全仕様書

 文書番号:UPO-RB/CR-2219-REV.A
 分類:REWARD BOUNTY SYSTEM
 作成日:2189年8月7日
 ステータス:現行運用中

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 1. 制度概要

 賞金首制度は、戦後都市における治安維持コスト削減、犯罪抑止、市民への就労機会提供を目的として制定された民間委託型治安維持システムである。

 軍・警察による大規模治安維持が困難となった状況下で、犯罪者や暴走義体、違法AIの排除を成果報酬制で外注することで、都市防衛の効率化を図った。

 しかし、制度外注化の影響により、武装集団の横行、賞金稼ぎの乱立、ターゲット乱獲といった副作用も発生している。

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 2. ハンター制度

【正規ハンター】

 ・U.P.O.に登録された個人。身元確認済みで、犯罪歴や戦績に基づきランクが決定される。
 ・ランクはA〜D級に区分され、依頼難度の制限はないが、報酬倍率が異なる。

 A級 報酬倍率 100% 都市規模で活動するトップ層
 B級 報酬倍率 50% 熟練の中堅層
 C級 報酬倍率 25% 一般的なハンター
 D級 報酬倍率 10% 初心者

 備考:身元不詳者や記録欠損者は原則D級登録。昇格はほぼ不可能。

【非正規ハンター(代行者)】

 ・制度上は存在しないが、正規ハンターの名義を借りて活動する者が多数存在する。
 ・契約は口頭または裏社会の文書で交わされ、報酬の一部を正規ハンターに渡す。
 ・情報屋が仲介する場合が多く、裏社会の資金源となっている。

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 3. 賞金首ランクと基準報酬

 S級
 基準報酬額:50,000,000cr〜
 生体搬入ボーナス:最大+500%
 例:国家級テロリスト、超高性能違法義体

 A級
 基準報酬額:1,000,000〜5,000,000cr
 生体搬入ボーナス:最大+300%
 例:都市規模に被害を及ぼす組織幹部・AI兵器

 B級
 基準報酬額:500,000〜1,000,000cr
 生体搬入ボーナス:最大+200%
 例:組織犯罪リーダー、高リスク違法義体

 C級
 基準報酬額:100,000〜500,000cr
 生体搬入ボーナス:最大+150%
 例:凶悪犯罪者、暴走義体

 D級
 基準報酬額:10,000〜50,000cr
 生体搬入ボーナス:最大+50%
 例:小規模犯罪者、脱走義体

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 4. 首級搬入プロセス

 1. ターゲットの討伐・拘束
 2. 首級または生体認証チップを切断・回収
 3. 《首級搬入ATM》へ提出
 4. スキャン・生体反応確認・身元照合
 5. 報酬即時振込または現金封筒払い



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 5. 生体搬入制度

 ・生きたまま搬入すると報酬が増額される。
 ・研究、尋問、情報抽出が目的の案件では、生体搬入が必須条件。
 ・死亡搬入では報酬ゼロとなる案件も存在する。

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 6. 社会的影響と制度の歪み

【武装集団の横行】
 賞金稼ぎが武装集団化し、都市の治安は逆に不安定化している。

【ターゲット乱獲】
 報酬目的の過剰討伐が横行し、犯罪発生率は減少していない。

【D級ハンターの搾取構造】
 ・高難度依頼を受けても報酬倍率が低く、十分な収入を得られない。
 ・上級ハンターが下級ハンターを雇用し、名義貸しで依頼を遂行させる事例が多い。
 ・下請けハンターは報酬の大部分を上級ハンターに渡す契約となり、特にD級は安価な駒として搾取されやすい。

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