ハルシネーション・シュピーゲル ― 記憶喪失の少女と嘘つきAI   作:皐月莢

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Crimson Stray:誰の駒でもなく・前

「一寸先は闇ってね。僕には関係ない話だけど──あの人たちもそうかもね」

 

 耳元で軽い調子の声がした。

 十種類以上のセンサーを搭載し、人間をはるかに超える視覚と索敵能力を持つ、小型無人航空機の言葉だ。

 少女はそれを聞き流し、さらに足を速める。

 濡れた鴉の羽のように艶やかな短い青髪。深海を思わせる蒼黒の瞳。

 白く透き通るような肌を持ちながら、その身体は精緻な義体で構成されている。

 しなやかで細身のシルエットを包んでいるのは、漆黒のコンバットスーツ──それをカジュアルに偽装するショートジャケット。

 外見だけなら、どこにでもいるティーンエイジャーにしか見えない。

 

 “名を捨て、主に従え”。

 

 男の声明が広域通信で流れてくる。

 ──《解放の声》。

 過去と名前を捨て、番号で呼ばれることを誇りとする狂信者たち。

 戦後、一般的な医療技術となった義体化やAI診療を「人間性の否定」と叫び、都市を「檻」と断じて破壊を正義と信じる武装集団だ。

 彼らがこの施設を狙った理由は単純だった。

 ここは戦時中に培われた義体医療技術の“生きた実験場”であり、違法義体技術が蔓延するこの街では、下手な重要施設よりもよほど価値があるのだ。

 

「国は義体技術を否定しろとか、拘留中の仲間を釈放しろとか、宗教法人として認めろとか……。ずいぶん豪華な要望リストだね」

「自分たちがやらなきゃいいだけなのに?」

「ほら、“出る杭は打たれる”って言うだろ? あの人たちは打つ側に回りたいんだよ。自分だけ損をしているのが許せないってわけだ」 

 

 今まさに、都市の外れにある義体医療研究施設が襲撃されていた。

 研究員や患者たちは人質にされ、駆け付けた警察は手出しができずにいる。

 文句なしの緊急任務で、生かすも殺すも自由な指名手配犯が混じっている“美味しい”案件だ。

 だが、不用意に攻撃して人質に犠牲者が出れば、ハンター資格停止もあり得るだろう。

 しょせんは都市治安維持局(U.P.O)に登録されたD級ハンターの自分など、切り捨てられても文句は言えない立場に過ぎないのだから。

 

「……何あれ?」

 

 遠くからサイレンが近づいてくる。

 一台の救急車が猛スピードで施設に突っ込んでいくのを、ニクスは光学センサー越しに視認した。

 

「施設が乗っ取られたことを知らないの?」

「それはないと思うけどね。あれは敵の支援者か──」

 

 直後、施設の方向からロケット弾が飛来し、救急車が炎上する。

 爆炎の中から、複数の影が飛び出した。

 

「同業者だ」

 

 炎上する救急車の後方に、統率の取れた複数のハンターが降り立った。

 それぞれ義体化した腕に銃器を、あるいは別の専用武器を固定し、ためらいなく施設内へと突入していく。

 その動きは、周囲で立ち尽くす警察官たちとは比べ物にならないほど速く、正確だった。

 

 〈HUD:複数の義体反応を捕捉 種別:C〜D級〉

 〈HUD:通信タグ照合中……〉

 

 彼らは──下請けハンター。

 主にA級に区分される上級ハンターが、複数の案件を同時に回すために雇う“代行者”だ。

 依頼人である都市治安維持局(U.P.O)には上級ハンターの名前で成果を納品し、報酬もいったん雇い主に入る。

 下級ハンターには、その中からわずかな取り分が渡されるだけ。

 低リスク・低報酬の仕事を任されることが多いが、状況次第ではこうした危険な現場にも駆り出される。

 彼らに作戦や判断の権限はなく、基本的には命令通りに動くだけだ。

 構成員の大半はC〜D級。

 実力不足や経験不足の者がほとんどで、金銭的な理由から義体性能も中古や低品質。

 表向きは上級ハンターの仕事として扱われるため、名前が世間に出ることはなく、ハンターの実績としても残らない。

 優秀であれば重用されるが、凡庸であれば切り捨てられる。

 

 ──その実態は、使い捨ての駒に過ぎない。

 

 失敗すれば責任を押し付けられ、いくら働いても昇格は望めない。

 それでも彼らは、A級ハンターの特権である情報網を利用し、効率よく報酬を稼ぐ。

 都市の歪んだ構造が生み出した、ニクスの“同業者”たちだった。

 

「……出遅れたね。何人かは既に逃げたようだ」

 

 HALの冷静な声が耳に響く。

 ニクスは短く息を吐き、腰のホルスターから拳銃を抜いた。

 施設の入口付近では、《解放の声》の親衛隊が治安部隊を圧倒している。

 粗末な武器しか持たない信者とは異なり、親衛隊は「器」を守るため義体化され、反射神経も筋力も人間とは桁違いだ。

 対人装備しか携行を許されていない通常の治安部隊では、勝てるはずもない。

 

 〈HUD:SYNC 2.51〉

 〈HUD:標的 3 優先度 α>γ>β〉

 

 HALは敵の距離や義体化度を解析し、脅威度に応じて優先順位をマーキングする。

 ニクスは遮蔽物を縫うように疾駆した。振り向いた親衛隊のひとりが銃口を向ける。

 引き金を絞るより一瞬早く、強装弾が炸裂する。

 被弾した男の義腕が歪み、銃が床に転がった。

 

「威力不足だね。リユニオンの使用を推奨する」

「分かった」

 

 ニクスは両太腿のホルスターに隠された短刀の柄を同時に掴む。

 義体スロットのロックが解除され、二本の刃が滑らかに抜き放たれた。

 

 〈HUD:REUNION HAL制御リンク確立〉

 〈HUD:出力 80% 共振周波数 暫定設定中〉

 

 二本の刃が磁力で吸い寄せられ、一本の直刀に変わる。

 強襲義体兵士用に設計された近接切断兵装──高周波振動刀《リユニオン》。

 複合装甲をも切断可能な刃が、青白い残光を帯びて振動を始めた。

 HALが即座にパラメータを目測で補正する。

 手首に伝わるわずかな震えを感じながら、ニクスは踏み込み、一閃。

 高周波ブレードが残光を引き、もう片方の腕で銃を構えようとした親衛隊員を腕ごと切り裂いた。

 火花と赤黒い液体が散る。

 残る二体が銃口を向け、弾丸が火花を散らす。

 

 〈HUD:回避推奨 左前方 2.3m 予測被弾率 1%〉

 

 ニクスは床を蹴り、滑るように横へ飛び込んだ。

 遮蔽物の影に身を伏せ、呼吸を整えながら状況を確認する。

 右側の敵は二丁拳銃を構え、左側の敵は義体化した腕から二連装の砲口を展開していた。

 

 〈HUD:射線 4 本体被弾確率 54%〉

 〈HUD:推奨行動──煙幕展開、右側優先〉

 

 ニクスは腰のポーチから小型の閃光煙幕弾を抜き、床に転がした。

 白煙が弾けた瞬間、右側へと疾駆する。

 義体の脚力を最大限に利用し、視界が揺れるほどの急加速。

 右の敵が二丁拳銃を乱射するが、煙幕に阻まれて照準を欠いた弾丸は虚空を裂いた。

 しかし至近弾の破片がニクスの腕をかすめ、僅かに火花が散る。

 

 〈HUD:警告──コンバットスーツ損傷 被弾率上昇〉

 

 HALの演算が一瞬だけ跳ね上がる中、ニクスは床を滑るように潜り込み、リユニオンを振り上げる。

 防御不能の高周波刃が一陣の閃光とともに、敵の腹部を斜めに裂き上げた。

 呻き声を上げる間もなく、義体が火花を散らして崩れ落ちる。

 残る一体は砲口を向けたまま反応し、側面から銃撃を浴びせた。

 

 〈HUD:回避推奨 右斜め前方 1.9m〉

 

 ニクスはHALの指示に従い、低く跳ねるように右前方へ飛び出す。

 着地と同時にリユニオンを横薙ぎに振った。

 ブレードが敵の膝関節を断ち切り、義体がバランスを崩す。

 間髪入れず、逆袈裟にもう一閃を叩き込んだ。

 高周波刃が敵の胸部を深く切り裂き、最後の親衛隊員が火花を散らして前のめりに崩れ落ちる。

 

 〈HUD:残存反応 0 警戒レベル 低下〉

 

「掃除完了。──出遅れたけど、まぁ十分じゃない?」

 

 HALの声は、どこか楽しげに響いた。

 ニクスは無言でリユニオンの刃に付着した赤黒い飛沫を振り払い、収納する。

 残った信者たちは治安部隊に任せておけば十分だろう。

 拳銃に持ち替え、隔離エリアへと踏み込んだ。

 そこは既に、血と火薬の臭気が入り混じった戦場だった。

 床には《解放の声》の信者たちの亡骸が転がり、その銃創はどれも正確で無駄がない。

 壁や天井には、鋭利なワイヤーが深く食い込んだ痕跡が点々と残っていた。

 

 そして、その中央に──。

 

 ニクスの視線が思わず止まる。

 戦場の熱気とは別の、冷たさを感じるような存在感。

 血に染まった長い赤髪を払い、手首から射出したワイヤーを軽く揺らしながら、銃身をくるりと回した少女が立っていた。

 その背後には、同じ紋章入りの戦闘スーツを着た数人のハンターたち。

 義体の関節が淡く光を放ち、専用武装を備えた彼女たちは、明らかに治安部隊とは異なるレベルの統制を誇っていた。

 

「……マーダー・コード」

 

 ニクスは短くつぶやくと、HALは軽く口笛を吹くような調子で言った。

 

「赤髪の子──新入りみたいだね。名前しか登録されてないよ」

 

 足元には、標的である「救世主の器」の死体が横たわっている。

 胸には正確に撃ち抜かれた銃痕がひとつ、さらに首には切断されたワイヤーの痕跡が残っていた。

 

「誰だか知らないけど、遅かったわね」

 

 赤髪の少女──カイトが勝ち気な笑みを浮かべて言った。

 

 

 ──-

 

 

 薄曇りの夜空には、酸化鉄と雨の匂いが漂っていた。

 都市外れの高架下──今では賞金首の換金端末だけが並ぶ、廃駅となった構内。

 深夜ともなれば、ここに集まるのは上級ハンターのお零れを狙うD級や非正規ハンターばかりだ。

 ニクスはHALから取り出した冷却ポッドを端末のスロットに差し込み、液晶パネルに浮かぶ淡い光を無言で見つめた。

 

 〈頭部検証中──識別一致:違法義体/適合体記録:C級〉

 〈生体反応確認──判定:有効〉

 〈処理完了〉

 〈報酬:cr37,500〉

 

 即座に口座へ振り込まれた額を確認し、ニクスはわずかに肩を落とす。

 ──安い。命を賭けた戦闘の報酬としては、あまりにも。

 

「割に合わない仕事だったけど、頭が無事で良かったね」

 

 ニクスは端末に表示された数字を眺め、肩を竦める。

 HALの調子はいつも通りで、成果の少なさなど気にしていない。

 自律型AIであるHALにとって重要なのは、当面の生活費と修理維持費が確保できるかどうかだけだった。

 すぐ隣の端末から、電子音が響いた。

 

 〈頭部検証中──識別一致:違法義体/適合体記録:B級〉

 〈生体反応確認──判定:有効〉

 〈処理完了〉

 〈報酬:cr1,800,000〉

 

 ふと視線を向けると、先ほど戦場で見た少女──《カイト》の名でデータベースに登録されている赤い長髪の少女が立っていた。

 彼女の足元には、生命維持機能を備えたスーツケース型ユニット。

 中では切断された首級が淡く光る液体に浸され、最低限のバイタルが保たれている。

 

 HALが感心したように呟く。

 

「さすがはマーダー・コードだね」

 

 赤髪の少女が淡々と操作を続ける中、端末の画面に表示された残額は、ニクスがこれまで見たこともない額だった。

 A級ハンター《ヴェノム》が率いる私兵集団──マーダー・コード《Murder Code》。

 メンバーはヴェノムを除き、全員が戦闘特化型の義体少女。

 依頼の成果はすべて彼の名義で提出され、代行者である構成員の名前が表に出ることはない。

 高額な装備と安定した報酬の代償として、メンバーの実績はヴェノムのものとなり、失敗すれば簡単に切り捨てられる。

 それでも、孤児や難民にとっては生き延びる数少ない手段であり──かつてはニクスも、非正規ハンター時代に彼らと一度だけ関わったことがあった。

 カイトは転送された高額のクレジットを確認し、続けて別の操作を始める。

 画面に新たな情報が表示された。

 

 〈記憶断章 #27|無題(サンプル再生可能)〉

 ──全長再生時間:08分22秒 

 ──サンプル再生範囲:00:00:01.12 ~ 00:00:04.08

 落札価格:cr500,000

 購入者:C級ハンター《カイト》

 

 ニクスが何気なく横目で見たとき、カイトは迷いなく購入を確定させた。

 端末に「落札完了」の文字が浮かび、短い電子音が響く。

 

「それ、便利そう。──私のも勝手に動けばいいのに」

 

 カイトがクレジット転送を確認しながら横目で言う。

 足元のスーツケース型ユニットから、液体の揺れる音が微かに響いた。

 

「まあね。僕は働き者だから」

 

 HALが軽口を返す。

 

「うちはこうやって手で運ばなきゃいけないのよ。これ、けっこう重いの」

 

 カイトは足元のケースを軽く蹴り、口元で笑った。

 

 

 ──-

 

 

 ニクスは端末に残った購入情報を見つめ、息を呑んだ。

 

「……売ってたんだ」

 

 記憶断章──人の記憶をスライスしたデータ。

 裏市場やオークションで高額取引されるそれを、ニクスもこれまで何度か落札しようと試みた。

 だが、“少女時代の記憶”は価値が高く、出品されること自体が極端に少ない。

 結局、一度も自分の記憶らしいものは手に入れられていない。

 

「気になる? まだサンプルは見られるよ」

 

 HALが軽い調子で促し、端末にサンプル映像が浮かぶ。

 そこには、幸福そうに笑う幼い少女と、その両脇で肩を抱く二人の大人がいた。

 

 ──淡い青色の短い髪。

 

 見覚えがないはずなのに、胸の奥がざわつく。

 

「……これは……?」

 

 小さな声が、思わず漏れた。

 

「まあ、どうせ誰かの昔の記憶だよ。──気にしてもしょうがないって」

 

 HALは冗談めかして言い、サンプル映像は自動的に暗転する。

 ニクスは唇を噛み、画面から目を離さない。

 

 ──あの赤髪の少女が買ったのは、もしかすると。

 

 胸の奥で、得体の知れない焦燥が膨らんでいく。

 あと一歩早く気付いていれば、手に入れられたかもしれない──。

 

「“逃がした魚は大きい”って言うしね。運が良ければ、交渉次第で譲ってもらえるかも」

 

 周囲を見渡したが、カイトの姿はもうなかった。

 




 【都市治安維持局 内部資料】
 文書番号:UPO-RG/MC-2199-REV.A
 分類:脅威対象報告書(Confidential)
 発行日:2199年9月14日
 作成部局:U.P.O.分析課

 ──-

 1. 概要

 対象組織《マーダー・コード》は、A級ハンター《ヴェノム》を代表者とする代行者集団である。
 表向きは義体風俗系店舗《脱皮(Shed_Skin)》を拠点としているが、実態は複数の依頼を効率的に遂行するための戦闘部隊として機能している。
 依頼の成果はすべてヴェノム名義で提出され、構成員の名前が表に出ることはない。

 ──-

 2. 確認されている事実

 構成員は全員が義体を使用している少女である。
 義体および装備はヴェノムの管理下にあると推測される。
 構成員は「代行者」として扱われ、依頼報告時に名前が出ることはない。
 成果の分配はヴェノムが一括管理している。
 構成員の忠誠度は高く、裏切りや離脱の事例は確認されていない。

 ──-

 3. 脅威評価

 義体性能と装備の水準が高く、C〜D級の個人ハンターと比較して戦闘力が著しく上回る。
 特定の作戦では、警察部隊と同等かそれ以上の迅速性・統制力を発揮する。
 ヴェノムが絶対的な指揮権を持っており、指揮系統は単純明快で統率が取れている。
 非合法な活動との関わりを裏付ける確実な証拠は現状得られていない。

 ──-

 4. 現状評価

 《マーダー・コード》はU.P.O.にとって有用かつ高効率な代行者集団であるが、
 組織の実態は十分に把握されておらず、潜在的なリスクが高い。
 現時点では、ヴェノム個人を正規登録ハンターとして扱うことで依頼の成果を得ているが、
 組織構造や背後関係については継続的な調査と監視が必要である。

 ──-

 5. 推奨対応

 ヴェノムおよび主要構成員の行動履歴の追跡を強化する。
 義体・装備の供給元を調査し、管理外ルートを特定する。
 必要に応じて構成員個別への接触を試み、組織の詳細を把握する。
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